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研究会の活動報告一覧

第2研究 同志社社会事業史の発展的研究―その源流と水脈―
研究代表者:木原 活信(社会学部)


開催日時2016年11月25日 16時40分~18時50分
開催場所同志社礼拝堂
テーマ「山室軍平―良心の実践者―」
発表者木原 活信 氏、東條 政利 氏
研究会内容※今回は、良心学研究センター主催の公開シンポジウムに、第二研究が共催参加するという形態をとった。
出席者数:6名(一般参加者約60人)
研究発表:
 同志社中退者である山室軍平が、同志社をもっとも代表する良心の実践者となっていった経緯が、木原氏より述べられた。同志社退学後の救世軍への挺身とそこでの奮闘の激しさと幅の広さは、同志社入学当初の新島襄の大なる感化と、新島死後の退学にいたる諸事情のなかにその萌芽がみられる。神学的にはホーリネス的に純朴かつ熱心な信仰を有し、そのことと社会の底辺へ注ぐまなざしとの間にはいっさい矛盾がなかったこと、それゆえ新神学が台頭し理知的解釈へ流れる同志社神学にはいたたまれなくなったのであった。
 映画監督の東條氏は、山室が社会にもたらした広範な影響を「地の塩」としての働きであったと映画で表現したかったと述べ、同じく山室の純粋さに着目していたとした。また泣き虫であった山室の共感性の高さも、映画のなかで大いに表現した。映画では山室の業績中心でなく、その共感力など人間性を前面に打ち出している点が特徴だと述べられた。
質疑応答:
  • 現代社会(福祉)事業に対して山室からどのような問いかけを聞くべきであろうか。→現代の事業では枠組みを固守する傾向が強く、自由度を失っている面がある。同志社を飛び出した山室(その師である新島は日本を飛び出した)のように枠組みを打ち破り、飛び出すような自由な発想と勇気、力が問われているように感ずる。またそれは見かけ倒しの強さでなく、弱さをうちに抱えるゆえの力であるように感じる。
  • 学問の府として何が問われているか。→山室軍平を知らない同志社の学生が多くなっている。山室だけではないが、同志社レガシーを伝える責務を感じる。
  • 同志社レガシーに気づき、何らかの実践へと進みたい学部生だが、アドバイスないしサジェスチョンを願いたい。→多様なイシューを知ること、何かに取り組んでいる身近にいる人に相談することではないか。
感想:
  • 同志社がもつ伝統は根本の伝授であり、枝葉で齟齬を生じ離れても、より深く届いている根本により花開くところをもっているということ。
  • (救世軍の者だが)救世軍いがいの視点から山室に肉薄していただき、新たな発見を与えられ感謝している。
  • その他
                                                                           以上


開催日時2016年10月31日 18時30分~20時30分
開催場所社会福祉学科資料室(渓水館1F)
テーマ「竹中勝男の基督教社会事業―概念構成と思想―」
発表者梅木 真寿郎 氏
研究会内容出席者数:9名
研究発表:
 同志社の社会福祉学の基礎をすえた竹中勝男の略歴概観から、おもに戦前の論文にみられる竹中の社会事業論、竹中がとらえた社会事業の現況(当時)と課題認識、また竹中におけるキリスト教信仰理解とその思想的背景について報告がなされた。とりわけ、竹中におけるキリスト教と社会事業との接合がどのようなものであったかについて、竹中の「社会的基督教」批判を一つの鍵として考察が述べられた。
討 論:
 「社会的基督教」全般を批判しているのか、あるいは何か、あるいは誰かを目して批判しているのか、当該史料だけではやや不明瞭に思われる→他の論文をみても、安易なキリスト教と社会との接合には批判的、懐疑的で慎重だった竹中の姿勢がうかがえる。ただし接合を放棄してはいない。そのさい媒介するものが必要だが現時点でそれがどのようなことだったか不明、今後の研究課題である。
 竹中の信仰的背景はどのようなものだったか、所属した教派教会によりある程度類推されるのではないか→組合教会であることは確か。いま史料はないがおそらく同志社教会だったのではないか(要確認)。また回心の時期や契機なども、竹中の信仰と思想を理解するために必要であろう。
 竹中の専門は社会(福祉)政策論であったことから、社会事業についてもマクロな視点からみるため、竹内愛二のケースワーク論などと較べてもキリスト教との接合はより難しく、慎重な態度となったのではないか。それとともに、学究の出発点として同志社で神学を学んでおり、正統的神学の基礎知識をもっていたことも、竹中や中島重との相違点であったろう。

開催日時2016年8月1日 15時~18時30分
開催場所社会福祉学科資料室(渓水館1F)
テーマ「『社会的基督教』誌にみる「東亜協同体論」-竹内愛二のケースワーク論における「戦時下抵抗の不在」をめぐって-」
「末包敏夫の前半生」
発表者今堀美樹氏
遠藤浩氏
研究会内容 出席者:木原活信、田中智子、李 善惠、今堀美樹、梅木真寿郎、倉知桂子、近藤裕樹、松倉真理子、遠藤浩、以上9名
研究発表:
(1)今堀氏
 要 旨;近衛文麿内閣が「東亜新秩序声明」(第2次近衛声明)を出した1938年11月の翌月、『社会的基督教』誌の1938年 12月号は「東亜協同体と社会的基督教」という特集号として発行された。
その後『社会的基督教』誌が廃刊に追い込まれた1942年1月号の「新亜細亜建設の為に」という特集号に至るまで、誌上に おいては「東亜協同体論」が会員諸氏により声高に主張された。本報告の目標はこうした主張の概要をふまえ、その背景で ある彼らのキリスト教思想の系譜について、先行研究をもとに描き出していくことであった。
(2)遠藤氏
 要 旨;アジア・太平洋戦争のさなか、日本のYMCAは1939年夏頃より次々と職員(主事)を中国大陸開港都市部へ派遣、進出した。「大陸事業」であるが、これを日本YMCA内で強力に推進する役割を果し、みずからも南京、上海で駐在員として働いたのが末包敏夫である。かれは31年9月京都で「社会的基督教徒関西連盟」設立に深くかかわった人物でもあった。
本報告では、幼少期にみる原点から大陸事業展開における論理、戦後の追想までをとおし、YMCAや日本医療伝道会などでキリスト者事業家として戦後長く活躍した末包の、前半生を概瞥した。
討論:
(1)「東亜協同体論」と「ケースワーク論」とがどのように関連していくのか、いまひとつ明確でないとの意見が出された。
(2)戦時の末包らYMCAの戦争責任について、免責か有責か、発表者の立場がはっきりしていないのではないか、という疑問が呈された。

開催日時2016年7月29日 13時~14時30分
開催場所同志社女子大学史料センター(ジェームズ館1階)
テーマ京都看病婦学校の研究(2)
発表者真喜屋直美氏(同志社女子大学学術研究支援課課長)
研究会内容 同志社女子大史料センター所蔵の「佐伯小糸関係資料」を閲覧し、合わせて、同センターを所轄する学術研究支援課の課長真喜屋氏より、史料センター書庫(デントン館、栄光館)の案内、センター運営や資料所蔵・整理の現状についての説明を受けた。
 「佐伯小糸関係資料」は、京都看病婦学校史のキーパーソンである佐伯理一郎の妻・小糸(旧姓:土倉)の手になる書簡や日記、関連写真などである。1998年に、遺族から理一郎の文書とともに寄贈されたが、理一郎関係は「佐伯理一郎関係文書」として同志社大学の同志社社史資料センターに、小糸関係は同志社女子大の史料センターへと、分割して所蔵されてきた。
 「佐伯小糸関係資料」は、以下のようにリストアップされてきた(本井康博氏「佐伯理一郎と内村鑑三――「佐伯理一郎・小糸関係資料」の紹介――」『同志社談叢』19、1999年)。
 ・同志社女学校卒業証書(1枚) 1893年土倉小糸のもの
 ・日記(3冊) 1893~95、1926、1930年のもの
 ・写真アルバム(1冊) 1932年京都看病婦学校卒業アルバム
 ・個別写真(38枚) 家族写真・佐伯夫婦・京都看病婦学校・デントンと卒業生
 ・書簡(27通) 小糸―家族(佐伯・土倉)宛書簡
 ・はがき(9枚) 小糸発・小糸宛
 ・ポケット手帳(6冊) 1923、1926、1932、年次不詳
 今回の研究会において、理一郎との間でやりとりされた書簡も多く、小糸の個人史のみならず、京都看病婦学校史解明のために貴重な史料群であること、一方「京都看病婦学校卒業アルバム」とみなされてきたアルバムは、小糸の葬儀関係写真が大半を占めることなどが明らかになった。
 研究会の最後に、佐伯家からの寄贈史料の全貌に鑑みた上で、同家より新たに寄贈の意志があった史料群について、どの機関が所蔵することが望ましいかが議論された。

開催日時2016年6月24日 12時30分~15時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ京都看病婦学校の研究(1)
発表者岡山寧子氏(同志社女子大学看護学部長)
研究会内容 岡山氏より、「同志社病院・京都看病婦学校に関する研究メモ」と題するレジュメをもとに、現時点での研究の達成点に関し、包括的で詳細な報告がなされた。報告の構成は以下のとおりで、多岐にわたる論点について質疑が行われた。
 1.京都看病婦学校・同志社病院での医療・看護教育の開始
 2.病院・学校の場所・校舎
 3.病院・学校の看護教育
  欧米からの直輸入的で先進的な看護教育の実践と指導者達の苦労
  キリスト教伝道と看護教育
  アメリカ看護歴史にみる京都看病婦学校の位置づけ
  ナイチンゲールと京都看病婦学校の教育
 4.初期の頃の看護教育の指導者:リチャーズ・スミス・フレーザー
  リンダ・リチャーズのキャリア
 5.学生生活・看護活動
  濃尾震災への救護活動 
 6.卒業生の動向
  同窓会誌にみる卒業生の動向
  個人史
  9期生木下八重のキャリア
  22期生井上松代(別科)のキャリア
 7.今、改めて注目していること
  新島襄の医療(看護)教育への志の継承
  卒業生の動向と社会貢献
  佐伯理一郎
 研究会メンバーからは、それぞれが手がけてきた研究にもとづく知見が披露され、同志社社史資料センターならびに同志社女子大学史料センターの資料所蔵状況・資料整理態勢に関しても、情報を共有するにいたった。とりわけ、キーパーソンの一人である佐伯理一郎関係資料の由来と現状について、関心が集まった。

開催日時2016年4月18日 18時~21時
開催場所社会福祉学科資料室(渓水館1F)
テーマ①「同志社大学厚生館の設立経緯―社史資料センター所蔵資料の紹介も交えて―」
②人文研第19期第2研究会方針の決定
発表者社史資料調査員・布施智子氏
研究会内容人文第二研究例会(2016.4.18開催)記録
1.社史資料調査員・布施智子氏による発表
 タイトル「同志社大学厚生館の設立経緯―社史資料センター所蔵資料の紹介も交えて―」
 ①同志社社史資料センター所蔵資料の整理・調査の状況の紹介とその課題の報告がなされ、②社会事業教育を目的に開設されたとされる厚生館について、社史資料をつうじた、その設置・運営・組織等に関する検討調査の経過報告がなされた。

2.人文研第19期第2研究会方針の決定
 決定事項
 ①今後1年を目処に、中西年表をベースにした同志社社会事業年表の精度を上げ、完成させること
  戦前の年表については現在作成中のものの典拠の 確認、語句の統一など行い、各自作業を進めること。月に一度の締切日を設定し、その日に合わせて各自で修正分を田中智子先生に送信すること。
  戦後の年表については、今後作成開始にあたって、ベースとして用いる年表の候補を各自で探し始めること。
 ②三年後を目処に、研究成果として各自で章を担当して論集をつくること