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第16研究 カルチャー・ミックス ―アメリカ文化研究への呼びかけと「妙」のEco美学的考察 研究代表者 岡林 洋(文学部)<2016, 2017年度>、清瀬 みさを(文学部)<2018年度>

《「妙」のエコ美学的考察》がこの研究会のメインテーマです。ここで研究の対象となっている「妙」のことなのですが、これは皆さんがよくご存知の文化というか、宗教的な行事に登場するものです。京都市の北部地域でお盆の時期(8月16日)に繰り広げられる「五山の送り火」には「妙・法」が夜空に輝くでしょう。「妙」はその他と違って書体も自由闊達な「草書体」をとっているし、意味も「いわく言いがたし」とかで、なんだか自由な芸術家(書家)や美学者が興味を持ちそうな雰囲気なのです。この研究会では「妙」を仏語のジュヌセクアと翻訳するものと考えています。一方、エコ美学の特に「エコ」の部分でこの研究会でとる研究方法論が明らかにされています。それは環境保全という意味ではなく、また環境倫理の意味でもなく、むしろ生息地のに即した研究方法を行うと考えていただければ幸いです。

2018年度

開催日時 2019年3月9日 16時30分~18時
開催場所 徳照館二階第一利用室
テーマ 原点回帰かパロディか ――ヘーゲルの同時代劇批評を巡って――
発表者 髙藤大樹
研究会内容  三月例会では、本研究会が提起する「文化交換」の視点に基づき、その事例研究として19世紀ドイツの思想家ヘーゲルが著わした同時代劇批評を取り上げながら、喜劇や笑いを問題とする発表が行われた。
 通例、19世紀ドイツの演劇に関しては、アリストテレスの『詩学』に始まり、ディドロやレッシングを経てゲーテに至る単線的な展開の中で論じられている。それに対して、発表者は、ヘーゲル研究の中でもギリシア喜劇への回帰が論じられたテクストとして等閑視されてきた劇批評(「改悛する者たちについて」“Über die Bekehrten”, 1826年)に着目する。それにより、今日忘れられた19世紀ドイツの流行劇作家エルンスト・ラウパッハ(Ernst Benjamin Salomo Raupach, 1784 - 1852)の喜劇作品にたいして、ヘーゲルは「滑稽」と「笑い」の問題を切り口に、それをギリシア喜劇とモリエールに代表される近代喜劇の混合、パロディとして取り上げていたこと、そして瞬間的な観客の笑いや、社会批判的機能に切り詰められない喜劇的なものの働きを模索していた可能性が示された。
 ベルクソンの『笑い』に代表されるように、しばしば喜劇や笑いは個人の生の問題や社会的なこわばりの解消という観点において論じられてきた。本発表はそれに対して「文化交換」的視点からの見直しを提起するものである。
 発表にたいする意見としては、歴史的な劇形式の混合やパロディというヘーゲルの評価には、アリストテレス以来の劇作品理解である「ストーリーを紡ぐ」から「ストーリーを壊す」という大きな問題が含まれるのではないかという指摘や、社会批判的な視点が欠落しているように論じられているが、実際には当時の政治的、社会的問題が暗示されていた可能性もあるのではないかという指摘が出た。今後の課題としては、これらの点を詰めていく必要がある。
開催日時 2019年1月26日 10時00分~12時30分、18時00分~20時00分
開催場所 無賓主庵及び徳照館二階第一利用室
テーマ 「古民家再生の思想」
「旧グッゲンハイム邸保存・活用の意義」
発表者 カール・ベンクス、森本アリ
研究会内容  この回は研究部会の参加メンバーは11名でした。新潟在住の建築デザイナー、カール・ベンクス氏と塩屋在住の音楽家・旧グッゲンハイム邸運営者の森本アリ氏をゲスト講師に招きました。研究会のテーマは建築物の再生でした。
 この回は午前の部と夕方の部と2部に分けて開催いたしました。午前中は、10時より無賓主庵およびアーモスト記念館の見学をへてベンクス氏による無賓主庵建築の移築再生に関する専門的立場からの解説、学内の文化財建築の修復と保存についてゲストの2名の考え方を拝聴した上で討論いたしました。
 夕方の部では、ベンクス氏と森本氏が建築物の再生の意義についてお二人が対談、そのあと、全員で建築物の再生・修復と地域貢献について討論をしました。
開催日時 2018年12月22日 16時30分~18時30分
開催場所 徳照館二階第一利用室
テーマ 「建築家カール・ベンクスの古民家再生事業の特質と意義」
発表者 清瀬みさを・大愛崇晴
研究会内容  ドイツ人建築デザイナー・カール・ベンクスの新潟を中心とする古民家再生事業の実地調査、ベンクスとの対談を通じて、その建築思想と作品の特質を分析した。同じベルリンの建築家ブルーノ・タウトによる日本の伝統的な木造軸組構造への評価・タウトの建築デザイン、とりわけ建築における色彩の扱い方を継承しながら、ベンクスの古民家再生は、新潟を中心に土地の記憶、自然、風土との調和を図る点に異なる建築文化が融合している、という分析結果を発表した。
開催日時 2018年10月13日 17時~19時
開催場所 徳照館二階第二利用室
テーマ 「15世紀北イタリア墓碑彫刻における家系の顕彰図像について」
「ティツィアーノ作《聖ラウレンティスの殉教》-エル・エスコリアル修道院における配置とその意味」
発表者 小松原郁 森本奈穂美
研究会内容  二名の発表者から、美術史における文化交換の事例として、15世紀イタリア及び16世紀スペインにおける文化の相互影響について、それぞれ以下の報告がなされ、活発な質疑応答が行われた。
 (小松原)リミニのマラテスタ家墓廟であるテンピオ・マラテスティアーノを取り上げ、15世紀のイタリア君主の墓碑図像の形成における都市間の影響関係について報告を行った。まず、施主シジスモンドの墓碑構想の変遷を再検討し、墓碑の再構成を試みた上で、墓廟全体の図像構成について分析を加えた。さらに、他都市の君主の墓碑の構成や顕彰図像との比較考察を行うことで、家系の記憶の視覚化という観点から、本聖堂を15世紀後半の北イタリアの葬礼美術の系譜の中に位置づけ評価することを試みた。本聖堂は聖堂装飾や墓碑の配置において史観を構成し、聖堂装飾の図像を墓碑装飾の図像と関連付けることで複合的記念碑を構成し、家系の記憶の場を作り出している点で独創的であり、それが北イタリアの墓廟に与えた影響が確認された。
 (森本)「ティツィアーノ作《聖ラウレンティスの殉教》-エル・エスコリアル修道院における配置とその意味」
 ティツィアーノ・ヴェチェッリオはスペインのフェリペ二世の注文によって《聖ラウレンティスの殉教》(1564‐1567)を制作した。本発表では、ハプスブルク家とティツィアーノの契約関係を踏まえ、《聖ラウレンティスの殉教》がどのような意図でエル・エスコリアル修道院旧聖堂に配置され、修道院内でいかに機能していたのかを考察した。
 本作品はエル・エスコリアル修道院建設中に受注されたが、修道院聖堂完成後はペッレグリーノ・ティバルディによる同主題が主祭壇となり、ティツィアーノの作品は旧聖堂に残されたままとなった。従来の研究では、本作品の暗い画面が聖堂の主祭壇に相応しくなかったと言及されるのみで、主祭壇とならなかった経緯や理由について十分に考察されていない。本発表では、まずスペインの典型的な祭壇の形態について確認し、ティツィアーノの絵画様式がスペインの伝統に適していなかったことを示唆した。また、カール五世、フェリペ二世が所有したティツィアーノ作品の分析と当時のエル・エスコリアル修道院修道士の手記から、本作品は修道院において秘宝的な存在であり、国王のプライベートな祭壇として機能していた可能性を指摘した。
開催日時 2018年6月23日 17時~19時
開催場所 徳照館一階会議室
テーマ 「味覚」と「日常感覚」―Ästhesen(感覚)による現代美学の席巻
発表者 岡林 洋 岩﨑 陽子
研究会内容  二名の発表者から、『美学の事典』の項目執筆のための中間報告としてそれぞれ以下の報告がなされた。
(岡林)これまで西洋美学の文脈においてその考察対象の主領域であったのが、近代美学の幕開けの場面では確実にカントによってその普遍伝達可能性の認められた「美的なるもの(das Ästhetishe)」であり、それと判断との独特の一体化であった。「美的なもの」が趣味判断の対象ともまた判断そのものの形式ともなったのである。この美学固有の価値が一方では、主観(の快・不快の感情)への関わりを強調することによって客体の「概念」的認識や実践的な「道徳善」に基づく行為と間で三価値(真・善・美)の領域分担を果たしたこと、もう一方ではその主観との関係に「生命感情」の表れの名残り指摘しながらもカントの「認識論」の基本軸に責任をとらせる形で「悟性と構想力の遊動」が「美的快感情」の普遍性の根拠であると結論づけたのである。
 「日常美学」の先達者でもあり、しかも今日の米国においてこの新分野の斉藤百合子の欧州の美学方法の元来の由来とその応用的活用を例えば辞典的に記述する際に、西洋美学の学説とその方法論の美学史的受容の客観的把握に学術性を見出してきた者には真似のできぬ斉藤の欧州的美学方法論の集約力と素早い処理能力がどこから来、またいかに備わったのかを考えるにつけても、その存在が無視できないのがバーリアントの『社会美学』を成立させるに活用された欧州美学の方法論的記述であることが前提となる。バーリアントは「日常生活」ではカントのむしろ不快の感情を起こさせるものの方が圧倒的に我々の aestheticな感覚(1)領域で経験されるとし、「日常生活」で我々が経験するのはむしろ不快な感情に集約される反美的感覚であるとしている。バーリアントは「日常生活」を新たに美学の対象とするもののそこに主に所属する感覚は旧来のカントの不快の感情にとどまった。
 斉藤の「日常美学」にとって、バーリアントのそれのようにカントの「不快感情」を起こさせる感覚は、美的な「快感情」や芸術的体験での非日常的感動などは同様にむしろ周縁領域に位置されており、従来の西洋美学、西洋哲学がまだ一度もその対象領域として発見できなかった「日常」のものであり、その中心に斉藤は、the ordinary(普通のもの)、the familiar(身近なもの)を置いており、報告ではその具体的な分析を斉藤の美学第一弾と第二弾の著作『日常美学(Everyday Aesthetics)』(2007)、『身近なものの美学(Aesthetics of the Familiar)』(2017)と二編の論文、 Yuriko Saito:Everyday Aesthetics and Artification, in: Contemporary AESTHETICS, Special Volume, Issue 4, 2012, Yuriko Saito The Ethical Dimensions of Aesthetic Engagement(2017)に基づいて行なった。
 1バーリアントにとって、「日常生活のネガティブ(否定)エステティック」がこうした不快感を催す感覚が「日常生活」には充満しており、他方、カント的な美的快感情はエステティックな感覚にとってポジティブな価値を持つのでそこではいわばポジティブ・エステティックス(美的価値感覚を肯定する美学)と呼ぶ必要がある。

(岩﨑)西洋思想史において、五感のうち味覚(そして嗅覚も)は美や芸術に関連付けることはできないと考えられてきた。味覚への蔑視は連綿と続き、それに追随するかのように「味覚の芸術」たるジャンルは成立しなかった。その理由としては、それが動物的で本能的な感覚であり、他者と共有可能な理性的認識に寄与しないからである。本発表ではカントの美的判断とアーレントの美的共同体論、コースマイヤーの味覚のジェンダー論を検討し、食が美学の領域に入る条件、そして味覚の芸術の可能性を述べる。またおぞましいものや社会的な問題を引き起こしかねない味覚の危険性についても指摘し、美学と味覚について考えることは、日々更新されている美学の射程を問うことに直結しているという結論で締めくくる。
開催日時 2018年5月12日 土曜日 17:00~18:30
開催場所 徳照館2階 第一共同利用室
テーマ 斎藤百合子の「身近なものの美学」による「世界作り」
――その基盤としてのバーリアント、グッドマン、マイヤー ――
発表者 外山 悠(同志社大学大学院)
研究会内容  「日常美学」研究者として知られる斎藤百合子が『日常美学』(Everyday Aesthetics, Oxford University Press, 2007)、『身近なものの美学――日常生活と世界作り――』(Aesthetics of the Familiar: Everyday Life and World-Making, Oxford, 2017)で示した「日常美学」が「世界を作る」という思索の基礎となるものについて考察した。斎藤の美学には斎藤自身がたびたび言及しているアーノルド・バーリアントの美学からの影響が見られるが、「日常美学」による「世界作り」という発想は斎藤独特のものであることを明らかにした。またネルソン・グッドマンの「世界制作」論およびバウハウスにおけるハンネス・マイヤーのデザインへのアプローチとの比較を行った。
 質疑応答では、グッドマンの「世界制作」論と斎藤の立場の違い、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインの教授である斎藤がシカゴのバウハウスと呼ばれたミース・ファン・デル・ローエからの影響を受けている可能性を指摘された。斎藤の美学については、美学を現実へ、すなわち理論的認識から実践practikへと広げていくものであると指摘され、また斎藤の言う「道徳」について解釈、定義を行う必要性を指摘された。

2017年度

開催日時 2018年1月14日 13時~18時
開催場所 徳照館1階会議室
テーマ 斎藤百合子Aesthetics of the Familiar: Everyday Life and World-Making
発表者 斎藤百合子、岩崎陽子、外山悠、青木孝夫、岡林洋
研究会内容  現在の米国を代表する著名な美学者、斎藤百合子教授の「日常美学」の第二弾『身近なものの美学:日々の暮らしと世界作り』2017年の出版の機会に記念講演会(ゲスト講演、主催者側発表)を開催、以下の人文研第16研究及び西日本の美学研究者との学術研究交流を実施。
13:00~ 岡林 洋オープニング・セレモニー:特別記念講演会の趣旨説明/斎藤百合子教授をお迎えしてのご挨拶/日本側の研究発表者の紹介
13:20~ 岩﨑陽子 嵯峨美術短期大学准教授ニコラ・ブリオー『関係性の美学』質疑応答
14:10~ 外山 悠 同志社大学大学院文学研究科美学芸術学専攻博士課程(後期)「斎藤百合子「日常美学」と「をかし」の美学」質疑応答
15:00~ 青木孝夫 広島大学教授「花の美しさ-夜桜を焦点として-」質疑応答
特別記念講演16:00~17:00 斎藤百合子 ロードアイランド・デザイン学院教授「身近なものの美学が世界を作る」
17:10~ コメンテイター:「ネガティヴ・エステティックス」の持ち主、ベンヤミン、村上真樹 同志社大学嘱託講師
⑦17:30~18:00質疑応答

2016年度

開催日時 2016年10月9日 15時~16時40分
開催場所 寒梅館ハーディーホール
テーマ テロリズム時代のアートと美学の役割(第二部)
発表者 高田珠樹、山口和子、香川檀、石田圭子
研究会内容  第67回美学会全国大会の一環として、「テロリズム時代のアートと美学の役割」を考えるシンポジウムを開催した。前日につづく第二部は、ゲスト講師を招いてドイツの哲学者ペーター・スローターダイクの暴力表象諸論についての発表ならびに議論が行われた。
 冒頭、高田氏より「暴力に関するスローターダイクの発言をめぐって」と題して、スローターダイクのこれまでの思想の展開の紹介が行われた。とりわけ1990年代より、人間社会を包み込むものとしての「球体」をめぐる思考がその思想の核を形成していることが報告された。山口氏は「テロリズムと芸術」と題して、シュリンゲンジーフの作品にも触れつつ、テロと芸術との関わりが示された。特に「戦慄の美学」との議論を踏まえた近代におけるテロと芸術の親近性の問題、また現実と芸術とを分かつ「枠」の問題についての指摘が行われた。香川氏は「〈ダダの美学〉の今日的意義」と題して、歴史的アヴァンギャルドの嚆矢と見なされるダダが、戦後ドイツにおいていかに受容されてきたのかについての報告を行った。そこでは戦前のダダ運動と戦後のダダ受容との間には断絶があることが指摘され、ダダは戦後において再発見されたものであるという見解が示された。石田氏は「テロリズムの「大気」支配に対抗するために――神話を中断させる「ものがたり」について」と題された発表において、シュリンゲンジーフの著書『空震』における議論を村上春樹の小説『1Q84』における「空気さなぎ」の描写と比較し、それによってテロリズムの大気支配に対抗するものとしての「ものがたり」の重要性を指摘した。
 以上の発表に対して、司会の樋笠氏より、それぞれの発表は(前日の議論とは異なり)現実と虚構の間の境界をはっきりと見定めることに重点が置かれているとの指摘があった。また会場より、テロリズムに対抗するために芸術が果たすべき役割の問題についての指摘があり、登壇者との間で議論が行われた。
開催日時 2016年10月8日 10時~12時
開催場所 寒梅館ハーディーホール
テーマ テロリズム時代のアートと美学の役割(第一部)
発表者 岡林洋、村上真樹、前田茂
研究会内容  第67回美学会全国大会の一環として、「テロリズム時代のアートと美学の役割」を考えるシンポジウムを開催した。第一部は、ドイツの現代芸術家クリストフ・シュリンゲンジーフの舞台作品『ATTA ATTA アートが脱獄している』(2003年)を中心に、9.11以降のアートの表現についての発表ならびに議論が行われた。
 冒頭、岡林氏より『ATTA ATTA』の作品紹介が行われ、そこではシュリンゲンジーフの舞台作品と、20世紀後半のドイツを代表する芸術家ヨーゼフ・ボイスのアクションとの間のつながりが指摘された。その後、7月に行われた川俣正氏の講演映像が上映された。村上氏は「非現実への帰還――シュリンゲンジーフのアッタイズムとアタヴィズム」と題した発表で、舞台上でのシュリンゲンジーフが直接性の希求とその挫折、そしてその結果としてのテロリストへの転生を表現していることを指摘した。しかしそのような転生はあくまでも「演技」としてのものであり、ここに嘘をその支柱とする芸術の領域を現実世界にまで拡大しようとする作家の意図を読み取った。前田氏は「シュリンゲンジーフとサスペンス・マネジメントのサスペンス」と題した発表で、映像論の観点から、シュリンゲンジーフ作品における現実とフィクションの境界のゆらぎを指摘した。このようなゆらぎは、インターネット上に現れるテロリストの画像に表れているように、現実の虚構化という方向性へとつながるものである。
 以上の発表に対して、司会の樋笠勝士氏(岡山県立大学)より、村上氏と前田氏の発表は虚構の現実化と現実の虚構化という正反対のプロセスをとらえているが、ともに両者の間の垣根のゆらぎを強調している点は共通するという指摘が成された。また会場からも、シュリンゲンジーフのような現実世界に働きかける芸術を受容する際のリテラシーの問題、ドイツにおける民族的多様性の問題についての質問が寄せられ、幅広い議論が行われた。
開催日時 2016年9月10日 15時~18時
開催場所 徳照館二階第一共同利用室
テーマ 「文化交換」の事例研究 ①
発表者 岡林 洋、 前田 茂
研究会内容  本研究会が提起する「文化交換」の立場に基づき、その事例研究として現代日本の大衆文化について(前田氏)と、現代思想と映画について(岡林氏)の発表が行われた。
 現代日本の大衆文化に関しては、前田氏が「《ツンデレ》は属性なのか――ツンデレ・キャラクターの文学的機能――」という題目で発表を行った。アニメ、マンガ、ゲーム、ライトノベルなど現代日本の大衆文化において頻繁に出現する「ツンデレ」キャラクターは、従来の研究においては既存の「属性」(架空のキャラクーを具体化する上で付加される諸々の特徴)の累積として、同一の(あるいは類似する)文化現象内部の文脈で理解されてきた。それに対して、前田氏は、文学的な側面、特に一人称叙述のレトリックから「文化交換」的検討を加える。それにより、「属性」の累積ではなく、むしろ「語り手としての主人公」の分裂(=主体の分裂)を無限に引き起こす「ツンデレ」の文学的機能が提示された。この「文化交換」の事例研究を通じて、現代日本の大衆文化に特徴的な「ツンデレ」が、「大きな物語」を失った今日、主体を分裂させ「小さな物語」を無限に紡ぎ出す極めて現代的な現象であることが確認された。
 次に、現代思想と映画に関して、岡林氏が「「暴力」映画 VS.「リアルのそそのかし」美学 ―シュリンゲンジーフとスローターダイクの文化交換とその媒介項ボイス―」という題目で発表を行った。現代ドイツの劇作家・メディアアーティストであるクリストフ・シュリンゲンジーフの「暴力」映画を、ペーター・スローターダイクにおける「リアルのそそのかし」という概念と「文化交換」するという試みである。具体的には、シュリンゲンジーフの「暴力」映画を、その制作背景(制作年代、他作品との連関など)と作品内容(「暴力」)とに分割し、後者を「リアルのそそのかし」概念と入れ替える(「文化交換」する)作業が行われた。この作業を通じて示されたのは、「暴力」と「リアルのそそのかし」とが共にヨーゼフ・ボイスの思想を介して越境可能だということである。その越境の効用に関しては、継続課題として今後検討されていく予定である。
開催日時 2016年7月23日 9時30分~11時
開催場所 良心館302教室
テーマ 川俣正は語るⅡ(「テロリズム時代のart(ist)の役割」)
発表者 岡林洋、川俣正
研究会内容  美術家でパリ国立高等美術学校教授の川俣正氏をゲスト講師に招き、テロリズム時代のアートの役割についてのレクチャー・討議を行った。この企画は、2015年3月に、同じくテロリズムと芸術の関係についての報告が行われた「川俣正は語るⅠ」の続編にあたる。前回はドイツの現代芸術家クリストフ・シュリンゲンジーフの「ウィーン・コンテナ・アクション」を議論の土台としていたが、今回は同じくシュリンゲンジーフの舞台アクション『ATTA ATTA アートが脱獄している』(2003年)を中心に、9.11以後の芸術の展開を中心に議論が行われた。
 冒頭、岡林氏より、『ATTA ATTA』の作品解説、およびそこに認められるヨーゼフ・ボイスの影響についての報告があった。同作品は9.11の世界貿易センタービル襲撃の実行犯の一人モハメド・アタを題材に、芸術とテロとの親近性を議論の俎上に乗せるものである。その解説を受けて、川俣氏より、シュリンゲンジーフ作品の解釈ならびに同時多発テロ後のパリの状況報告が行われた。川俣氏からは、シュリンゲンジーフの表現には芸術の社会との関わりを強く意識したものが多く、その意味で彼はボイスが成し遂げられなかったことを達成しようとしているのではないかという見解が示された。また、テロ後パリ・リパブリック広場で起こったNuit Debout運動を例に、一般市民も含めての「語り続けること」の重要性が提示された。川俣氏は芸術というものが自らの境界をあえてはっきりさせようとしているという近年の傾向を指摘し、その上でアートは(イベントやエンターテインメントとは異なり)「裏切り」と「批評性」を持つべきであることを主張した。その上で、テロのような直接的な表現ではなく、間接的なアートの表現を模索することの必要性が語られた。
 なお、今回の川俣氏の講演については、10月8日に第67回美学会全国大会の一環として行われるシンポジウム「テロリズム時代のアートと美学の役割」において、中心的な問題提起のためにその記録映像を上映する予定である。
開催日時 2016年5月28日 17時~19時
開催場所 徳照館二階第一共同利用室
テーマ 今後3年間の研究テーマ及び今年度の事業計画の説明
発表者 岡林 洋
研究会内容  第19期の研究会のテーマを説明すると共に、今後(特に今年度)の予定事業と予算の使用について会合を行った。その中で、各研究員が現在の研究内容を簡潔に発表し、研究会全体の方針を確認した。
 まず、研究テーマについて。今期(第19期)本研究会では、前期(第18期)研究で提起した独自の「文化交換」の立場に基づいて、その交換事例を増やすことが目指される。5月例会では、当初二つの研究部門細目(I.「妙」のエコ美学研究、II.テロリズム時代の芸術と美学の役割)に即して研究を進め、各研究員の研究進捗状況に合わせ「文化交換」の事例研究に応じた新たな細目を立てるという方針が決定された。より包括的な、広範な「文化交換」の領野を明らかにすることがその狙いである。
 次に、この方針に合わせ、2016年度の特別事業として、第67回美学会全国大会において人文研主催のシンポジウム(「9・11以後の芸術(家)と美学――スローターダイクとシュリンゲンジーフ」)、公開講演会(「「妙」と「je ne sais quoi」の文化交換」(仮題)/「「妙」の京都と香りのパリ 」)を行うことが確認された。特に、今回の月例会では、それらの内容の吟味を行っている。シンポジウムに関しては、2012年12月(於ベルリン国民劇場)における哲学者スローターダイクや美学者ヴァイベルなどの講演、そして、劇作家・メディアアーティストであるシュリンゲンジーフが翌2013年1月に公演した舞台作品《Atta Atta》を扱うことになった。それら一連の反応を読み解くことで、9・11以後の芸術(家)と美学の在り方を問う試みとなる予定である。また、公開講演会では、岡林第16研究代表が五山の送り火の「妙法(曰く言いがたい/法)とフランス美学における、「je ne sais quoi」(曰く言いがたいもの)との「文化交換」 について、そして、パリ第一大学ソルボンヌのシャンタル・ジャケ(Chantal Jaquet)教授が謂わば香りの美学における京都とパリの「文化交換」について講演することが確認された。