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研究会の活動報告一覧

第10研究 歴史学の成り立ちをめぐる基礎的研究―現場と公共性―
研究代表者:小林 丈広(文学部)


開催日時2017年12月17日14時00分~18時30分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマわたくしの問題意識の来歴
発表者桂島宣弘
研究会内容 本年度8回目の開催となる今回の研究会は、立命館大学教授の桂島宣弘氏をゲスト講師に迎え、近世思想史研究者としての自身の研究生活の歩みをふりかえっていただいた。また、本研究会のメンバーが中心となり編纂した『京都における歴史学の誕生』(2014年)についてもコメントを頂いた。
 氏が宗教思想や日本宗教史に関心を持つようになったのには、北部バプティスト派の牧師であった父親からの深い影響があるという。青年時代、おりしも盛んであった「解放の神学」や「人間イエス論」などといった宗教観をめぐって、親子は激しい議論をたたかわせた。
 やがて、資本主義とはなにか、搾取や差別のない世界は実現可能か、といった問題意識から歴史学、とりわけ思想史に関心を持つようになり、東北大学工学部から立命館大学日本史学専攻へと3年次編入、立命館史学の門を叩く(1977年)。立命館大学では、衣笠安喜氏に師事し、岩井忠熊氏や山尾幸久氏からも薫陶を受けた。師の衣笠氏は、立命館史学の特徴として「在野史学」であることを何度も強調したという。衣笠氏や掛谷宰平氏をはじめ、立命館史学を支え、発展させた多彩な面々の学風やエピソードの数々も披瀝された。
 また、氏自身の思想史学についても、安丸良夫や子安宣邦から影響を受け、民衆思想や新宗教研究を発展させた時期から、東アジア史というトランスナショナルな歴史研究へと目を向けるようになった時期への変遷も語られた。その背景には、出征した父親の戦争体験の語りがあった。そして、1980年代中頃に韓国からの留学生を受け入れたことが直接のきっかけだったという。
 『京都における歴史学の誕生』については、特に林屋辰三郎を扱った佐野方郁論文を中心に論評を伺った。林屋に関して、「場」に着目して論じた佐野の視点を高く評価しつつも、いくつかの課題を提示された。


開催日時2017年11月19日 14時00分~18時00分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ1930年代の京都府における郷土教育の展開
──小学校教員の描いた地域誌・史
発表者井岡康時
研究会内容 本年度7回目の開催となる今回の研究会は、本研究会のメンバーである井岡康時氏が表題の報告をおこなった。
 氏は本報告で、「郷土教育」の一環として1930年代を中心に展開した、小学校による郷土誌・郷土史の編纂活動を京都府の事例にもとづいてあきらかにし、その位置づけについて考察した。また、そうした専門研究者ではない在野の人びとによる歴史叙述をどのように評価するのか、という問題も提起した。
 「郷土教育」とは、伊藤純郎『増補 郷土教育運動の研究』(2008年)によれば、①当時の田中義一内閣が国民教化策として提唱した「地方研究」、②それに呼応しておこなわれた自治体誌の編纂事業、教育会・小学校による郷土誌の編纂、③柳田國男による『郷土研究』の創刊(1913年)、④柳田の民俗学に影響を受けた「郷土教育連盟」の結成(1930年)、という4つの動きが融合したものだという。
 井岡氏は、当時刊行された小学校編著の郷土誌・史には、(A)データの収集・整理、社寺・史跡などを網羅的に記述した郷土誌・郷土資料・郷土調査の性格を持つものと、(B)児童が読むことを前提にした郷土読本の2タイプがあると分析する。また京都の事例を検討すると、黎明期には「よき郷土人の育成」を「国民的観念」の向上へ導くことが企図されており、国家が前面に押し出されるのは日中戦争期以降だという。ただし、記述内容はかならずしもそのようには変化せず、国家の意思に沿った側面と、自治意識を陶冶しようとする地元教員らの意志との両面が読みとれる。アカデミズムとの関連はそれほど強くみられず、地元の人間が実際に地域を歩いて記述したことがわかる、歴史資料の余白をつなぐようなきわめて興味深い歴史叙述となっているという。こうした1930年代の動きは、大正大典期の町村誌編纂事業とも、大戦後の国民歴史学運動とも連動しておらず、独自のものだと評価ができそうである。
 フロアとの討論では、他の研究会メンバーの先行研究とも比較検討しつつ、活発な議論がおこなわれた。


開催日時2017年10月1日 14時00分~18時00分
開催場所向日市文化資料館
テーマ『未刊「乙訓郡誌」稿』をめぐって
発表者玉城玲子・安国陽子
研究会内容 本年度6回目の開催となる今回の研究会は、向日市文化資料館にての所外開催となった。同館が2016年に刊行した『未刊「乙訓郡誌」稿』について、本研究会のメンバーでもある同館長の玉城玲子氏と、同書の編集・印刷にかかわった河北印刷・安国陽子氏の2氏を講師に迎え、話を伺った。
 『乙訓郡誌』は2つある。刊行されたものと、未刊行のものである。前者は1940年、地方新聞『昭和新聞』主筆・発行者で地元の薬局経営者でもあった吉川民二が、皇紀二千六百年を記念として単独で著述・編纂・刊行したものだ。だがそれ以前、大正末年の郡制廃止にともなって各地で郡誌編纂事業が実施されるなかで企画され、昭和戦前・戦中期をつうじた編纂作業で多くの原稿も揃っていたにもかかわらず、ついに未完に終わったもうひとつの『乙訓郡誌』があった。今回、再発見された原稿をもとに同館がとりまとめ、刊行したのが、この後者の『乙訓郡誌』である。
 研究会ではまず玉城氏が、「未刊「乙訓郡誌」編纂の体制と経過」と題して報告をおこなった。2013年、長岡京の発掘者である故・中山修一の生家の土蔵から同書の原稿が再発見されたことが、今回の刊行のきっかけとなった。中山は同原稿の長岡京前後が欠けていたことから長岡京の調査をはじめ、その発掘にいたったのだという。西田直二郎を監修に迎え、地域の教員らの協力を得つつ編纂された同書の特徴・時代性・意義については、今回書籍として刊行されたことで、考察が飛躍的に進むことが期待される。刊行を機に同館が開始した輪読会も大盛況だという。乙訓全体を視野に入れた同書の歴史叙述の今日的意義や、吉川版『乙訓郡誌』との比較も興味を呼ぶ要素である。
 つづいて、安国氏が「未刊「乙訓郡誌」の内容と構成について─原稿を編集する過程の諸問題と疑問点」と題して報告をおこなった。不完全な原稿をもとに『乙訓郡誌』の全体像を推理し、編み上げていく作業の困難さを伺った。会場には再発見原稿が展示され、実物を手にとって見ながら、参加者との意見交換がおこなわれた。原稿用紙の種類や筆跡によって執筆者を特定できる可能性などが指摘され、今後のさらなる研究の進展を予感させた。

開催日時2017年8月29日 11時00分~18時00分
開催場所奈良町からくりおもちゃ館、元興寺文化財研究所・総合文化財センターなど
テーマ近世のからくりおもちゃの復元について
発表者安田真紀子
研究会内容 本年度5回目の開催となる今回の研究会は、奈良県奈良市の中心部に位置する、奈良町エリアにての所外開催となった。参加者は近鉄奈良駅に集合した後、まず奈良市史料保存館に立ち寄った。同館では常設展示のほか、奈良町にあった芝居小屋「尾花座」に関する企画展示を見学した。
 つづいて、奈良町からくりおもちゃ館を訪問した。2012年、奈良市に寄贈された旧松矢家住宅を活用して開館した同館では、所蔵するからくりおもちゃ(複製品)を来場者が実際に手にとって遊ぶことができる。奈良大学で25年間にわたって教鞭を執り、「実験歴史学」を提唱した鎌田道隆氏からそれらの所蔵品を寄贈されたことが、開館のきっかけであった。館内には工房もあり、体験イベント日には、自然素材を使ってのからくりおもちゃ作りを体験することができる。ゲスト講師の安田真紀子氏は、同館館長をつとめておられ、それらの経緯と現状についてのご報告を伺った。
 安田氏は奈良大学で鎌田氏に師事。同館の所蔵品も、その大部分が安田氏らの手によって復元されたものである。復元作業には、かぎられた当時の文献資料から遊びかたや内部の構造を読み解く苦労や楽しみがあるのだという。また、復元作業をとおして同氏が強く感銘を受けたのは、当時の人々が自然素材の特性を熟知し、その特性を活かした構造や遊びかたを工夫していることだった。
 「実験歴史学」の一環として伊勢参りを復元した「宝来講」ついても話を伺った。実験は、自分たちが履くわらじの稲を栽培するところからはじまるという、徹底したものであった。「宝来講」は25年間つづけられ、「宝来講が来ると春が来る」と沿道の人びとに言われるほどの名物行事となった。こうした取り組みは、文献研究がけっして机上のものだけにとどまらないことを予感させる、きわめてユニークな歴史研究の可能性を示すものだといえよう。
 安田氏の報告の後、参加者は同館から元興寺文化財研究所・総合文化財センターに移動し、同館を見学した。1961年に元興寺が立ち上げた仏教民俗資料調査室が母体となり、昨年11月に同センターが開所した。同センターでは、古文書修復の中心を担っておられる金山正子氏に作業現場をご案内いただきながら、お話しを伺うことができた。


開催日時2017年7月16日 14時00分~18時00分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ近代の〈承久の乱〉像
発表者長村祥知
研究会内容 本年度4回目の開催となる今回の研究会は、京都府京都文化博物館の学芸員である長村祥知氏をゲスト講師に招き、ご自身の中世史研究を踏まえて、承久の乱(1221)について史学史上の位置づけを試みていただいた。
 承久の乱は、武家優位の政治体制が確立する、日本史上の一大画期とされる。後鳥羽院に対し、鎌倉幕府側が勝利して三名の上皇が配流されるという結末に終わったこの事件をどう描くか、後世の歴史叙述を丹念に検証され、そこにあらわれる位置づけの変容を検証した。
 報告ではさらに、明治期における京都の歴史書『平安通志』(1895)における承久の乱の記述に注目し、同書が依拠した史料は何か、また、どのように情報が取捨選択されているかなどについて、刊行されたテキストと草稿とを比較しながら、詳細な検討がおこなわれた。その結果、同書の承久の乱の記述は、その多くを『吾妻鏡』と『承久記』流布本とに負っていることが判明した。また、事実の取捨という面では、北条政子の演説が描かれていないことや、草稿から刊行に際して戦闘叙述が大幅に増補されていることが指摘された。軍勢の配置についても、鎌倉方の記述が粗略であるのに対し、京方のそれは数量なども詳細に描かれている。
 報告のあとは、フロアとの質疑応答がなされた。同氏のアプローチは本研究会にとって非常に示唆に富むものであり、活発な意見交換がおこなわれた。


開催日時2017年6月18日 14時00分~18時00分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ安丸思想史の射程
発表者福家崇洋
研究会内容 本年度3回目の開催となる今回の研究会は、福家崇洋氏(富山大学)に民衆思想史を代表する研究者であった安丸良夫について、その思想史を貫く「意識と全体性」を軸に、思想史的分析をおこなっていただいた。
 報告にあたって、福家氏は、安丸の生まれ育った富山県東砺波郡高瀬村森清(現在の南砺市)を実際に訪れ、歩いたという。研究会当日は当地の地図や写真も配付され、参加者は、具体的なイメージを思い浮かべながら報告を聞くことができた。たとえば、安丸は故郷を回顧して、浄土真宗の信仰が非常に盛んだったことを述べている。しかし、実際に森清周辺を歩いてみると、神明宮が多くみられるなど、安丸の回想とは別の発見があったことも紹介された。
 さて、安丸思想史といえば、「通俗道徳論」というイメージで語られることが多いが、福家氏は、そのように両者を直結させることに疑問を呈する。氏は、安丸思想史を年代別に計4期に分け、その変遷を緻密な調査をもとにたどっていく。安丸の通俗道徳論には大塚久雄の影響が大きく、その初期においては、通俗道徳は生産力とセットになって語られていた。
 安丸の思想にとってもうひとつ重要な概念として、「可能意識」が挙げられる。もともとはL・ゴルドマンの言葉であるその概念は、やがて民衆宗教研究をつうじて、安丸に「唯心論的な世界解釈」、ひいては「全体性(コスモロジー)」と「社会的意識形態」という問題関心を導くものとなった。そして、当初は歴史の変革主体として想定されていた「民衆」が、「共同的」主体へと再設定されていったのだと福家氏は指摘した。
 報告のあとは、フロアとの質疑応答がなされた。緻密かつ網羅的であった福家氏の報告を受け、議論の内容も多岐にわたったが、1990年代以降の安丸を歴史学の立場からどのように評価するかなど、忌憚のない意見交換がなされた。


開催日時2017年6月6日 13時30分~18時00分
開催場所京都市歴史資料館
テーマ湯本文彦関係資料について
発表者秋元せき
研究会内容 本年度2回目の開催となる今回の研究会は、本研究会のメンバーでもある京都市歴史資料館の秋元せき氏が、同館所蔵の湯本文彦関係資料について報告をおこなった。本年度最初の学外開催となり、当日の出席者は報告者を含め7名。全員が研究会メンバーであった。
 京都府の官吏であった湯本文彦(1843-1921)は、日本における自治体史の嚆矢となる『平安通志』(1895)の刊行を発議し、編纂主事をつとめた人物である。京都市歴史資料館には、同書の稿本など彼の遺した大量の資料が御子孫にあたる上野氏より寄贈され、保管されている(「上野(務)家文書」)。本研究会は、同資料の整理を目標のひとつに設定しており、今後、同館の協力を仰ぎながらどのように研究を進めていくのか、秋元氏による資料概要の報告を踏まえ、検討することとなった。
 京都市歴史資料館では、1997年から98年にかけて、同資料の第一次調査を実施した。結果、資料の一部がマイクロフィルム化され、現在、紙焼きの写真帳という形で閲覧が可能となっている。しかし、撮影されたのはまとまって保管されていた冊子など一部に限られ、書簡類など未撮影の文書が大量に残されている。今回はその中でも大きな木箱に収納された文書類の整理に取りかかり、おおまかな分類を行った。その結果、木箱には稿本類や日記など貴重な一次史料が含まれていることが判明した。
 今後については、研究会としてどのような形で整理や撮影などを進めるか、同館と協議しながら検討することになった。また、作業の合間を利用して、今年度後半の報告スケジュールについても話し合った。


開催日時2017年4月9日 14時00分~18時00分
開催場所同志社大学徳照館201号室
テーマ労働問題としての発掘現場
発表者本田次男
研究会内容 第11回目の開催となる今回の研究会では、新年度最初の開催ということで、まず、第19期研究会活動報告書をもとに昨年度の本研究会をふりかえり、今年度の計画について話し合った。昨年度は5月から3月までの間に計10回の研究会を開催し、各メンバーはそれぞれ自身のテーマに関わる史料調査を進めた。今年度は、それらの成果を活かしながら、これまで取り上げることができなかった分野や、研究会メンバーによる報告を積極的に行うという方針が示された。また、本研究会と関連して、科学研究費の申請内容について小田龍哉が補足説明をおこなった。今年度以降の計画としては、元興寺文化財研究所など関係施設の見学や、研究会メンバーによる報告、合評会、史料調査、シンポジウムなどが具体的に挙げられた。
 つづいて、かつて京都市埋蔵文化財研究所につとめておられた本田次男氏(現在「きょうと夜まわりの会」)をゲスト講師に招き、氏が携わった埋蔵文化財発掘現場について労働問題の視点から報告いただいた。
 本田氏は、1982年に京都市埋蔵文化財研究所の臨時職員に採用され、調査補助員として発掘現場での作業にあたることになる。同年、氏は組合を立ち上げ、賃金格差の是正や、交通費の支給、社会保険への加入などを実現させていく。組合を立ち上げた氏は均等待遇を求めていたが、組合の方針は正職員化となり、1989年には臨時職員のうち41名が正職員に採用された。氏が運動を始めた当初は、周囲の労働環境への関心は高いとはいえず、臨時職員は考古学を学んでいるボランティアのように考えていた管理職もいたという。氏は1992年に埋文研を退職された。
 報告は途中から、フロアとの応答方式で進められた。活発な議論がおこなわれたが、特に、考古学を専門とするメンバーが学生時代にアルバイトした現場での事例や、自治体での勤務経験を紹介し、本田氏の活動と比較することで、1980年代の労働運動をめぐる雰囲気や、以降の時代における変化が浮き彫りになった。