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資料収集

本研究所は、設立以来多様な資料を精力的に収集してきました。 キリスト教社会問題関係をはじめとし、歴史・文化・経済・経営・社会問題関係等約18万冊の図書資料と一次資料を所蔵しています。特にキリスト教社会問題関係資料は長年に渡ってキリスト教社会問題研究会が中心となって収集してきた資料で内外の研究者の間にも高い評価を受けています。かつてはCS文庫として別置されていましたが現在は他の資料と共に配架されておりDOORSでの検索が可能となっています。図書資料以外にこの研究会が収集した1次資料には海老名弾正資料、湯浅与三文書、山室軍平文庫、柏木義円文書、長田時行文書などがあり貴重な資料となっています。

キリスト教社会問題関係資料以外では、個人伝記、地方史などの資料を積極的に収集しており、近年では東アジア地域研究に関する資料も収集しています。また京都をはじめとする歴史関係の資料も多く、河原林家文書や細辻家文書などの文書類も所蔵しています。

なお、これらの資料は学内外の研究者・大学院生はもとより学部生の利用にも供していますが、 事情によって帯出・閲覧を制限している場合があります。

貴重資料

信仰の生涯 : ジョージ・ミューラル氏小傳并演説
The Japanese bride
平民之福音
下京五番組総絵図并組内各町家並図綴込帳
京都下京九番組拾九町組 : 町組改正記録
留岡幸助書簡牧野伸顕宛
カフェーから救世軍へ
海老名弾正先生を憶ふ
西京神戸之間鐵道開業式諸民拜見之圖
藩論

主要資料

※ 以下は、上記資料を「あいうえお」順に記載しています。

会津若松教会高久孝吉(たかくこうきち)日記 17点 原本

日本基督教会伝道者。1889年12月日本組合基督教会(会津若松)教会で受洗。99年会津キリスト伝道会を組織評議員となる。(日本キリスト教歴史大辞典による)
明治33年1月から昭和5年6月までの日記、日本日曜学校会津部会日誌、喜多方教会史など17点。

アメリカン・ボード日本ミッション関連資料 3375点 原本

同志社大学アーモスト館で長年にわたって館長を務めたオーティス・ケーリ氏の遺品の中にあった資料。ケーリ家は祖父、オーティス・ケーリと父フランク・ケーリもアメリカン・ボード日本ミッション所属の宣教師であったという家柄である。資料は、日本ミッションの第二代書記であったDeWittC.Jencks宛に宣教師が送った書簡類が大半をしめる。資料の中には新島襄の書簡14点も含まれている。
資料の概要については「アメリカン・ボード日本ミッション関連資料(仮題)の概要について」/伊藤豊著(山形大学紀要(人文科学)第17巻第1号掲載)を参照されたい。


井上延茂(いのうえのぶしげ)関係資料 351点 原本 CD-ROM

京都府福知山市雲原村で明治40年から25年間村長を務め「明治の模範村長」として地方改良に数々の事跡をのこした井上延茂の関係資料。資料には井上のあと村長に就任した西原借款で有名な西原亀三の書簡も多く含まれている。


浮田和民(うきたかずたみ)関係資料 958点 原本

浮田和民(1859.12.28-1946.10.28)は熊本バンドの一人として同志社英学校に入学、第1期生として卒業後母校の教員として西洋史、政治学などを教えた。アメリカン・ボードと同志社の分離独立問題をめぐる学内の紛糾が原因で、明治30年同志社を辞職し東京専門学校(現早稲田大学)に移ったあと、昭和16年まで早稲田大学の教授を務めた。資料は、ノート、著作原稿、在米中に家族に宛てた書簡、熊本バンド関係者と交わした書簡など多数。
同資料は本学名誉教授の西田毅氏がご遺族から譲り受けられたものを、2015年に人文科学研究所に寄贈された。


海老名弾正(えびなだんじょう)資料 4109点 原本 マイクロフィルム

同志社第八代総長を務めた海老名弾正の関係資料。海老名は前橋教会や本郷教会で牧師を務め、雑誌『新人』の創刊者としても知られている。資料の中には明治41年に世界を遍歴した時に記した世界漫遊日記を始めとし、書簡や多数の写真類が含まれている。


大道俊(おおみちとし)関係資料 313点 原本

戦前期からの日本共産党の活動家で、戦後全日本自由労働組合婦人部長などをつとめた大道俊が所蔵していた資料を、女性史研究者の井上とし氏が遺族から寄贈され保管されていたものを人文科学研究所に寄贈されたものである。大道俊については井上とし著『深き夢みし 女たちの抵抗史』(ドメス出版)を参照されたい。


長田時行(おさだときゆき)文書 432点 原本

神戸多門、天満、新潟教会等の牧師を歴任し、日本基督伝道会社社長として組合教会の全国伝道に携わった長田時行の関係資料。資料には日記や書簡のほか、岡山県の藩士であった長田家に伝わる古文書も含まれている。


御紅御用達紅屋久左衛門家(おべにごようたしべにやきゅうざえもんけ)文書 270点 原本

京都下京で代々御官服御紅染御用を勤めた井上久左衛門家の文書。井上家由緒書、御本丸御紅御用や紅花撰方仲間に関する史料、紅染裂見本や帳簿類など江戸中期から明治にかけての史料。


柏木義円(かしわぎぎえん)資料 4252点 原本 マイクロフィルム

『上毛教界月報』の主宰者であり、非戦の思想家としても知られる安中教会牧師柏木義円の関係資料。資料の中には日記や多数の書簡、写真等が含まれており柏木研究のみならずキリスト教史研究にも貴重な資料である。2010年には柏木寛吾(義円五男)関係資料723点が寄贈され、より充実した内容の資料となっている。


河内国丹北郡三宅村橋本家文書 2120点 原本

『三宅村の素封家(庄屋筋)橋本家に伝わる三宅村及び橋本家の関係資料。延宝から明治までの古文書2120点。検地帳、名寄帳、宗門改帳、御触書留帳、地租改正関係資料、徴兵関係資料など。
1961年に古書店から購入したもの。


河原林(かわらばやし)文庫 (図書)557点、(文書)2477点、(書簡)4306点 原本

京都府北桑田郡京北町の河原林孟夫氏旧蔵資料で長年人文科学研究所に寄託されていたが2011年に寄贈を受けた。河原林家は山国郷の名主家であり、明治の当主河原林義雄は京都府会議員や衆議院議員を務めた名望家である。文書は林業関係をはじめとし農村商工業の発展を示す商経営史料に富んでおり、書簡はほとんどが義雄時代のものであるが京都の政治状況や河原林家の経営等を知る事ができる貴重な資料である。


京都医家隅野家(すみのけ)文書 270点 原本

御本丸御医師福井立助門人隅野宰輔および子省吾に関する史料。薬調合日記、隅野家婚礼に関する記録、省吾宛福井貞憲書状などのほか隅野行保筆の漢詩まくりが多数ある。


京都下京蛸薬師町文書 105点 原本 マイクロフィルム

京都下京蛸薬師町(京都市中京区室町通二条)に伝えられた町共有文書。寛政7年(1795年)から明治24年(1891年)までの資料105点。安政2年から明治2年までの町日記は幕末の京都を知る史料として貴重なものである。


近藤栄蔵(こんどうえいぞう)文庫 約2000点 原本

1966年に近藤栄蔵夫人ふく氏より寄贈された伝記資料(自伝資料、日記、ノート類)、書簡、社会運動・政治運動関係パンフレット、図書・雑誌など約2000点。人文科学研究所では、この文庫に保管されている近藤の自伝原稿を編集し『近藤栄蔵自伝』(ひえい文庫、1970年)を刊行した。


佐伯理一郎(さえきりいちろう)旧蔵資料 424点 原本

佐伯理一郎(1862年4月3日-1953年5月30日)の旧蔵資料。佐伯は同志社出身者ではないが、京都看病婦学校並びに同志社病院で校長、院長を務めたクリスチャン医師・教育者である。資料は佐伯家関係及び佐藤麟太郎、友太郎一家関係資料からなる。


初期全学連資料 4385点 原本

『資料戦後学生運動』(三一書房、1968-70年刊行)の原典となった戦後初期の学生運動に関する資料。初期全学連委員長及び当時の運動関係より寄贈


高橋正道(たかはしまさみち)関係資料 208点 原本

同志社神学校別科出身で、水沢組合教会や函館組合教会等で牧師を務めた高橋正道の関係文書。資料には50年間にわたり記された日記が含まれており高橋の牧師生活の軌跡を知ることができる。


竹野郡間人村室井家(たいざむらむろいけ)文書 474点 原本

京都府竹野郡間人村の素封家として著名な室井家の文書。文書は江戸期より明治初期の当主室井与佐七と間人村長や京都府会議員をつとめた室井成蹊に関わる文書が大半を占める。内容は政治、土地、金融など多岐にわたる。


辻密太郎(つじみつたろう)関係資料 54点 原本

同志社英学校出身でハワイや米国カリフォルニア州、ユタ州の各地で牧会、伝道にあたった辻密太郎の関係資料。資料には自叙伝や密太郎筆による条幅類がある。


手洗水町(てあらいみずちょう)文書 695点 原本

手洗水町(京都市中京区烏丸通蛸薬師下ル)に伝えられた町共有文書。永徳二年(1382)年の寄進状から昭和九年(1934)の回章までの計695点。中でも「長福寺図子ノ古書物入」の包紙中に含まれていた「長福寺寄進状」は同町内にあった長福寺に永徳2年五条大宮の土地が寄進されたことを示す貴重な史料である。


同志社生協資料 1203点 原本

目録あり

同志社生協協同組合寄贈資料。設立関係資料、諸規則、総代会議案書及議事録(第1回〜77回)、理事会資料、営業報告書、決算報告書、学生生活実態調査(第2回〜第39回)、書籍、食堂等の諸事業関係資料等が主な資料であるが、その他に全国大学生協連等の関連団体の資料や他大学生協資料も含まれている。


日本労働組合総連合資料 2038点 原本

日本労働組合総連合の元会長高山久蔵氏の旧蔵資料。1920-1947年頃までの資料。内容は全国大会資料、中央委員会資料、各労組関係資料、ビラ、パンフレット、組合新聞・ニュース、檄文、労働争議裁判資料等


能勢克男(のせかつお)関係資料 390点 原本

能勢克男は、法学者、弁護士、戦前戦後と消費組合・生協運動にかかわり、『夕刊京都』の編集人、記者として活躍した人物である。資料は原稿、ノート、スクラップブックなど計390点。


野村かつ子資料 3060点 原本

目録あり

野村かつ子は、同志社大学出身で消費者運動家として日本の消費者運動を推進した。日本消費者連盟の創設にもかかわり、世界的な消費者運動のリーダーでもあるラルフネーダーを日本で紹介、75年に海外市民情報センターを設立した。書斎に残された消費者運動に関する資料類や蔵書、ポスターなど約3060点を所蔵。


畠中博関係資料(はたなかひろし) 1097点 原本

日本組合基督教会牧師で神戸女学院の院長を務めた畠中博の資料。日記、説教原稿、講演原稿、書簡、教会関係資料など。


林源十郎(はやしげんじゅうろう)資料 326点 原本 マイクロフィルム

倉敷の名望家として薬種業を営んでいた林源十郎家の関係資料。第十一代源十郎はキリスト教を通じて多彩な人脈を持ち、資料の中に含まれている日記には石井十次、大原孫三郎、山川均等との交友記録を見出す事が出来る。


藤井株式会社資料 992点 原本

目録あり

江戸文化年間創業、1907年京都西陣に藤井糸店として創立され、昭和初期以降は「スキー毛糸」として知られる繊維会社の資料。主なものは総勘定元帳である。近江商人出身の会社経営のあり方やその変遷を知ることのできる基礎資料である。


細辻家(ほそつじけ)文書 2211点 原本

京都三条東洞院で代々、木綿商・太物小を営んできた京都の代表的な商家永楽屋細辻伊兵衛家に伝来してきた文書。文書には江戸中期より昭和の中頃までの商経営に関する史料はもちろんのこと、土地や町関係の史料も含まれている。


保津村石川家文書 149点 原本

丹波国南桑田郡保津村の五苗の一家である石川家に所蔵されていた文書。嘉永5年から明治5年までの当主石川通直の日記や証文類、講関係資料等が含まれている。


堀俊造(ほりしゅんぞう)関係資料 40点 原本

堀俊造は岡山県落合町出身の医師で、同志社病院長ベレーの招聘により同病院の医師として活躍した人物である。資料は堀俊造の来歴に関するもの、写真、書、医業に関するもの等である。


水谷長三郎(みずたにちょうざぶろう)関係資料 113点 原本

水谷長三郎(1897~1960)は社会主義者、政治家として片山内閣と芦田内閣の商工大臣を務めた人物である。資料には政治家時代の関係資料や新聞スクラップ、ノート類が含まれている。
尚、蔵書類は人文科学研究所書庫に混配されており、DOORSでの検索が可能となっている。


村井知至(むらいともよし)関係資料 86点 原本

『社会主義』の著者として知られるキリスト教社会主義者村井知至の関係資料。資料中の主なものは自筆による講演原稿であるが、一部日記も含まれている。


山室軍平(やまむろぐんぺい)文庫 875点 原本 マイクロフィルム

日本救世軍の創始者であり、廃娼や禁酒運動などの社会事業にも取り組んだ山室軍平の関係資料。資料の中には日記を始めとし著作原稿や説教草稿が含まれており、山室研究にとって貴重な資料である。


山科家(やましなけ)文書 537点 原本

山科家は藤原氏北家の四条家の支流である貴族で、南北朝期頃より山科を号するようになる。有職故実に精通し装束のことをつかさどる内蔵頭を世襲した。文書には装束関係史料を中心に、叙位任官や改元改暦関係の史料も含まれている。


山城国久世郡坊之池村(ぼうのいけむら)文書 98点 原本

山城国久世郡坊之池村の村方文書。検地帳、名寄帳、田畑売渡証文類等。


湯浅与三(ゆあさよぞう)関係資料 1066点 原本 マイクロフィルム

日本組合基督教会史『基督にある自由を求めて』等の著者であり、佐久組合教会や沼田教会などの牧師を務めた湯浅与三の関係資料。資料の中には日本組合基督教会関係資料の他、柏木義円や海老名弾正に関する資料も含まれている。