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研究会の活動報告一覧

第10研究 歴史学の成り立ちをめぐる基礎的研究―現場と公共性―
研究代表者:小林 丈広(文学部)


開催日時2017年3月12日 14時00分~18時00分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ舟木宗治と京都探勝会 ──京都の人々と史蹟名勝をつなぐ活動──
発表者斎藤智志
研究会内容 第10回目の開催となる今回の研究会では、斎藤智志氏(秋山庄太郎写真芸術館主任学芸員)をゲスト講師に招き、舟木宗治と京都探勝会の活動について報告いただいた。
 近年、史跡名勝や文化財にかかわる歴史研究は活発に進められているが、歴史イメージや風致を発信する側だけではなく、享受・消費する側に目を転じることで、あたらしい視角がひらけるのではないかという問題意識が、斎藤氏が今回の報告テーマに注目したきっかけだったという。同氏は自著『近代日本の史蹟保存事業とアカデミズム』(2015年)で井手保勝会の活動との関連から舟木と京都探勝会をとりあげている。今回の報告では、さらに踏みこんだ形で京都探勝会の活動の実体とその特色、そこにみられる舟木の史跡名勝観や歴史意識について考察いただいた。
 舟木は1851年、地下官人の家に生まれた。毛植細工や養蚕業を営むかたわら、京都府会議員や京都府教育会などでのさまざまな公職に従事した。1881年、医師の勧告で廃業し、海浜旅行をはじめたことが、探勝趣味のきっかけとなった。1897年から『京都日出新聞』に探勝案内の投稿を始め、1899年に京都探勝会を設立し、1903年の閉会まで精力的に活動をおこなった。同会の活動は、京都の歴史と風致が観光資源として整備された時期に、地域の経済活動と連携しながら、その消費者となるべき都市生活者たちを組織化・啓蒙し、両者間の橋渡しをするものとして位置づけられるという。また、舟木の書く探勝案内は、近世以来の遊楽の楽しみ方に、文化財の鑑賞・海水浴・登山といった近代的な行楽の要素が組み合わさった、独特の魅力を持つものであった。そこでは、歴史・風致の真偽問題はかならずしも重要視されず、現地の体験でどれだけ楽しみが得られるかに主眼がおかれていた。
 報告のあとは、フロアとの活発な質疑応答がなされた。フロアからは、地下官人のネットワークや、学区など教育機関をつうじた繋がり、また、府会議員としての活動など、京都の史料を調査していくことで、さらに魅力的に舟木の活動が浮かびあがる可能性があるのではと期待が寄せられた。


開催日時2017年2月26日 14時00分~18時00分
開催場所ウィングス京都 調理コーナー
テーマ茶香服実演を通じて文化史学や林屋辰三郎史学について考える
発表者林屋和男氏
研究会内容 第9回目の開催となる今回の研究会では、日本茶インストラクターの林屋和男氏をゲスト講師に招き、茶香服(ちゃかぶき)の実演をとおして、京都の歴史文化における「寄合」のありかたの一例を追体験するとともに、戦後京都の代表的な歴史家・林屋辰三郎の歴史学について考察をめぐらせた。
 講師の林屋和男氏は、辰三郎の甥にあたる。京都宇治で製茶業を営む林屋家では、毎年、創業記念日に親族と社員一同が集まり、茶香服を催して親睦を深めたのだという。茶香服とは、あえて一言で説明するなら「聞茶」を競うゲームである。参加者に配付された「茶かぶき縁起」(辰三郎の書いたものだという)によれば、中世の民衆たちの「寄合」のいとなみのひとつ、「茶寄合」のなかで、茶の品種を飲み分け、産地を言い当てる遊びをおこなったのがそのおこりである。当初は抹茶を使っておこなわれたが、やがて近世になると、玉露や煎茶などを使って競われた。茶業者のあいだで鑑定力を養い親睦を深める遊びとして、盛んに催されたそうである。正当ではなく傾(かぶ)いた茶会だということで、こうした名前で呼ばれるようになった。「茶かぶきと言う呼び方は、何となく楽しく華やいだ感じがします」と辰三郎は書き添えている。
 同縁起を書くにあたって、辰三郎は年号や難解な表現をなるべく避けるように気を遣ったのだと和男氏はいう。なるほど、平易な文体のなかに、「寄合」という民衆による「場」が「日本の伝統文化」を生んだのだという林屋史学のエッセンスが凝縮されているようにも感じられる。それが「楽しく華やいだ」ものだったと体現してみせたことこそ、稀代のオーガナイザーでもあった林屋の面目躍如だったのではないか。
 さて、実際に茶香服を体験してみると、五種類の茶を一煎ごとに推理し、茶葉ごとに割り振られた木札(風・月・雲・艸・隺)を投じていくという手順など、単純な聞茶とも片付けられない独特なゲーム性がある。京都の歴史学が机上のものだけにはけっしてとどまらないということを、林屋家の茶香服の様子に思いを馳せながら、あらためて、楽しく体感することができた。


開催日時2017年1月22日 14時00分~18時00分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマデジタル化のなかの自治体史と史料翻刻
──組版の現場からみた自治体史の20年──
発表者安国陽子
研究会内容 第8回目の開催となる今回の研究会では、自治体史印刷の分野で豊富な実績とノウハウを有する河北印刷株式会社の安国陽子氏をゲスト講師に招き、自身の印刷業界での経験を踏まえ、この20年間の組版・印刷技術の劇的な変化について、また、自治体史刊行をめぐる状況がどう推移してきたか、さらに、デジタル化時代における史料翻刻の問題をどのように考えるかなどについて、報告いただいた。安国氏は『長岡京市史』資料編三の編纂に携わったのち、1998年に同社に入社した。以来約20年にわたっておもに自治体史の編集業務にたずさわり、これまでに製作担当した書籍は80冊あまりにのぼる。
 氏が同社に入社したタイミングは、まさに活字による組版から電算写植機での組版への移行期であった。以降、組版機の性能向上にともなって、ワードやエクセルからの直接のデータの読み込みが可能になるなど、社内技術者の作業も大幅に変化してきた。しかし、それにもかかわらず同社が納品物のクオリティを維持することができたのは、活版印刷の時代に蓄積された膨大なノウハウを受け継ぐ努力がなされてきたからだという。
 氏によると、自治体史刊行のピークは1990年代〜2000年代であった。しかし、現在はほぼひと段落し、新たな編纂事業が立ち上がるのは容易な状況ではない。IT市史といった取り組みもみられるが、データ量の多寡と豊かな歴史叙述とはかならずしも直結しない。「作りっぱなしでない市史」にするには、やはり人による地道な普及活動が必要ではないかと述べる。
 自治体史における史料翻刻の問題については、これという定まったセオリーはなく、多種多様なやりかたがある。どう読み手に伝えるかという意識が重要で、たんに古文書の見た目を忠実に再現することが最善というわけではない。むしろ、そのことで誤った情報が伝わるケースもあるのだという。著者や編者の原稿データを上手く組版する苦労の一端も伺った。
 報告のあとは、フロアから多数の質問が出された。本研究会はとくに自治体史にかかわりのある参加者も多く、具体的な経験談などもあげながら活発な議論がおこなわれた。


開催日時2016年12月11日 14時00分~18時00分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ丹波国山国荘地域における現地調査の軌跡
発表者坂田聡
研究会内容 第7回目の開催となる今回の研究会では、中央大学の坂田聡氏をゲスト講師に招き、自身が調査団を組織して手がけてきた丹波国山国荘地域の史料調査の経過と到達点を踏まえて、今後の現地調査のあり方を示すという内容で報告いただいた。
 現在の京都市右京区京北の山国地区・黒田地区を中心に存在した荘園(禁裏領)である丹波国山国荘は、報告者によれば、個々の家単位でまとまった量の中世文書を伝来する極めて稀有な事例であるとともに、中世文書のみならず、近世・近現代文書も連続して残存しており、中世から近現代にかけての地域社会の構造やその歴史的変遷を通時代的に考察することが可能な地域であるという。
 報告者は1991年にはじめて同地域に入り、1995年には山国荘調査団を組織して、現在にいたるまで調査を継続してきた。20年以上におよぶ調査の年月は、研究に主眼を置いた調査か、古文書の整理・保存に主眼を置いた調査かなどといった議論を重ねながらの試行錯誤の連続であった。報告では調査の前段階に加え、調査開始後の第1期〜第5期にわけてこれまでの歩みをふりかえり、現場での経験から導かれた調査の方法・成果・課題の数々が紹介された。氏は、本調査の意義として、①研究者の側の都合による恣意的、「つまみ食い」的な調査姿勢を排し、地域にしっかりと腰を据え、地元住民との信頼関係を築き上げることで調査をつづけている点(「広く・浅く」ではなく「狭く・深く」)、②山国荘地域の史料残存状況によって、同一フィールドで通時代的な地域社会像を描くことが可能になった点(代表的な成果としては坂田編『禁裏領山国荘』、坂田・吉岡『民衆と天皇』など)、③時代の壁と学問間の壁を越えた学際的な共同調査を進めている点、④長年にわたる調査により、地元の人びとと強い絆が生まれた点、を挙げられた。
 報告のあと、フロアから多数の質問が出され、山国荘と他のフィールドとの比較や、具体的な調査方法について、活発な意見交換がおこなわれた。


開催日時2016年11月20日 14時00分~18時00分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ現場から見た京都府文化財保護条例施行後の文化財行政
発表者田良島哲
研究会内容 第6回目の開催となる今回の研究会では、東京国立博物館の田良島哲氏が、自身の京都府勤務時代にかかわった文化財行政について報告をおこなった。当日の出席者は報告者を含め9名で、うち8人が研究班メンバーであった。
 京都府が文化財保護条例を制定したのは、1981(昭和56)年10月24日であった(京都府条例第27号。京都市も同年の10月29日に文化財保護条例を制定)。これは、国の文化財保護法(1950年)第182条にもとづくものであったが、京都府の制定は全国の都道府県で最後であった。
 報告者が京都府の指導部文化財保護課に勤務したのは、1985年4月から1991年3月の6年間であり、同氏は、同条例制定後の早い段階で京都府の文化財行政にかかわった。しかし京都府では同条例制定以前の段階からすでに文化財保護課が存在し、その前身は、1939(昭和14)年の宗教団体法制定をうけて寺院重宝調査をおこなった、京都府内務部社寺課までさかのぼることができるという。調査を率いた赤松俊秀は、戦後、京都府文化財保護課の初代課長となる。
 京都府の文化財保護条例は、文化財保護法や他府県・他自治体の文化財保護条例とはことなる、2点のユニークな特徴がある。ひとつは、指定文化財以外の文化財の「登録」制度を設けたこと、もうひとつは、「文化財環境保全地区」というカテゴリを設けたことである。報告では、報告者のかかわった具体的な案件にもとづいて、事業者(文化財の所有者)や国との折衝など、文化財保護課の業務が紹介された。また、報告者は1991年3月に文化庁に転身することになるが、同庁での勤務にも、京都府での経験や課題が多く活かされたという。
 田良島氏の報告のあと、比較のため小林丈広が京都市における文化財行政の職員配置の変遷を紹介した。その他にも、フロアから多数の質問が出され、活発な意見交換がおこなわれた。研究会後も7人が残り、懇談会を開催した。


開催日時2016年10月16日 14時00分~17時
開催場所同志社大学徳照館1階会議室
テーマこれまでの学問の歩み(仮題)
発表者山本四郎
研究会内容 今回の研究会では元京都女子大学教授で近代政治史、近世医療史等、幅広くご研究をされてきた山本四郎氏を招き、聞き取り調査を行った。山本氏を除く出席者は10名で、うち8名が研究班メンバー、2名はオブザーバーとして参加した。
 まず氏のこれまでの研究の歩みをお話しいただいた。陸軍将校から、戦後一転して京大国史学科に入学、その後、百貨店・高等学校に勤務しながら精力的に研究を行い、奈良大学・京都女子大学・神戸女子大学などに奉職され、学生の指導にあたるとともに、大学の制度整備にも尽力された。そこでの様々な経験について熱く述べられた。
 その後、出席者からの質問に山本氏が答えるという形式で研究会は進められた。終戦直後の京都大学における公職追放前後の学内の状況、その頃の学生達の動向等を中心に質問が行われ、まさに当時、学生であった山本氏のご本人の所感や当時の見聞に基づいて回答があった。
 さらに、京都大学を公職追放となった西田直二郎氏との交流について質問が集中した。追放後も「流林会」等の西田氏を囲む会のあったこと、晩年の身辺の様子など詳しくお話しいただいた。
 他にも、本学の文化史学科の創設者石田一良氏との交流、唯物史観全盛期の学界におけるご自身の学問のあり方、終戦後の急激な価値観の変化に対する所感等、質問は多岐にわたったが、そのひとつひとつに記憶をたどりながら率直に回答していただいた。
 研究会後、場所を移し、発表者を囲んで懇談会を行った。懇談会出席者は8人。

開催日時2016年9月18日 14時00分~18時
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ触文化研究の課題と展望 ―「無視角流」の極意を求めて―
発表者広瀬浩二郎
研究会内容 第4回目となる今回の研究会では、国立民族学博物館の広瀬浩二郎氏をお招きして、氏のこれまでの研究の歩みをふりかえってご紹介いただくとともに、表題のテーマで、出版や博物館展示に関する氏の現在の問題関心についてご講演いただいた。広瀬氏を除く出席者は10名で、うち9名が研究班メンバー、1名はオブザーバーとして参加した。またオブザーバーのサポートとしてボランティア3人が同席した。
 氏のこれまでの研究の歩みとして、京大国史学に入学後、視覚に障害を持つ氏にとっては古文書を読むことが非常に困難であったことが、具体的に立体コピーの見本を参加者に回覧しながら紹介された。そして、古文書を「読めない不自由」から「読まない自由」に転換する方法論として、聞き取り調査などを積極的に活用し、歴史学としてはユニークともいえるアプローチで宗教民俗の分野に取り組んだことを述べられた。
 また、現在の職場に就職後、博物館運営の業務を通じた新たな氏の問題関心として、「見識」ではなく「触識」という新しい「有識者」像の模索について論じられた。①学習まんが『ルイ・ブライユ』表紙の触図が意味するもの、②「ユニバーサル・ミュージアム」とは何か、③兵庫県立美術館企画展「つなぐ×つつむ×つかむ」の意義、という3つの事例に沿って、豊富な資料を回覧しつつ、現場からの目線で取り組みの意義を語っていただいた。
 さらに、①「無視覚」の受容、②「無資格」の自覚、③「無死角」の発信、をキーワードに、現状の制度や社会意識のさまざまな問題を紹介していただくとともに、琵琶法師や瞽女といった盲目の僧や芸能者たちが創造・伝播した「聴き語り」の宇宙の可能性について論じていただいた。
 質疑応答及び懇談会では、博物館業務の現場、教育、歴史といった多角度からの関心にもとづいた、活発な意見交換がおこなわれた。

開催日時2016年8月21日 14時00分~18時
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ聞き取りと今後の研究会の計画について
発表者小林丈広など
研究会内容 研究会発足後第3回目となる今回の研究会では、これまでの聞き取り調査の成果を中心に、本研究会の前身となる昨年度までの京都歴史研究会で実施したものも含め、これまでの成果の報告と、今後の調査や研究会開催の計画について検討をおこなった。出席者は6名で、いずれも研究班メンバーであった。
 代表(小林丈広)が中心となり議論が進められ、まず、これまでの聞き取りのテープ起こしの進捗状況が報告された。このうち、参加メンバーに部分配付した赤井達郎氏聞き取り分の内容を、テキストを読みながら検討した。雪舟をめぐっての赤井と松本新八郎との論争など、あまり知られていない事柄でも、聞き取りによって明らかになることが多いことも確認された。
 つぎに、今後の聞き取り調査の対象について、出席者の意見を聞き、今後の日程調整を行った。また、研究会後オブザーバー数名が加わり、下鴨神社の境内地の歴史について懇談を行った。

開催日時2016年7月17日 14時00分~18時
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ京都市政調査会の歩みを振りかえって
発表者山添敏文
研究会内容 研究会発足後第2回目となる今回の研究会では、京都市役所において長い間行政に携わるなかで自治体史編纂や文化財行政に携わった山添敏文氏をゲストにお迎えし、お話を伺った。山添氏を除く出席者は10名で、いずれも研究班メンバーであった(山添氏を含めると計11名)。
 研究会冒頭で、代表(小林丈広)より山添氏の紹介があり、研究班メンバーが自己紹介をおこなった。つづけて、京都市歴史資料館に長く関わった西山氏の訃報が、学術誌に掲載されていることが代表より紹介された。
 山添氏には、「京都市政調査会の歩みを振りかえって〜市議会オール与党体制から、その終えんの時期にあって〜」というテーマで、約2時間にわたってご報告いただいた。同氏は、京都市労連の調査機関として1974年に発足した「京都市政調査会」に、同機関が独立した調査機関として再発足した1976年以降、事務局長としてその活動を1990年の退任まで牽引することになる(退任時の機関名称は「京都市市政調査研究会」)。
 報告では、同氏の視点からふりかえった同機関の歩みを、当事者でなければ語ることのできない知見をふんだんに盛り込みながらご紹介いただいた。なかでも、同氏の主たる問題意識として語られた、理論と現場性の問題、そして「中立な立場性からの自治体のシンクタンクは実現可能か」という問いかけは、単なるアカデミズムの枠にとらわれない歴史学の可能性を探る本共同研究会の関心領域とも重複する範囲が大きく、非常に示唆に富むものであった。また、戦後京都市の文化行政に携わった吏員たちや、同市の文化行政と深くかかわった歴史学者たち、さらに、『京都市政史』編纂事業立ち上げの経緯についての数々の貴重な証言を聞くことができた。
 報告終了後は、同機関の活動と時代性とのかかわりや京都市文化行政についての詳細な事実確認など、参加者と報告者との間で活発な質疑応答がおこなわれた。最後に、次回以降の開催日については、メンバー間でのメールのやりとり等で決定することとし、閉会した。

開催日時2016年5月29日 13時30分~18時
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ研究班の概要説明と『京都における歴史学の誕生』の書評
発表者小田龍哉
研究会内容 研究会発足後初めての研究会ということで、まず代表(小林丈広)が研究会の趣旨説明とメンバー紹介、これまで任意で行ってきた京都歴史研究会との関係と今年度すでに取りかかっている作業の内容などについての説明を行い、今後の計画について話し合った(出席者は10名でいずれも研究班メンバー)。
 次に、これまでの研究成果であり、本研究会の土台となる『京都における歴史学の誕生』の書評会を実施し、そこにおける問題意識を共有すると同時に、残された課題について検討した。書評会は、小田龍哉が話題提供のための報告を担当した。報告は、同書の内容を丁寧に紹介しながらも、報告者の理論的枠組みも提示した興味深いものだった。それに対して、同書の執筆者の中で今回の研究会に出席した者が応答するという形で進められたが、執筆者以外からも、報告者の理論的枠組みに対する質問やそれぞれの立場から得られた知見による発言が有り、今後の研究会の進め方についても示唆を得た。
 そこで最後に、今後の研究会の進め方について議論がなされ、次回は京都市役所において長い間行政に携わる中で自治体史編纂や文化財行政に携わった方をゲストにお迎えする方向で交渉を進めることになった。