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研究会の活動報告一覧

第17研究 開発主義国家戦後日本の形成・展開と社会、民衆の総合的歴史研究
       占領冷戦/東アジア、1955年体制/参加と分権の政治システム、経済成長/持続的、開発/
       福祉、地域社会/地方自治、社会運動/社会統合
研究代表者:庄司 俊作(人文科学研究所)


開催日時2017年2月4日 14時~17時
開催場所啓明館2階共同研究室A
テーマ地域生協の戦後史:東京と福島からの問い
発表者三浦一浩、林薫平
研究会内容 生協論レビュー研究会との共催で、「地域生協の戦後史:東京と福島からの問い」として、生協の戦後史に関わる報告・議論を行った。
 第一報告の「戦後東京における生協運動の展開:地域生協の設立過程に着目して」(三浦一浩、一般財団法人 地域生活研究所・研究員)では、占領期から高度経済成長期にかけての、東京の地域生協の設立とその後の展開を報告した。生活物資の不足から生協が乱立していった模様と、その後のそれぞれの生協の帰趨から、単に東京の生協史というにとどまらず、生協に何が求められようとしてきたのかが浮き彫りとなった。
 第二報告の「戦後日本型生協の『共同購入産直』モデル~生成と変容~」(林薫平、福島大学・特任准教授)では、共同購入と産直の変遷が論じられた。とりわけ産直については、京都生協がその生成過程で一定の役割を担ったことが示されるとともに、時代が下るにつれて、そもそも産直の持っている意味そのものが変容したことが明らかになった。
 以上の二つの報告を踏まえた討論では、生協を軸に置いたときに考え得る時代像、生協の担ってきた役割の変容とともに、今後の人口減少・高齢化の時代において、生協の持つ意味がどのように変わっていくのかという点も含めて議論された。


開催日時2016年12月10日 14時~17時
開催場所啓明館2階共同研究室A
テーマ戦後、京友禅産業における朝鮮人労働者 ―蒸・水洗工場Mを中心に―
発表者安田昌史
研究会内容 2016年12月10日の研究会で報告者安田昌史が「戦後、京友禅産業における朝鮮人労働者 ―蒸・水洗工場Mを中心に―」というタイトルで報告を行った。
 戦後、京都の京友禅産業の蒸・水洗工程を担う工場Mにおいて、朝鮮人労働者がいかに就労をし、退職していく過程を概観した。初期は在日朝鮮人同士が持つ人間関係によって工場Mを就労するのであるが、時代が下るにつれて、労働者同士の人間関係によって就労する労働者(通称「流れ」と呼ばれる労働者)が増えていった。
 また工場M側からこの工場運営について考えた場合、創業当初は家族や知人の朝鮮人によって工場Mの運営がなされていたのであるが、1960年代後半からの機械化の導入により労働集約型の労働過程が減少し、代わりに技術や知識を持った速戦的労働者である流れの労働者が増加していった。
 1973年のオイルショック以降は、Mの労働者は漸減していくが、1980年代に入るまで流れの労働者が雇用されていた。日本の産業構造の変化により京友禅産業の不況が長引く1990年代からはMでは流れの労働者は雇用されることはなく、経営者家族と少数の古参労働者による経営という形に戻っていった。
 この報告に対し、創業当初の資金をMではどのように集めたのかというコメントが寄せられた。またこの研究が労働史なのか経営史なのかが不明瞭であるという意見もあった。そして、研究資料では聞取り調査で得られた語りを主要資料として用いているが、そうした語りの口調などが生きていないという指摘もあった。
 また戦前、どのような過程を経て朝鮮人が京友禅産業の特定工程である蒸・水洗工程に就労するようになったのかに関してである。元来、流れの労働者は職人気質であり、飲酒をし、「博打打ち」的要素があった。また組合に組織されやすく、ストライキ運動などにも取り込まれがちであったという。経営者はこうした流れの労働者を扱いにくいと忌避するようになり、朝鮮人を積極的に安価な労働力として雇用するようになったのではないのかという仮説も提示された。いずれにせよ、労働力の「買い手」要素の分析が必要であるという指摘である。
 これらコメント、指摘などに対して可及的に対応し、自身の研究に生かしていきたい。


開催日時2016年7月23日 14時~17時
開催場所啓明館2階共同研究室A
テーマ合成洗剤追放の論理と葛藤
発表者原山浩介
研究会内容 合成洗剤追放運動は、日本の社会運動がひとつの転換点とされることの多い、1960年代から1970年代をまたいで展開した。そしてとりわけ1970年代以降、環境問題や公害といった諸問題に取り組む人びとをはじめとする、様々な市民団体を糾合しながら拡大した。関西では、琵琶湖の汚染問題と関わって、この動きに連動する形での市民団体の結成や生協運動の展開、そして相互の連帯が形成される一方で、同様に市民生活と深く関わる問題、時としてこの合成洗剤の問題にも取り組みながら、そうした一連の動きとは半ば独立した位置どりをする団体も存在し続けた。さらに、合成洗剤がABS からLAS、高級アルコール系へと変わり、さらに無リン洗剤が登場するなかで、大きくいえば、合成洗剤の全面追放と石鹸への転換という方向と、より良い洗剤を求めようとする方向の二つの流れが生じた。そこには少なからず、既成の党派や生協連合会の立場が折り重なり、それぞれの団体にとっては、合成洗剤への対応が団体の性格を規定するほどにまでなった。高度経済成長期後半からおおむね1990年代までの市民運動を見る上で、この合成洗剤の問題は重要な位置を占めるといえる。 


開催日時2016年6月25日 14時~17時
開催場所啓明館2階共同研究室A
テーマ戦後失業対策事業・失対労働者研究の意義と射程
発表者杉本弘幸
研究会内容 本報告は、戦後失業対策事業・失対労働者研究の意義と射程を論じるものである。戦後失業対策事業/失対労働者研究の現在の歴史像は、失業対策・福祉政策として一時期は役だつが、高齢者、女性などの「滞留層」の「自立」のために打切ったというものである。また、高度経済成長の進行に伴い、失対労働者は、他に就職の見込みのない高齢者・女性の比率が大幅に上昇し、さらに被差別部落民や在日朝鮮人の割合が上昇していき、それらの社会的マイノリティが失対労働者に「滞留」していく。
 東日本大震災の復興事業で再び失業対策事業が注目されている現在、歴史学研究からの問題提起も必要であろう。なぜ、戦後失業対策事業が「失敗」したのか。どうして、「失敗」と認識されてきたのかを問うことは歴史学研究の責任であろう。
 また、歴史学研究としては、現在の歴史認識や政策評価を変える研究を行わなければならない。失対労働者とはどのような人々で、彼/彼女らは何を考え、どう日々を生きていたのかなどの基本的なことすら、十分に明らかにされ、位置づけられていないのである。
 こうした、研究状況の改善には、いまだ乏しい一次史料の発掘や整理が不可欠である。
 このような観点から戦後社会政策史・社会運動史研究と失業対策事業研究、戦後ジェンダー史研究と失対労働者研究、戦後マイノリティ研究と失対労働者研究を検討し、これまでの報告者の研究の到達点と今後の課題について論じた。


開催日時2016年5月21日 14時~17時
開催場所啓明館2階共同研究室A
テーマ高度経済成長と佐藤藤三郎
発表者庄司俊作
研究会内容 拙稿「戦後改革と高度経済成長のあいだ」(研究報告ディスカッションペーパー第1号、2015年12月)の続編として準備し、合わせて「戦後農民史研究序説―農民佐藤藤三郎の戦後史、1950~70年」として2016年度人文研研究叢書『戦後日本の開発と民主主義』の一篇に収めることを目的として報告したものである。内容としては、農民目線の高度成長史を目指すということで、農民佐藤藤三郎の内面にまで立ち入り、その生の全体を浮き彫りにした。ただし、テーマ的には主に佐藤と農業、農村社会の関わりに焦点をあてた。現在の構造と歴史的な様相双方を視野に複眼的な考察を行った。戦後の日本に少なからず登場した「もの言う農民」を研究対象とする点に特徴・独自性がある。日記や同時代の手記(著作にまとめられる)等の史資料にもとづく戦後農民史の報告であり、その点でオーラル・ヒストリーや自伝の方法的限界を超えることを目指すものである。 


開催日時2016年4月2日 14時~17時
開催場所啓明館2階共同研究室A
テーマ高度経済成長期における牛乳需要の拡大―コープこうべの事例から―
発表者尾崎智子
研究会内容 本報告は、高度経済成長期の飲用乳需要の増大に即して、生活の質的変化を明らかにする。事例として戦前から一貫して牛乳販売に携わってきたコープこうべを取り上げる。生活協同組合コープこうべは1921年に設立され、日本に現存するもっとも古い生活協同組合の一つで、1962年以来現在の組織形態である。
 日本の近代酪農業は、農村部からではなく都市部から発展した。牛乳消費量は1960年頃から急激に上昇した。
 コープこうべの場合、牛乳の宅配は戦前から取り組んでいたが、当時はあまり受け入れられなかった。しかし戦後の高度経済成長期には、牛乳を「運動商品として、力を入れて供給」した。そこには、①牛乳は利益率が高いこと ②高度経済成長下における食生活の変化 ③団地を中心に“牛乳集団飲用運動”を展開し組合員数の増加を図ったこと、④牛乳宅配に専門勧誘方式を採用したことがあげられる。
 このことから見えるのは、牛乳の消費は世帯の所得水準によって購買量に差があり、人口の多い大都市ほど1人当たりの消費量が多いこと。
 生協と団地住民は1970年代に顕著に表れる食の安全志向のたかまりや冷蔵庫の普及など、生活革新の牽引者的役割をもちその一翼を担ったと考えられる。