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研究会の活動報告一覧

第1研究 キリスト教と日米地域社会の形成
研究代表者:吉田 亮(社会学部)


開催日時2018年3月17日 15時半~18時
開催場所寒梅館6B
テーマ日系人の再定住政策―松本亨とキリスト教主義を中心に―
発表者松盛美紀子
研究会内容 本発表は、第二次大戦中、強制収容された日系人の救済のため、再定住支援活動を主導する重要な役割を担った一日本人(松本亨)に関する研究であり、今回は特にそうした再定住支援活動の指導者に松本が抜擢された背景を明らかにしようとするものである。松盛氏によると、以下の背景が理由として考えられると指摘する。先ず、松本がJapanese Student Christian Associationの総主事として活躍した時期につくった人脈が考えられる。特に重要なのはLuman J. Shafer(元日本宣教師、改革派外国伝道協会、北米外国伝道協議会日本委員会委員長)が同団体の諮問委員・顧問のひとりであったことである。Shaferこそは、松本に、改革派教会への入会を勧め、松本が按手礼を受けるに際して特例措置をとるように改革派教会に働きかけた人物であった。次に、結果として松本は牧師に就任し、現地プロテスタント超教派による日系アメリカ人再定住委員会主事に任命されることになった。また同団体の主事としての実蹟が認められ、松本は、北米外国伝道協議会から期限付き宣教師として、1949年、明治学院に派遣され、同学院の戦後再建を担うことになったのである。
 質疑応答では、松本が総主事に就いていたJSCAでの実蹟の中身について、Shaferと松本との関係を直接的に証明する史料の存在について、松本が日本の復興に当たって「英語」を道具として使用した理由について質問が成された。また、松本が改革派とつながっていくのは、彼が明治学院やユニオン神学校出身者であったこととも関連しているし、明治学院時代の在日宣教師との交友関係他が影響している可能性についての質問も出た。


開催日時2018年1月20日 15時半~18時
開催場所寒梅館6B
テーマ1940年代シカゴの日系仏教会―2人の開教使を中心に
発表者本多 彩
研究会内容 本発表は、第二次大戦中にシカゴに設立された2仏教会(シカゴ仏教会、ミッドウェスト仏教会)による設立当時の活動について、それぞれの仏教会創設の中心人物である開教使の足跡に注目しながら検討することを目的としている。発表の概要は以下の通りである。先ず、シカゴ仏教会の創設者である久保瀬暁明は、サンフランシスコ生まれ、日本留学時に暁鳥敏の師事したことが、久保瀬を中心とする当教会の特性を大きく規定した。1944年にハートマウンティン収容所から出て、シカゴに転出し、仏教会を設立した。久保瀬は、「超宗派的のアメリカ仏教」を展開し、アメリカ文化に貢献するという考えのもとで、諸活動を組織した。そのため、現地キリスト教界とも連携して再定住者支援活動に従事した入り、花祭りプログラムとしてHanamatsuri Wesakをシカゴ大学で開催するなど、アメリカ産仏教の創出・展開に尽力した。次に、ミッドウェスト仏教会の設立を主導した河野行道は、広島の寺院にお希、跡取りであったが、38年に渡米し、ハンフォード仏教会に勤めた後、収容所を経て1943年にシカゴに到着、44年にミッドウェスト仏教会を創設した。日本産仏教のアメリカへの移植という考えに立ち、再定住者を主要構成員とする仏教会を展開していった。特に二世に注目し、仏教青年会活動を活性化し、さらに東部の仏青の組織化にも尽力した。
 質疑応答では、シカゴという土地柄が仏教会の特徴に及ぼした影響についての意見交換、仏教会とキリスト教会による再定住支援活動の比較、戦前西海岸の仏教会とシカゴのそれとの比較、シカゴの仏教会と戦後西海岸の仏教会とのつながりに関する質問がなされた。


開催日時2017年12月16日 15時半~18時
開催場所寒梅館2B
テーマ第二次大戦期アメリカプロテスタントの日系人「社会統合」活動
発表者吉田亮
研究会内容 本発表は、アメリカのリベラルプロテスタントによる第二次大戦期日系アメリカ人再定住支援活動の実態とそこで目指された「社会統合」の意味合いを明らかにしようとするものであった。事例として、ニューヨーク日系アメリカ人教会委員会による同活動を検討した。その特徴は第一に、当時のリベラルプロテスタント同様、政府の戦時転住局と連携し、アメリカの民主化再興を目標とし、日系人の再定住と当該地域コミュニティへの「社会統合」のために必要な活動を、当該地域コミュニティの教会を基点に展開するものであった。そのために、社交プログラム、就職や住居斡旋、地域教会への参画のための諸活動を行っていた。第二に、他のリベラルプロテスタントによる活動と違い、日系コミュニティの人的・経済的資本に大きく支えられ、日系人の当該地域コミュニティへの「統廃合」を最終目的としていなかったことである。当時の「社会統合」の一般的解釈では、日系コミュニティ・教会が再定住者によって再構築されるのではなく、当該地域コミュニティ・教会に併合されて消失するという、「シカゴ型」が支配的であった。それに対し、ニューヨークの事例では、日系コミュニティや教会の存続と、当該地域コミュニティや教会との共存・協力関係の形成が目指されていた。その点において、本事例は、従来の「社会統合」に関する一元的な解釈に挑戦する意味合いをもっている、というのが発表者の結論であった。
 発表後、特に日系教会の「白人」教会への統合運動が持つ歴史的な意味(戦後の日系人教会史の解釈においてを含む)や、当該問題に関する地域間(カリフォルニア、イリノイ、ニューヨーク)の違いに関する質疑応答がなされた。


開催日時2017年11月11日 15時半~18時
開催場所寒梅館6B
テーマ1940年代ハワイの神道系教団の変容における二世信者の役割についての検討
発表者高橋典史
研究会内容 本発表は、1940年代ハワイにおける神道系(天理教、金光教)教団による活動を二世に着目して明らかにしようとするものである高橋氏の研究テーマの一部をなすものである。高橋氏は先ず、神道系新宗教教団の活動のもつ「越境性」と「周縁性」に着目してその特徴を明らかにする、と研究目的を提示した。次に、1930~40年代の信徒達の動向についての研究は未踏査であると、先行研究を総括し、本論で以下の点を述べた。先ず、二教団のポジショナリティとして、対象教団の概要、布教略史、「セクト」性、ハワイ日系宗教の状況を概観、次に、二教団の1950年代までの展開過程の特徴である。発表の総括として、以下の点を指摘した。第一に、神社神道と天理教・金光教の差異として、前者は移民コミュニティの主導権、後者は少数信者の個人的な信仰・実践と拘わっている点がある。第二に、天理教と金光教の共通点として、現世利益的な呪術性、日本との越境的ネットワークの存在(植民地布教との連動性も)、移民社会の周縁部にいた信者達、女性の活動の顕著さ、二世の活躍時期の遅さである。一方で差異として、組織・信徒数のスケール、布教のスタイル(天理教は動的で、金光教は静的)である。第三に、越境性と周縁性について、二教団は国家ベースよりも宗教固有の越境的ネットワークを持ち、特に日本の教団本部に加えて親教会との密接な関係性が特徴である。また信者の階層性として貧病争の困難を抱えがちな周縁の人々を惹きつけた、とする。
 質疑応答では、越境性の特徴、女性リーダー、一次史料に関して集中的に行われた。


開催日時2017年8月7~8日 12時~12時
開催場所京都ガーデンパレスホテル
テーマ1940年代アメリカ日系宗教の教育社会史
発表者吉田亮、東栄一郎、竹本英代、物部ひろみ、本多彩、根川幸男、高木(北山)眞理子、
松盛美紀子、志賀恭子
研究会内容1)吉田 亮:「1940年代の日系プロテスタントとアメリカ社会(4)―ニューヨークの日本復興支援活動を中心に―」
 本発表は、ニューヨークにおける1940年代の日系プロテスタントの日本復興支援活動に焦点を当てることにより、日系プロテスタントと日系社会の再建や、日系プロテスタントと日本復興活動から越境性を探ることを目的としている。今回の報告では、1942年よりニューヨークに再定住する日系人の状況、日系人コミュニティの戦後復興活動を率先した人物や彼らの活動内容を明らかにした。戦後のニューヨークの特色として、日系人の再定住者の増加、現地社会の支援、日本に物資を送ったララの傘下である日本救済紐育委員会、(元同志社総長)湯浅八郎、清水宗次郎、高見ラドルフドクターや本間岩次郎の率先活動、反ファシズムのなか民主化の過程が窺えた。彼らは、聖書を日本に送りキリスト教化することで民主化を図ろうとした。ニューヨークでは祖国日本への復興支援活動を通して、教派や人種を越えた交流がなされた。また、その状況を見る中でリベラルプロテスタントの高いアメリカ化能力・協調性が証明されたといえるであろう。

2)東栄一郎:「太平洋戦争中の在日北米二世のアイデンティティの意味と活動」
 これまで、占領期にアメリカへの反逆罪で裁かれた人物や、日本兵として戦った二世に関する研究が存在するなかで、本研究は、二世がいかにして日本で日本人化を強いられ、いかに敵国アメリカのアイデンティティを保持しながら活動したのか、その過程を明らかにする。在日二世は日本国家から脅され、地域社会から監視され、同化を迫られていた。それは在米二世も同様である。そのため、彼らは英語と日本語の言語能力を使って戦争に役立つ人間として、広報、ジャーナリスト、語学関連、出版業界に従事した。国家に仕えることを強要されてきた二世を追うことは、日米融和的交流が存在しえない戦時下で「架け橋」の概念の変貌を問い、戦時中の二世の意味を探ることである。発表者のこれまでの主な研究活動は、研究対象が執筆したコラム、書簡、FBIファイル、戦中と戦後の関連出版物、軍関係の史料、ハワイにおける月刊誌や新聞など、史料蒐集を行ってきた。

3)竹本英代:「司法省管轄抑留所の教育事情―クリスタル・シティ抑留所を中心に―」
 第二次世界大戦中、問題を起こす者として見なされたアメリカ市民権を持たない日系人は、強制収容所から連邦政府司法省管轄の抑留所に転送された。発表者は、1942年12月に開設され1947年12月に閉鎖されたテキサス州のクリスタル・シティ抑留署に焦点を絞る。本研究では先行研究ではまだ使用されていない国立国会図書館所蔵の『アメリカ合衆国被収容者名簿―テキサス州クリスタル収容所―(名簿)』からクリスタル・シティ抑留所の教育事情を再検討する。クリスタル・シティの収容所には、2000人の日本人家族、1000人のドイツ人、若干のイタリア人がおり、自治会、公立学校と日本語学校が存在した。発表者は、クリスタル・シティ抑留所の概観を述べた後、その公立学校と日本語学校の教育状況【組織、教育部の各長を務めた人、青少年団と少女団としての青少年教育、中等教育をみるための弁論大会の題目】についてこれまで明らかになったことを報告した。その結果、名簿から宗派が異なる開教使がクリスタル・シティ抑留所で教育を先導したことが分かった。今後の課題として、ハワイから来た開教使が本土の抑留所で二世に対し実施した教育の分析を深めることである。

4)物部ひろみ:「1940年代のハワイ日系二世と非常時奉仕委員会」
 本研究は、1942年にハワイ軍政府の士気高揚部会(the Morale Section of the Office of the Military Governor)の主導下で、日系二世によって組織・運営されていた「非常時奉仕委員会(Emergency Service Committee, ESC)」に焦点を当てる。ESCコミュニティ内で士気を高めて戦争を参加させることを目標としながら、フィリピン系、中国系、韓国系、フィリピン系の異なるエスニック集団と連携していた。そのなかでも、日系人が勢力的に活動を行った。そのなかには二世リーダーたちが含まれていた。本発表では、開戦後に軍政府の指揮の下、異人種と共に活動していた内容を、Third Territorial Conference of Morale and Emergency Service Committeeの議事録から紹介した。そのなかで、リーダー的存在としてのシゲオ・ヨシダ、標準英語を話させる運動のような日系人をアメリカ化させようとする日系人による動きや、宗教について討議された内容が明らかにされた。

5)本多 彩:「日系のシカゴ転出と2つの仏教会:1940年代後半『シカゴ新報』にみる仏教会の越境」
 日系アメリカ人の収容所転出は、War Relocation Authority (WRA) 主導の下、1942年より始まった。WRAは、日系人が自発的に転出するようにすすめた。本発表では、発表者はまず背景として、収容所から転出・転住過程、受け入れ先の状況としてシカゴは比較的差別が少なかったために白人コミュニティとの関係構築がさほど難しくなかったこと、シカゴ転住者の人口、年齢、男女比、シカゴへの転住に向けて尽力した日系団体について説明した。次に、発表者は、『シカゴ新報』の記事から研究対象である中西部仏教会とシカゴ仏教会の設立過程や越境性について触れた。この二つの仏教会を比較すると、シカゴ仏教会では早い段階から二世たちが積極的に参加をしており、戦後まもなく白人も礼拝に参加していた。さらに1946年から48年に開催された東部仏青連盟大会では、他の地域の仏教会や他宗派との交流があったことがこれから分かる。

6)根川幸男:「1940年代ブラジル日系二世の教育と人材育成③―Y.K.日記をめぐって―」
 今回の発表は、①40年代ブラジル日系二世をめぐる最近の歴史的イメージを検証、②日本とブラジルで実施したY.K.家族へのインタビュー調査で明らかになった彼女の人物像について報告、③K家の宗教であった神生紀元の教義を確認しながら、K父娘の短歌や日記に見られる宗教の影響を確認、④Y.K.の成人後の経営者として成功するに至る過程とその歴史的意味を考察する。Y.K.は、農村から都市に出て、社会上昇を遂げて成功を収めるモデルとして見ることができる。今回の発表では、Y. K.の父親が治療院を経営し成功していたクリスチャンの女性と再婚し、K家にその義母が来てから変化を大きく遂げた生活と、Y.K. の生前の夫とY.K.の弟と妹へのインタビュー調査結果を紹介した。Y.K.も後に義母の治療院から学んだことを生かした健康美容施設を経営し成功した。その際、鍼灸、整体、マッサージなどの日本的な理学療法を取り入れることでさらに成功した。

7)松盛美紀子:「日米開戦と在留日本人―松本幹と松本亨の活動を中心に―」
 本研究は戦前期の日米学生会議に活躍し、日米開戦後もアメリカに留まり抑留生活を送る日系アメリカ人の救済事業に携わったために敵性外国人とみなされた松本亨と、その兄松本幹に注目している。本報告では、発表者はまず松本亨と兄幹の生い立ちを紹介した後、松本亨の執筆活動、松本幹の活動と思想について紹介した。松本幹の影響を受けて渡米した亨が、後の人生では幹とは異なる思想や人脈をもつ過程がみられた。幹は、米軍部と関係を持ち、天皇制について強い意識を持ち、逝去するまでアメリカにいた。一方、亨はアメリカ人のクリスチャンとの関係をもち、日本で逝去した。今後の課題として、彼らが日米開戦後もアメリカに留まった日本人としての活動について考察するため、開戦後二人がアメリカに留まった理由と使命、彼らの役割や、日系アメリカ学生点中審議会が行った二世大学生の転住政策への関わりを明らかにする。

8)高木(北山)眞理子:「Emery Andrews (Andy) 牧師と日系コミュニティ1930年代〜40年代を中心に」
 本研究は、シアトルの日系バプティスト教会(JBC)に就任したエメリー・アンドリュース(Emery Andrews)牧師の1930~40年代を中心にした、日系人との関わりに注目する。発表者は、JBC、アンドリュース牧師の生い立ち、アンドリュース牧師のマイノリティへの関心の起源について紹介した後、日系人が強制収容所に入った後の彼と日系人の交流について報告した。また、原爆後の彼の「広島の家」活動や家族関係についても触れた。

◎総括(志賀恭子、吉田亮):
以下の課題について協議した。
✓ジェンダーをどうするのか。YWCAを入れるべきか。
✓日本の存在を明確にする。
✓文化資本(華道、茶道、日本の整体など)としての日本を明確にする。
✓都市化と成功の関係を明確にする。
✓対象地域が戦地であったかどうか。
✓強制収容所、抑留所、再定住センター(Relocation Center)など意味や使用背景の確認。


開催日時2017年6月30日14時30分~18時30分
開催場所日本キリスト教団安中教会・甘楽教会・高崎教会
テーマ上州教会史・現地調査
発表者
研究会内容 「日米地域社会の形成とキリスト教」を掲げる本研究会では、かつてのCS教会研究の伝統を復活させることを一目標としているが、昨年度の活動として平安教会の資料目録を上梓し、今年度は、上州(群馬県)の諸教会における現地調査例会を開始した。今回はその一回目にあたる。
 遠藤浩・水内勇太が「CS 教会研究の歴史と資料の現状(1)」(『キリスト教社会問題研究』、2015年)において紹介したごとく、群馬県は、かつてCSが教会研究の一つのフィールドとした地域であった。そこでまずは、人文研が所蔵するマイクロフィルムに資料が収められる安中教会と高崎教会を、今回の調査対象とした。また、人文研の調査が入ったことは確認されないが、大濱徹也『明治キリスト教会史の研究』(吉川弘文館、1979年)において、安中教会と並ぶ分析対象とされた甘楽教会を、訪問地に選定した。
 安中教会については、江守秀夫牧師より、会堂をはじめとする構内諸建築の歴史、史料の所蔵状態についての説明を得た。以前に人文研が調査を行った簿冊については、現在別置されているとのことであった。甘楽教会は8月まで無牧状態であり、資料の所在等について責任者に確認することができなかったが、江守氏の仲介・案内により、教会員の了解を得て会堂・地所の見学を行った。また、同教会員となった女工たちが在籍した近隣の富岡製糸場にも足を運んだ。
 高崎教会では、生地善人牧師から、教会の歴史や資料の所蔵状況(約30年前の会堂移転後も資料は保存されている)についての説明を受けた。組合教会とは別の系統に始まるその歴史、および同教会を拠点とした明治期における周辺各地への伝道の広がり(講義所設置)について確認した。また「西群馬教会 海舟勝安房書」とある扁額が勝の真筆か否かをめぐって、勝がキリスト教に接近した歴史をふまえての議論が行われた。
 全体的に、安中の信徒割合(市内人口の5%に上る換算となる)にみられるごとく、高齢化の問題はあるものの、生きた教会として県内教会が活動している現状がうかがわれた。次回以降、これらの教会における具体的な史料調査(撮影・目録作成の可能性の模索)に加え、高崎・藤岡・沼田といった県内の他教会における現地調査を行うことの必要が確認された。