このページの本文へ移動
ページの先頭です
以下、ナビゲーションになります
以下、本文になります

第3研究 東アジアキリスト教伝道史基礎アーカイヴズの研究 研究代表者:代表者 田中 智子(人文科学研究所)<2016年4月-9月>、原 誠(神学部)<2016年10月-2019年3月>

第18期研究会として手がけていた「新島襄関連英文書簡」の解読を完結させ、『新島襄全集』を補完するものとしての公刊を実現する。とともに、そこで明らかになった諸事実を単に「同志社史」「新島伝」の範疇に収めてしまわず、アメリカン・ボード日本伝道史の一環と捉え、さらには「東アジアプロテスタント伝道史」という大きな枠組から位置づけていくことを目標に掲げる。そのために、中国・朝鮮・台湾・東南アジア諸地域などにおける近代キリスト教伝道史・思想史との比較・連鎖史的検討を具体的な課題とする。以上の観点から、東アジアにおけるプロテスタント伝道に関わる基礎資料の所在の現状についての調査を広く実施し、関連研究機関との国際交流も積極的に進める。

2018年度

開催日時 2019年3月28日 17時~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 北垣宗治・本井康博・杉野徹
研究会内容  北垣会員のFORWORD原稿、本井会員の解題原稿、杉野会員の聖書注記箇所原稿について、準備されたレジュメをもとに議論がなされた。原代表によるまえがきや田中会員による凡例についても議論が広がった。また、3月7日、12日、15日と、一日をかけて書簡の検討会を行ってきた「英文チーム」(坂本清音・杉野徹・宮地ひとみ、田中智子)より、作業の進捗状況が披露され、書簡修正の統一的基準や統一的レイアウトについての原則が提示された。これについては全体で合意がなされた。以上の話し合いにあたっては、『新島襄書簡集』第六巻や、本研究会に先立つ過去の部門研究、あるいは社史編集にかつて従事していた森中章光氏の活動などが参照された。
 第18期以来の人文科学研究所部門研究としての活動は今回の例会をもって終了となるが、一年後の2020年3月末を期限とした成果の刊行に向けて、今後も任意団体として、同志社大学内のしかるべき施設を会場に、これまでどおり活発な研究会活動を月1回程度のペースで続けていくことが確認された。次回は4月22日、伊藤彌彦会員より、登場する日本人についての注釈の構想が発表されることとなった。また「英文チーム」も、月例会とは別に4月以降も精力的に活動を続けていくこととなった。
 なお、成果の刊行にあたって、その書籍名を『新島襄欧文来簡集』とするのと、『新島襄英文来簡集』とするのとどちらがふさわしいか、数通含まれるドイツ語の書簡の位置づけ方の観点から討議が行われた。英文の表題が必要かどうかということに関しても検討がなされた。
 研究会終了後は、今年度の補助業務にあたった大学院生・志賀恭子氏の慰労も兼ね、最終の懇親会が開かれた。これまでの部門研究としての活動を振り返るとともに、同志社創設145年周年に合わせた成果刊行の日まで、これまで以上に研究に力を注ぐことが誓われた。
開催日時 2019年2月18日 10時~14時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 本井康博
研究会内容  本井会員より、前回扱った「新島遺品庫」2790書簡について、前書き部分の翻刻がなされていなかったとし、本井会員より翻刻原稿が示され、これをもとに全メンバーでチェックを行なった。
続いて田中智子会員より、『新島襄全集』第6巻の目次や書簡レイアウトが示され、サンプルとして事前に各会員に配布されたこれまでの成果(読み本)最初の50通を具体的に参照しながら、今回の書籍は、どのようなレイアウトとするかが検討された。各書簡の封筒情報・便箋情報・注記的な記載は、すべて本文には含めず、別途まとめて記載すること、その位置は書籍の末尾に一括するのではなく、個々の書簡を読みながら楽に参照できるよう、頁ごとに下部に付記していくスタイルとする、などの決定をみた。
以上に引き続き、全体として刊行までどのように役割分担を行うかが話し合われた。その結果、北垣宗治会員が序文にあたるFORWORDを英文で記すこと(『新島襄全集』第6巻ではOtis Cary氏が担当)、本井会員が重要と考える書簡をピックアップするかたちで解題を和文で記すこと(前回は北垣氏が担当)が提案され了承された。前回は、序文が英和両様で記載されたことについても議論が及んだが、今回どうするかについては保留となった。また、北垣・本井・伊藤彌彦会員が、注釈をつけるべき人名や団体等の名をピックアップし作業を進めることが確認され、『新島襄全集』第6巻ですでにつけられている註を活用することも可能であることが示された。一方、この3名(「執筆チーム」)とは別に、坂本清音会員・杉野徹会員・宮地ひとみ会員が「英文チーム」として、書簡全体の再確認を行うこととなった。
開催日時 2019年2月1日 17時~19時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 本井康博
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡について、基本的には前回で翻刻を終了したが、「新島遺品庫」の全リストと照合した結果、2789~2791の3通について、落穂拾い的な追加解読の必要性が認識された。
 そこでまずは2789について、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)に未収録であるため、本井会員があらたに作成した翻刻原稿をもとに、原文書を検討することとなった。
 本史料の差出人は不明であるが、新島の1884年のいわゆる第二次欧米旅行に関する助言ではないかと推定され、イタリアを中心にヨーロッパ各地の都市名等(非英語)が散見する。また、地名や人名などについては、新島による書き込みと推定される下線が多く施されている。
 続いて2790については、現在絶滅した種も含めた哺乳類の学名(ラテン語)リストであり、林潔会員によって作成された日本語の学名との照合リストを参照しながら、その収録の必要性・収録する場合の方法が議論された。
 その後、英文書簡の資料集としては、先行するモデルと位置づけられる『新島襄全集』第6巻を検討素材とし、前書き・目次・書簡レイアウト・索引、あるいは個々の書簡の差出人・差出地・日付の記載方法(書誌情報)、書簡の収録順や時期区分、注記の必要の有無等々について、どのような方式が望ましいかを話し合った。また今後、約500通に上る英文書簡の翻刻原稿をどのように入稿原稿化していくか、スケジュールについても話し合いがなされた。
開催日時 2018年12月26日 10時~17時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 杉野徹・宮地ひとみ
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2776~2788、2871の計14通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2776 市原盛宏・森田久万人・下村孝太郎1884か1885(前回の続き)
 2777 Mr. & Mrs. John Moorhead 1878カ
 2778 Linda Richards 1888.11カ
 2779 Sarah C. Sears 1884か1885
 2780 下村孝太郎 1886
 2781 Charlotte W. Smith 1885
 2782 John N. Stickney
 2783 Anson D. F. Randolph & Co. 1879か1880
 2784 Eugene W. Stoddard他アンドーバー神学校生徒
 2785 不明
 2786 United Evangelical Church &so.
 2787 Mrs. George W. Field
 2788 J. N. Harris
 2871 D. T. Torry 1888.12.18
 2777以下、封筒のみの書簡や現物に日付が記載されない書簡が多く、可能な限りにおいて年代考定を行った。また差出人名についても適宜推定の上、修正を施した。2777については北垣会員から、文中に登場するHollandについての解説があった。278はE.Bakerからの菊の注文を取り次ぐもの。2780には、下村による演説を記録した当地の新聞記事が添付され、その重要性について意見が一致した。2781の筆者は、スミス女子大創設者の妻か娘であろうとの指摘があった。2784についてはアンドーバー神学校の在籍者名簿を閲覧する必要が認識された。2785については、「同志社英学校長之印」と刻まれた角印のめずらしさが指摘された。2871は内容から見て新島に宛てたものであることが再確認された。
 以上をもって、未定稿全3冊収録書簡の検討をついに完結することができた。
開催日時 2018年11月16日 17時~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 杉野徹
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2776を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。本書簡は、市原盛宏・森田久万人・下村孝太郎によってしたためられたものであり、1884年か1885年、すなわち新島が欧米周遊の旅に出ている最中に受け取ったものと考えられる。比較史的な見地から、日本における宗教の歴史的な展開(仏教や儒教)や、キリスト教の現状について述べられた本書簡は、新島がアメリカにおいて説教などを行う際に活用することを図ったとみられ、多くの自身による書き込み(添削や加筆)が施されている。
 本史料は、大変長文の書簡であり、後半の解読は、次回の研究会へと持ち越しになった。そのため、本書簡全体を通じての評価も、次回の研究会の折の議題となる。
 次回は、一日研究会を行うことが確認され、本研究会の活動成果としての『新島襄 英文来簡集』の刊行についても、体裁や内容、スケジュールをめぐって意見が交わされた。
開催日時 2018年10月19日 17時~19時
開催場所 弘風館地下会議室
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 伊藤彌彦
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2767(追伸部分)~2775の計9通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2767 E. J. W. Baker 10.28
 2768 J. H. DeForest 11.26
 2769 J. C. Berry
 2770 J. C. Berry
 2771 J. C. Berry
 2772 J. D. Davis
 2773 M. L. Gordon
 2774 M. L. Gordon
 2775 S. W. Hardy
 以上のように、今回からは年が不明の、あるいは月日も含めて作成日付がまったく明記されていない書簡を扱うことになる。2768については、デフォレストが大阪に、新島が京都におり、同志社の外国人教師陣が所属する諸宣教団についての言及内容から、1882年か1883年であろうという意見も出された。2769は、前回解読時に1889年のLL.D授与に際しての祝辞であろうと推定されているが、そのような記述はなく、根拠が定かでない。2770は、医学校設立についての北垣国道府知事や中村栄助の動きより1886年と推定される。2771には、大澤(善助)の名があるが、作成年は不明。2772は短文のため考定不可能。2773は、同志社学内の紛擾に言及しているとみられ、1880年頃と推定される。2774は、ワイコフの名が登場するが作成年不明。2775は年不明だが、裏面に新島がメモ書きしている聖書の数節については、レビ記13:3、箴言6:20、テモテ人への第一の手紙5:4であることが確認された。ただし、英語ではない文字いくつかについては解決することができなかった。
開催日時 2018年9月25日 10時~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読(第一部)、「「佐伯理一郎旧蔵文書」の紹介」
発表者 北垣宗治・田中智子・伊藤彌彦/林潔
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2753~2767の計15通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2753 H. B. Newell 1890.1.3
 2754 M. L. Gordon 1890.1.5
 2755 C. C. Peyrot 1890.2.14
 (以下、新島没後や補遺・年月日不明の書簡群となる)
 2756 Ginn & Company 1891.2.28
 2757 (不明) 1891.2.20
 2758 R. G. Huling 1891.10
 2759 S. W. Hardy 1890.1.15
 2760 D. W. Learned (年不明)1.18
 2761 S. W. Hardy 1870.1.21
 2762 E. J. W. Baker 1885.4.20
 2763 E. J. W. Baker 1885.5.27
 2764 J. Cook 1882.5.29
 2765 G. E. Albrecht 1889.8.12
 2766 M. S. Fuller (日付不明)
 2767 E. J. W. Baker 10.28 (年不明)
 解読会の後、林潔氏より標記の報告があった(第二研究と共催)。2009年、京都看病婦学校の設置・運営にゆかりのある佐伯理一郎の孫娘にあたる宇多眞子氏から、当時神学部教授であった本井康博氏に委ねられ、このたび人文研に寄贈された400点余の資料群の整理結果についての報告であった。理一郎や妻の小糸関連の資料と、長崎県士族で、京都に移住した佐藤元狩一家に関わる興味深い資料から成る資料群(由来不明)であることが判明した。前者については、同志社病院や第三高等学校基督教青年会関係書類、小糸の生家土倉家との往復書簡などが含まれ、1998年に同じく本井氏から社史資料センターや女子大資料室に寄贈された理一郎関連資料との関連性が指摘された。
開催日時 2018年7月24日 10時~18時30分
開催場所 寒梅館会議室6A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 坂本清音・北垣宗治
研究会内容  合宿に代えての一日研究会を実施した。いつものように、同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2738~2752の計15通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2738 J. F. C. Hyde 1889.11.17
 2739 N. G. Clark 1889.11.9
 2740 森田久萬人 1889.11.10
 2741 S. L. Gulick 1889.11.14
 2742 J. William 1889.11.16
 2743 M. R. Gaines 1889.11.18
 2744 W. Dulles 1889.11.19
 2745 The Board of Foreign Missions of the Presbyterian Church in U. S. A. 1889.11.19
 2746 M. R. Gaines 1889.11.20
 2747 J. N. Harris 1889.11.25
 2748 A. H. Ross 1889.11.27
 2749 W. A. P. Martin 1889.11.28
 2750 W. A. Manda 1889.12.10
 2751 J. C. Berry 1889.12.13
 2752 J. N. Harris 1889.12.26
 全体的に、新島晩年において、東京滞在先にことづけられた書簡が多く含まれた。また、書籍・機械・植物などの購入に関わるビジネスレターも多く含まれた。森田が留学先での学業の模様を伝える2740、あるいは2742には、浮田・金森・下等・小崎・宮川・本間・増野・奥・海老名・三宅・藤田・清水など日本人クリスチャンの名が散見し、警醒社も登場する。
 なお、以前に扱った2653の書簡は、発信年月日からみて、この2752の後に位置することが確認された。
開催日時 2018年6月29日 16時50分~19時20分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 宮地ひとみ
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2728~2737の計10通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2728 森田久萬人 1889.9.12
 2729 C. F. P. Bancroft 1889.9.14
 2730 A. D. Goodwin 1889.9.17
 2731 N. G. Clark 1889.9.19
 2732 Torrey Whitman Gardiner 1889.9.19
 2733 下村孝太郎 1889.9.26
 2734 Avery Sewing Machine Agency 1889.9.26
 2735 F. J. Ward & A. J. Ward
 2736 不破唯次郎
 2738 J. H. DeForest
 2728は、森田がイエール大学への到着と教授陣や留学生の湯浅(吉郎)・原田(助)・重見(周吉)に会ったことを告げる書簡。2729は、村井(知至か)を通じた新島からの通知入手と、欧州・エジプト・パレスチナ・シリア・ギリシャ・コンスタンチノープルを旅していたことなどを、2730は、ポーターの近況や東京から伊勢(時雄か)を迎え入れたことをなど告げる。2731は、同志社大学設立の問題を扱う。2732は、個人ではなく店からの書簡であることが明らかにされた。2733については、これまでの下村の書簡とはうってかわって短文で内容もぞんざいであることの不思議さが北垣会員から指摘され、帰国した下村に対する新島の評価が必ずしも高くないことも紹介された。2734に関連して、新島邸にミシンがあったかどうかが話題となった。2735は、横浜のグランドホテルからの書簡であるが、民友社の徳富猪一郎気付であること、料金不足である際の表記のしかた、郵便配達夫には新島が「ヌシマ」と理解されていたことなどが話題となった。2736は、不破A.T.との署名の解釈、新島の落書きにより読み取り困難な差出住所について、持ち越し課題となった。2737は、西暦略記の際に用いるのは、’ か‘かが議論となった。
開催日時 2018年5月18日 16時50分~19時00分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 宮地ひとみ
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2721~2727の計8通(同封分含む)を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2721 J. H. Deforest 1889.7.29 (和田正幾よりJ. H. Deforest宛同封)
 2722 W. V. W. Davis 1889.8.4
 2723 M. L. Gordon 1889.8.10
 2724 J. D. Davis 1889.8.15
 2725 下村孝太郎 1889.8.15
 2726 家永豊吉 1889.8.26
 2727 J. N. Harris 1889.9.6
 2721は、仙台の学校(東華学校)について伝えるもの。教員陣や建物の写真の送付が伝えられる。関連する書簡は、東華学校教員をつとめた和田の手になるもので、同じく教員の市原(盛宏)、片桐・小川の名も登場する。2722は、Ward夫妻について紹介する。2723は、大阪で新島が資金を得たことを喜ぶ短文。2724は、アーモスト大学から新島がLL.D.を得たことに祝意を伝える。2725は、ニューヨークの関西貿易会社(「イトウ」の名あり)を通じて300ドルを落手した旨を伝える。また、自分の同志社からの招聘やハリスからの寄付、理化学校に必要な機材や薬品の値段についても記している。2726は、リベラルアーツのChautauqua大学での短期の学び(フランス語によりギゾーやモンテスキューの著作を読めること)、ジョンホプキンス大学での哲学・歴史・政治科学の学習について記し、文学特に英文学への関心を吐露する。また、新島の伝記を著してみたいとも述べている。2727は、10万ドルの寄付について、Learnedに3000ドル送ったこと、ウースターのFullerにより機材を調達したことなども記している。
 なお、アメリカン・ボードの滞日宣教師、デフォレスト、ディヴィス、ゴードンの書簡は、避暑滞在の地、比叡山から送信されていた。
開催日時 2018年4月27日 16時50分~19時00分
開催場所 寒梅館地下会議室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 本井康博・宮地ひとみ
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2717~2720の計4通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2717 E. G. Porter 1889.7.20
 2718 J. H. Seelye 1889.7.20
 2719 J. N. Harris 1889.7.26
 2701 A. H. Ross 1889.7.25
 いずれも既出人物である。
 2717は、Baker夫人を通じて知った新島のLL.D.取得に対し、祝意を伝えるもの。アーモスト大学発の2718は、息子が結婚し、アイオワのパーソンズカレッジの教授であることのほか、子どもたちの消息を伝える書簡である。
 2719はHarrisが自分の写真を同封した書簡で、自身による寄附についても述べている。長文にわたる2720のテーマは教会合同であり、部会・総会といった用語が散見するとともに、S.Gulick、D.Davisなどの滞日宣教師が登場する。また、ガラテヤ書からの聖句引用を含む。
 上記書簡を解読するとともに、これまで扱った書簡にも確認された「収入税」なる記載(料金不足の折に封筒上に書き込まれたものと想定される)の語義をめぐっても、意見が交わされた。
 今年度は、社会学研究科博士後期課程大学院生であった林潔氏に代わり、グローバル・スタディーズ研究科博士課程大学院生の志賀恭子氏に研究会サポーターを依頼することとなり、開始に先立って氏の紹介が行われた。氏に対しての説明も意味も込めて、本研究会およびCS系研究会全体の来歴が、各メンバーの回想を交えつつあらためて振り返られた。それによって、同志社大学のみならず、同志社女子大学や京都教会などを通じたさまざまなCSをめぐる人脈の存在が明らかになった。

2017年度

開催日時 2018年3月26日 10時~18時00分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読(第三部)
発表者 杉野徹・本井康博
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2702~2716の計15通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2702 S.L. Gulick 1889.5.9
 2703 下村孝太郎 1889.5.11
 2704 下村孝太郎 1889.5.20
 2705 D. C. Greene 1889.5.27
 2706 E. G. Howe 1889.6.3
 2707 N. G. Clark 1889.6.5
 2708 C. F. Cutter (広告)
 2709 C. F. Cutter 1889.6.8
 2710 N. G. Clark 1889.6.11
 2711 家永豊吉 1889.6.12
 2712 E. W. Blatchford 1889.6.18
 2713 N. G. Clark 1889.7.5
 2714 J. N. Harris 1889.7.8
 2715 J. N. Harris 1889.7.8
 2716 R. A. Hasting 1889.7.15
 以上のうち、2702の原文書の欠落、2704の画像の欠落が確認された。また、タイプライターの広告を主とする2708は、2709の封入物であり、同一書簡として扱うべきであることが明らかになった。総じて内容は、ハリスの寄附と下村による科学校構想、ブラウン夫人の奨学金を受けた学生などに関する問題が主たる論点であった。
 このほか、去る3月13~15日に行われた上海調査の成果が披露され、あるいは英文書簡の解読成果をどのような書籍として刊行するかといった点についても話し合いが行われた。社史資料センター所蔵の原文書の確認方法、画像欠落の問題についての議論もなされた。
開催日時 2018年2月28日 14時~19時00分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 中国キリスト教史研究の過去と現在(第一部)・新島研究における上海(第二部)・新島襄宛英文書簡の解読(第三部)
発表者 朱虹・本井康博・伊藤彌彦
研究会内容  第一部、朱虹会員の報告「中国キリスト教史研究の過去と現在」は、1978年から現在に至るまでの中国におけるキリスト教史研究の道程及び近年の動向について紹介するものであった。中国では1980年代にキリスト教に対する認識は「文化侵略」から「文化交流」へと転換し、1990年代以降には、「近代化」におけるキリスト教の役割に対する関心が高まった。さらに2002年以降は、中国におけるキリスト教の土着化(「中国化」)が重要視されつつあり、それを推し進める政府の姿勢が認められる。そうした動向の中で、2012年より「中国語キリスト教文献目録の整理と研究」という国家プロジェクトが始動され、現在では20,000点ほどの文献目録を収録したデータベースが立ち上げられた。
 第二部、本井康博会員の報告「新島研究における上海」では、新島襄の生涯における重要な転換点としての上海の意味が改めて示された。しかし、新島は上海に合計81日滞在したにもかかわらず、それに関わる史料が現在ほとんど発見出来ていない。3月13日~15日の実地調査を通し、新しい発見が期待される。
 第三部では、伊藤彌彦会員の報告を通し、同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文書簡2698~2701、2695(再)の計5通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2698 E. Buckley 1889.5.4
 2699 S. L. Gulick 1889.5.6
 2700 D. W. Learned 1889.5.6
 2701 N. G. Clark 1889.5.9
 2698はギリシャ語辞書受け取りに関わる書簡、2699・2700は、教会合同にそれぞれ反対・賛成の立場からの書簡である。前者には海老名弾正の名もみられるが、「Tanaka San」が具体的に誰を指すのかは、検討課題として持ちこされた。2701は、大学設立にむけての寄附の件などが述べられている。なお、前回扱った2695書簡の判読不能箇所については、カーペンター氏の助力も得て、多くを埋めることができた。
開催日時 2018年1月26日14時~16時20分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 伊藤彌彦
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2694~2697計4通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2694 A. H. Ross 1889.4.23
 2695 J. C. Tyler 1889.4.26
 2696 D. C. Greene 1889.4.27
 2697 W. Taylor 1889.5.1
 2694は、教会合同に関わる書簡であり、合同したならば、組織運営において長老派形式が主となるであろうとの見込みが述べられている。合同に反対する新島に対し、それに賛同する立場から、19世紀初頭からのアメリカにおける合同の試みの顛末を振り返り、対策を述べるものである。ロスはギュリックとやりとりしていたこと、合同問題については、Church-Kingdomなる書籍を刊行し、その考えを公にしていたことなどもわかる。なお本書簡には、新島による多くの朱線書き込みが確認された。
 2695は、判読不明単語を多く含み、報告者から配布された書簡原文のコピーをもとにさまざまな可能性が探られたが、結局ほとんど解読の進展をみず、不明箇所については、再度次回の研究会で知恵を出し合うことになった。
 2696は、ハリスの寄附についての書簡で、下村への給料分のほかに追加があって総計10万ドルに達していること、まずはそれを建物や敷地や器材に使うべきであることなどが述べられる。器材の調達方法について、まず下村に相談すべきとしながらも、欧米から購入するより東京で買う方が安いであろうこと、東京大学(=帝国大学)の教授に相談すべきこと、日本で調達できない場合はドイツから購入してもよいことなどの具体策が述べられる。在ニューヨークの伊勢時雄の名も登場する。
 2697はテイラーの簡潔な書簡で、同じく医師の資格をもつ宣教師・ベリーとのやりとりがあったことがうかがわれた。
開催日時 2017年12月15日15時~17時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 田中智子
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2689~2693計5通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
 書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2689 H. M. Scudder 1889.3.30
 2690 N. G. Clark 1889.4.5
 2691 G. Braithwaite 1889.4.15
 2692 N. G. Clark 1889.4.16
 2693 A. H. Hardy 1889.4.16
 2689は、新潟における会衆派と長老派の実情を語り、その合同への望みを強く新島に伝える書簡である。その後も合同や分裂を繰り返しつつ、現在は会衆派の流れを汲む新潟教会と、長老派系の東中通教会とに分かれている状況であることが北垣会員から説明された。また、Scudder家はインド伝道においてはよく知られる名家であること、H.M.(Henry Martyn)の娘の一人はL. L. Janesの妻となり、不倫騒ぎの当事者となったことも合わせて紹介された。
 2691は、北海道の浦河教会における服部直一の貢献について述べ、その待遇の悪さと改善を訴える書簡。
 2690と2692は、本部のN. G. Clarkからであり、長文の後者においては、教会合同や大学設立問題に関わる問題が扱われている。会衆派における地域教会の独立性を譲れないこととし、長老派化してしまうことを否定しつつも、 ボード自体は会衆派でも長老派でもなく、寄附者にはDodgeのように長老派の者もあることが指摘され、分裂してしまうことを恐れる旨が記されている。また森田久万人らの金銭的支援への協力についても言及があり、おそらく留学(イエール大入学)に関することであろうと報告者は推定した。
 2693は、ハーディ家の息子の方からの手紙で、伊勢時雄に対して結果はおぼつかないが助力する旨が記されている。伊勢が本郷教会の教会堂建築費募集のために渡米しているので、そのからみではないかと報告者は推定した。
開催日時 2017年11月17日17時~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 坂本清音・田中智子
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2684~2688計5通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりであり、坂本が2684・2685を、2686以降を田中が担当した。
 2684 D. W. Learned 1889.2.28
 2685 A. H. Hardy 1889.3.4
 2686 D. W. Learned 1889.3.4
 2687 下村孝太郎 1889.3.19
 2688 L. S. Ward 1889.3.27 (to E. Talcott)
 2684は、ハリス理化学校設置に関わる史料であり、極秘事項としながらも、ハリスからの寄附について詳細が記され、新設の学校をどのように命名するかが模索され、イエール大学のシェフィールド科学校の事例が紹介されている。2686は2684の続きで、引き続き校名に関する問題、ハリスによる寄附の用途の範囲などの問題が扱われている。
 2685はハーディ(息子)の書簡であるが、NoyesやBakerについて述べるほか、前月の森有礼の暗殺をうけて、英語でその生涯と事績を紹介する記事(英語使用者が読めるもの)がほしいとねだるくだりが含まれている。
 2687の下村書簡は、やはり理化学校設立に関係するものであり、ロックフェラーの寄附が得られず結局それがアメリカのバプテストの大学に流れたことへの落胆や、新設の学校における教授内容とその教授陣に関わる意見が述べられている。一例として、自分が物理も教えなくてはならない現状があるが、化学には2名の教授が必要であり、化学を専門とする自分もそちらに回るべきであることが指摘されている。
 2688は本文がテキストでは省略されていたので、今回あらたに文字起こしを行った。アメリカの教会からのタルカット宛荷物について、その由来や受け取り方法に関わっての手紙である。ジャパンミッションの会計係ラーネッドが本国から宣教師宛の荷物の窓口となっていたこともうかがわれた。
開催日時 2017年10月27日 16時30分~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 坂本清音
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2681~2683計3通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
 2681 E. K. Alden 1889.2.20
 2682 N. G. Clark 1889.2.20
 2683 E. J. W. Baker 1889.2.24
 2682には、新島のキリスト教大学設置構想について触れ、彼の願書(おそらく募金の)が次のミッショナリーヘラルドに掲載される旨が記される。
 2683については、『書簡集』が収録しないBakerの同封短信の文字起こしがあらたに行われ、以前に扱った。また、書簡中に登場する“Iesaburo Wooying”(Bakerに八重からの絹の贈り物を手配)と表記される人物が、初期同志社生徒・上野栄三郎(1857~1924)であることが考定された。大井純一の研究(「上野栄三郎の生涯 : 実業の世界に乗り出した同志社寺町時代の学生」『新島研究』106、2005年)によると、上野は京都出身で、同志社在学中に受洗、上京して津田仙の学農社に学び、仙の長女・琴(梅子の姉)と結婚する。その後、関西貿易会社等、実業界で活躍した。
 この長文の書簡には、不破唯次郎からの書簡(彼の妻の死を伝えるもの)についての言及もなされていた。
 なお、この年(1889年)の年頭以来、新島が神戸にて各方面からの書簡を受け取っていることが、封筒に記載された情報より明らかであるが、山手女学校(現神戸女学院)あるいは諏訪山附近の「和楽園」「快楽園」「遊楽国〔カ〕」などと、書簡ごとに異なって表記されるその場所についての詳細は、引き続き検討すべき課題である。
開催日時 2017年9月13日10時~18時、14日10時~18時
開催場所 寒梅館会議室6B、6A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 宮地ひとみ・北垣宗治・杉野徹・坂本清音
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2653~2680計28通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ解読した。これまで琵琶湖リトリートセンターにて年2回行ってきた合宿を、今回は、同志社キャンパス内に場所を変更して実施し、集中的に解読に取り組んだ。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
 2653下村孝太郎 1890.1.1(『書簡集』に1889年とあるのは間違い)/  2654 M. L. Gordon 1889.1.3/2655 甲賀ふじ 1889.1.5/2656 D. W. Learned 1889.1.5/2657 S. L. Gulick・O. H. Gulick 1889.1.7/2658 F. White 1889.1.8/2659 J. E. Roy 1889.1.11/2660 S. L. Gulick 1889.1.12/2660-a S. L. Gulick 1889.1.7(2660に同封)/2661 M. L. Gordon 1889.1.15/2662 F. A. Noble 1889.1.15/2663 A. D. Goodwin 1889.1.17/2664 N. G. Clark 1889.1.18/2665 O. J. Flint 1889.1.18/2666 O. H. Gulick 1889.1.18/2667 家永豊吉 1889.1.19/2668 S. B. Holman 1889.1.22/2669 C. E. Swett 1889.1.22/2670 M. L. Gordon 1889.1.29/2671 O. H. Gulick 1889.1.31/2672 N. W. Utley 1889.1.31/2673 M. L. Gordon 1889.2.2/2674 下村孝太郎1889.2.3/2675 L. Abbott 1889.2.8/2676 D. C. Greene 1889.2.11/2677 L. Richards 1889.2.14/2678 W. H. Noyes 1889.2.15/2679 C. M. Cady 1889.2.18/2680 C. F. Cutter 1889.2.18
 下村・家永の書簡は、前回に引き続き、ジョンホプキンス大学のシステムを検討しつつ、同志社をどのような学校にするかが模索された過程を示す。
 教会合同問題については、英語表記にて連会・部会・総会といった名称が登場し、ジャパンミッションの組織構成を再考する必要があることが認識された(2671等)。
 前回からの検討事項として、北垣会員から配布されたPrudential Committee の名簿を全員で確認した。
 なお、ゴードンの書簡にWilliam Penn(ペンシルベニア大学創設者)の言葉を印字した同志社専用の便箋が使われていることも話題となった。
開催日時 2017年7月21日15時30分~18時00分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 宮地ひとみ
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2652の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
  2652 下村孝太郎 1888.12.31
 今回は、同志社「大学」(その科学校)をいかなる内実をもつものとするか、その設立構想に関わる長大で重要な本書簡の解読にかかりきりとなった。
 下村がロックフェラー(1世、熱心なパブティストとの紹介あり)と話した旨の記載について、このときにロックフェラーの協力は仰げなかったが、やがてこれが3世の時代となった折に、アーモスト館の新館設置(1962年)として実ることが、北垣会員により紹介された。
 本書簡では、ジョンホプキンス大学のカリキュラムが詳細に検討され、一般教育(リベラルアーツ)の重要性が説かれている点に注意が払われた(東京帝大との比較の視点もあり)。また、下村が範と仰ぐラムゼン教授(Remsen)がウィリアムス大学から引き抜かれたことなども紹介され、話題となった。
 またこの書簡について、北垣会員から、新島襄による和文の返事が『新島襄全集』第4巻にあること、それは結局、下村を同志社に招聘する内容になっていることが指摘され、次回研究会において全員で確認することになった。
 なお、解読に先立って、前回扱った2650に登場するアメリカン・ボード運営委員会(Prudential Committee)の委員フルネームに関して、書簡2532の解読結果と 照合し、修正が行われた。再び北垣会員から、W. E. StrongのThe Story of the American Board(The Pilgrim Press, 1910)と題するアメリカン・ボード百年史の付録に、Prudential Committee の名簿が掲載されていることが示唆され、こちらについても次回に全員で確認することになった。
 一方前回に課題とされた、2651の新潟ステーションからの電報に関わる調査・検討結果の披露(本井会員・田中会員担当)に関しては、次回以降に持ち越しとなった。
開催日時 2017年7月16日13時00分~17時00分
開催場所 烏丸キャンパス志高館SK118
テーマ <はざま>から再考する帝国史
発表者 駒込武・田中智子・森本真美・水谷智・並河葉子・木畑洋一・廉雲玉
研究会内容  第12研究会との共催企画である本シンポジウムには、当研究会から2名のスピーカーが登壇した。
 委細については、第12研究会の報告書を参照されたい。
開催日時 2017年6月16日 15時30分~18時00分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 宮地ひとみ
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2649-1~2651計4通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
2649-1 S. L. Gulick 1888.12.29
2649-2 J. D. Davis 1888.12.30
2650 森田久万人 1888.12.29
2651 加藤勝弥・D. Scudder〔カ〕 1888.12.30
 2649-1および2649-2の2通は、前回に引き続き、教会合同問題に関わる書簡である。前者はシドニー=ギュリックの書簡であり、デイヴィスと叔父(O. H. ギュリックであろう)への言及がみられる。後者は、そのデイヴィスが新島に宛てた書簡であり、前者に同封されていた。本問題は、次回以降に扱われるシドニー書簡にも継続するので、一連の解読が終了した時点で、経緯を総括したい。
 2650は森田がアメリカ留学に関して新島に宛てた書簡であり、イェール大・ジョン・ホプキンス大といった教育機関名が挙がり、関連人物としてはN. G. クラーク・ゴードン、加藤勇次郎〔カ〕・下村孝太郎・田和民・金森通倫の名が登場している。
 2651は、新潟ステーションより、北越学館における内村鑑三の後任と推定される人材の派遣を要求している電報である。当時の電信システムについての議論があり、文中に名前が登場するのは加藤とスカダーであるが、差出人は加藤と読むべきか、スカダーと読むべきか、あるいは両者と判断すべきなのか、議論がたたかわされた。当該期電報史(新潟発京都着の英文電信に関わる制度)についての知見が必要とされることが確認され、田中会員が次回、調査成果を報告することとなった。一方、新潟ステーションについて長年の研究蓄積がある本井会員が、当時の内村離職問題の文脈をふまえ、同じく次回までにこの問題に迫ってみることとなった。
開催日時 2017年5月19日 15時00分~17時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 本井康博・宮地ひとみ
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2642(添付書簡)、および2645~2648の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。
2642 John Lowe to J. C. Morton 1887.6.8
    (J.C. Berry発新島宛書簡1888.12.14の添付書簡 )
2645 J. Dudley 1888 Christmas
2646 E. J. W. Baker to L. Richards 1888.12.28
2647 S. L. Gulick 1888.12.28
2648 D. Scudder 1888.12.28
 2642の添付書簡については、同志社医学校設立問題に関わり、前回以来問題となっていたモートンやそのエジンバラ人脈の一端を明らかにするものとして、内容の検討がなされた。
 2645については、ダッドレーの筆跡が大変読みにくいことが以前より問題となってきたが、今回、担当者の宮地会員が、書簡のキーワードとなる単語「コンロ」を解読したことで、全体の趣旨が明らかとなり、すべての単語の翻刻へと導かれた。
 2646は第三者間書簡であるため、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)には本文の収録がなかったが、今回あらたに翻刻した。新島宛のベイカー書簡に添付されていたものと想像されるが、どの書簡に付属していたのかをあらためて考察し、収録場所を検討する必要がある。
 2647は前回に引き続き、教会合同問題に関わるシドニー=ギュリックの書簡であった。この後も継続して、本件に関わる新島とのやりとりが行われる。
 2648は新潟ステーションからの書簡であり、北越学館問題の主役たる内村鑑三のほか、金森通倫・小崎弘道・阿部欽次郎・中島末治・森本介石・小谷野敬三など、関連人物の固有名詞が多数確認された。
開催日時 2017年4月21日 16時00分~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 本井康博・宮地ひとみ
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2641~2644計4通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおりである。神戸(諏訪山の女学校〔神戸女学院〕、あるいはアッキンソン方)に滞在する新島に宛てられたもの(もしくは回送されたもの)である。
①2641 J. C. Berry 1888.12.12
②2642 J. C. Berry 1888.12.14
③2643 S. L. Gulick 1888.12.21
④2644 S. L. Gulick 1888.12.24
 2642に関しては、添付された書簡(J. T. Morton関係)2通が上記未定稿に収録されていなかったため、新規に翻刻原稿を加える必要が確認された。うち一通(新島襄宛J. T. Morton書簡 1887.6.9)は今回検討したが、もう一通(それに先立つJ. T. Morton宛の書簡)については積み残しとし、次回扱うこととなった。追加された上記書簡においては、同志社の医学教育構想への支援団体であるエジンバラの医療伝道宣教団に関わる記載が注目された。缶詰会社の社長、単なる出資者(佐伯理一郎編『京都看病婦学校五十年史』によれば、結局出資は実現しなかったのだが)と理解されてきたMortonは、同志社の医学教育の内容にかなり立ち入った考えをもっていたのではないかとの指摘があった。また、同宣教団が、新潟のパームバンドに関係を有したかどうかについても質疑応答が行われた。
 2643、2644は、教会合同問題に関わる書簡である。O. H. Gulick同様、合同に反対であったS. L. Gulickから新島に宛てられたものであり、熊本バンドの海老名弾正、市原盛宏、伊勢時雄、あるいは霊南坂教会(小崎弘道牧師時代)といった固有名詞が文中に確認された。

2016年度

開催日時 2017年3月17日 16時40分~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 本井康博
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2635、2637~2640計5通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。
それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり
①2635 下村孝太郎 1888.11.11(続きから)
②2637 下村孝太郎 1888.11.25
③2638 E. H. Sharp 1888.11.28
④2639 F. White 1888.11.29
⑤2640 C. Hutchins 1888.12.11
 2635および2837は、この間扱ってきた一連の下村書簡の一部である。2635の解読にあたっては、特に登場するジョン・ホプキンス大学の学科目名について、ひとしきり議論が行われた。なお本史料は長文にわたる書簡であり、下村が構想する同志社の科学校に関わる資金の話、湯浅が帝大に職を得ようとしていたことなど、多くの有益な情報が含まれる。2637を含め、下村が湯浅吉郎に対しては強い信頼を置いているのに比べ、中島力造には不信感を抱いていることが、北垣会員から指摘された。
 2838は、同様に以前から扱ってきたシャープの書簡の一つであり、結局新島からの誘いを断り第三高等中学校への奉職を選んだことになったが、それ以降も新島とのやりとりが続いていたこと、アメリカン・ボード宣教師らと知己となっていたことを示すものであった。
 2639には、新島八重の姪である山本久恵についての言及があることが話題となった。同書簡には、堀俊造の名が書かれたメモが添付されていたことがあらたに指摘された。2640には、トルコミッション、あるいは中国のミッション(北中国、山西、福建)についての言及がみられた。
 前回積み残しとなった2619書簡については、同志社社史資料センター所蔵の画像も複写の精度がよくないことが伊藤会員より報告され、後日、原文書を閲覧して解読する必要が確認された。
開催日時 2017年2月5日13時~2017年2月7日13時
開催場所 琵琶湖リトリートセンター
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
1920~40年代のYMCAと末包敏夫―社会的キリスト教の一展開として―
発表者 田中智子、坂本清音、伊藤彌彦、本井康博
遠藤浩(同志社大学大学院博士後期課程)
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2603~2636(画像状態の悪い2619を除く)の計33通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ行った。それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり
①2603 P. C. Wilson 1888.4.1/②2604 E. C. Winslow 1888.4.11/③2605 J. C. Berry 1888.4.14/④2606 S. B. Holman 1888.4.14/⑤2607 A. W. Stanford 1888.4.14/⑥2608 下村孝太郎 1888.4.15/⑦2609 N. G. Clark 1888.4.21/⑧2610 中島力造 1888.4.22/⑨2611 D. W. Learned 1888.5.24/⑩2612 J. T. Morton 1888.6.6/⑪2613 N. G. Clark 1888.7.20/⑫2614 D. C. Greene 1888.7.20/⑬2615 下村孝太郎 1888.7.22/⑭2616 J. T. White 1888.6.25/⑮2617 N. G. Clark 1888.8.6/⑯2618 J. J. Walker 1888.8.6/⑰2620 小谷野敬三 1888.8.13/⑱2621 O. J. Flint 1888.8.14/⑲2622 家永豊吉 1888.8.22/⑳2623 中島力造 1888.8.22/㉑2624 D. W. Learned 1888.8.27/㉒2625 下村孝太郎 1888.9.16/㉓2626 J. H. Chapin 1888.10.3/㉔2627 L. S. Ward 1888.10.10/㉕2628 家永豊吉 1888.10.18/㉖2629 G. E. Albrecht 1888.10.19/㉗2630 内村鑑三 1888.10.20/㉘2631 G. Cozad 1888.10.24/㉙2632 J. D. Davis 1888.10.26/㉚2633 J. D. Davis 1888.10.29/㉛2634 N. G. Clark 1888.11.8/㉜2635 下村孝太郎 1888.11.11(途中まで)/㉝2636 O. H. Gulick 1888.11.17
 2629などに関わって、担当の本井氏より、北越学館をめぐる地域やキリスト教界の勢力構図(自由党系・改進党系、組合教会・長老派)や、内村の外国人宣教師との対立・辞職経緯について、加藤勝彌や成瀬仁蔵といった関係人物をからめつつ、補足解説がなされた。
 最終日には、遠藤浩氏により標記の研究報告が行われた。日本YMCA「大陸事業」の鍵となる末包の、戦前から戦後にかけての事績と思想を捉える視角に関し、研究史をふまえた討論が繰り広げられた。史料所蔵状況や末包の生涯に関わる具体的情報も交換された。
開催日時 2017年1月20日 14時00分~16時40分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 田中智子
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2597~2602計6通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2597 A.W. Stanford 1888.2.8
 2598 M. L. Gordon 1888.2.20
 2599 神田乃武 1888.2.29
 2600 J. C. Berry 1888.3.5
 2601 E. H. Sharp 1888.3.8
 2602 A. H. Hardy 1889.3.19
 2597書簡に関しては、Ad Inrerimの訳語を「臨時委員会」とすることが、本研究会に先立つアメリカン・ボード宣教師文書研究会(第13・14期)の成果論集『来日アメリカ宣教師』(1999年)の索引によって共有された。
 高等中学校なみのカリキュラムを求める2598書簡は、来たるべき第三高等中学校の京都移転をにらんだものであることが報告者によって解説された。
 続いて2599書簡の差出人の神田乃武や書中に登場するJ. O. Spencer・留学生浅田栄次について、『日本キリスト教歴史大事典』や『幕末明治海外渡航者総覧』における記事内容が紹介された。浅田の留学先は前者によるとユニオン神学校、シカゴ大学であり、後者ではウエスタン大学であることが指摘された。
 2600書簡については、これまで日付が1888年3月5日とされてきたが、消印にすぎず、本文には年月日記載がないことが確認された。
 Normal Schoolでもなく同志社でもなく、最終的に大阪高等中学校に就職する件がSharpによって弁明されている2601書簡には、森有礼文相による勧めもあったことが記されているが、Sharpが北垣国道府知事の関わるNormal School(おそらく府立の師範学校のこと)と同志社との関係を正確に理解していたかどうかは、2593書簡に引き続き不明であるとされた。
 2602書簡については、Hardyが1888年と差出日付を誤記していることが、書簡内容(森文相の暗殺)から確実だと議論され、収録場所移動の必要があることが明らかになった。
開催日時 2016年12月15日 15時30分~18時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 田中智子
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2594~2596計3通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2594 E. J. W. Baker 1888.2.7
 2595 神田乃武 1888.2.7
 2596 The Avery Sewing Machine Agency 1888.2.8
 解読に先立って、前回問題となった2593書簡の差出人E. H. Sharpについて報告者より説明があった。彼は彦根尋常中学校から1889年9月に京都の第三高等中学校英語教師へと転任する。紹介者は第三高等中学校教員の山中直吉(コロンビア大学博士)。年俸200円。それまで250円で外国人を雇っていた同校であるが、支出困難になり、以後外国人教師は200円を限りとして雇用することとなった。この経費削減方針もあいまってか、それまで(同校前身校の大学分校〔在阪〕時代)には、スミソニアン協会ワシントン国立博物館から複数の教師を招いていたが、国内からの教員調達に切り替わる。
 Sharpの1年ほど前に、学内クリスチャン教員田村初太郎の斡旋で、アメリカン・ボードのTheodore Weld Gulickが同じ第三高等中学校に雇用されていて、校内の基督教同盟会結成に尽力したことも、報告者から紹介された。北垣会員からは、やがて同校にL. L. Janesが奉職したことが指摘された。
 今回取り扱った書簡のうち、2595については、日本国内でのやりとりにかかわらず英文で手紙を認めたことにみえる神田の個性、あるいはその英語力について議論がなされた。
 また、ミシン販売会社からのDMにあたる2596書簡に関しては、その技術史的な史料的価値が確認された。ミシンはアメリカン・ボードの伝道上の必要があって購入されたのか、それとも各宣教師が家庭で用いたに過ぎないのかが問題視された。リチャーズが看病婦学校で洋裁の腕をふるったことについても坂本会員から紹介があった。なお本書簡に同封された販売広告については、体裁と長さの問題から全文を翻刻して公刊することはできないが、写真版として掲載するなどの方法で公にすることの意義が合意された。
開催日時 2016年11月18日16時40分~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 北垣宗治・田中智子
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2592~2593計2通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2592 E. J. Seelye 1881.1.31
 2593 E. H. Sharp 1888.2.1
 2592に関しては、上記『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)に収録された際には、1888年の書簡と考定されていたものを、このたび1881年の書簡と修正・確定した。そのことは、E. J. Seelyeの逝去年、あるいは書簡本文に言及がある“Life and Light”(February,1881 Vol.XI. No.2、前もって坂本会員から一次史料が配付された)などによって明らかとなった。本来、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(1)に収録されるべきものであり、公刊にあたっては収録場所を移動させる必要がある。
 報告者北垣会員からは、書き手のSeelye(ファーストネームはElizabeth)の娘もファーストネームがElizabethであり、混乱をまねきがちであることも紹介された。
 2593に関しては、同志社に存在しないNormal School(師範学校)への就職について、書き手のSharpが新島とやりとりしていることが問題視された。報告者田中会員より、Sharpは後に京都の第三高等中学校の教員になること、当該書簡中にGovernor(北垣国道知事)が登場していることから、このNormal Schoolとは同志社内の学校ではなく、京都府師範学校のことなのではないか、との見解が述べられた。これに対して、具体的にどこから就職依頼を受けているのか、Sharp自らが混同してしまってよくわかっていなかった可能性があるのではないか、といった意見も出された。
 以上をふまえ、田中会員が次回、Sharpに関わるより詳しい調査結果を報告することを約束した。
開催日時 2016年10月21日 16時40分~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 北垣宗治
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2588~2591計3通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。2589については、書簡自体が存在せず、上記未定稿に2589として収録されている書簡は、すでに『新島襄全集』第6巻の320頁に収録されている新島襄「発」J. D. Davis宛書簡(1888.1.11、書簡番号2282-a)であり、新島「宛」を検討対象として進めてきている本研究会の解読対象ではないことが明らかにされた。付随して、未解読の2282-b(A.OltmanよりMiura宛)は、2282-aの中で言及・同封されている書簡であり、いずれ全集6巻収録の上記2282-aの「補遺」として、何らかのかたちで収録されるべきものであることが確認された。以上をふまえ、今回は、この2282-bについても、その場において全員で解読を行った。補遺原稿として保管しておくことになった。
 さて、2588、2590、2591それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2588 服部他介 1888.1.5
 2589 G. Braithwaite 1888.1.10
 2591 N. G. Clark 1888.1.19
 書簡2588については、服部の専門、また、彼が学ぶインディアナ州のWabash Collegeについて、認識の共有がはかられた。また、和文の追伸部分についてフロアから読み下し文が配布された。
 次回扱う2592書簡について、坂本会員より参考資料の提供があった(Life and Light for Woman)。また本書簡の年代考定は、各自の宿題となった。
 研究会の終了後、本作業を近い将来において本にまとめるにあたって、かつて刊行された『新島襄全集』の続きとすることが望ましいのか否か、それは可能かどうか、分量はどのぐらいになりそうか、『新島襄全集』編纂当時の実情、予算の出処や大学・法人との関係等々について、率直な意見が交換された。
開催日時 2016年9月29日 14時30分~19時
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 朝鮮伝道史研究
新島襄宛英文書簡の解読
発表者 李元重
本井康博、北垣宗治
研究会内容  第1部では、ゲストスピーカー李元重氏(同志社大学大学院神学研究科修了、在日大韓基督教会・京都東山教会牧師)による研究発表が行われた。「戦後朝鮮半島における日本人教会」と題し、戦前に設立されていた日本人教会が、解放後の朝鮮においてどのような組織として引き継がれたのかを追った報告であった。主に、時代状況・史料残存状況・史料解釈、あるいは、各教会「引受人」となった朝鮮人の属性(日本との関係)や、「引き継がれるものとは何か」が議論された。そしてこのような教会が日本の教会と交流関係をもち、1965年の国交回復後、「東北アジア教会宣教協議会」というエキュメニカルな動きを醸成することに関心が集まり、この組織の性格についても質疑応答が繰り広げられた。
続く第2部は月例の英文解読会で、同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2583~2586計6通を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(3)と照らし合わせつつ取り扱った。それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2583 N. G. Clark 1887.12.13 (前回の続き)
 2584 University Pubkishing Company 1887.12.13
 2585 G. Braithwaite 1887.12.31
 2586 O. Flint 1888.1.1
 2587 中島力造 1888.1.2
 書簡2586に関して、Flintには代筆者がいることが議論された。また、同書簡中の難読二氏名については、後日北垣会員より、調査の結果、Hosmerおよび Kittredgeと断定してよいとの見解が示された。Webster's Biographical Dictionary には、Harriet G. Hosmer(1830-1908) と James K. Hosmer (1834-1927) が掲載されていることが根拠に挙げられた。James K. Hosmer はマサチューセッツ州ノースフィールド出身の著述家であること、シェークスピア学者として有名な人物として、ハーヴァード大学の教授、George L. Kittredge (1860-1941)がいることも紹介された。
開催日時 2016年8月23日13時~2016年8月25日16時
開催場所 琵琶湖リトリートセンター
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 坂本清音、杉野徹、宮地ひとみ、本井康博
研究会内容  6月例会にて7月開催をアナウンスしていた合宿を、都合により8月に延期したものの、琵琶湖リトリートセンターでの2泊3日のスケジュールをつつがなく終えた。同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文資料2554~2583の計31通の解読を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(2)(3)と照らし合わせつつ行った。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり
①2554 E. J. W. Baker 1886.4.9/②2555 N. G. Clark 1886.4.26/③2556 N. G. Clark 1886.4.30/④2557 下村孝太郎 1886.5.1/⑤2558 H. Schneider 1886.5.2/⑥2559 J. H. Seelye 1886.5.3/⑦2560 N. G. Clark 1886.5.6/⑧2561 N. G. Clark 1886.7.8/⑨2562 N. G. Clark 1886.8.3/⑩2563 W. T. Savory 1886.10.16/⑪2564 H. Browne 1886.11.9/⑫2565 J. C. Berry 1886.11.11/⑬2566 中島力造 1886.12.28/⑭2567 N. G. Clark 1887.1/⑮2568 N. G. Clark 1887.1.10/⑯2569 J. S. Sewall 1887.2.14/⑰2570 J. C. Berry 1887.2.24/⑱2571 E. J. W. Baker 1887.3.14/⑲2572 J. C. Berry 1887.3.30/⑳2573 C. M. Cady 1887.5.6/㉑2574 N. G. Clark 1887.6.7/㉒㉓2575 J. M. Sears・鈴木 1887.7.25・26/㉔2576 1887.8.12 新島公義/㉕2577 G. Braithwaite 1887.9.6/㉖2578 E. J. W. Baker 1887.9.23/㉗2579 Bureau of Education 1887.9/㉘2580 C. G. Love 1887.11.4/㉙2581 H. Browne 1887.11.14/㉚2582 E. E. Hardy 1887.12.8/㉛2583 N. G. Clark 1887.12.13
 N.G.クラークの書簡が多くを占めるが、上記にも含まれる「ベイカー夫人」「ブラウン夫人」をはじめ、新島には女性との間に交わされた書簡が多いこと、およびその交流の具体像、米沢の学校へのアーモスト生ヤング派遣計画(2559)、ベリーの関与した校地取得問題(2565)、電報にて知らされたハーディーの死とハーディー一家について(2575、2576、2582)、新島宛の書簡が「青山英和学校」に誤送された件(2581)など、書簡の内容についても活発に議論が交わされた。
 そのほか、土倉庄三郎(2566)、伊藤博文(2569)など、今回扱った書簡中には、多彩な人物が登場した。
開催日時 2016年6月17日 16時40分~19時
開催場所 同志社大学啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 坂本清音
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文文書2550~2553を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(2)と照らし合わせつつ解読した。すべて坂本清音が基礎報告を担当した。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり(前回ペンディングとなった2548書簡の和文メモ解読については解決することができず、次回以降に持ち越しとなった)。
2550 S. F. Taylor 1886.3.22
2551 A. Hardy 1886.3.27
2552 J. H. DeForest 1886.4.7
2553 E. J. W. Baker 1886.4.8
 2550は前回の続きであるが、報告者から、書簡に添付された新聞記事が扱う日本人女子留学生加藤錦について説明があった。また、代表者からも、加藤錦の経歴や著作、関係する研究史を紹介した補足レジュメが配布された。これらをもとに、東京女子師範学校での学修・教員歴、夫となる武田英一が武田斐三郎の長男であること、幕臣である父加藤清人や中村正直との関係、1892年当時、加藤が津田梅子を超える「洋学家」として世の評判を得ていたこと、記事に登場するフェノロサ夫妻のその後などについて、参加者間で活発に意見が交換された。
 2553については、Baker本人の手になる手紙といえるかどうか、参加者から疑問が出されたが、次回扱う2554が同じBakerの書簡であるので、内容や筆跡を比較した後で結論を出すこととなった。
 なお、昨年のボストン研修に関わって、神戸女学院史料室『学院史料』第29号(2016年3月)に掲載された井出敦子氏(神戸女学院職員)の参加記録(「米国マサチューセッツ州ニュートン ニュートン・セメタリーへの墓参」)が配布された。
 最後に、2泊3日の合宿形式で行うこととなった7月例会について、そのスケジュールが確認された。
開催日時 2016年5月20日 16時40分~19時
開催場所 同志社大学啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 坂本清音
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文文書2548~2550(途中まで)を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(2)と照らし合わせつつ解読した。坂本清音が基礎報告を担当し、適宜誤読箇所の指摘を行った。
 今回扱った3通の書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2548 D. C. Greene 1886.3.19
 2549 O. J. Flint 1886.3.21
 2550 S. F. Taylor 1886.3.22
 このうち2548は、同志社の5年生の連名脱校事件に関わる書簡であり、報告者からは、『新島襄全集』1の259頁に関連史料が掲載されていることが指摘された。封筒の表に新島が記した和文メモの解読は、研究代表者の宿題とされた。
2550は、差出人特有のスペルミスがあらためて確認された。
 なお、本書簡に同封された新聞記事については、『未定稿』(2)に収録されていなかったため、今回、報告者により、あらたに文字起こしした原稿が配付された。その内容については、次回までにメンバーが各自検討してくることとなった。また同記事において言及される女子留学生「加藤キン」についても、次回に研究代表者が関連報告を行うこととされ、持ち越しとなった。
 なお、4月例会において、Seelye発2545書簡に関し解決できなかった問題については、今回の例会時間内に検討する余裕がなかったため、6月にあらためて議題とする予定である(本書簡は、『新島襄全集』6に収録された新島発英文書簡への返信であるが、本文でSeelyeによって言及された当該新島発書簡の日付と、『全集』6に収録された同書簡の日付とが食い違っている。どちらが正しいか、原文書映写による判定が必要である)。
開催日時 2016年4月15日 16時40分~19時
開催場所 同志社大学啓明館共同研究室A
テーマ 新島襄宛英文書簡の解読
発表者 田中智子、坂本清音
研究会内容  同志社社史資料センター「新島遺品庫」中の英文文書2543~2547を、『新島襄宛英文書簡集(未定稿)』(2)と照らし合わせつつ解読した。2543~2546は田中智子が、2547は坂本清音が基礎報告を担当した。
 それぞれの書簡の差出人と日付は以下のとおり。
 2543 N. G. Clark 1886.1.23
 2544 J. B .Angell 1886.2.2
 2545 J. H. Seelye 1886.2.15
 2546 W. T. Savory 1886.2.20
 2547 N. G. Clark 1886.3.10
  このうち2544は、新島襄が依頼した、哲学・倫理学・宗教、歴史、経済等に関わる多数の英文書籍リスト、また、日本ステーションへの送金明細書が同封される書簡であったが、上記の『(未定稿)』(2)は、これらの翻刻を収録していなかった。そのため、報告者があらたに起こした原稿をもとに検討を進めた。また、この書簡の差出人を掲載していなかったが、今回はこれをJ. B. Angell宛と考定できた。
 2545については、『新島襄全集』6に収録された新島発英文書簡への返信であるが、本文でSeelyeによって言及されたその書簡の日付と、『全集』6に収録された書簡の日付とが違っている。次回に原文書を見ながら、どちらが正しいか結論を出すこととなった。そもそもアーモスト大学に所蔵される原文書のコピーは、1953年頃、同校コール学長によって本学にもたらされたことが北垣宗治会員より紹介された。
 2546については、『同志社談叢』第4号に収録されたオーティス・ケーリ氏論考中に、吉藤京子氏による和訳が掲載されている。本文中に言及される「写真」について、新島に写真を撮って送れと述べているのか、それともセイヴォリーが自らの写真を撮ることも想定されているのか、その文法的解釈をめぐって、吉藤訳も参考にしながら活発な議論が闘わされた。