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第1研究 キリスト教と日米地域社会の形成 研究代表者:原 誠(神学部)<2016年4月-9月>、吉田 亮(社会学部)<2016年10月- 2019年3月>

1980年代以降とだえかけていた人文研における教会研究の流れを復活させる。資料収集や研究の達成状況を把握した上で、今日的視点から地域の教会設立・伝道史を再考し、当該研究領域の再生を図る。一方、継続的に行われてきた移民史研究であるが、今回は、第二次大戦期のアメリカを舞台に、日系キリスト教団体による収容所「外」での日系移民二世教育活動について、地域社会との関係を視野に入れて考察する。
以上2方向の研究成果を、個別分散的な研究に終わらせることなく、「キリスト教」「地域社会」という共通のキーワードによって結び付け、両者の比較史的な検討を通じ、今後の「キリスト教社会問題研究会」全体としての課題設定の足掛かりとすることが目標である。

2018年度

開催日時 2019年3月9日 15:30~18:00
開催場所 渓水館103
テーマ 1940年代のハワイ日系二世と非常時奉仕委員会: 准州会議の議事録より
発表者 物部ひろみ(同志社大学)
研究会内容  発表者(物部ひろみ)は、太平洋戦争中ハワイにおいて日系二世のエリートたちによって結成された民間団体「非常時奉仕委員会(Emergency Service Committee, ESC)の活動について報告した。米軍のMorale Committeeの傘下にあったESCは、中国系、韓国系、フィリピン系など他のエスニック・グループと共にハワイ全体を戦時体制のなかで一丸とさせ、日系社会と軍部との橋渡し役を担い、日系人のアメリカ化を啓発させ、また日系人の支援活動を行っていた。ESCができるまでの経緯として、ウォルター・F・フレア元知事やロバート・シバースFBIハワイ支部長とシュンゾウ・サカマキやジャック・ワカヤマなどの白人指導者と日系二世リーダーたちとネットワークや日系人独自のネットワークが報告の中で紹介された。次に、発表者はESCに関連した会議を挙げた後、ESCの目的を説明し、メンバーについて紹介し、彼らの多くが戦前に布哇日本人公民協会(Hawaiian Japanese Civic Association)の幹部であったことに言及した。さらに発表者はESCの活動内容と准州会議(Territorial Conference)での議論内容を示した。
 報告後、質疑応答が続いた。会議の組織構成、役割、予算、重要性について、「民主主義」の捉え方と実態、日系文化への対応、ハワイのリベラルプロテスタントとの関係に関するものであった。
開催日時 2019年2月16日 15時半~18時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 日系人の再定住政策
―Japanese American Bulletinを通してみる松本亨の言説―
発表者 松盛美紀子
研究会内容  発表者が研究対象として扱う松本亨は、日米戦争時のアメリカ合衆国では敵性外国人であったにも拘らず、日系人再転住委員会(The Committee on Resettlement of Japanese Americans, CRJA)の委員を務めていた。本共同研究において発表者は、松本亨が日系人再転住委員としてどのような役割を担ったのか、日系アメリカ学生転住審議会(National Japanese American Student Relocation Council)による二世大学生の転住政策にどのように関わったのかを明らかにすることを目的としている。そこで本報告では、北米日本人基督教学生同盟(Japanese Student Christian Association in North America)発行の会報Japanese Student Bulletin(1938~1941年刊行分)に掲載された松本亨の論説を分析することで、日系人救済活動の源泉となる松本の思想的背景を整理した。
 報告では、まず、松本亨が執筆した著書の内容と各特徴を紹介した。Beyond Prejudiceは日系人再定住委員会の活動を記録したもので、日系人の転住・再定住政策とプロテスタント教会の関係や、教会の強制収容に対する姿勢、宗派を超えた支援、二世牧師の存在が示されている。A Brother is a Strangerは、自叙伝の形式をとり、松本亨の生い立ち、再定住政策の委員就任時代(1945年頃まで)のエピソード、松本亨による日本社会や日本文化の分析が示されている。その他の小説や学位論文の分析は、発表者の今後の課題とされた。次に、Japanese Student Bulletinの論説を分析し、北米日本人基督教学生同盟の内容や会員を整理することで同団体の超教派的な特徴を明らかにした。さらに、松本亨が抱く時代認識、二世観、キリスト教信仰について考察を深めた。
 総括では、JSCAとYMCA関連団体との組織間の親密な結びつきに加えて、JSCAの総主事であった松本亨と各団体幹部との人的交流なども、松本が転住審議会の委員に推挙された可能性の一つとして示唆された。本報告の分析は、松本亨を委員に推挙する背景の重層性と、松本のキリスト教信仰やキリスト教観を理解するための道筋を示すものとなった。
開催日時 2019年1月12日 16時30分~18時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 日系アメリカ人女性仏教徒によるネットワーク構築
発表者 本多 彩(兵庫大学)
研究会内容  発表者(本多彩)は、アメリカ仏教会婦人会に集まる日系アメリカ人一世と二世の女性たちによる戦前・戦後期仏教ネットワークの構築過程とその構築の要因を報告した。まず、発表者は、仏教会の女性ネットワークが明治時代(1882 年)に女性が仏教を学ぶ場の女人講、女房講、尼講に起源があることを仏教会女性ネットワーク構築の背景として述べた。次に、発表者は『シアトル仏教婦人会議議事録』と福間誠幹「浄土真宗本願寺派仏教婦人会の歩み」から明らかになった日系アメリカ人のネットワーク構築と広がりについて説明した。それは、1930年代後半から地域間ネットワークが築かれ、1950年代〜1960年代に全米ネットワークが築かれていく過程であった。その後、発表者は仏教婦人会のネットワーク拡大を可能にした要因を述べた。その要因は、門主の海外巡教と門主の妻の婦人会総裁への就任により本山と連関できた点、身近な課題を忌憚なく話し合った点、彼女たちの実行力、婦人会の安定した財政、他の教化団体や開教師や会員との良好な関係である。最後に、発表者は日本側の資料をさらに精査することを今後の課題とした。
 質疑応答では、まず、研究代表者が発表者の研究成果について、本共同研究のテーマである越境と連関できているとして肯定的に評価した。質問は、婦人会の幹部であった門主の妻たちの出身家系、仏教婦人会の活動への決定権の自由度、仏教婦人会における牽引する存在、収容所における宗派を超えた合同礼拝、それに関連し収容所の合同礼拝の経験と宗派を超えた教えの関連について尋ねられた。それに関し、研究代表者は、日本の宗派主義とアメリカの超教派主義の違いと日米のキリスト教における牧師の力関係の違いについて言及した。また、日米における仏教女子青年会の成立を確認する質問がなされた。
開催日時 2018年12月15日 15時~18時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 第二次大戦期日系アメリカ人の強制収容と湯浅八郎
発表者 吉田亮
研究会内容  第二次大戦期、強制収容の対象となった日系アメリカ人に対して救済活動を展開したキリスト教諸団体・個人の中には、戦争勃発によって帰国できなくなった日本人キリスト教徒が含まれていた。本発表は、その事例として、湯浅八郎を扱い、彼が救済活動に従事するようになった経緯、活動の内容、その意義を明らかにするためのものであった。
 発表者は、まず、戦前期における湯浅のアメリカでの活動とアメリカ観を、その上で、彼の日系人救済活動を説明した。本発表によって明らかになったことは、まず、湯浅が戦前期において、アメリカ・プロテスタント・リベラルの考える「エキュメニズム」「平和観」の代弁者としての活動を、「キリスト教的友情」「キリスト教的外交官」という言葉を駆使して行っていたことである。しかし、その際に、湯浅はアメリカ・プロテスタントの世界観に100%賛同していたのではなく、むしろ批判的であったことである。次に、戦中期における日系人救済活動においては、アメリカ・プロテスタントの救援活動に加わり、主要に日系人が収容された各地の転住センターを回り、講演・カウンセリング活動を行っていた際には、日系人こそがのアメリカを真の民主主義国家に再建できる担い手であるとして、現行のアメリカ民主主義に批判的な立場を表明したことである。以上から発表者は、湯浅の上記の体験から生み出されたキリスト教的「民主主義」観から、戦後日本での湯浅のキリスト教教育機関再建活動をとらえ直す必要があると、締めくくった。
 発表後、活発な質疑応答が約1時間行われ、研究会が終了した。
開催日時 2018年8月6~7日 12時~12時
開催場所 京都ガーデンパレスホテル
テーマ 1940年代アメリカ日系宗教の教育社会史
発表者 吉田亮、竹本英代、物部ひろみ、本多彩、根川幸男、高木(北山)眞理子、高橋典史、
松盛美紀子、志賀恭子
研究会内容
1)
吉田の発表:1940年代は越境という概念の変容時期である。本研究は、ニューヨークにおいて、日米両国の日本人(日系人)に対する越境教育・支援活動から、反ファシズム・民主化を進める白人プロテスタントと日本の敗戦復興の間における日系プロテスタントの越境戦略の特徴を検討する。本報告では、1) 戦時下日系人への教育・支援活動、2) 現地社会・日系人の民主化のための教育・支援活動3) 戦後日本復興のための教育・支援活動の観点から、これらの活動内容、設立や企画の経緯、構成員、募金と寄付、構成員について報告された。そのなかで、日系キリスト教会に仏教会員による日系キリスト教会への寄付や、音楽を介して多人種団体との交流が明らかになった。そのことは、日系キリスト教徒が多文化共生の先駆け的存在であったこととして着目される点である。そういった点から、本報告は、人種、文化、民族、宗教、国籍の違いを越えて協力体制を築きながら、アメリカが望む世界の民主化像を日系キリスト教徒が形成していたことを特徴づけた。
2)
竹本氏の発表:発表者は、2016年度の報告では杉町八重充について、2017年度の報告では司法省のクリスタルシティの収容所について発表を行った。発表者は、1940年代の全体像を把握するために、杉町八重充に重点を戻して、杉町の自伝的な著書と他の資料とを照合しながら日本語学園システムの成立過程の考察結果を報告した。本報告は、杉町の社会事業家としての手腕と、彼の道徳教育の目的を明らかにした。また、発表者は、アメリカ式の成績表を日本語学園協同システムの成績表に導入している点について触れ、杉町の日米における教育観について掘り下げることを今後の課題とした。
3)
物部氏の発表:本報告は、全体構成の序論となる1946年に発刊されたFinal Reportについて発表された。発表者は、Emergency Service Committee(ESC)に関わりのあるシゲオ・ヨシダの生い立ちと、彼のESCに従事するまでの経緯を説明した。続いて、ESCの部署、ESCの主な内容、シゲオ・ヨシダと関係していた白人有力者、中国人、日系人について説明がなされた。しかしながら、プエルトリコ人や韓国人など、白人以外の人種との協力関係については現段階では確認できなかったようである。彼らの活動内容を説明するなかで、ハワイでは異人種間交流や宗教の違いを越えた交流は少なく、日系人だけで活動がなされていたことが考察結果となった。
4)
本多氏の発表:シカゴでは、1944年に2つの仏教会が開設された。一つは、河野行道が開設した本願寺派の中西部仏教会、もう一つは久保瀬暁明が開設した大谷派だが無宗派のシカゴ仏教会である。
発表者は、日系人が収容所からシカゴへ転住すると共に仏教が展開する過程と、シカゴにおいて仏教会が設立される過程と、それらの活動内容について報告された。結果として、仏教会の設立にあたり、戦前は一世が仏教会青年会の中心を担っていたのに対し、転住先のシカゴでは二世が設立を成し遂げた点が特徴づけられた。もう一点の特徴として、二世僧侶によって、無宗派の仏教会が登場し、メソディスト教会との交流があった。発表者は、これらの特徴に注目して、世代・宗派を越える視点から1940年代の仏教会設立についての考察を行った。
5)
松盛氏の発表:第1回日米学生会議に参加しアメリカに留まった松本亨は、抑留生活を送る日系アメリカ人の救済活動に携わった。発表者は、松本亨が日系人再転住委員会の一人として担った役割と、松本の日系アメリカ学生転住審議会による二世大学生の転住政策との関わりについて報告した。そのなかで、松本の略歴、キリスト教と英語との出会い、渡米、学生キリスト教運動への参加、北米日本人基督教学生同盟(JSCA)の目的、組織、会員構成、総主事、松本亨の書簡、著書の内容について説明がなされた。報告において、発表者はJSCAの超教派性と、松本のキリスト教系学校教育に携わりたいという意向、ルーマン・J・シェイファーから後押しが考察結果として明らかになった。
6)
高木氏の発表: シアトルには5つの日系教会があった。発表者の前回の報告は、日系バプティスト教会(JBC)のエメリー・アンドリュース(Emery Andrew)牧師(アンディ、Andy)について、彼の日系コミュニティに対する貢献、すなわちエスニックの壁を越えて日系への差別に対して日系人に寄り添いつつその盾になろうとした行動に焦点を当てた。今回の報告では、『恩寵―ブレーン・メモリアル・メソヂスト教会創立六十周年史』<ブレン・メモリアル・メソヂスト教会創立六十周年史編纂委員会1967年>を基に、シアトルでJBCに次ぐ長い歴史を持ち、今も日系礼拝を持ちつつ存続しているブレイン・メモリアル・ユナイテッド・メソディスト教会(Blaine Memorial United Methodist Church)の戦中と戦後の歩みと特徴を述べた。特に発表者は、この教会にいかにしてブレイン(Blaine)という名前がついたのか、その経緯に対する関心を述べ、現時点でわかることを説明した。先ずは、戦前、婦人ホームが必要となった際にFirst Methodist Churchの援助によって使用できるようになった建物に、Blain Homeと名前がついていることを述べた。次に戦中における教会の立ち退きの際、この日系教会の建物がどのように保持されたのか、シアトルのFirst Methodist Churchとの関係と、Mr. Blaineの働きを強調した。そして戦後どのようにして教会の名称変更がなされたのかを述べた。これらの結果から、1945〜50年にかけての超人種観と、彼らの越境的伝道使命についての考察も報告された。
7)
高橋氏の発表:本研究では、ハワイにおける神道系新宗教教団である天理教と金光教の1940年代の活動について、「越境性」と「周縁性」という観点から、日米戦争の時代状況下の展開と存続の困難性に着目する。ハワイにおいて「国家神道」と同一視された神社神道のあり方との差異や日系移民社会における社会的役割を明らかにする。ハワイにおいては、これまで日系人の仏教、神道、キリスト教などの研究は蓄積されているが、発表者は弾圧されてきた新宗教を埋めることに貢献を試みている。両教団は、独自のネットワークを持ち、布教に積極的であった。
発表者は、まず、先行研究の検討と両教団の特徴をみていくなかで「セクト性」を見出した。次に、労働移民として渡米した信者たちの布教活動や、教会設置について触れる両教団の展開過程、海外布教のための教育、両教団の特徴について触れた。日系社会では、両教団についての偏見があったため、信仰を隠すため他の宗教の重複信者がいたことも明らかになった。日米戦中期、両教団は危険視されたため、信者数が激減した。戦後、両教団は国家神道体制の教派神道から脱して、日本の本部への団体参拝や連絡を取り合い、女性布教師の活躍や病気治しなどから徐々に信者数を増やしていった。幹部は男性中心であったが、女性が活躍できる場となっていた。発表者は、両教団の日系移民社会における周縁性のみに注目して検討することの難しさがあったものの、戦後、両教団が速やかな活動再開をできたのは、日本の本部からの支援とともに、独自の周縁性と越境性が影響していたことが考えられる。
8)
根川氏の発表: 発表者は、まず本論の章立てを紹介した。Y.K.の生い立ちと史料紹介をした後、父の再婚に伴い一家で1950年代初頭にサンパウロに転居した先での生活の変化について述べた。Y.Kは、1940年代初め、K家は神生紀元という宗教を信仰していた。発表者は、Y.Kの日本語自習帳となっていた(父親の添削付き)日記の抜き書きや彼女の絵や落書きを披露し、彼女の父親が農村で炭焼き職人として生活をしていた1942−46年代までの「森の生活時代」における日本に関する表象、戦争の表象と神生紀元の信仰生活について報告した。夜のジャンタと呼ばれる祈祷の後に見られた霊視について、彼女の絵と共に紹介された。絵日記から、Y.Kは日本が勝利している幻をみていることが分かった。最後に、発表者は、今後の課題や検討について述べた。
9)
総括(志賀担当):研究プロジェクトの研究成果として以下を確認した。本プロジェクトは、越境と宗教を特徴づけることを鍵とする。
  • 1940年代は越境が否定された時期もあるが、その時期については、越境が消失あるいは変化した理由や背景を描くようにすることを課題とする。
  • 言語、地域性、世代、時期も留意しながら宗教を言及する。地域比較も目玉。特に、アメリカ合衆国の場合は、地域差に注目がいくように心がける。
  • (合宿中に配布した執筆事項p. 1を参照)①宗教(キリスト教、仏教、新宗教)、②地域(日本、ハワイ、合衆国本土、ブラジル、または複数地域の関係)、③世代(一世、二世、帰米二世、在日二世、日本人、白人他)、④言語(日本語、英語、ポルトガル語)、⑤性差、⑥1940年代(戦中、戦後)①〜⑥のどれに力点を置くのか検討し、それを前面に出す。
  • 本プロジェクトの主軸である戦中から戦後の越境の変化を描き出すために、全プロジェクトメンバーは、上記の⑥を射程に入れる。

2017年度

開催日時 2018年3月17日 15時半~18時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 日系人の再定住政策―松本亨とキリスト教主義を中心に―
発表者 松盛美紀子
研究会内容  本発表は、第二次大戦中、強制収容された日系人の救済のため、再定住支援活動を主導する重要な役割を担った一日本人(松本亨)に関する研究であり、今回は特にそうした再定住支援活動の指導者に松本が抜擢された背景を明らかにしようとするものである。松盛氏によると、以下の背景が理由として考えられると指摘する。先ず、松本がJapanese Student Christian Associationの総主事として活躍した時期につくった人脈が考えられる。特に重要なのはLuman J. Shafer(元日本宣教師、改革派外国伝道協会、北米外国伝道協議会日本委員会委員長)が同団体の諮問委員・顧問のひとりであったことである。Shaferこそは、松本に、改革派教会への入会を勧め、松本が按手礼を受けるに際して特例措置をとるように改革派教会に働きかけた人物であった。次に、結果として松本は牧師に就任し、現地プロテスタント超教派による日系アメリカ人再定住委員会主事に任命されることになった。また同団体の主事としての実蹟が認められ、松本は、北米外国伝道協議会から期限付き宣教師として、1949年、明治学院に派遣され、同学院の戦後再建を担うことになったのである。
 質疑応答では、松本が総主事に就いていたJSCAでの実蹟の中身について、Shaferと松本との関係を直接的に証明する史料の存在について、松本が日本の復興に当たって「英語」を道具として使用した理由について質問が成された。また、松本が改革派とつながっていくのは、彼が明治学院やユニオン神学校出身者であったこととも関連しているし、明治学院時代の在日宣教師との交友関係他が影響している可能性についての質問も出た。
開催日時 2018年1月20日 15時半~18時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 1940年代シカゴの日系仏教会―2人の開教使を中心に
発表者 本多 彩
研究会内容  本発表は、第二次大戦中にシカゴに設立された2仏教会(シカゴ仏教会、ミッドウェスト仏教会)による設立当時の活動について、それぞれの仏教会創設の中心人物である開教使の足跡に注目しながら検討することを目的としている。発表の概要は以下の通りである。先ず、シカゴ仏教会の創設者である久保瀬暁明は、サンフランシスコ生まれ、日本留学時に暁鳥敏の師事したことが、久保瀬を中心とする当教会の特性を大きく規定した。1944年にハートマウンティン収容所から出て、シカゴに転出し、仏教会を設立した。久保瀬は、「超宗派的のアメリカ仏教」を展開し、アメリカ文化に貢献するという考えのもとで、諸活動を組織した。そのため、現地キリスト教界とも連携して再定住者支援活動に従事した入り、花祭りプログラムとしてHanamatsuri Wesakをシカゴ大学で開催するなど、アメリカ産仏教の創出・展開に尽力した。次に、ミッドウェスト仏教会の設立を主導した河野行道は、広島の寺院にお希、跡取りであったが、38年に渡米し、ハンフォード仏教会に勤めた後、収容所を経て1943年にシカゴに到着、44年にミッドウェスト仏教会を創設した。日本産仏教のアメリカへの移植という考えに立ち、再定住者を主要構成員とする仏教会を展開していった。特に二世に注目し、仏教青年会活動を活性化し、さらに東部の仏青の組織化にも尽力した。
 質疑応答では、シカゴという土地柄が仏教会の特徴に及ぼした影響についての意見交換、仏教会とキリスト教会による再定住支援活動の比較、戦前西海岸の仏教会とシカゴのそれとの比較、シカゴの仏教会と戦後西海岸の仏教会とのつながりに関する質問がなされた。
開催日時 2017年12月16日 15時半~18時
開催場所 寒梅館2B
テーマ 第二次大戦期アメリカプロテスタントの日系人「社会統合」活動
発表者 吉田亮
研究会内容  本発表は、アメリカのリベラルプロテスタントによる第二次大戦期日系アメリカ人再定住支援活動の実態とそこで目指された「社会統合」の意味合いを明らかにしようとするものであった。事例として、ニューヨーク日系アメリカ人教会委員会による同活動を検討した。その特徴は第一に、当時のリベラルプロテスタント同様、政府の戦時転住局と連携し、アメリカの民主化再興を目標とし、日系人の再定住と当該地域コミュニティへの「社会統合」のために必要な活動を、当該地域コミュニティの教会を基点に展開するものであった。そのために、社交プログラム、就職や住居斡旋、地域教会への参画のための諸活動を行っていた。第二に、他のリベラルプロテスタントによる活動と違い、日系コミュニティの人的・経済的資本に大きく支えられ、日系人の当該地域コミュニティへの「統廃合」を最終目的としていなかったことである。当時の「社会統合」の一般的解釈では、日系コミュニティ・教会が再定住者によって再構築されるのではなく、当該地域コミュニティ・教会に併合されて消失するという、「シカゴ型」が支配的であった。それに対し、ニューヨークの事例では、日系コミュニティや教会の存続と、当該地域コミュニティや教会との共存・協力関係の形成が目指されていた。その点において、本事例は、従来の「社会統合」に関する一元的な解釈に挑戦する意味合いをもっている、というのが発表者の結論であった。
 発表後、特に日系教会の「白人」教会への統合運動が持つ歴史的な意味(戦後の日系人教会史の解釈においてを含む)や、当該問題に関する地域間(カリフォルニア、イリノイ、ニューヨーク)の違いに関する質疑応答がなされた。
開催日時 2017年11月11日 15時半~18時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 1940年代ハワイの神道系教団の変容における二世信者の役割についての検討
発表者 高橋典史
研究会内容  本発表は、1940年代ハワイにおける神道系(天理教、金光教)教団による活動を二世に着目して明らかにしようとするものである高橋氏の研究テーマの一部をなすものである。高橋氏は先ず、神道系新宗教教団の活動のもつ「越境性」と「周縁性」に着目してその特徴を明らかにする、と研究目的を提示した。次に、1930~40年代の信徒達の動向についての研究は未踏査であると、先行研究を総括し、本論で以下の点を述べた。先ず、二教団のポジショナリティとして、対象教団の概要、布教略史、「セクト」性、ハワイ日系宗教の状況を概観、次に、二教団の1950年代までの展開過程の特徴である。発表の総括として、以下の点を指摘した。第一に、神社神道と天理教・金光教の差異として、前者は移民コミュニティの主導権、後者は少数信者の個人的な信仰・実践と拘わっている点がある。第二に、天理教と金光教の共通点として、現世利益的な呪術性、日本との越境的ネットワークの存在(植民地布教との連動性も)、移民社会の周縁部にいた信者達、女性の活動の顕著さ、二世の活躍時期の遅さである。一方で差異として、組織・信徒数のスケール、布教のスタイル(天理教は動的で、金光教は静的)である。第三に、越境性と周縁性について、二教団は国家ベースよりも宗教固有の越境的ネットワークを持ち、特に日本の教団本部に加えて親教会との密接な関係性が特徴である。また信者の階層性として貧病争の困難を抱えがちな周縁の人々を惹きつけた、とする。
 質疑応答では、越境性の特徴、女性リーダー、一次史料に関して集中的に行われた。
開催日時 2017年8月7~8日 12時~12時
開催場所 京都ガーデンパレスホテル
テーマ 1940年代アメリカ日系宗教の教育社会史
発表者 吉田亮、東栄一郎、竹本英代、物部ひろみ、本多彩、根川幸男、高木(北山)眞理子、
松盛美紀子、志賀恭子
研究会内容 1)吉田 亮:「1940年代の日系プロテスタントとアメリカ社会(4)―ニューヨークの日本復興支援活動を中心に―」
 本発表は、ニューヨークにおける1940年代の日系プロテスタントの日本復興支援活動に焦点を当てることにより、日系プロテスタントと日系社会の再建や、日系プロテスタントと日本復興活動から越境性を探ることを目的としている。今回の報告では、1942年よりニューヨークに再定住する日系人の状況、日系人コミュニティの戦後復興活動を率先した人物や彼らの活動内容を明らかにした。戦後のニューヨークの特色として、日系人の再定住者の増加、現地社会の支援、日本に物資を送ったララの傘下である日本救済紐育委員会、(元同志社総長)湯浅八郎、清水宗次郎、高見ラドルフドクターや本間岩次郎の率先活動、反ファシズムのなか民主化の過程が窺えた。彼らは、聖書を日本に送りキリスト教化することで民主化を図ろうとした。ニューヨークでは祖国日本への復興支援活動を通して、教派や人種を越えた交流がなされた。また、その状況を見る中でリベラルプロテスタントの高いアメリカ化能力・協調性が証明されたといえるであろう。

2)東栄一郎:「太平洋戦争中の在日北米二世のアイデンティティの意味と活動」
 これまで、占領期にアメリカへの反逆罪で裁かれた人物や、日本兵として戦った二世に関する研究が存在するなかで、本研究は、二世がいかにして日本で日本人化を強いられ、いかに敵国アメリカのアイデンティティを保持しながら活動したのか、その過程を明らかにする。在日二世は日本国家から脅され、地域社会から監視され、同化を迫られていた。それは在米二世も同様である。そのため、彼らは英語と日本語の言語能力を使って戦争に役立つ人間として、広報、ジャーナリスト、語学関連、出版業界に従事した。国家に仕えることを強要されてきた二世を追うことは、日米融和的交流が存在しえない戦時下で「架け橋」の概念の変貌を問い、戦時中の二世の意味を探ることである。発表者のこれまでの主な研究活動は、研究対象が執筆したコラム、書簡、FBIファイル、戦中と戦後の関連出版物、軍関係の史料、ハワイにおける月刊誌や新聞など、史料蒐集を行ってきた。

3)竹本英代:「司法省管轄抑留所の教育事情―クリスタル・シティ抑留所を中心に―」
 第二次世界大戦中、問題を起こす者として見なされたアメリカ市民権を持たない日系人は、強制収容所から連邦政府司法省管轄の抑留所に転送された。発表者は、1942年12月に開設され1947年12月に閉鎖されたテキサス州のクリスタル・シティ抑留署に焦点を絞る。本研究では先行研究ではまだ使用されていない国立国会図書館所蔵の『アメリカ合衆国被収容者名簿―テキサス州クリスタル収容所―(名簿)』からクリスタル・シティ抑留所の教育事情を再検討する。クリスタル・シティの収容所には、2000人の日本人家族、1000人のドイツ人、若干のイタリア人がおり、自治会、公立学校と日本語学校が存在した。発表者は、クリスタル・シティ抑留所の概観を述べた後、その公立学校と日本語学校の教育状況【組織、教育部の各長を務めた人、青少年団と少女団としての青少年教育、中等教育をみるための弁論大会の題目】についてこれまで明らかになったことを報告した。その結果、名簿から宗派が異なる開教使がクリスタル・シティ抑留所で教育を先導したことが分かった。今後の課題として、ハワイから来た開教使が本土の抑留所で二世に対し実施した教育の分析を深めることである。

4)物部ひろみ:「1940年代のハワイ日系二世と非常時奉仕委員会」
 本研究は、1942年にハワイ軍政府の士気高揚部会(the Morale Section of the Office of the Military Governor)の主導下で、日系二世によって組織・運営されていた「非常時奉仕委員会(Emergency Service Committee, ESC)」に焦点を当てる。ESCコミュニティ内で士気を高めて戦争を参加させることを目標としながら、フィリピン系、中国系、韓国系、フィリピン系の異なるエスニック集団と連携していた。そのなかでも、日系人が勢力的に活動を行った。そのなかには二世リーダーたちが含まれていた。本発表では、開戦後に軍政府の指揮の下、異人種と共に活動していた内容を、Third Territorial Conference of Morale and Emergency Service Committeeの議事録から紹介した。そのなかで、リーダー的存在としてのシゲオ・ヨシダ、標準英語を話させる運動のような日系人をアメリカ化させようとする日系人による動きや、宗教について討議された内容が明らかにされた。

5)本多 彩:「日系のシカゴ転出と2つの仏教会:1940年代後半『シカゴ新報』にみる仏教会の越境」
 日系アメリカ人の収容所転出は、War Relocation Authority (WRA) 主導の下、1942年より始まった。WRAは、日系人が自発的に転出するようにすすめた。本発表では、発表者はまず背景として、収容所から転出・転住過程、受け入れ先の状況としてシカゴは比較的差別が少なかったために白人コミュニティとの関係構築がさほど難しくなかったこと、シカゴ転住者の人口、年齢、男女比、シカゴへの転住に向けて尽力した日系団体について説明した。次に、発表者は、『シカゴ新報』の記事から研究対象である中西部仏教会とシカゴ仏教会の設立過程や越境性について触れた。この二つの仏教会を比較すると、シカゴ仏教会では早い段階から二世たちが積極的に参加をしており、戦後まもなく白人も礼拝に参加していた。さらに1946年から48年に開催された東部仏青連盟大会では、他の地域の仏教会や他宗派との交流があったことがこれから分かる。

6)根川幸男:「1940年代ブラジル日系二世の教育と人材育成③―Y.K.日記をめぐって―」
 今回の発表は、①40年代ブラジル日系二世をめぐる最近の歴史的イメージを検証、②日本とブラジルで実施したY.K.家族へのインタビュー調査で明らかになった彼女の人物像について報告、③K家の宗教であった神生紀元の教義を確認しながら、K父娘の短歌や日記に見られる宗教の影響を確認、④Y.K.の成人後の経営者として成功するに至る過程とその歴史的意味を考察する。Y.K.は、農村から都市に出て、社会上昇を遂げて成功を収めるモデルとして見ることができる。今回の発表では、Y. K.の父親が治療院を経営し成功していたクリスチャンの女性と再婚し、K家にその義母が来てから変化を大きく遂げた生活と、Y.K. の生前の夫とY.K.の弟と妹へのインタビュー調査結果を紹介した。Y.K.も後に義母の治療院から学んだことを生かした健康美容施設を経営し成功した。その際、鍼灸、整体、マッサージなどの日本的な理学療法を取り入れることでさらに成功した。

7)松盛美紀子:「日米開戦と在留日本人―松本幹と松本亨の活動を中心に―」
 本研究は戦前期の日米学生会議に活躍し、日米開戦後もアメリカに留まり抑留生活を送る日系アメリカ人の救済事業に携わったために敵性外国人とみなされた松本亨と、その兄松本幹に注目している。本報告では、発表者はまず松本亨と兄幹の生い立ちを紹介した後、松本亨の執筆活動、松本幹の活動と思想について紹介した。松本幹の影響を受けて渡米した亨が、後の人生では幹とは異なる思想や人脈をもつ過程がみられた。幹は、米軍部と関係を持ち、天皇制について強い意識を持ち、逝去するまでアメリカにいた。一方、亨はアメリカ人のクリスチャンとの関係をもち、日本で逝去した。今後の課題として、彼らが日米開戦後もアメリカに留まった日本人としての活動について考察するため、開戦後二人がアメリカに留まった理由と使命、彼らの役割や、日系アメリカ学生点中審議会が行った二世大学生の転住政策への関わりを明らかにする。

8)高木(北山)眞理子:「Emery Andrews (Andy) 牧師と日系コミュニティ1930年代〜40年代を中心に」
 本研究は、シアトルの日系バプティスト教会(JBC)に就任したエメリー・アンドリュース(Emery Andrews)牧師の1930~40年代を中心にした、日系人との関わりに注目する。発表者は、JBC、アンドリュース牧師の生い立ち、アンドリュース牧師のマイノリティへの関心の起源について紹介した後、日系人が強制収容所に入った後の彼と日系人の交流について報告した。また、原爆後の彼の「広島の家」活動や家族関係についても触れた。

◎総括(志賀恭子、吉田亮):
以下の課題について協議した。
✓ジェンダーをどうするのか。YWCAを入れるべきか。
✓日本の存在を明確にする。
✓文化資本(華道、茶道、日本の整体など)としての日本を明確にする。
✓都市化と成功の関係を明確にする。
✓対象地域が戦地であったかどうか。
✓強制収容所、抑留所、再定住センター(Relocation Center)など意味や使用背景の確認。
開催日時 2017年6月30日14時30分~18時30分
開催場所 日本キリスト教団安中教会・甘楽教会・高崎教会
テーマ 上州教会史・現地調査
研究会内容  「日米地域社会の形成とキリスト教」を掲げる本研究会では、かつてのCS教会研究の伝統を復活させることを一目標としているが、昨年度の活動として平安教会の資料目録を上梓し、今年度は、上州(群馬県)の諸教会における現地調査例会を開始した。今回はその一回目にあたる。
 遠藤浩・水内勇太が「CS 教会研究の歴史と資料の現状(1)」(『キリスト教社会問題研究』、2015年)において紹介したごとく、群馬県は、かつてCSが教会研究の一つのフィールドとした地域であった。そこでまずは、人文研が所蔵するマイクロフィルムに資料が収められる安中教会と高崎教会を、今回の調査対象とした。また、人文研の調査が入ったことは確認されないが、大濱徹也『明治キリスト教会史の研究』(吉川弘文館、1979年)において、安中教会と並ぶ分析対象とされた甘楽教会を、訪問地に選定した。
 安中教会については、江守秀夫牧師より、会堂をはじめとする構内諸建築の歴史、史料の所蔵状態についての説明を得た。以前に人文研が調査を行った簿冊については、現在別置されているとのことであった。甘楽教会は8月まで無牧状態であり、資料の所在等について責任者に確認することができなかったが、江守氏の仲介・案内により、教会員の了解を得て会堂・地所の見学を行った。また、同教会員となった女工たちが在籍した近隣の富岡製糸場にも足を運んだ。
 高崎教会では、生地善人牧師から、教会の歴史や資料の所蔵状況(約30年前の会堂移転後も資料は保存されている)についての説明を受けた。組合教会とは別の系統に始まるその歴史、および同教会を拠点とした明治期における周辺各地への伝道の広がり(講義所設置)について確認した。また「西群馬教会 海舟勝安房書」とある扁額が勝の真筆か否かをめぐって、勝がキリスト教に接近した歴史をふまえての議論が行われた。
 全体的に、安中の信徒割合(市内人口の5%に上る換算となる)にみられるごとく、高齢化の問題はあるものの、生きた教会として県内教会が活動している現状がうかがわれた。次回以降、これらの教会における具体的な史料調査(撮影・目録作成の可能性の模索)に加え、高崎・藤岡・沼田といった県内の他教会における現地調査を行うことの必要が確認された。

2016年度

開催日時 2017年3月18日 午後3時半~6時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 松本亨と日系人の転住・再転住政策
―Beyond Prejudice: A Story of the Church and Japanese Americanを中心に―
発表者 松盛美紀子
研究会内容 松本亨が戦時下日系人の強制収容及び再定住政策に及ぼした影響に関する研究発表である。まず、当該テーマに関する先行研究を批判総括し、一次資料に基づく本格的な研究が無いことを提示したうえで、松本の個人史を、アメリカ留学時代、戦前期北米日本人キリスト教学生同盟主事時代、戦時下日系人再転住委員時代の順に整理して説明した。その後、松本の著書Beyond Prejudiceの内容を分析し、本書が反ファシズム、民主主義擁護の一環として日系人への支援活動をしていたアメリカリベラルプロテスタントを讃えるプロパガンダとして出版されたことを明らかにした。さらに彼の著書A Brother is a Stranger (1946)についてもその内容を紹介したうえで、日本の家父長制を批判することで、戦後日本の民主化の主体となりえる日本人の可能性を描くというプロパガンダ性をもっていたことも明らかにした。 
開催日時 2017年1月21日 午後3時半~6時
開催場所 寒梅館6B
テーマ Military Report から見た非常時奉仕委員会の活動
発表者 物部 ひろみ
研究会内容  非常時奉仕委員会の活動に関して、ハワイ大学所蔵Military Reportを基に、その特徴を明らかにする発表であった。先ず、ESCの組織図から、本組織が銃後協力の一貫として、日系とホスト社会の橋渡し役を担い、日系人の士気高揚を推進し、戦争に対する不安を解消し、日系諸団体の整理解体を進め、日系人の就活をも担うものであったことを説明した。次に、本組織でリーダーシップを発揮した2名の二世を手がかりとして、その特徴を掘り下げた。坂巻駿三は戦前のHJCLの目標をESCにおいて実現することを目指したのに対し、吉田繁雄はホスト社会との協調を重視する立場を取り、両者は衝突の末、前者が退会したのである。こうしたリーダーシップの変化に本組織のもつプロアメリカ的特質をみることができると指摘した。
開催日時 2016年12月18日 15時30分~18時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 1940年代のアメリカプロテスタントと再定住問題(3) ―1945年以前を中心に―
発表者 吉田亮
研究会内容  吉田氏の発表は、1940年代を通じて展開された現地プロテスタントによる再定住支援活動とそれに連携する日系プロテスタントの対応について、特にアメリカプロテスタント国内伝道協議会傘下にあって同問題を専門的に扱った日系アメリカ人再定住委員会(Committee on Resettlement of Japanese Americans)の活動を中心に検討するものであった。本発表では、以下の点を実証するものであった。
 先ず、戦時下アメリカ社会の反ファシズム化、民主化の牽引者を自認するプロテスタント諸派は、強制収容された日系人の再定住をWRAと連携して強力に推進することによって、「民主」国家の体面を保とうとしていた。それは、すでに着手していた収容所内の日系人への教化・救済活動と同様、いやそれ以上に価値があると考えられた。そのために、プロテスタントは全米に広がるネットワークとその組織力・連携力を生かし、転住センターに居る日系人に再定住を宣伝し、さらに再定住を円滑に薦めるための住居、就職、教会、娯楽、コミュニティ組織の斡旋・整備を進めた。その際には、残留日本人、日系二世、元日本宣教師を積極的に仲介者として活用することで、転住センターに居る日系人とのコミュニケーションを取る努力をしたことによって、スムーズに活動を進めることが可能となった。
 次に、戦時中アメリカに残留した日本人プロテスタントの役割に関する事例研究として、湯浅八郎(元同志社大学総長)の場合、アメリカプロテスタントリベラルの提唱する反ファシズム(民主化)のアイコンに仕立て上げられるだけの経験を既に持っていたが故に、戦時中は自身のロールモデルとしての活躍が期待できたし、湯浅はそうした期待に応えるべく転住宣伝の活動に参加していた。湯浅は十字架の苦難を日系人と共有し、彼(女)ら自身が「自由」「民主主義」を実現するよう援助したいと、活動の意味合いを説明している。
 最後に、日系プロテスタントの役割として、転住センターに滞在する、または転住する日系人に対して人道的支援をきめ細やかに進めていけるようにアメリカプロテスタントを誘導することによって、日系人による戦後アメリカ社会への円滑な適応を推進したり、日系・ホスト社会間の意識のズレを緩和する活動を担当した。
 発表後の質疑応答では、プロテスタントの定住推進活動における日系女性の役割や、湯浅と他の日系一世キリスト教指導者によるキリスト教理解の類似性、松本亨の役割等について討論がなされた。
開催日時 2016年11月19日 15時半~18時
開催場所 寒梅館6B
テーマ 1940年代ハワイの神道系教団の変容における二世信者の役割についての検討
発表者 高橋典史
研究会内容  本発表は、1940年代ハワイにおける神道系(天理教、金光教)教団による活動を二世に着目して明らかにしようとするものである高橋氏の研究テーマの一部をなすものである。高橋氏は先ず、先行研究の特徴を分析し、米本土中心の傾向が強く、ハワイの事例は等閑視されてきたため、本研究の意義は大きいと指摘した。次に研究対象である天理教、金光教教団を紹介し、病気治癒など現世利益の重視、西日本を基盤とすること、海外布教に熱心であることなどの共通点があると述べる。第三に、ハワイの天理教、金光教史を概観し、既存の宗教教団(キリスト教、仏教、神道)より布教が遅く、1920年代を出発点とすること、病気治癒等現世利益が信徒の入信動機となっていること、山口・香川・熊本・福岡などに信徒の出身地が偏っていること、ハワイ布教が日本に於ける海外布教への意欲の高まりに呼応していること、本山からのてこ入れがハワイ布教の拡大に影響があること、おやこ型組織を継承していること、第二次大戦中は国家神道と同一視されて活動規制の対象とされたこと、戦後は復興を遂げていくことなど両者に多くの共通点があるという分析をされた。最後に今後の研究課題として、天理教と金光教両者の共通点と差異の析出を更に進めること、二教団と既存宗教教団(仏教、神社神道、キリスト教)との関係性の把握、第二次大戦前期における二教団への日本ナショナリズムの影響、二教団の戦後復興における二世の役割の解明を挙げ、発表を終えられた。
 発表後の質疑応答では、二教団における「二世」の位置づけ、日本留学・見学の有無、既存宗教教団の二教団観、二教団一次史料の所在、出身地の特徴他に関して活発な討論が行われた。
開催日時 2016年8月8~9日 12時~13時
開催場所 京都ガーデンパレス
テーマ 1940年代アメリカ日系宗教とアメリカ化
発表者 吉田亮、東栄一郎、竹本英代、物部ひろみ、本多彩、根川幸男、松盛美紀子、志賀恭子
研究会内容 1,1940年代の日系プロテスタントとアメリカ社会(2)
発表者:吉田亮(同志社大学)
 発表者は、1940年代における日系プロテスタントとアメリカのアングロリベラルプロテスタント社会との関係に焦点を当てている。これについて研究する背景には、日系人が強制収容所から再定住するプロセスを追った研究や、さらには収容されなかった人たちが多いニューヨークの日系人の歴史を記した研究が未だ少ないことにある。発表で、吉田は日系キリスト教徒、ニューヨークの日本人・日系人、収容所のキリスト教の活動について研究された各文献について紹介した後、当時の時代背景やニューヨークの状況を戦前と戦後に分けて説明した。その時代状況と、一時史料である修道会『週報』(1942〜45年)(ニューヨーク日米合同教会所蔵)を照合しながら、日系プロテスタントの再定住過程、日系社会の再興、日系プロテスタントとアメリカによる日本復興政策について浮き出た研究成果を発表した。

2,太平洋戦争中の在日北米二世のアイデンティティの意味と活動
発表者:東栄一郎(ペンシルベニア大学)
 太平洋戦争中に日本兵として闘った日系二世が、日本帝国でいかに存在し生活したのか(生活できたのか)という点を考察した研究が未だないと、発表者は指摘した。その上で、発表者は日本人化を強いられた日本で、敵国アメリカで生まれ育った二世がいかに活動できたのかを検証している。注目したいのは、1930年代にはこうした二世が果たした役割は「架け橋」であったに対し、架け橋という概念が存在しない戦争時の1940年代にどのように変貌したのかという点である。発表者は、これらを明らかにする史料を見つけるのは難点であるようだが、戦争が始まってアメリカに帰れない人たちについての史料に目星を付けている。

3,敵国人拘留所における日系人に対する教育事情
  ―杉町八重充の拘留体験を中心に―
発表者:竹本英代(福岡教育大学)
 本研究は、日本語学園共同システムによって日本語学校を開設した杉町八重充(1898-1968)に注目し、第二次世界大戦中の敵性外国人拘留所の教育事情を明らかにしながら、杉町が拘留体験をいかに解釈し、日本語学園の理論に結びつけたのかを明らかにしようとしている。1950年代以降の日本語学校の実践理論が拘留体験のなかで生まれたことを、杉町八重充著『アメリカに於ける日本語教育』と他の資料と照合しながら実証しようとしている。
 発表者は、司法省管轄にあった敵性外国人拘留所の拘留者はジュネーブ条約で人権が守られていたために強制収容所とは異なる高待遇であった点と、杉町の指導は日本語教育というよりむしろ道徳教育であった点を強調した。また、クリスタール収容所内で日本人同士の衝突があったようで、現資料では妥当性が見出せないので客観的に日本語教育事情がわかる資料を見つけるという今後の課題を挙げた。

4,1940年代のハワイ日系二世と士気高揚・非常時奉仕委員会
発表者:物部ひろみ(同志社大学)
 ハワイには、戦前、キリスト教的な融和主義に共鳴する白人指導者たちの支援を受けた、日系、中国系など多民族的な委員で校正されたハワイ人種統合委員会があった。本研究は、太平洋戦争中、ハワイ人種統合委員会から派生した、日系二世によって組織・運営された「士気高揚・非常時奉仕委員会(ESC)」に焦点を当てて、その活動を明らかにする試みがある。発表者は、特に二世のESCメンバーであったシゲオ・ヨシダの戦前・戦中・戦後の活動に着目した。発表では、先行研究の説明をされた後、シゲオ・ヨシダを取り巻く時代背景が述べられた。

5,1940年代の日系仏教徒 収容所内外の動き
発表者:本多彩(兵庫大学)
 本多は、1940年代日系人が収容所に入る前後において、仏教徒がどのような活動を行っていたのかを発表した。たとえば、1942年までアメリカ政府に宗教活動が許可されていた収容所内集合センターでの活動や、司法省管轄の収容所内の活動の様子を詳しく説明した。また、フリーゾーンにあった仏教会、戦時中に活動を始めた地域の仏教会、戦時中に新しくできた仏教会の例も挙げ、収容所内仏教会の活動状況と対比することができた。今後の課題として、戦中の収容所外の仏教会、二世仏教徒の動き、開教使、1940年代仏教会・仏教徒の越境(地理的越境、宗派の越境、世代の越境)を挙げた。

6,1940年代ブラジル日系二世の教育と人材育成②
  ―Y・K日記をめぐって―
発表者:根川幸男(同志社大学)
 発表者の研究は、Y・Kによって綴られた22冊に及ぶ日記をもとに、1940年代のブラジル日系二世の生活、言語習得(日本語とポルトガル語)、職業選択、宗教生活の実態を明らかにすることを目的としている。今回の発表では、発表者が纏めたK一家のブラジル移住前史年表と共に、Y・Kを取り巻く人びとの家族構成、父親の手記、父親の信仰についての情報が3月の発表者による報告時より明らかになった報告がなされた。この信仰は「神生紀元」と呼ばれる新興宗教で、他の共同研究者が行っているキリスト教とも仏教徒も異なるため、その宗教差を浮き出すことが今後の課題の一つとなった。

7,松本亨と全米日系アメリカ学生転住審議会
 (National Japanese American Student Relocation Council, NJASRC)
発表者:松盛美紀子(関西外大)
 中山公威、板橋並治、田端利夫といった日米学生会議の創設メンバーは、外務省やその関連団体に活躍の場を得て日本政府を支援する立場になった。一方、同じく日米学生会議の創設メンバーである松本亨は、日米開戦後アメリカに留まり拘留生活を送る日系アメリカ人の救済事業に携わった。発表者の新プロジェクトは、敵性外国人である松本亨が日系アメリカ学生転住審議会(NJASRC)においてどのような役割を担っていたのか、そこでの活動を通して二世大学生や日系社会とどのように関わっていたのかを明らかにする。
     
研究の総括と課題
吉田亮、志賀恭子
 以下を新プロジェクトの主軸とする。
1)地域の多様性・地域差:北米、収容所内外、シカゴ、ニューヨーク、日本、ブラジル。但し、日本といっても状況によって日本人の多様性を浮き彫りにする。また、ブラジルは国民戦争を経験したことがないため、ブラジルのナショナリストは反米感情をもっており、倭魂が色濃くのこっている点が北米と違う。
2)世代:主軸は二世だが、一世の教育者、日本人といった関係性のなかから二世を見る。但し、北米もブラジルも、新来者(新しく移住した一世)と戦前に移住した者たちとの間、そして一世と二世との間で葛藤や衝突があった。
3)異人種間の関係:架け橋。但し、国民統合、白人と日本人というだけでなくその他の人種との架け橋も視野にいれる必要がある。このように、多人種・民族間関係もみることで新しい架け橋像を明らかにする。
4)宗教差:仏教、金光教、天理教、神生紀元。但し、仏教徒からキリスト教徒に改宗しキリスト教徒の数が増えていくなかで、なぜ仏教徒であり続けるのかを検討する。
 以下を今後の研究課題とする。
1)全体として、戦後の復興などの国際関係を踏まえて、戦前、戦時下、戦後と分けて研究する必要がある。
2)地域差という点において、北米と違って、ブラジルの場合1980年代まで一世世代が再生産されるため、アメリカと対比させながら見ることで本プロジェクトの独自性が現れるであろう。戦後のブラジル人が獲得していた立ち位置を見せることができるといい。単純に日本人になるという図なのかどうかを検討する必要がある。