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第15研究 京都のくらしと「まち」の総合研究 研究代表者:西村 卓(経済学部)

京都独特の地域社会やコミュニティ組織の変容、エスニック・マイノリティや社会的周縁層の生活および居住問題、「京都=文化・学術都市」という位置づけの要因である、観光や教育、そしてまちづくり実践京都の人びとの「くらし」に密接に関わる、老舗や農産物直売などを主な研究対象とする。3年間の研究期間内において、定例研究会での研究交流だけではなく、フィールドワークを実施し、ゲスト講師の助けも受け、研究目的の達成を目指す。

2018年度

開催日時 2019年3月15日 15時00分~18時00分
開催場所 同志社大学新町キャンパス 尋真館4F Z44C教室
テーマ
  1. 京都祇園祭山鉾行事の社会学的研究―菊水鉾の再生産戦略と祭縁協働体―
  2. イギリスの準自治体(Parish Council)について―日本の町内会との比較の視点から―
発表者
  1. 得能 司 氏
  2. 鯵坂 学 氏
研究会内容  第4回報告者は当会事務補助員の得能 司 氏(同志社大学大学院社会学研究科社会学専攻博士前期課程)と当会嘱託研究員の鯵坂 学 氏(同志社大学名誉教授)であった(出席者12名)。
 まず、得能氏から、「京都祇園祭山鉾行事の社会学的研究―菊水鉾の再生産戦略と祭縁協働体―」と題し、本年1月に提出された京都祇園祭山鉾行事の継承に関する修士論文ついての報告が行われた。報告では、町内人口激減後にマンション新住民が急増した町の1つである菊水鉾町において、運営者の確保には地縁・血縁・社縁といった個々人が選べないネットワークが優先されるが、その半分以上は町外で居住もしくは就業しており、さらに、町内に居住するマンション新住民ではなく、囃子方と呼ばれる町外者が多数を占める技能集団のベテラン幹部が運営に参画するようになったことが紹介された。また、実働面においても、マンション住民よりも、運営者と関わりの長い・深い町外者の方が優先されていることが、2年間の参与観察調査によって明らかにされた。
 次に、鯵坂氏から、「イギリスの準自治体(Parish Council)について―日本の町内会との比較の視点から―」と題し、2006年の在外研究を機に毎年行ってきたイギリスの準自治体(Parish Council)の成立経緯やその役割と意義に関する調査についての報告が行われた。報告では、イギリスにおいて、従来より農村部や郊外都市に存在していた小地域≒教区における準自治体(Parish Council)が、近年、都市部においても成立の機運が高まっていることが紹介された。そして、実際に、ロンドンにおいて唯一制度化・組織化された、Queen’s Park Community Councilを事例に、社会問題解決の担い手として、NPO/NGOや社会的企業だけでなく、近隣地域における共同性形成=地域コミュニティへの評価・関心が高まっていることが明らかにされた。
開催日時 2018年12月23日 14時00分~18時00分
開催場所 同志社大学新町キャンパス 臨光館2F R203教室
テーマ
  1. 戦後、在日朝鮮人の同業者組合―西陣織を事例に―
  2. 内鮮融和団体「相愛会」に関する一考察
発表者
  1. 安田 昌史 氏
  2. 高野 昭雄 氏
研究会内容  報告者はともに当会研究員の安田 昌史 氏(韓国 啓明大学校 人文国際大学 日本学科 助教授)と高野 昭雄 氏(大阪大谷大学 教育学部 教育学科 准教授)であった。報告テーマがともに在日コリアンに関するものであったため、同志社コリア研究センター関係の方々にもゲスト参加をいただき、研究交流を図った(出席者15名)。
 まず、安田氏から、「戦後、在日朝鮮人の同業者組合―西陣織を事例に―」と題し、戦後に京都の繊維産業に従事した在日朝鮮人の同業組合についての報告が行われた。報告では、組合や関係者作成の資料、新聞記事、行政文書と関係者への聞き取りをもとに、敗戦直後からの京都市の繊維産業における在日朝鮮人の労働とその実態について、朝鮮人同業組合を中心に考察がなされた。そして、当初は原料である生糸の配給権獲得や朝鮮人同士の相互扶助といった独自の活動を行っていたものが、朝鮮人労働者に対する差別偏見の解消を図るべく、日本社会に協力していく中で、組合の力が弱くなっていったことが明らかにされた。
 次に、高野氏から、「内鮮融和団体「相愛会」に関する一考察」と題し、戦前に、朝鮮人の職業斡旋を行いながらも、当局に協力し(利用され)、彼・彼女らを統制・支配していたとされている内鮮融和団体「相愛会」についての報告が行われた。報告では、京都市の辻紡績の朝鮮人労働者と相愛会京都本部との関係を事例に、国勢調査などの統計データや新聞記事を用いて、相愛会の果たした役割について考察がなされた。特に、辻紡績の職工であり、相愛会京都本部の会長であった金石東の動きを追うことによって、労働争議において一定の影響力をもっていた相愛会が辻紡績の経営難・人員削減により力を失っていったことが明らかにされた。
 出席者からは、在日朝鮮人の知人の話なども踏まえて、京都市全体の在日朝鮮人のコミュニティやネットワークについて、活発な議論が行われた。
開催日時 2018年9月29日 14時30分~18時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス 啓明館2F 共同研究室A
テーマ 京都市の空き家問題と六原学区での対策活動
都心回帰時代に住民自治の再形成―京都市都心部のマンション居住者と既存住民の関係性に着目して―
発表者 1.井上 えり子 氏
2.田中 志敬 氏
研究会内容  報告者はゲスト講師の井上えり子氏(京都女子大学家政学部生活造形学科)と当会研究員の田中志敬氏(福井大学国際地域学部)であった。(出席者13名)
 まず、井上氏から、「京都市の空き家問題と六原学区での対策活動」と題し、京都市東山区六原学区での空き家調査および空き家対策活動についての報告が行われた。報告では、空き家活用の需要はあるものの、所有者が活用せずに放置している空き家がほとんどであるという調査結果が紹介された。そして、その対策を考える上では、地域内の高齢化が進行する中で、単に空き家率を下げることを最終目標にするのではなく、新規入居者が地域コミュニティにどう関わり、いかに地域コミュニティに資する施設となるかが重要であることが指摘された。報告後、出席者にコミュニティ研究者が多かったことから、建物というハード面とコミュニティというソフト面の両面からまちづくりを考えていく必要性について議論が交わされた。
 次に、田中氏から、「都心回帰時代に住民自治の再形成―京都市都心部のマンション居住者と既存住民の関係性に着目して―」と題し、大都市都心部のマンション増加による人口回復状況でのマンション居住者と既存住民のコミュニティ形成の現状とあり方についての報告が行われた。報告では、町内会単位・学区単位それぞれでの既存住民側からのマンション居住者への対応事例が紹介され、両者が相互依存的な関係にまで発展し、コミュニティが存続している場合もあれば、対立関係のまま留まってしまい、コミュニティが衰退しつつある場合もあることが紹介された。出席者からは、前者の事例に含まれていた祇園祭山鉾町という特殊性をどこまで一般化できるのかという指摘がなされた一方で、町内会のような旧くからの枠組みが新規参入者の増加によっていかに転換されるのかという一般性についての議論も交わされた。
開催日時 2018年7月28日 14時~17時45分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス 啓明館2F 共同研究室A
テーマ 近代日本の庶民史-ふつうの人々の暮らしと人生を紡ぐ
近代日本の庶民生活史研究の課題と展望
発表者 1. 西村 卓 氏
2. 板垣 貴志 氏
研究会内容  代表者である西村卓氏が本年4月に刊行した『近代日本の庶民史-ふつうの人々の暮らしと人生を紡ぐ』についての書評会を行った。ゲスト書評者として島根大学法文学部の板垣 貴志氏を招いた。(参加者13名)
 まず、西村氏から、京都の町と近郊のむら、島根や長野の農村に生きたふつうの人々の暮らしにこだわり、彼らがその日々の中でのこした様々な史料を深く読み解いて、明治から昭和にかけての時代の動きを見つめ、都市史と農村史を撚り合わせて、ユニークな庶民史を紡ぎだした試みの報告が行われた。報告では、天下国家の歴史、つまり上から下を見下ろした歴史ではなく、ふつうの人々の生活者として実感のある歴史を下から上に描き出すことの重要性が強調された。
 次に、ゲスト書評者の板垣氏からは、ご自身のご研究も踏まえつつ、近代日本の庶民生活史研究の課題と展望について考えながら、資料・研究・実践・教育という4つの視点から書評が行われた。書評では、西村氏の著書を教育実践として前半と研究業績=論としての後半とに分け、教育実践の部分を叙述としてより強調してもよかったのではないかとの指摘がなされた。そして、生活環境の大きな変化の記憶を記録に留め、それがいまの日常生活にどのようにつながっているのかを明らかにするために、希少で特殊なものだけではなく、平凡で普遍なものにも着目している点に評価がなされた。そのうえで、「ノ」=フィールドで得られたデータによる在野(民衆・地域)=「ヤ」に資する研究という「野の学問」としての意義が提示された。
 それに対し、西村氏からは、京都の「まち」の暮らしを前半に、その中で排出される屎尿によって支えられていた都市近郊農村の姿をはさみ、後半で純農村の暮らしを描いたこと、すなわち都市・近郊農村・純農村という空間構成のなかで、ふつうの人々の暮らしを描いたと説明された。以上をふまえて、最後に、全体で、史料の読み解き方を中心に、活発な議論が行われた。

2017年度

開催日時 2018年3月17日 14時~17時45分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス 啓明館2F 共同研究室A
テーマ 近代京都の『町』自治:北観音山の昭和初期
『沿線案内図』に見る旅の変容:遊覧から行楽を経て観光へ
発表者 1. 奥田 以在 氏
2. 岸 文和 氏
研究会内容  報告者は、奥田 以在 氏(当会研究員)と、岸 文和 氏(ゲスト講師)であった。(参加者11名)
 第1報告者の奥田氏からは、「近代京都の『町』自治:北観音山の昭和初期」と題して、祇園祭において北観音山という山を出す六角町における昭和初期の町内・祭礼運営の変遷についての報告が行われた。報告では、まず明治期まで町内の家持による自治が行われていた六角町が大正期に借家人も含めた自治へと移行したものの、昭和初期には町内・祭礼運営への参加者が減少したため任意の参加者を中心とする適任者による自治へと変わっっていったことが示された。その代表例として、祇園囃子への町内参加者の激減に伴い、担い手の育成のために、町外者を含む北観音山保存会が設立されたことが挙げられたが、町内参加者が増加したわけではなく、町内の適任者との連携する形での祭礼運営の継承が図られていくようになったことが、文書資料の分析により明らかにされた。
 次に、第2報告者の岸氏からは、「『沿線案内図』」に見る旅の変容:遊覧から行楽を経て観光へ」と題して、奈良電気鉄道(現在の近畿日本鉄道奈良線)の「沿線案内図」の変遷から見た明治期の「遊覧」、大正期の「行楽」、昭和期の「観光」という旅観念の変化についての報告が行われた。報告では、徒歩移動が主流であった江戸期までは「東海道五十三次」に代表されるような特定の「風景空間」だけを切り取っただけだったものが、明治期の鉄道の誕生ととともに、パノラマ的な「地理的空間」を表象する「沿線案内図」が作られ、最短距離で無限に到達できるという視覚的レトリックによって、車窓から一望のもとに見渡す魅力が生まれたことが示された。ただし、それは、京都と奈良を結ぶだけであったものが、北は樺太から、西は朝鮮・中国、南は台湾・南洋諸島までもを延長上に描くようになるという、帝国主義・植民地主義的背景の下でのことでもあったことが、「沿線案内図」の描き方の分析により明らかにされた。
開催日時 2017年12月23日 14時~17時45分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス 啓明館2F 共同研究室A
テーマ 近世京都における料理屋の展開と「京料理」
京仏壇・仏具の実態
発表者 1.橋爪 伸子 氏
2.李 复屏 氏
研究会内容  報告者はともにゲスト講師の橋爪 信子氏と李 复屏氏であった。(出席者9名)
 第1報告者の橋爪氏からは、近世京都における料理屋の展開と「京料理」と題して、「京料理とは何か」についての報告が行われた。報告では、文献調査をもとに、料理屋の起源とその後の展開が、精進料理を巧みに利用する寺院門前の茶店や、高品質な「飲食の場面」を提供する寺院塔頭の貸座敷であったことから、「京料理」の特徴は、料理屋という「場」での料理の多様な供し方という「飲食の場面」の固有性にあるという見解が示された。また、もう一つの論拠として、京都独自の食材や調理法と言うことができる料理が確固としては存在していないことも指摘された。報告後には、京野菜などを例に食材や料理のシンボリックなブランド化についての議論が交わされ、報告者が示した「京料理」との違いが明確化されることとなった。そして、料理屋の「場」のしつらえや「飲食の場面」での供す所作といった京都独自のもてなしに着目した報告者の新たな視点には多くの共感の声が寄せられることとなった。
 次に、第2報告者の李氏からは、京仏壇・仏具の実態と題して、「東西本願寺門前町の仏壇・仏具業の経営」についての報告が行われた。報告では、アンケート調査をもとに、大半の業者が戦前から続く生産と販売を兼業する小規模家族経営であり、製造は門前町内での分業体制の中で相互依存的に行われ、販売は東西本願寺を中心とする浄土真宗各寺院とその関係先がほとんどであるという経営実態とともに、廉価の輸入品の増加による売り上げの減少と後継者の不足という喫緊の経営課題も示された。その解決策として、ほとんど全ての店舗の店頭では宗派に拘らない観光客向けのグッズも販売されるようになり、とある中規模店では内製化を進めることで技術転用によって新商品の開発が行われているなどが、インタビュー調査をもとに紹介された。出席者からは、末寺の廃寺や檀家の減少、若年世代の宗教離れとともに、宗教の市場経済化も指摘され、本願寺と門前町の関係の変化についても議論が交わされた。
開催日時 2017年10月29日 14時~17時45分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス 啓明館2F 共同研究室A
テーマ 近現代京都における山鉾町の住民構成の変化と祭礼運営
伝統産業の現代的変容――若手西陣織職人らによる近年の取り組みから
発表者 1.佐藤 弘隆
2.金 善美
研究会内容  報告者は、ゲスト講師(立命館大学文学研究科文化情報学専修博士後期課程)の佐藤弘隆氏と、本研究会研究員の金善美氏であった。(参加者10名)
 第1報告者の佐藤氏からは、「近現代京都における山鉾町の住民構成の変化と祭礼運営」と題して、地域の持続的な運営による祇園祭の維持・継承システムについての報告が行われた。報告では、祭礼運営と地域社会構造の関わりについて、江戸後期以降の船鉾町の住民構成の変遷を主な例に、人員の確保(社会的側面)・資金の確保(経済的側面)・場所の確保(場所的側面)の3つの運営基盤それぞれにおける「合同」と「排除」の論理による担い手の違いとその変容=再構築過程が示された。この点について参加者との間で議論が行われ、町の論理と祭礼の論理が合理的に入れ子状になっているという結論が導かれた。また、報告の前提として祇園祭との比較で示された秩父夜祭の屋台を出す町々の範囲が、祇園祭の山鉾を出す町々の範囲よりもかなり広く、世帯数も多いことに関して、農村部をも含む秩父屋台町と農村部は含まない山鉾町の対比が都市―農村関係の視点から議論された。
 次に、第2報告者の金氏からは、「伝統産業の現代的変容――若手西陣織職人らによる近年の取り組みから」と題して、伝統産業の衰退とそれを支えてきた地域社会の変容の中で、新たに若手従事者によって取り組まれている継承事例についての報告が行われた。報告では、産業内の最弱者である下請けや見習いとして働く若年で高学歴の移住者が中心に取り上げられ、企業家型・技術伝承型・クリエーター型と類型化されたうえで、それぞれが「帯」以外の生産品や新たな流通ルートを持つことが特徴として示された。報告者は、その取り組みが地域とはつながらないものとなっており、その背景として旧来からの産業内秩序の矛盾による分断が指摘された、参加者からは、西陣織ブランドの低下が危惧され、聞き取りのケース数をさらに増やすことや特に旧来からの産業内部への聞き取り調査の必要性が指摘された。
開催日時 2017年7月1日 14時~17時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 「都心回帰」時代における伝統都市「まつり」の維持・継承
大都市圏居住者のパーソナル・ネットワーク
発表者 1.得能 司
2.吉田 愛梨
研究会内容  代表からの新年度の挨拶と参加者の自己紹介・欠席メンバーの紹介がなされたのち、報告へと移った。(参加者10名)
 報告者は、本研究会事務補助の得能司氏と、同研究員の吉田愛梨氏であった。
 第1報告者の得能氏からは、「『都心回帰』時代における伝統都市『まつり』の維持・継承――京都・祇園祭・山鉾町・菊水鉾町の実践を事例に」と題して、「マンション建設に伴い新住民が急増した菊水鉾町における祇園祭の維持・継承」に関して書かれた昨年度の卒業論文についての報告が行われた。報告では、菊水鉾町において、マンション住民も祇園祭に参加できるようにと、新たに賛助会員制度が設けられるなど、新旧住民のフォーマルな関係づくりが行われたのち、賛助会員でなくても参加できる祭事への勧誘など、インフォーマルな関係づくりも進められてきたことが紹介された。報告者は、地縁組織である町内会と祭縁組織である保存会の連関を、双方の運営基盤である構成員からのみとらえていたが、参加者からは、財政基盤からの視点の抜け落ちが指摘された。
 第2報告者の吉田氏からは、「大都市圏居住者のパーソナル・ネットワーク―大阪市中央区・豊中市千里ニュータウン・ 京都市東山区六原学区での質問紙調査結果より―」と題して、「現代日本の大都市圏における中年期・高齢期女性の社会関係」に関して書かれた修士論文についての報告が行われた。報告では、従来から焦点が当てられてきた親族・近隣・職場・友人の4つの社会関係に加えて、市場や行政といった視点を取り入れ、都市度の異なる大都市都心と郊外、農村との地域間比較のデータが示された。そして、地域・年齢を問わず、一番身近な親族(特に他出子)が大きな意味を持つとともに、都市では友人との関係も重要なことが示され、未婚率の上昇によりその傾向が強まることが示唆された。報告者は、大都市都心では利用可能な資源の充実度から市場を重視する傾向があると仮説を立てていたが棄却され、都市度だけでなく社会階層の影響可能性が示唆された。参加者からも、社会階層による違いが指摘されたとともに、他出子の人数の違いなどのサンプリングの限界も示された。

2016年度

開催日時 2017年3月18日 15時~18時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 1.祇園祭における「伝統」の継承と変容
2.明治期京都における官立専門教育機関設立問題の展開
発表者 1.中村圭
2.田中智子
研究会内容  本研究会の嘱託研究員である中村氏の報告に加え、田中智子氏をゲスト講師にお招きし、初年度第4回目の研究会が開催された。(参加者12名)
 第1報告者の中村氏からは「祇園祭における『伝統』の継承と変容」と題し、祇園祭に関する制度史や担い手などの歴史的経緯をはじめ、自身が2003年ごろから継続している参与観察およびフィールドワークに基づくデータを用いての報告がなされた。本報告では、定義が不明確であるが、便宜上多用される「伝統」という言葉に着目し、祇園祭では「何を『伝統』とみなしているのか」を明らかにした。また、近年の都心部におけるマンション建設ラッシュにより、一部の鉾町では、祇園祭の担い手としての住民人口の増加が見られるため、「『伝統』を、どう新住民に継承しているのか」といった「伝統」の継承における実践にも焦点が当てられた。自治のあり方や保存会の組織形態など性格の異なる2町の歴史的経緯や取り組みが詳細に比較検討されたことにより、「伝統」の捉え方やその価値観が反映される担い手の「精神」のあり方は町によって異なること、そしてその違いは祭事の進め方など細かな点にも影響を及ぼしていることが明らかにされた。「伝統」という言葉に隠れた現代の祭事の実態が垣間見えた報告であった。
 第2報告者の田中氏からは、1890年代における京都の官立工業学校(高等工芸学校)誘致の動きに焦点をあて「明治期京都における官立専門教育機関設立問題の展開-高等工芸学校設置に至る経緯を中心に-」と題した報告がなされた。当時の官立学校誘致をめぐる都市間競争が激化するなか、特にライバル争いを繰り広げる競合都市もなく工業学校の開設を請願する京都の姿や、高等工芸学校は、あくまでも殖産的発想による開設計画であり経済振興や都市開発的な誘致ではなかったこと、そしてこうした「官立」学校誘致に積極性を見せる1890年代を通じて、美術工芸が京都の都市アイデンティティの核になっていったことなどが明らかにされた。京都が「学都」と呼ばれる、あるいは自称する所以がこの1890年代の「官立」誘致の動きに関連している可能性が示唆された。
開催日時 2016年11月5日 15時~18時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 1.大都市から地方の農山村への移動を目指すU・Iターン者の現状
2.人口減少地域における定住促進政策とIターン者の動向
発表者 1.鯵坂 学
2.河野健男
研究会内容  本研究会研究員の鯵坂氏、河野氏から京都府綾部市での共同調査の成果について、報告が行われた。(参加者12名)
 第1報告者の鯵坂氏からは「大都市から地方の農山村への移動を目指すU・Iターン者の現状:綾部市の調査から」と題し、研究に至る経緯や調査対象地域である綾部市の概要および移住者の動向など基礎的な報告がなされた。そこでは、昨今の地方農山村をめぐる厳しい現状や、これまでの都市-農村関係に関する議論、近年の農村志向の都市住民の増加傾向などが紹介され、「限界集落」や「地方消滅」とまで言われた地域をとりまくリアルな現実が提示された。また、調査地域である綾部市は2008年からの6年間で136世帯、324人もの移住者を迎え入れた実績があり、それは市による懇切丁寧な定住促進施策だけでなく、NPOや地域住民主体の交流・移住政策など、さまざまな活動の担い手によって成し遂げられた成果であることが明らかとなった。
 第2報告者の河野氏からは、綾部市に移住してきた20歳以上のIターン者141名への郵送によるアンケート調査結果(2015年8月実施、有効回答数76、回収率53.9%)をもとに「人口減少地域における定住促進政策とIターン者の動向:京都府綾部市にける調査から」と題した報告がなされた。Iターン者のなかには60歳を過ぎて退職後に移住してきた人も一定数いたが、30代や40代の子育て世代が目立った。また、前住地をみると京都府や大阪府といった近畿圏内からの移住者が多く、移住後も従来の知人・友人関係が存続していることも示唆された。生活満足度を尋ねる項目では、80%を超える回答者が綾部での日常生活に「満足している」または「やや満足している」と回答しており、その理由としては「近隣関係が良い」(15.8%)ことや、「自由な生活ができる」(17.1%)などが挙げられた。一方で、家計の状況を尋ねると、「苦しい」(28.9%)や「やや苦しい」(50.0%)といった回答が多く、世帯収入も低いことが明らかとなり、経済的指標では測りきれない「豊かさ」の一面が露わになった。
開催日時 2016年7月30日 15時~18時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 1.忘れられた祭り・京の染織祭(1931・昭和6年創設)
2.京につながる道の近代史
発表者 1.北野裕子
2.高久嶺之介
研究会内容  ゲスト講師である北野氏、本研究会研究員の高久氏、2名の報告が行われた。(参加者15名)
 第1報告者の北野氏からは「忘れられた祭り・京の染織祭(1931・昭和6年創設)-なぜ昭和恐慌期に祭りが創設されたのか-」と題し、昭和6(1931)年から昭和26(1951)年までの20年間、春の京都で行われた染織祭について、祭りの内容や運営組織の構成、当時の時代背景に即した構想など、その実態に迫る報告がなされた。当時の新聞記事や各種史料、統計資料、ヒアリングデータ等々、多様な資料を通じて「昭和恐慌とよばれる時期に豪華な祭りが、いかにして創設可能になったのか」という問いに対し、祭り創設の背景に垣間見られる京都の町衆の精神的支柱としての役割という要因を浮かびあがらせた。支配階級を表現した時代祭に対抗するように創設された染織祭は、平民風俗を表現した「大衆祭」としての特徴を持ち、戦前では希少であった女性が主体の祭りである。官民合同で催された豪華な祭りの実態をさらに掘り起こすことは、「重層的でリアルな昭和恐慌像」の構築につながり、当時の京都市の歴史を補完する一助となるであろう。
 第2報告者の高久氏からは、江戸時代から近代にかけての道幅の変化に焦点をあて、「京につながる道の近代史」と題した報告がなされた。江戸期までの道幅には統一性がなく、基本的に「人が歩く道」であるため、その幅は最高でも4間(7.2m)前後で、1m未満(3間=0.9m)しかない道も多く存在した。明治以降には、新しい交通手段である人力車や牛車の増大にともない、道幅の拡幅が行われる。大正から昭和にかけては、自動車やバスの急速な普及により、道の更なる拡幅が必要となるが、事業が全国的に普及するのは、1932(昭和7)年から1934(昭和9)年までの3年間の不況対策としての「時局匡救事業」によるものであった。経済史が概ね評価に値するとしてきた時局匡救事業に対し、本報告では、地方財政を圧迫する側面があったことや、事業費の一部を受益者負担で賄っていたことなどから、この事業が真にもたらしたものについて、地域差を考慮しながらの更なる検討が必要であることが示唆された。
開催日時 2016年6月4日 16時 ~ 18時30分
開催場所 啓明館共同研究室A
テーマ 統計資料から考える近代日本と在日朝鮮人 ―京都・大阪を中心に―
発表者 高野昭雄
研究会内容  新代表に変わり初めての研究会であるが、多くのメンバーや進行方針については前期を踏襲しているため、代表からのあいさつや予算執行に関する説明がなされたのち、高野氏の報告へと移った。(参加者10名)
 本報告の問題意識は、在日朝鮮人の渡航理由を第二次世界大戦時の「強制連行」であるとする一般的な認識への懐疑である。高野氏は、強制連行が始まる以前の1935年時点で、すでに60万人もの朝鮮人が日本で生活していたことを指摘し、主食である「米」に焦点を当てて、その移住の要因を探っている。
 まず、報告の前半部では、同氏の執筆論文である「1918年米騒動に関する考察-脚気統計と残飯屋から学ぶ-」(2014、『千葉商大紀要』第53巻第1号)をもとに、当時の日本社会の「米」をめぐる状況が説明された。米騒動の原因としては、商人たちによるシベリア出兵前の米の買い占めにより、米価の急激な高騰が生じ、貧困層の生活難が深刻化したことがよく知られている。しかし、本報告では、脚気統計の分析や残飯屋に関する行政史料、新聞史料等の分析を通じて、日本の米を中心とする食文化について考察することで、当時は白米に対する需要が、かつてないほどに高まっていた時期であることが明らかにされた。したがって、米騒動の背景には、貧困層の生活水準の上昇による、白米の常食化が影響しているという新たな知見が提示された。
 後半部では、問題意識に戻り1920年代から1930年代に日本へ渡った朝鮮人の渡航要因について言及された。当時の日本は急激な人口増加や米の需要の高まり、米騒動の経験などから、植民地支配下にあった朝鮮半島から朝鮮米を輸入していた。一方、朝鮮半島では、日本への米の大量輸出によって朝鮮人一人当たりの米消費量は激減し、そのうえ慢性的な食糧不足にも見舞われていた。その結果、日本に渡る朝鮮人労働者が激増するといった、移住のプッシュ要因が提示された。
 報告後は、日本人の米へのこだわりや在日朝鮮人の渡航理由に対する新たな視座の模索など、活発な議論がなされた。