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研究会の活動報告一覧

第3研究 東アジアキリスト教伝道史基礎アーカイヴズの研究
研究代表者:原 誠(神学部)


開催日時2017年3月17日 16時40分~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者本井康博
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2635、2637~2640計5通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり
①2635 下村孝太郎 1888.11.11(続きから)
②2637 下村孝太郎 1888.11.25
③2638 E. H. Sharp 1888.11.28
④2639 F. White 1888.11.29
⑤2640 C. Hutchins 1888.12.11
 2635および2837は、この間扱ってきた一連の下村書簡の一部である。2635の解読にあたっては、特に登場するジョン・ホプキンス大学の学科目名について、ひとしきり議論が行われた。なお本史料は長文にわたる書簡であり、下村が構想する同志社の科学校に関わる資金の話、湯浅が帝大に職を得ようとしていたことなど、多くの有益な情報が含まれる。2637を含め、下村が湯浅吉郎に対しては強い信頼を置いているのに比べ、中島力造には不信感を抱いていることが、北垣会員から指摘された。
 2838は、同様に以前から扱ってきたシャープの書簡の一つであり、結局新島からの誘いを断り第三高等中学校への奉職を選んだことになったが、それ以降も新島とのやりとりが続いていたこと、アメリカン・ボード宣教師らと知己となっていたことを示すものであった。
 2639には、新島八重の姪である山本久恵についての言及があることが話題となった。同書簡には、堀俊造の名が書かれたメモが添付されていたことがあらたに指摘された。2640には、トルコミッション、あるいは中国のミッション(北中国、山西、福建)についての言及がみられた。
 前回積み残しとなった2619書簡については、同志社社史資料センター所蔵の画像も複写の精度がよくないことが伊藤会員より報告され、後日、原文書を閲覧して解読する必要が確認された。


開催日時2017年2月5日13時~2017年2月7日13時
開催場所琵琶湖リトリートセンター
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
1920~40年代のYMCAと末包敏夫―社会的キリスト教の一展開として―
発表者田中智子、坂本清音、伊藤彌彦、本井康博
遠藤浩(同志社大学大学院博士後期課程)
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2603~2636(画像状態の悪い2619を除く)の計33通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり
①2603 P. C. Wilson 1888.4.1/②2604 E. C. Winslow 1888.4.11/③2605 J. C. Berry 1888.4.14/④2606 S. B. Holman 1888.4.14/⑤2607 A. W. Stanford 1888.4.14/⑥2608 下村孝太郎 1888.4.15/⑦2609 N. G. Clark 1888.4.21/⑧2610 中島力造 1888.4.22/⑨2611 D. W. Learned 1888.5.24/⑩2612 J. T. Morton 1888.6.6/⑪2613 N. G. Clark 1888.7.20/⑫2614 D. C. Greene 1888.7.20/⑬2615 下村孝太郎 1888.7.22/⑭2616 J. T. White 1888.6.25/⑮2617 N. G. Clark 1888.8.6/⑯2618 J. J. Walker 1888.8.6/⑰2620 小谷野敬三 1888.8.13/⑱2621 O. J. Flint 1888.8.14/⑲2622 家永豊吉 1888.8.22/⑳2623 中島力造 1888.8.22/㉑2624 D. W. Learned 1888.8.27/㉒2625 下村孝太郎 1888.9.16/㉓2626 J. H. Chapin 1888.10.3/㉔2627 L. S. Ward 1888.10.10/㉕2628 家永豊吉 1888.10.18/㉖2629 G. E. Albrecht 1888.10.19/㉗2630 内村鑑三 1888.10.20/㉘2631 G. Cozad 1888.10.24/㉙2632 J. D. Davis 1888.10.26/㉚2633 J. D. Davis 1888.10.29/㉛2634 N. G. Clark 1888.11.8/㉜2635 下村孝太郎 1888.11.11(途中まで)/㉝2636 O. H. Gulick 1888.11.17
 2629などに関わって、担当の本井氏より、北越学館をめぐる地域やキリスト教界の勢力構図(自由党系・改進党系、組合教会・長老派)や、内村の外国人宣教師との対立・辞職経緯について、加藤勝彌や成瀬仁蔵といった関係人物をからめつつ、補足解説がなされた。
 最終日には、遠藤浩氏により標記の研究報告が行われた。日本YMCA「大陸事業」の鍵となる末包の、戦前から戦後にかけての事績と思想を捉える視角に関し、研究史をふまえた討論が繰り広げられた。史料所蔵状況や末包の生涯に関わる具体的情報も交換された。


開催日時2017年1月20日 14時00分~16時40分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者田中智子
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2597~2602計6通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2597 A.W. Stanford 1888.2.8
 2598 M. L. Gordon 1888.2.20
 2599 神田乃武 1888.2.29
 2600 J. C. Berry 1888.3.5
 2601 E. H. Sharp 1888.3.8
 2602 A. H. Hardy 1889.3.19
 2597書簡に関しては、Ad Inrerimの訳語を「臨時委員会」とすることが、本研究会に先立つアメリカン・ボード宣教師文書研究会(第13・14期)の成果論集『来日アメリカ宣教師』(1999年)の索引によって共有された。
 高等中学校なみのカリキュラムを求める2598書簡は、来たるべき第三高等中学校の京都移転をにらんだものであることが報告者によって解説された。
 続いて2599書簡の差出人の神田乃武や書中に登場するJ. O. Spencer・留学生浅田栄次について、『日本キリスト教歴史大事典』や『幕末明治海外渡航者総覧』における記事内容が紹介された。浅田の留学先は前者によるとユニオン神学校、シカゴ大学であり、後者ではウエスタン大学であることが指摘された。
 2600書簡については、これまで日付が1888年3月5日とされてきたが、消印にすぎず、本文には年月日記載がないことが確認された。
 Normal Schoolでもなく同志社でもなく、最終的に大阪高等中学校に就職する件がSharpによって弁明されている2601書簡には、森有礼文相による勧めもあったことが記されているが、Sharpが北垣国道府知事の関わるNormal School(おそらく府立の師範学校のこと)と同志社との関係を正確に理解していたかどうかは、2593書簡に引き続き不明であるとされた。
 2602書簡については、Hardyが1888年と差出日付を誤記していることが、書簡内容(森文相の暗殺)から確実だと議論され、収録場所移動の必要があることが明らかになった。


開催日時2016年12月15日 15時30分~18時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者田中智子
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2594~2596計3通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2594 E. J. W. Baker 1888.2.7
 2595 神田乃武 1888.2.7
 2596 The Avery Sewing Machine Agency 1888.2.8
 解読に先立って、前回問題となった2593書簡の差出人E. H. Sharpについて報告者より説明があった。彼は彦根尋常中学校から1889年9月に京都の第三高等中学校英語教師へと転任する。紹介者は第三高等中学校教員の山中直吉(コロンビア大学博士)。年俸200円。それまで250円で外国人を雇っていた同校であるが、支出困難になり、以後外国人教師は200円を限りとして雇用することとなった。この経費削減方針もあいまってか、それまで(同校前身校の大学分校〔在阪〕時代)には、スミソニアン協会ワシントン国立博物館から複数の教師を招いていたが、国内からの教員調達に切り替わる。
 Sharpの1年ほど前に、学内クリスチャン教員田村初太郎の斡旋で、アメリカン・ボードのTheodore Weld Gulickが同じ第三高等中学校に雇用されていて、校内の基督教同盟会結成に尽力したことも、報告者から紹介された。北垣会員からは、やがて同校にL. L. Janesが奉職したことが指摘された。
 今回取り扱った書簡のうち、2595については、日本国内でのやりとりにかかわらず英文で手紙を認めたことにみえる神田の個性、あるいはその英語力について議論がなされた。
 また、ミシン販売会社からのDMにあたる2596書簡に関しては、その技術史的な史料的価値が確認された。ミシンはアメリカン・ボードの伝道上の必要があって購入されたのか、それとも各宣教師が家庭で用いたに過ぎないのかが問題視された。リチャーズが看病婦学校で洋裁の腕をふるったことについても坂本会員から紹介があった。なお本書簡に同封された販売広告については、体裁と長さの問題から全文を翻刻して公刊することはできないが、写真版として掲載するなどの方法で公にすることの意義が合意された。


開催日時2016年11月18日16時40分~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者北垣宗治・田中智子
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2592~2593計2通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2592 E. J. Seelye 1881.1.31
 2593 E. H. Sharp 1888.2.1
 2592に関しては、上記『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)に収録された際には、1888年の書簡と考定されていたものを、このたび1881年の書簡と修正・確定した。そのことは、E. J. Seelyeの逝去年、あるいは書簡本文に言及がある“Life and Light”(February,1881 Vol.XI. No.2、前もって坂本会員から一次史料が配付された)などによって明らかとなった。本来、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(1)に収録されるべきものであり、公刊にあたっては収録場所を移動させる必要がある。
 報告者北垣会員からは、書き手のSeelye(ファーストネームはElizabeth)の娘もファーストネームがElizabethであり、混乱をまねきがちであることも紹介された。
 2593に関しては、同志社に存在しないNormal School(師範学校)への就職について、書き手のSharpが新島とやりとりしていることが問題視された。報告者田中会員より、Sharpは後に京都の第三高等中学校の教員になること、当該書簡中にGovernor(北垣国道知事)が登場していることから、このNormal Schoolとは同志社内の学校ではなく、京都府師範学校のことなのではないか、との見解が述べられた。これに対して、具体的にどこから就職依頼を受けているのか、Sharp自らが混同してしまってよくわかっていなかった可能性があるのではないか、といった意見も出された。
 以上をふまえ、田中会員が次回、Sharpに関わるより詳しい調査結果を報告することを約束した。


開催日時2016年10月21日 16時40分~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者北垣宗治
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2588~2591計3通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。2589については、書簡自体が存在せず、上記未定稿に2589として収録されている書簡は、すでに『新島襄全集』第6巻の320頁に収録されている新島襄「発」J. D. Davis宛書簡(1888.1.11、書簡番号2282-a)であり、新島「宛」を検討対象として進めてきている本研究会の解読対象ではないことが明らかにされた。付随して、未解読の2282-b(A.OltmanよりMiura宛)は、2282-aの中で言及・同封されている書簡であり、いずれ全集6巻収録の上記2282-aの「補遺」として、何らかのかたちで収録されるべきものであることが確認された。以上をふまえ、今回は、この2282-bについても、その場において全員で解読を行った。補遺原稿として保管しておくことになった。
 さて、2588、2590、2591それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2588 服部他介 1888.1.5
 2589 G. Braithwaite 1888.1.10
 2591 N. G. Clark 1888.1.19
 書簡2588については、服部の専門、また、彼が学ぶインディアナ州のWabash Collegeについて、認識の共有がはかられた。また、和文の追伸部分についてフロアから読み下し文が配布された。
 次回扱う2592書簡について、坂本会員より参考資料の提供があった(Life and Light for Woman)。また本書簡の年代考定は、各自の宿題となった。
 研究会の終了後、本作業を近い将来において本にまとめるにあたって、かつて刊行された『新島襄全集』の続きとすることが望ましいのか否か、それは可能かどうか、分量はどのぐらいになりそうか、『新島襄全集』編纂当時の実情、予算の出処や大学・法人との関係等々について、率直な意見が交換された。


開催日時2016年9月29日 14時30分~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ朝鮮伝道史研究
新島襄宛英文書簡の解読
発表者李元重
本井康博、北垣宗治
研究会内容 第1部では、ゲストスピーカー李元重氏(同志社大学大学院神学研究科修了、在日大韓基督教会・京都東山教会牧師)による研究発表が行われた。「戦後朝鮮半島における日本人教会」と題し、戦前に設立されていた日本人教会が、解放後の朝鮮においてどのような組織として引き継がれたのかを追った報告であった。主に、時代状況・史料残存状況・史料解釈、あるいは、各教会「引受人」となった朝鮮人の属性(日本との関係)や、「引き継がれるものとは何か」が議論された。そしてこのような教会が日本の教会と交流関係をもち、1965年の国交回復後、「東北アジア教会宣教協議会」というエキュメニカルな動きを醸成することに関心が集まり、この組織の性格についても質疑応答が繰り広げられた。
続く第2部は月例の英文解読会で、同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2583~2586計6通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2583 N. G. Clark 1887.12.13 (前回の続き)
 2584 University Pubkishing Company 1887.12.13
 2585 G. Braithwaite 1887.12.31
 2586 O. Flint 1888.1.1
 2587 中島力造 1888.1.2
 書簡2586に関して、Flintには代筆者がいることが議論された。また、同書簡中の難読二氏名については、後日北垣会員より、調査の結果、Hosmerおよび Kittredgeと断定してよいとの見解が示された。Webster's Biographical Dictionary には、Harriet G. Hosmer(1830-1908) と James K. Hosmer (1834-1927) が掲載されていることが根拠に挙げられた。James K. Hosmer はマサチューセッツ州ノースフィールド出身の著述家であること、シェークスピア学者として有名な人物として、ハーヴァード大学の教授、George L. Kittredge (1860-1941)がいることも紹介された。

開催日時2016年8月23日13時~2016年8月25日16時
開催場所琵琶湖リトリートセンター
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者坂本清音、杉野徹、宮地ひとみ、本井康博
研究会内容 6月例会にて7月開催をアナウンスしていた合宿を、都合により8月に延期したものの、琵琶湖リトリートセンターでの2泊3日のスケジュールをつつがなく終えた。同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2554~2583の計31通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(2)(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり
①2554 E. J. W. Baker 1886.4.9/②2555 N. G. Clark 1886.4.26/③2556 N. G. Clark 1886.4.30/④2557 下村孝太郎 1886.5.1/⑤2558 H. Schneider 1886.5.2/⑥2559 J. H. Seelye 1886.5.3/⑦2560 N. G. Clark 1886.5.6/⑧2561 N. G. Clark 1886.7.8/⑨2562 N. G. Clark 1886.8.3/⑩2563 W. T. Savory 1886.10.16/⑪2564 H. Browne 1886.11.9/⑫2565 J. C. Berry 1886.11.11/⑬2566 中島力造 1886.12.28/⑭2567 N. G. Clark 1887.1/⑮2568 N. G. Clark 1887.1.10/⑯2569 J. S. Sewall 1887.2.14/⑰2570 J. C. Berry 1887.2.24/⑱2571 E. J. W. Baker 1887.3.14/⑲2572 J. C. Berry 1887.3.30/⑳2573 C. M. Cady 1887.5.6/㉑2574 N. G. Clark 1887.6.7/㉒㉓2575 J. M. Sears・鈴木 1887.7.25・26/㉔2576 1887.8.12 新島公義/㉕2577 G. Braithwaite 1887.9.6/㉖2578 E. J. W. Baker 1887.9.23/㉗2579 Bureau of Education 1887.9/㉘2580 C. G. Love 1887.11.4/㉙2581 H. Browne 1887.11.14/㉚2582 E. E. Hardy 1887.12.8/㉛2583 N. G. Clark 1887.12.13
 N.G.クラークの書簡が多くを占めるが、上記にも含まれる「ベイカー夫人」「ブラウン夫人」をはじめ、新島には女性との間に交わされた書簡が多いこと、およびその交流の具体像、米沢の学校へのアーモスト生ヤング派遣計画(2559)、ベリーの関与した校地取得問題(2565)、電報にて知らされたハーディーの死とハーディー一家について(2575、2576、2582)、新島宛の書簡が「青山英和学校」に誤送された件(2581)など、書簡の内容についても活発に議論が交わされた。
 そのほか、土倉庄三郎(2566)、伊藤博文(2569)など、今回扱った書簡中には、多彩な人物が登場した。

開催日時2016年6月17日 16時40分~19時
開催場所同志社大学啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者坂本清音
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文文書2550~2553を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(2)と照らし合わせつつ解読した。すべて坂本清音が基礎報告を担当した。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり(前回ペンディングとなった2548書簡の和文メモ解読については解決することができず、次回以降に持ち越しとなった)。
2550  S. F. Taylor  1886.3.22
2551  A. Hardy 1886.3.27
2552  J. H. DeForest 1886.4.7
2553 E. J. W. Baker 1886.4.8
 2550は前回の続きであるが、報告者から、書簡に添付された新聞記事が扱う日本人女子留学生加藤錦について説明があった。また、代表者からも、加藤錦の経歴や著作、関係する研究史を紹介した補足レジュメが配布された。これらをもとに、東京女子師範学校での学修・教員歴、夫となる武田英一が武田斐三郎の長男であること、幕臣である父加藤清人や中村正直との関係、1892年当時、加藤が津田梅子を超える「洋学家」として世の評判を得ていたこと、記事に登場するフェノロサ夫妻のその後などについて、参加者間で活発に意見が交換された。
 2553については、Baker本人の手になる手紙といえるかどうか、参加者から疑問が出されたが、次回扱う2554が同じBakerの書簡であるので、内容や筆跡を比較した後で結論を出すこととなった。
 なお、昨年のボストン研修に関わって、神戸女学院史料室『学院史料』第29号(2016年3月)に掲載された井出敦子氏(神戸女学院職員)の参加記録(「米国マサチューセッツ州ニュートン ニュートン・セメタリーへの墓参」)が配布された。
 最後に、2泊3日の合宿形式で行うこととなった7月例会について、そのスケジュールが確認された。

開催日時2016年5月20日 16時40分~19時
開催場所同志社大学啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者坂本清音
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文文書2548~2550(途中まで)を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(2)と照らし合わせつつ解読した。坂本清音が基礎報告を担当し、適宜誤読箇所の指摘を行った。
 今回扱った3通の書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2548 D. C. Greene 1886.3.19
 2549 O. J. Flint  1886.3.21
 2550 S. F. Taylor 1886.3.22
 このうち2548は、同志社の5年生の連名脱校事件に関わる書簡であり、報告者からは、『新島襄全集』1の259頁に関連史料が掲載されていることが指摘された。封筒の表に新島が記した和文メモの解読は、研究代表者の宿題とされた。
2550は、差出人特有のスペルミスがあらためて確認された。
 なお、本書簡に同封された新聞記事については、『未定稿』(2)に収録されていなかったため、今回、報告者により、あらたに文字起こしした原稿が配付された。その内容については、次回までにメンバーが各自検討してくることとなった。また同記事において言及される女子留学生「加藤キン」についても、次回に研究代表者が関連報告を行うこととされ、持ち越しとなった。
 なお、4月例会において、Seelye発2545書簡に関し解決できなかった問題については、今回の例会時間内に検討する余裕がなかったため、6月にあらためて議題とする予定である(本書簡は、『新島襄全集』6に収録された新島発英文書簡への返信であるが、本文でSeelyeによって言及された当該新島発書簡の日付と、『全集』6に収録された同書簡の日付とが食い違っている。どちらが正しいか、原文書映写による判定が必要である)。

開催日時2016年4月15日 16時40分~19時
開催場所同志社大学啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者田中智子、坂本清音
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文文書2543~2547を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(2)と照らし合わせつつ解読した。2543~2546は田中智子が、2547は坂本清音が基礎報告を担当した。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2543 N. G. Clark 1886.1.23
 2544 J. B .Angell 1886.2.2
 2545 J. H. Seelye 1886.2.15
 2546 W. T. Savory 1886.2.20
 2547 N. G. Clark 1886.3.10
  このうち2544は、新島襄が依頼した、哲学・倫理学・宗教、歴史、経済等に関わる多数の英文書籍リスト、また、日本ステーションへの送金明細書が同封される書簡であったが、上記の『(未定稿)』(2)は、これらの翻刻を収録していなかった。そのため、報告者があらたに起こした原稿をもとに検討を進めた。また、この書簡の差出人を掲載していなかったが、今回はこれをJ. B. Angell宛と考定できた。
 2545については、『新島襄全集』6に収録された新島発英文書簡への返信であるが、本文でSeelyeによって言及されたその書簡の日付と、『全集』6に収録された書簡の日付とが違っている。次回に原文書を見ながら、どちらが正しいか結論を出すこととなった。そもそもアーモスト大学に所蔵される原文書のコピーは、1953年頃、同校コール学長によって本学にもたらされたことが北垣宗治会員より紹介された。
 2546については、『同志社談叢』第4号に収録されたオーティス・ケーリ氏論考中に、吉藤京子氏による和訳が掲載されている。本文中に言及される「写真」について、新島に写真を撮って送れと述べているのか、それともセイヴォリーが自らの写真を撮ることも想定されているのか、その文法的解釈をめぐって、吉藤訳も参考にしながら活発な議論が闘わされた。