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研究会の活動報告一覧

第15研究 京都のくらしと「まち」の総合研究
研究代表者:西村 卓(経済学部)


開催日時2017年3月18日 15時~18時30分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ1.祇園祭における「伝統」の継承と変容
2.明治期京都における官立専門教育機関設立問題の展開
発表者1.中村圭
2.田中智子
研究会内容 本研究会の嘱託研究員である中村氏の報告に加え、田中智子氏をゲスト講師にお招きし、初年度第4回目の研究会が開催された。(参加者12名)
 第1報告者の中村氏からは「祇園祭における『伝統』の継承と変容」と題し、祇園祭に関する制度史や担い手などの歴史的経緯をはじめ、自身が2003年ごろから継続している参与観察およびフィールドワークに基づくデータを用いての報告がなされた。本報告では、定義が不明確であるが、便宜上多用される「伝統」という言葉に着目し、祇園祭では「何を『伝統』とみなしているのか」を明らかにした。また、近年の都心部におけるマンション建設ラッシュにより、一部の鉾町では、祇園祭の担い手としての住民人口の増加が見られるため、「『伝統』を、どう新住民に継承しているのか」といった「伝統」の継承における実践にも焦点が当てられた。自治のあり方や保存会の組織形態など性格の異なる2町の歴史的経緯や取り組みが詳細に比較検討されたことにより、「伝統」の捉え方やその価値観が反映される担い手の「精神」のあり方は町によって異なること、そしてその違いは祭事の進め方など細かな点にも影響を及ぼしていることが明らかにされた。「伝統」という言葉に隠れた現代の祭事の実態が垣間見えた報告であった。
 第2報告者の田中氏からは、1890年代における京都の官立工業学校(高等工芸学校)誘致の動きに焦点をあて「明治期京都における官立専門教育機関設立問題の展開-高等工芸学校設置に至る経緯を中心に-」と題した報告がなされた。当時の官立学校誘致をめぐる都市間競争が激化するなか、特にライバル争いを繰り広げる競合都市もなく工業学校の開設を請願する京都の姿や、高等工芸学校は、あくまでも殖産的発想による開設計画であり経済振興や都市開発的な誘致ではなかったこと、そしてこうした「官立」学校誘致に積極性を見せる1890年代を通じて、美術工芸が京都の都市アイデンティティの核になっていったことなどが明らかにされた。京都が「学都」と呼ばれる、あるいは自称する所以がこの1890年代の「官立」誘致の動きに関連している可能性が示唆された。


開催日時2016年11月5日 15時~18時30分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ1.大都市から地方の農山村への移動を目指すU・Iターン者の現状
2.人口減少地域における定住促進政策とIターン者の動向
発表者1.鯵坂 学
2.河野健男
研究会内容 本研究会研究員の鯵坂氏、河野氏から京都府綾部市での共同調査の成果について、報告が行われた。(参加者12名)
 第1報告者の鯵坂氏からは「大都市から地方の農山村への移動を目指すU・Iターン者の現状:綾部市の調査から」と題し、研究に至る経緯や調査対象地域である綾部市の概要および移住者の動向など基礎的な報告がなされた。そこでは、昨今の地方農山村をめぐる厳しい現状や、これまでの都市-農村関係に関する議論、近年の農村志向の都市住民の増加傾向などが紹介され、「限界集落」や「地方消滅」とまで言われた地域をとりまくリアルな現実が提示された。また、調査地域である綾部市は2008年からの6年間で136世帯、324人もの移住者を迎え入れた実績があり、それは市による懇切丁寧な定住促進施策だけでなく、NPOや地域住民主体の交流・移住政策など、さまざまな活動の担い手によって成し遂げられた成果であることが明らかとなった。
 第2報告者の河野氏からは、綾部市に移住してきた20歳以上のIターン者141名への郵送によるアンケート調査結果(2015年8月実施、有効回答数76、回収率53.9%)をもとに「人口減少地域における定住促進政策とIターン者の動向:京都府綾部市にける調査から」と題した報告がなされた。Iターン者のなかには60歳を過ぎて退職後に移住してきた人も一定数いたが、30代や40代の子育て世代が目立った。また、前住地をみると京都府や大阪府といった近畿圏内からの移住者が多く、移住後も従来の知人・友人関係が存続していることも示唆された。生活満足度を尋ねる項目では、80%を超える回答者が綾部での日常生活に「満足している」または「やや満足している」と回答しており、その理由としては「近隣関係が良い」(15.8%)ことや、「自由な生活ができる」(17.1%)などが挙げられた。一方で、家計の状況を尋ねると、「苦しい」(28.9%)や「やや苦しい」(50.0%)といった回答が多く、世帯収入も低いことが明らかとなり、経済的指標では測りきれない「豊かさ」の一面が露わになった。

開催日時2016年7月30日 15時~18時30分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ1.忘れられた祭り・京の染織祭(1931・昭和6年創設)
2.京につながる道の近代史
発表者1.北野裕子
2.高久嶺之介
研究会内容 ゲスト講師である北野氏、本研究会研究員の高久氏、2名の報告が行われた。(参加者15名)
 第1報告者の北野氏からは「忘れられた祭り・京の染織祭(1931・昭和6年創設)-なぜ昭和恐慌期に祭りが創設されたのか-」と題し、昭和6(1931)年から昭和26(1951)年までの20年間、春の京都で行われた染織祭について、祭りの内容や運営組織の構成、当時の時代背景に即した構想など、その実態に迫る報告がなされた。当時の新聞記事や各種史料、統計資料、ヒアリングデータ等々、多様な資料を通じて「昭和恐慌とよばれる時期に豪華な祭りが、いかにして創設可能になったのか」という問いに対し、祭り創設の背景に垣間見られる京都の町衆の精神的支柱としての役割という要因を浮かびあがらせた。支配階級を表現した時代祭に対抗するように創設された染織祭は、平民風俗を表現した「大衆祭」としての特徴を持ち、戦前では希少であった女性が主体の祭りである。官民合同で催された豪華な祭りの実態をさらに掘り起こすことは、「重層的でリアルな昭和恐慌像」の構築につながり、当時の京都市の歴史を補完する一助となるであろう。
 第2報告者の高久氏からは、江戸時代から近代にかけての道幅の変化に焦点をあて、「京につながる道の近代史」と題した報告がなされた。江戸期までの道幅には統一性がなく、基本的に「人が歩く道」であるため、その幅は最高でも4間(7.2m)前後で、1m未満(3間=0.9m)しかない道も多く存在した。明治以降には、新しい交通手段である人力車や牛車の増大にともない、道幅の拡幅が行われる。大正から昭和にかけては、自動車やバスの急速な普及により、道の更なる拡幅が必要となるが、事業が全国的に普及するのは、1932(昭和7)年から1934(昭和9)年までの3年間の不況対策としての「時局匡救事業」によるものであった。経済史が概ね評価に値するとしてきた時局匡救事業に対し、本報告では、地方財政を圧迫する側面があったことや、事業費の一部を受益者負担で賄っていたことなどから、この事業が真にもたらしたものについて、地域差を考慮しながらの更なる検討が必要であることが示唆された。

開催日時2016年6月4日 16時 ~ 18時30分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ統計資料から考える近代日本と在日朝鮮人 ―京都・大阪を中心に―
発表者高野昭雄
研究会内容 新代表に変わり初めての研究会であるが、多くのメンバーや進行方針については前期を踏襲しているため、代表からのあいさつや予算執行に関する説明がなされたのち、高野氏の報告へと移った。(参加者10名)
 本報告の問題意識は、在日朝鮮人の渡航理由を第二次世界大戦時の「強制連行」であるとする一般的な認識への懐疑である。高野氏は、強制連行が始まる以前の1935年時点で、すでに60万人もの朝鮮人が日本で生活していたことを指摘し、主食である「米」に焦点を当てて、その移住の要因を探っている。
 まず、報告の前半部では、同氏の執筆論文である「1918年米騒動に関する考察-脚気統計と残飯屋から学ぶ-」(2014、『千葉商大紀要』第53巻第1号)をもとに、当時の日本社会の「米」をめぐる状況が説明された。米騒動の原因としては、商人たちによるシベリア出兵前の米の買い占めにより、米価の急激な高騰が生じ、貧困層の生活難が深刻化したことがよく知られている。しかし、本報告では、脚気統計の分析や残飯屋に関する行政史料、新聞史料等の分析を通じて、日本の米を中心とする食文化について考察することで、当時は白米に対する需要が、かつてないほどに高まっていた時期であることが明らかにされた。したがって、米騒動の背景には、貧困層の生活水準の上昇による、白米の常食化が影響しているという新たな知見が提示された。
 後半部では、問題意識に戻り1920年代から1930年代に日本へ渡った朝鮮人の渡航要因について言及された。当時の日本は急激な人口増加や米の需要の高まり、米騒動の経験などから、植民地支配下にあった朝鮮半島から朝鮮米を輸入していた。一方、朝鮮半島では、日本への米の大量輸出によって朝鮮人一人当たりの米消費量は激減し、そのうえ慢性的な食糧不足にも見舞われていた。その結果、日本に渡る朝鮮人労働者が激増するといった、移住のプッシュ要因が提示された。
 報告後は、日本人の米へのこだわりや在日朝鮮人の渡航理由に対する新たな視座の模索など、活発な議論がなされた。