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研究会の活動報告一覧

第3研究 東アジアキリスト教伝道史基礎アーカイヴズの研究
研究代表者:原 誠(神学部)


開催日時2017年10月27日 16時30分~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者坂本清音
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2681~2683計3通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
 2681 E. K. Alden 1889.2.20
 2682 N. G. Clark 1889.2.20
 2683 E. J. W. Baker 1889.2.24
 2682には、新島のキリスト教大学設置構想について触れ、彼の願書(おそらく募金の)が次のミッショナリーヘラルドに掲載される旨が記される。
 2683については、『書簡集』が収録しないBakerの同封短信の文字起こしがあらたに行われ、以前に扱った。また、書簡中に登場する“Iesaburo Wooying”(Bakerに八重からの絹の贈り物を手配)と表記される人物が、初期同志社生徒・上野栄三郎(1857~1924)であることが考定された。大井純一の研究(「上野栄三郎の生涯 : 実業の世界に乗り出した同志社寺町時代の学生」『新島研究』106、2005年)によると、上野は京都出身で、同志社在学中に受洗、上京して津田仙の学農社に学び、仙の長女・琴(梅子の姉)と結婚する。その後、関西貿易会社等、実業界で活躍した。
 この長文の書簡には、不破唯次郎からの書簡(彼の妻の死を伝えるもの)についての言及もなされていた。
 なお、この年(1889年)の年頭以来、新島が神戸にて各方面からの書簡を受け取っていることが、封筒に記載された情報より明らかであるが、山手女学校(現神戸女学院)あるいは諏訪山附近の「和楽園」「快楽園」「遊楽国〔カ〕」などと、書簡ごとに異なって表記されるその場所についての詳細は、引き続き検討すべき課題である。


開催日時2017年9月13日10時~18時、14日10時~18時
開催場所寒梅館会議室6B、6A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者宮地ひとみ・北垣宗治・杉野徹・坂本清音
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2653~2680計28通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。これまで琵琶湖リトリートセンターにて年2回行ってきた合宿を、今回は、同志社キャンパス内に場所を変更して実施し、集中的に解読に取り組んだ。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
 2653下村孝太郎 1890.1.1(『書簡集』に1889年とあるのは間違い)/  2654 M. L. Gordon 1889.1.3/2655 甲賀ふじ 1889.1.5/2656 D. W. Learned 1889.1.5/2657 S. L. Gulick・O. H. Gulick 1889.1.7/2658 F. White 1889.1.8/2659 J. E. Roy 1889.1.11/2660 S. L. Gulick 1889.1.12/2660-a S. L. Gulick 1889.1.7(2660に同封)/2661 M. L. Gordon 1889.1.15/2662 F. A. Noble 1889.1.15/2663 A. D. Goodwin 1889.1.17/2664 N. G. Clark 1889.1.18/2665 O. J. Flint 1889.1.18/2666 O. H. Gulick 1889.1.18/2667 家永豊吉 1889.1.19/2668 S. B. Holman 1889.1.22/2669 C. E. Swett 1889.1.22/2670 M. L. Gordon 1889.1.29/2671 O. H. Gulick 1889.1.31/2672 N. W. Utley 1889.1.31/2673 M. L. Gordon 1889.2.2/2674 下村孝太郎1889.2.3/2675 L. Abbott 1889.2.8/2676 D. C. Greene 1889.2.11/2677 L. Richards 1889.2.14/2678 W. H. Noyes 1889.2.15/2679 C. M. Cady 1889.2.18/2680 C. F. Cutter 1889.2.18
 下村・家永の書簡は、前回に引き続き、ジョンホプキンス大学のシステムを検討しつつ、同志社をどのような学校にするかが模索された過程を示す。
 教会合同問題については、英語表記にて連会・部会・総会といった名称が登場し、ジャパンミッションの組織構成を再考する必要があることが認識された(2671等)。
 前回からの検討事項として、北垣会員から配布されたPrudential Committee の名簿を全員で確認した。
 なお、ゴードンの書簡にWilliam Penn(ペンシルベニア大学創設者)の言葉を印字した同志社専用の便箋が使われていることも話題となった。


開催日時2017年7月21日15時30分~18時00分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者宮地ひとみ
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2652の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
  2652 下村孝太郎 1888.12.31
 今回は、同志社「大学」(その科学校)をいかなる内実をもつものとするか、その設立構想に関わる長大で重要な本書簡の解読にかかりきりとなった。
 下村がロックフェラー(1世、熱心なパブティストとの紹介あり)と話した旨の記載について、このときにロックフェラーの協力は仰げなかったが、やがてこれが3世の時代となった折に、アーモスト館の新館設置(1962年)として実ることが、北垣会員により紹介された。
 本書簡では、ジョンホプキンス大学のカリキュラムが詳細に検討され、一般教育(リベラルアーツ)の重要性が説かれている点に注意が払われた(東京帝大との比較の視点もあり)。また、下村が範と仰ぐラムゼン教授(Remsen)がウィリアムス大学から引き抜かれたことなども紹介され、話題となった。
 またこの書簡について、北垣会員から、新島襄による和文の返事が『新島襄全集』第4巻にあること、それは結局、下村を同志社に招聘する内容になっていることが指摘され、次回研究会において全員で確認することになった。
 なお、解読に先立って、前回扱った2650に登場するアメリカン・ボード運営委員会(Prudential Committee)の委員フルネームに関して、書簡2532の解読結果と 照合し、修正が行われた。再び北垣会員から、W. E. StrongのThe Story of the American Board(The Pilgrim Press, 1910)と題するアメリカン・ボード百年史の付録に、Prudential Committee の名簿が掲載されていることが示唆され、こちらについても次回に全員で確認することになった。
 一方前回に課題とされた、2651の新潟ステーションからの電報に関わる調査・検討結果の披露(本井会員・田中会員担当)に関しては、次回以降に持ち越しとなった。


開催日時2017年7月16日13時00分~17時00分
開催場所烏丸キャンパス志高館SK118
テーマ<はざま>から再考する帝国史
発表者駒込武・田中智子・森本真美・水谷智・並河葉子・木畑洋一・廉雲玉
研究会内容 第12研究会との共催企画である本シンポジウムには、当研究会から2名のスピーカーが登壇した。
 委細については、第12研究会の報告書を参照されたい。

開催日時2017年6月16日 15時30分~18時00分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者宮地ひとみ
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2649-1~2651計4通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
2649-1 S. L. Gulick 1888.12.29
2649-2 J. D. Davis 1888.12.30
2650 森田久万人 1888.12.29
2651  加藤勝弥・D. Scudder〔カ〕 1888.12.30
 2649-1および2649-2の2通は、前回に引き続き、教会合同問題に関わる書簡である。前者はシドニー=ギュリックの書簡であり、デイヴィスと叔父(O. H. ギュリックであろう)への言及がみられる。後者は、そのデイヴィスが新島に宛てた書簡であり、前者に同封されていた。本問題は、次回以降に扱われるシドニー書簡にも継続するので、一連の解読が終了した時点で、経緯を総括したい。
 2650は森田がアメリカ留学に関して新島に宛てた書簡であり、イェール大・ジョン・ホプキンス大といった教育機関名が挙がり、関連人物としてはN. G. クラーク・ゴードン、加藤勇次郎〔カ〕・下村孝太郎・田和民・金森通倫の名が登場している。
 2651は、新潟ステーションより、北越学館における内村鑑三の後任と推定される人材の派遣を要求している電報である。当時の電信システムについての議論があり、文中に名前が登場するのは加藤とスカダーであるが、差出人は加藤と読むべきか、スカダーと読むべきか、あるいは両者と判断すべきなのか、議論がたたかわされた。当該期電報史(新潟発京都着の英文電信に関わる制度)についての知見が必要とされることが確認され、田中会員が次回、調査成果を報告することとなった。一方、新潟ステーションについて長年の研究蓄積がある本井会員が、当時の内村離職問題の文脈をふまえ、同じく次回までにこの問題に迫ってみることとなった。

開催日時2017年5月19日 15時00分~17時30分
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者本井康博・宮地ひとみ
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2642(添付書簡)、および2645~2648の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
2642 John Lowe to J. C. Morton 1887.6.8
    (J.C. Berry発新島宛書簡1888.12.14の添付書簡 )
2645 J. Dudley 1888 Christmas
2646 E. J. W. Baker to L. Richards 1888.12.28
2647 S. L. Gulick 1888.12.28
2648 D. Scudder 1888.12.28
 2642の添付書簡については、同志社医学校設立問題に関わり、前回以来問題となっていたモートンやそのエジンバラ人脈の一端を明らかにするものとして、内容の検討がなされた。
 2645については、ダッドレーの筆跡が大変読みにくいことが以前より問題となってきたが、今回、担当者の宮地会員が、書簡のキーワードとなる単語「コンロ」を解読したことで、全体の趣旨が明らかとなり、すべての単語の翻刻へと導かれた。
 2646は第三者間書簡であるため、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)には本文の収録がなかったが、今回あらたに翻刻した。新島宛のベイカー書簡に添付されていたものと想像されるが、どの書簡に付属していたのかをあらためて考察し、収録場所を検討する必要がある。
 2647は前回に引き続き、教会合同問題に関わるシドニー=ギュリックの書簡であった。この後も継続して、本件に関わる新島とのやりとりが行われる。
 2648は新潟ステーションからの書簡であり、北越学館問題の主役たる内村鑑三のほか、金森通倫・小崎弘道・阿部欽次郎・中島末治・森本介石・小谷野敬三など、関連人物の固有名詞が多数確認された。


開催日時2017年4月21日 16時00分~19時
開催場所啓明館共同研究室A
テーマ新島襄宛英文書簡の解読
発表者本井康博・宮地ひとみ
研究会内容 同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2641~2644計4通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。神戸(諏訪山の女学校〔神戸女学院〕、あるいはアッキンソン方)に滞在する新島に宛てられたもの(もしくは回送されたもの)である。
①2641 J. C. Berry 1888.12.12
②2642 J. C. Berry 1888.12.14
③2643 S. L. Gulick 1888.12.21
④2644 S. L. Gulick 1888.12.24
 2642に関しては、添付された書簡(J. T. Morton関係)2通が上記未定稿に収録されていなかったため、新規に翻刻原稿を加える必要が確認された。うち一通(新島襄宛J. T. Morton書簡 1887.6.9)は今回検討したが、もう一通(それに先立つJ. T. Morton宛の書簡)については積み残しとし、次回扱うこととなった。追加された上記書簡においては、同志社の医学教育構想への支援団体であるエジンバラの医療伝道宣教団に関わる記載が注目された。缶詰会社の社長、単なる出資者(佐伯理一郎編『京都看病婦学校五十年史』によれば、結局出資は実現しなかったのだが)と理解されてきたMortonは、同志社の医学教育の内容にかなり立ち入った考えをもっていたのではないかとの指摘があった。また、同宣教団が、新潟のパームバンドに関係を有したかどうかについても質疑応答が行われた。
 2643、2644は、教会合同問題に関わる書簡である。O. H. Gulick同様、合同に反対であったS. L. Gulickから新島に宛てられたものであり、熊本バンドの海老名弾正、市原盛宏、伊勢時雄、あるいは霊南坂教会(小崎弘道牧師時代)といった固有名詞が文中に確認された。