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研究会の活動報告一覧

第3研究 東アジアキリスト教伝道史基礎アーカイヴズの研究
研究代表者:原 誠(神学部)


開催日時2018年3月26日 10時~18時00分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読(第三部)
発表者杉野徹・本井康博
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2702~2716の計15通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2702 S.L. Gulick 1889.5.9
 2703 下村孝太郎 1889.5.11
 2704 下村孝太郎 1889.5.20
 2705 D. C. Greene 1889.5.27
 2706 E. G. Howe 1889.6.3
 2707 N. G. Clark 1889.6.5
 2708 C. F. Cutter (広告)
 2709 C. F. Cutter 1889.6.8
 2710 N. G. Clark 1889.6.11
 2711 家永豊吉 1889.6.12
 2712 E. W. Blatchford 1889.6.18
 2713 N. G. Clark 1889.7.5
 2714 J. N. Harris 1889.7.8
 2715 J. N. Harris 1889.7.8
 2716 R. A. Hasting 1889.7.15
 以上のうち、2702の原文書の欠落、2704の画像の欠落が確認された。また、タイプライターの広告を主とする2708は、2709の封入物であり、同一書簡として扱うべきであることが明らかになった。総じて内容は、ハリスの寄附と下村による科学校構想、ブラウン夫人の奨学金を受けた学生などに関する問題が主たる論点であった。
 このほか、去る3月13~15日に行われた上海調査の成果が披露され、あるいは英文書簡の解読成果をどのような書籍として刊行するかといった点についても話し合いが行われた。社史資料センター所蔵の原文書の確認方法、画像欠落の問題についての議論もなされた。


開催日時2018年2月28日 14時~19時00分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ中国キリスト教史研究の過去と現在(第一部)・新島研究における上海(第二部)・新島襄宛英文書簡の解読(第三部)
発表者朱虹・本井康博・伊藤彌彦
研究会内容 第一部、朱虹会員の報告「中国キリスト教史研究の過去と現在」は、1978年から現在に至るまでの中国におけるキリスト教史研究の道程及び近年の動向について紹介するものであった。中国では1980年代にキリスト教に対する認識は「文化侵略」から「文化交流」へと転換し、1990年代以降には、「近代化」におけるキリスト教の役割に対する関心が高まった。さらに2002年以降は、中国におけるキリスト教の土着化(「中国化」)が重要視されつつあり、それを推し進める政府の姿勢が認められる。そうした動向の中で、2012年より「中国語キリスト教文献目録の整理と研究」という国家プロジェクトが始動され、現在では20,000点ほどの文献目録を収録したデータベースが立ち上げられた。
 第二部、本井康博会員の報告「新島研究における上海」では、新島襄の生涯における重要な転換点としての上海の意味が改めて示された。しかし、新島は上海に合計81日滞在したにもかかわらず、それに関わる史料が現在ほとんど発見出来ていない。3月13日~15日の実地調査を通し、新しい発見が期待される。
 第三部では、伊藤彌彦会員の報告を通し、同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2698~2701、2695(再)の計5通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2698 E. Buckley 1889.5.4
 2699 S. L. Gulick 1889.5.6
 2700 D. W. Learned 1889.5.6
 2701 N. G. Clark 1889.5.9
 2698はギリシャ語辞書受け取りに関わる書簡、2699・2700は、教会合同にそれぞれ反対・賛成の立場からの書簡である。前者には海老名弾正の名もみられるが、「Tanaka San」が具体的に誰を指すのかは、検討課題として持ちこされた。2701は、大学設立にむけての寄附の件などが述べられている。なお、前回扱った2695書簡の判読不能箇所については、カーペンター氏の助力も得て、多くを埋めることができた。


開催日時2018年1月26日14時~16時20分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者伊藤彌彦
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2694~2697計4通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2694 A. H. Ross 1889.4.23
 2695 J. C. Tyler 1889.4.26
 2696 D. C. Greene 1889.4.27
 2697 W. Taylor 1889.5.1
 2694は、教会合同に関わる書簡であり、合同したならば、組織運営において長老派形式が主となるであろうとの見込みが述べられている。合同に反対する新島に対し、それに賛同する立場から、19世紀初頭からのアメリカにおける合同の試みの顛末を振り返り、対策を述べるものである。ロスはギュリックとやりとりしていたこと、合同問題については、Church-Kingdomなる書籍を刊行し、その考えを公にしていたことなどもわかる。なお本書簡には、新島による多くの朱線書き込みが確認された。
 2695は、判読不明単語を多く含み、報告者から配布された書簡原文のコピーをもとにさまざまな可能性が探られたが、結局ほとんど解読の進展をみず、不明箇所については、再度次回の研究会で知恵を出し合うことになった。
 2696は、ハリスの寄附についての書簡で、下村への給料分のほかに追加があって総計10万ドルに達していること、まずはそれを建物や敷地や器材に使うべきであることなどが述べられる。器材の調達方法について、まず下村に相談すべきとしながらも、欧米から購入するより東京で買う方が安いであろうこと、東京大学(=帝国大学)の教授に相談すべきこと、日本で調達できない場合はドイツから購入してもよいことなどの具体策が述べられる。在ニューヨークの伊勢時雄の名も登場する。
 2697はテイラーの簡潔な書簡で、同じく医師の資格をもつ宣教師・ベリーとのやりとりがあったことがうかがわれた。


開催日時2017年12月15日15時~17時30分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者田中智子
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2689~2693計5通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
 書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2689 H. M. Scudder 1889.3.30
 2690 N. G. Clark 1889.4.5
 2691 G. Braithwaite 1889.4.15
 2692 N. G. Clark 1889.4.16
 2693 A. H. Hardy 1889.4.16
 2689は、新潟における会衆派と長老派の実情を語り、その合同への望みを強く新島に伝える書簡である。その後も合同や分裂を繰り返しつつ、現在は会衆派の流れを汲む新潟教会と、長老派系の東中通教会とに分かれている状況であることが北垣会員から説明された。また、Scudder家はインド伝道においてはよく知られる名家であること、H.M.(Henry Martyn)の娘の一人はL. L. Janesの妻となり、不倫騒ぎの当事者となったことも合わせて紹介された。
 2691は、北海道の浦河教会における服部直一の貢献について述べ、その待遇の悪さと改善を訴える書簡。
 2690と2692は、本部のN. G. Clarkからであり、長文の後者においては、教会合同や大学設立問題に関わる問題が扱われている。会衆派における地域教会の独立性を譲れないこととし、長老派化してしまうことを否定しつつも、 ボード自体は会衆派でも長老派でもなく、寄附者にはDodgeのように長老派の者もあることが指摘され、分裂してしまうことを恐れる旨が記されている。また森田久万人らの金銭的支援への協力についても言及があり、おそらく留学(イエール大入学)に関することであろうと報告者は推定した。
 2693は、ハーディ家の息子の方からの手紙で、伊勢時雄に対して結果はおぼつかないが助力する旨が記されている。伊勢が本郷教会の教会堂建築費募集のために渡米しているので、そのからみではないかと報告者は推定した。


開催日時2017年11月17日17時~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者坂本清音・田中智子
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2684~2688計5通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりであり、坂本が2684・2685を、2686以降を田中が担当した。
 2684 D. W. Learned 1889.2.28
 2685 A. H. Hardy 1889.3.4
 2686 D. W. Learned 1889.3.4
 2687 下村孝太郎 1889.3.19
 2688 L. S. Ward 1889.3.27 (to E. Talcott)
 2684は、ハリス理化学校設置に関わる史料であり、極秘事項としながらも、ハリスからの寄附について詳細が記され、新設の学校をどのように命名するかが模索され、イエール大学のシェフィールド科学校の事例が紹介されている。2686は2684の続きで、引き続き校名に関する問題、ハリスによる寄附の用途の範囲などの問題が扱われている。
 2685はハーディ(息子)の書簡であるが、NoyesやBakerについて述べるほか、前月の森有礼の暗殺をうけて、英語でその生涯と事績を紹介する記事(英語使用者が読めるもの)がほしいとねだるくだりが含まれている。
 2687の下村書簡は、やはり理化学校設立に関係するものであり、ロックフェラーの寄附が得られず結局それがアメリカのバプテストの大学に流れたことへの落胆や、新設の学校における教授内容とその教授陣に関わる意見が述べられている。一例として、自分が物理も教えなくてはならない現状があるが、化学には2名の教授が必要であり、化学を専門とする自分もそちらに回るべきであることが指摘されている。
 2688は本文がテキストでは省略されていたので、今回あらたに文字起こしを行った。アメリカの教会からのタルカット宛荷物について、その由来や受け取り方法に関わっての手紙である。ジャパンミッションの会計係ラーネッドが本国から宣教師宛の荷物の窓口となっていたこともうかがわれた。


開催日時2017年10月27日 16時30分~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者坂本清音
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2681~2683計3通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
 2681 E. K. Alden 1889.2.20
 2682 N. G. Clark 1889.2.20
 2683 E. J. W. Baker 1889.2.24
 2682には、新島のキリスト教大学設置構想について触れ、彼の願書(おそらく募金の)が次のミッショナリーヘラルドに掲載される旨が記される。
 2683については、『書簡集』が収録しないBakerの同封短信の文字起こしがあらたに行われ、以前に扱った。また、書簡中に登場する“Iesaburo Wooying”(Bakerに八重からの絹の贈り物を手配)と表記される人物が、初期同志社生徒・上野栄三郎(1857~1924)であることが考定された。大井純一の研究(「上野栄三郎の生涯 : 実業の世界に乗り出した同志社寺町時代の学生」『新島研究』106、2005年)によると、上野は京都出身で、同志社在学中に受洗、上京して津田仙の学農社に学び、仙の長女・琴(梅子の姉)と結婚する。その後、関西貿易会社等、実業界で活躍した。
 この長文の書簡には、不破唯次郎からの書簡(彼の妻の死を伝えるもの)についての言及もなされていた。
 なお、この年(1889年)の年頭以来、新島が神戸にて各方面からの書簡を受け取っていることが、封筒に記載された情報より明らかであるが、山手女学校(現神戸女学院)あるいは諏訪山附近の「和楽園」「快楽園」「遊楽国〔カ〕」などと、書簡ごとに異なって表記されるその場所についての詳細は、引き続き検討すべき課題である。


開催日時2017年9月13日10時~18時、14日10時~18時
開催場所寒梅館会議室6B、6A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者宮地ひとみ・北垣宗治・杉野徹・坂本清音
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2653~2680計28通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。これまで琵琶湖リトリートセンターにて年2回行ってきた合宿を、今回は、同志社キャンパス内に場所を変更して実施し、集中的に解読に取り組んだ。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
 2653下村孝太郎 1890.1.1(『書簡集』に1889年とあるのは間違い)/  2654 M. L. Gordon 1889.1.3/2655 甲賀ふじ 1889.1.5/2656 D. W. Learned 1889.1.5/2657 S. L. Gulick・O. H. Gulick 1889.1.7/2658 F. White 1889.1.8/2659 J. E. Roy 1889.1.11/2660 S. L. Gulick 1889.1.12/2660-a S. L. Gulick 1889.1.7(2660に同封)/2661 M. L. Gordon 1889.1.15/2662 F. A. Noble 1889.1.15/2663 A. D. Goodwin 1889.1.17/2664 N. G. Clark 1889.1.18/2665 O. J. Flint 1889.1.18/2666 O. H. Gulick 1889.1.18/2667 家永豊吉 1889.1.19/2668 S. B. Holman 1889.1.22/2669 C. E. Swett 1889.1.22/2670 M. L. Gordon 1889.1.29/2671 O. H. Gulick 1889.1.31/2672 N. W. Utley 1889.1.31/2673 M. L. Gordon 1889.2.2/2674 下村孝太郎1889.2.3/2675 L. Abbott 1889.2.8/2676 D. C. Greene 1889.2.11/2677 L. Richards 1889.2.14/2678 W. H. Noyes 1889.2.15/2679 C. M. Cady 1889.2.18/2680 C. F. Cutter 1889.2.18
 下村・家永の書簡は、前回に引き続き、ジョンホプキンス大学のシステムを検討しつつ、同志社をどのような学校にするかが模索された過程を示す。
 教会合同問題については、英語表記にて連会・部会・総会といった名称が登場し、ジャパンミッションの組織構成を再考する必要があることが認識された(2671等)。
 前回からの検討事項として、北垣会員から配布されたPrudential Committee の名簿を全員で確認した。
 なお、ゴードンの書簡にWilliam Penn(ペンシルベニア大学創設者)の言葉を印字した同志社専用の便箋が使われていることも話題となった。


開催日時2017年7月21日15時30分~18時00分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者宮地ひとみ
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2652の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
  2652 下村孝太郎 1888.12.31
 今回は、同志社「大学」(その科学校)をいかなる内実をもつものとするか、その設立構想に関わる長大で重要な本書簡の解読にかかりきりとなった。
 下村がロックフェラー(1世、熱心なパブティストとの紹介あり)と話した旨の記載について、このときにロックフェラーの協力は仰げなかったが、やがてこれが3世の時代となった折に、アーモスト館の新館設置(1962年)として実ることが、北垣会員により紹介された。
 本書簡では、ジョンホプキンス大学のカリキュラムが詳細に検討され、一般教育(リベラルアーツ)の重要性が説かれている点に注意が払われた(東京帝大との比較の視点もあり)。また、下村が範と仰ぐラムゼン教授(Remsen)がウィリアムス大学から引き抜かれたことなども紹介され、話題となった。
 またこの書簡について、北垣会員から、新島襄による和文の返事が『新島襄全集』第4巻にあること、それは結局、下村を同志社に招聘する内容になっていることが指摘され、次回研究会において全員で確認することになった。
 なお、解読に先立って、前回扱った2650に登場するアメリカン・ボード運営委員会(Prudential Committee)の委員フルネームに関して、書簡2532の解読結果と 照合し、修正が行われた。再び北垣会員から、W. E. StrongのThe Story of the American Board(The Pilgrim Press, 1910)と題するアメリカン・ボード百年史の付録に、Prudential Committee の名簿が掲載されていることが示唆され、こちらについても次回に全員で確認することになった。
 一方前回に課題とされた、2651の新潟ステーションからの電報に関わる調査・検討結果の披露(本井会員・田中会員担当)に関しては、次回以降に持ち越しとなった。


開催日時2017年7月16日13時00分~17時00分
開催場所烏丸キャンパス志高館SK118
テーマ<はざま>から再考する帝国史
発表者駒込武・田中智子・森本真美・水谷智・並河葉子・木畑洋一・廉雲玉
研究会内容 第12研究会との共催企画である本シンポジウムには、当研究会から2名のスピーカーが登壇した。
 委細については、第12研究会の報告書を参照されたい。

開催日時2017年6月16日 15時30分~18時00分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者宮地ひとみ
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2649-1~2651計4通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
2649-1 S. L. Gulick 1888.12.29
2649-2 J. D. Davis 1888.12.30
2650 森田久万人 1888.12.29
2651  加藤勝弥・D. Scudder〔カ〕 1888.12.30
 2649-1および2649-2の2通は、前回に引き続き、教会合同問題に関わる書簡である。前者はシドニー=ギュリックの書簡であり、デイヴィスと叔父(O. H. ギュリックであろう)への言及がみられる。後者は、そのデイヴィスが新島に宛てた書簡であり、前者に同封されていた。本問題は、次回以降に扱われるシドニー書簡にも継続するので、一連の解読が終了した時点で、経緯を総括したい。
 2650は森田がアメリカ留学に関して新島に宛てた書簡であり、イェール大・ジョン・ホプキンス大といった教育機関名が挙がり、関連人物としてはN. G. クラーク・ゴードン、加藤勇次郎〔カ〕・下村孝太郎・田和民・金森通倫の名が登場している。
 2651は、新潟ステーションより、北越学館における内村鑑三の後任と推定される人材の派遣を要求している電報である。当時の電信システムについての議論があり、文中に名前が登場するのは加藤とスカダーであるが、差出人は加藤と読むべきか、スカダーと読むべきか、あるいは両者と判断すべきなのか、議論がたたかわされた。当該期電報史(新潟発京都着の英文電信に関わる制度)についての知見が必要とされることが確認され、田中会員が次回、調査成果を報告することとなった。一方、新潟ステーションについて長年の研究蓄積がある本井会員が、当時の内村離職問題の文脈をふまえ、同じく次回までにこの問題に迫ってみることとなった。

開催日時2017年5月19日 15時00分~17時30分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者本井康博・宮地ひとみ
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2642(添付書簡)、および2645~2648の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
2642 John Lowe to J. C. Morton 1887.6.8
    (J.C. Berry発新島宛書簡1888.12.14の添付書簡 )
2645 J. Dudley 1888 Christmas
2646 E. J. W. Baker to L. Richards 1888.12.28
2647 S. L. Gulick 1888.12.28
2648 D. Scudder 1888.12.28
 2642の添付書簡については、同志社医学校設立問題に関わり、前回以来問題となっていたモートンやそのエジンバラ人脈の一端を明らかにするものとして、内容の検討がなされた。
 2645については、ダッドレーの筆跡が大変読みにくいことが以前より問題となってきたが、今回、担当者の宮地会員が、書簡のキーワードとなる単語「コンロ」を解読したことで、全体の趣旨が明らかとなり、すべての単語の翻刻へと導かれた。
 2646は第三者間書簡であるため、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)には本文の収録がなかったが、今回あらたに翻刻した。新島宛のベイカー書簡に添付されていたものと想像されるが、どの書簡に付属していたのかをあらためて考察し、収録場所を検討する必要がある。
 2647は前回に引き続き、教会合同問題に関わるシドニー=ギュリックの書簡であった。この後も継続して、本件に関わる新島とのやりとりが行われる。
 2648は新潟ステーションからの書簡であり、北越学館問題の主役たる内村鑑三のほか、金森通倫・小崎弘道・阿部欽次郎・中島末治・森本介石・小谷野敬三など、関連人物の固有名詞が多数確認された。


開催日時2017年4月21日 16時00分~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者本井康博・宮地ひとみ
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2641~2644計4通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。神戸(諏訪山の女学校〔神戸女学院〕、あるいはアッキンソン方)に滞在する新島に宛てられたもの(もしくは回送されたもの)である。
①2641 J. C. Berry 1888.12.12
②2642 J. C. Berry 1888.12.14
③2643 S. L. Gulick 1888.12.21
④2644 S. L. Gulick 1888.12.24
 2642に関しては、添付された書簡(J. T. Morton関係)2通が上記未定稿に収録されていなかったため、新規に翻刻原稿を加える必要が確認された。うち一通(新島襄宛J. T. Morton書簡 1887.6.9)は今回検討したが、もう一通(それに先立つJ. T. Morton宛の書簡)については積み残しとし、次回扱うこととなった。追加された上記書簡においては、同志社の医学教育構想への支援団体であるエジンバラの医療伝道宣教団に関わる記載が注目された。缶詰会社の社長、単なる出資者(佐伯理一郎編『京都看病婦学校五十年史』によれば、結局出資は実現しなかったのだが)と理解されてきたMortonは、同志社の医学教育の内容にかなり立ち入った考えをもっていたのではないかとの指摘があった。また、同宣教団が、新潟のパームバンドに関係を有したかどうかについても質疑応答が行われた。
 2643、2644は、教会合同問題に関わる書簡である。O. H. Gulick同様、合同に反対であったS. L. Gulickから新島に宛てられたものであり、熊本バンドの海老名弾正、市原盛宏、伊勢時雄、あるいは霊南坂教会(小崎弘道牧師時代)といった固有名詞が文中に確認された。