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第17研究 開発主義国家戦後日本の形成・展開と社会、民衆の総合的歴史研究 占領冷戦/東アジア、1955年体制/参加と分権の政治システム、経済成長/持続的、開発/福祉、地域社会/地方自治、社会運動/社会統合 研究:庄司 俊作(人文科学研究所)<2016, 2017年度>、冨山 一郎 (グローバル・スタディーズ研究科)<2018年度>

本研究の目的は、開発主義の視点で現代開発主義の形成・展開(変容)とそれに対するオールタナティブとしての民主化、持続的社会形成の動向に注目し、戦後日本の全体像を歴史的に捉えることである。1955年体制、経済成長・開発、社会運動、地域社会・地方自治、農業・農民、沖縄の6つを柱とする。①「高度経済成長と戦後日本の総合的歴史研究」の経験と成果を踏まえ、研究体制を拡大するとともに、その一層の深化を企図した研究であり、②「地域から捉える」研究方法に徹し、③調査の方法や資料活用の面で本格的な歴史研究を目指す。現代開発主義国家論など有力な戦後日本国家・社会論を受け、地を這うような虫の目線から見上げる険しい視角と歴史研究の地道な作業によって、課題として残された、戦後という時代とその社会の捉えどころのない輪郭を描き、日本の戦後を歴史化する。

2018年度

開催日時 2019年3月20日 15:00~
開催場所 同志社大学寒梅館 会議室6A
テーマ 大学生を取り巻く就職環境の変化と企業の人材選択
―バブル経済崩壊後を中心に―
発表者 伊藤一雄
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2019年2月13日 15:00~17:30
開催場所 同志社寒梅館 会議室6B
テーマ 京都府政変遷調査 1
発表者 中村善治
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2019年1月24日 15:00~17:30
開催場所 同志社大学良心館 305番教室
テーマ 同志社大学人文科学研究所 第93回公開講演会
 「山陰の山びこ学校」と加藤歓一郎―コミュニティを変えた教育者の思想と足跡
 戦後の保守と園部町長 野中広務
発表者 櫻井重康
庄司俊作
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2019年1月16日 14:00~
開催場所 同志社大学寒梅館 会議室6A
テーマ 基地の町と移動する女性たち
発表者 桐山節子
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2018年12月19日 15:00~
開催場所 同志社大学寒梅館 会議室6A
テーマ 戦後教育の可能性―地域の豊かさを目指した島根県の事例から
発表者 櫻井重康
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2018年11月21日 15:00~17:30
開催場所 同志社大学寒梅館 会議室6A
テーマ 格差・貧困を読む―戦後~平成の時代
発表者 櫻井敏則
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2018年10月17日 15:00~17:30
開催場所 同志社大学寒梅館 会議室6A
テーマ スィーツを見れば世相がわかる
発表者 中村浩之
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2018年9月19日 15:00~17:30
開催場所 同志社大学寒梅館 会議室6A
テーマ 戦後労働法制の変遷と労働者状態
発表者 筒井百子
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2018年7月28日 14:00~
開催場所 同志社大学寒梅館 会議室6B
テーマ 基地の町と社会構造―金武町の事例
発表者 桐山節子
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2018年6月30日 14:00~
開催場所 同志社大学啓明館 共同研究室A
テーマ 合評会:中田英樹・高村竜平編『復興に抗する』
発表者 広原盛明
原山浩介
藤井祐介
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2018年5月26日 14:00~
開催場所 同志社大学啓明館 共同研究室A
テーマ 京都府旧乙訓郡文書からみた地方自治
発表者 高燎
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。
開催日時 2018年4月21日 14:00~
開催場所 同志社大学啓明館 共同研究室A
テーマ PL480によるアメリカ農産物の日本市場開拓計画
―「アメリカ小麦戦略」論の再検討―
発表者 伊藤淳史
研究会内容  報告はテーマの通り。報告を受けて活発な討論を行った。なお、各研究会メンバーの研究成果については、「2018年度研究所報」当研究会の報告を参照されたい。

2017年度

開催日時 2018年2月24日 14時~17時
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 戦後失業対策事業・失対労働者における在日朝鮮人
―1950年代前半を中心に―
発表者 杉本弘幸 氏
研究会内容  戦後、在日朝鮮人は総じて低賃金•重労働の下請け産業労働や日雇労働で働らかざるをえなくなっていた。全体の約8割が無職か不安定な就労形態だった。生活保護とならんで、失業対策事業による就労は当時の在日朝鮮人にとって重要な仕事のひとつであった。
 1949年9月に民族組織である在日本朝鮮人連盟が強制解散され、朝鮮人の生活擁護を行う母体もなくなってしまった。朝連などに参加していた人々が解放救援会などを組織し、公共職業安定所に対して、求職や差別待遇の改善、在日外国人専門の係の創設などを要求する「職安闘争」を組織する。
 「職安闘争」の中で朝鮮人・日本人失対労働者の連帯や統一行動を促進しようという行動が起こってくる。しかし、解雇や、朝鮮人と日本人との間が分断された事例も各地でみられた。在日朝鮮人は外国人登録を行い、在留資格がないと失対事業の適格者になれなかった。職安の中にはこれを、朝鮮人失対労働者の弾圧に利用し、自由労働組合朝鮮人幹部の就労手帳取り上げも行われていた。このように、日本人・朝鮮人統一行動は容易ではなかった。そのような中、その分断工作に抗する動きもあった。
開催日時 2018年1月27日 14:00~17:00
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 戦後日本における零細小売業の事業機会の変容
―1950年代後半から1980年代初頭を中心に
発表者 林彦櫻 氏
研究会内容  零細小売業の「過剰」問題は、戦前の日本から注目された。しかし、1950年代以降、過剰人口の解消、新しい小売業態の発展にもかかわらず、「過剰」とされた零細小売業はほぼ減少することなく、1980年代初頭まで増加し続けた。
 その要因について、本稿は、零細小売業の存立を支える外部要因に着目して、1950年代後半から1980年代初頭まで、零細小売業の事業機会の変容について高度成長期と低成長期に分けて考察した。
 高度成長期には、消費の急増によって小売市場が急速に拡大すること、多頻度少量購買の購買行動がまだ主流であったこと、都市化の進展に伴い、人口急増地域では新規需要が発生すること、それと同時にスーパーマーケットがまだ量的にも質的にも成熟していないこと等によって、多くの事業機会が存在し、零細小売業はその全盛期を迎えた。その意味では、いわゆる零細小売業の「過剰」は、地方の一部の地域に限ったもので、その増加の多くは現実の需要に対応したものであったと解釈できよう。
 低成長期に入ると、需要の多様化により一部の分野では零細小売業の新たな存立基盤が発生するものの、市場の拡大が減速し、人口の大都市集中も一段落がつき、更に業態の多様化によって競争が激化したため、零細小売業の事業機会が徐々に縮小した。この時期には零細小売業が層として存続しているものの「過剰感」が徐々に強まっていき、緩やかな衰退過栓に入りつつあったといえる。
開催日時 2017年11月16日 14:00~17:00
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 牛乳販売店としての婦選獲得同盟
発表者 尾崎(井内)智子 氏
研究会内容  本発表では、一般社団法人Jミルクによる「平成28年度「乳の社会文化」学術研究」によって助成を受けた「牛乳販売店としての婦選獲得同盟」を学術論文にすべく研究会で発表し学術論文へ向けての助言をもらった。これは、1929年の世界大恐慌を受けた婦選獲得同盟が従来の寄附金や演劇興行のチケット仲介料では、運営資金を得られなくなったため、新たに静岡県伊豆地方からの牛乳販売によって資金を得ようとした点を報告したものである。 
 当日、ご意見としては「牛乳販売店としての婦選獲得同盟」という題であるものの、実際は婦選獲得同盟の牛乳仕入れ先である伊豆畜産組合に記述の比重を割きすぎている点を指摘された。また、1930年から牛乳販売を始めた同盟は1935年と比較的早い段階で、運営資金を新たに始めた印刷業に頼るようになっており、その点「牛乳販売店」としての期間は短いことも明らかとなった。ただし、1932年度の収入に関しては牛乳販売代金が同盟を支えていたといえるとの指摘もあり、筆者には、今後学術論文にする見通しがみえた気がした。
開催日時 2017年10月7日 14時~17時
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 日登中学校1~5期生の動向と加藤歓一郎の「地域社会学校」実践をめぐって
―日登中学校の1961年名簿の整理から―
発表者 櫻井 重康 氏
研究会内容  1947年度に発足した島根県大原郡日登村立日登中学校は加藤歓一郎を校長にむかえ,自由研究,生活綴方,産業教育に軸足をおく学校教育を行うとともに,社会教育と連動させた地域教育を展開した。それは,まさしく「新教育」の一つである「地域社会学校」の実践であった。「日登教育」を分析する観点から,加藤校長在任中の1~11期生の卒業後の居住と職業分布を,1961年の同窓会名簿をもとに整理してみた。男子の場合,卒業後13~9年経過した1~5期は50~70%近く,6~11期は40~50%程が日登村・木次町に留まっている。職業では,5期までが農林業に40%以上就き,6期以降では20%前後に急落し,反対に20~40%前後が建設・製造業に就いている。女子の場合,地元に最高率で居住するのは,3,5,6期で,1,2期は県内他市町村,7期以降は京阪神に35%以上居住する。また職業では,4期までは農林業に30%以上就き,5期以降は下がる。4~6期は「その他」が最多で,7期以降は第二次産業が代わる。特徴として,男子の5-6期間に大きな変化があり,それは農家の後継者,京阪神等での就職が背景にあると考えられる。
開催日時 2017年7月1日 14:00~17:00
開催場所 寒梅館6B
テーマ 沖縄の基地と軍用地料問題-地域を内部から問う女性運動
発表者 桐山 節子 氏
研究会内容  本報告は戦後沖縄史における女性運動の一端をたどるもので、事例は1990年代から2000年代前半に沖縄県金武町(金武区と並里区)でたたかわれた軍用地料をめぐる女性差別解消運動である。並里区では地域団体の協議で要求が受け入れられたが、金武区では金武杣山訴訟をたたかった。金武町では復帰後3件の軍用地料に関する裁判がたたかわれたが、これはそのうちの1件である。ここでは原告・ウナイの会を2点から報告した。第1は裁判となった金武区は、女性を差別する地域とその家父長的な慣習自体が、高額な軍用地料によって再編されてきたものであり、同時にこの再編された地域は単に女性差別というだけでなく、金武町・区外出身者に排他的な論理をもっていることを浮き彫りにした。第2は、ウナイの会は軍用地料の獲得ばかりでなく、被告・入会団体の運営に参画し軍用地料の使途を問い、その使い方を変えることから地域を変えようと意図した。こうしたことから軍用地料配分のあり方を問う運動が、男性中心の地域運営から女性と男性によって運営される公平な地域を目指すものであったと考えられる。この報告を受けて、今後は裁判後の金武町の変化を論ずる必要があると助言された。

2016年度

開催日時 2017年2月4日 14時~17時
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 地域生協の戦後史:東京と福島からの問い
発表者 三浦一浩、林薫平
研究会内容  生協論レビュー研究会との共催で、「地域生協の戦後史:東京と福島からの問い」として、生協の戦後史に関わる報告・議論を行った。
 第一報告の「戦後東京における生協運動の展開:地域生協の設立過程に着目して」(三浦一浩、一般財団法人 地域生活研究所・研究員)では、占領期から高度経済成長期にかけての、東京の地域生協の設立とその後の展開を報告した。生活物資の不足から生協が乱立していった模様と、その後のそれぞれの生協の帰趨から、単に東京の生協史というにとどまらず、生協に何が求められようとしてきたのかが浮き彫りとなった。
 第二報告の「戦後日本型生協の『共同購入産直』モデル~生成と変容~」(林薫平、福島大学・特任准教授)では、共同購入と産直の変遷が論じられた。とりわけ産直については、京都生協がその生成過程で一定の役割を担ったことが示されるとともに、時代が下るにつれて、そもそも産直の持っている意味そのものが変容したことが明らかになった。
 以上の二つの報告を踏まえた討論では、生協を軸に置いたときに考え得る時代像、生協の担ってきた役割の変容とともに、今後の人口減少・高齢化の時代において、生協の持つ意味がどのように変わっていくのかという点も含めて議論された。
開催日時 2016年12月10日 14時~17時
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 戦後、京友禅産業における朝鮮人労働者 ―蒸・水洗工場Mを中心に―
発表者 安田昌史
研究会内容  2016年12月10日の研究会で報告者安田昌史が「戦後、京友禅産業における朝鮮人労働者 ―蒸・水洗工場Mを中心に―」というタイトルで報告を行った。
 戦後、京都の京友禅産業の蒸・水洗工程を担う工場Mにおいて、朝鮮人労働者がいかに就労をし、退職していく過程を概観した。初期は在日朝鮮人同士が持つ人間関係によって工場Mを就労するのであるが、時代が下るにつれて、労働者同士の人間関係によって就労する労働者(通称「流れ」と呼ばれる労働者)が増えていった。
 また工場M側からこの工場運営について考えた場合、創業当初は家族や知人の朝鮮人によって工場Mの運営がなされていたのであるが、1960年代後半からの機械化の導入により労働集約型の労働過程が減少し、代わりに技術や知識を持った速戦的労働者である流れの労働者が増加していった。
 1973年のオイルショック以降は、Mの労働者は漸減していくが、1980年代に入るまで流れの労働者が雇用されていた。日本の産業構造の変化により京友禅産業の不況が長引く1990年代からはMでは流れの労働者は雇用されることはなく、経営者家族と少数の古参労働者による経営という形に戻っていった。
 この報告に対し、創業当初の資金をMではどのように集めたのかというコメントが寄せられた。またこの研究が労働史なのか経営史なのかが不明瞭であるという意見もあった。そして、研究資料では聞取り調査で得られた語りを主要資料として用いているが、そうした語りの口調などが生きていないという指摘もあった。
 また戦前、どのような過程を経て朝鮮人が京友禅産業の特定工程である蒸・水洗工程に就労するようになったのかに関してである。元来、流れの労働者は職人気質であり、飲酒をし、「博打打ち」的要素があった。また組合に組織されやすく、ストライキ運動などにも取り込まれがちであったという。経営者はこうした流れの労働者を扱いにくいと忌避するようになり、朝鮮人を積極的に安価な労働力として雇用するようになったのではないのかという仮説も提示された。いずれにせよ、労働力の「買い手」要素の分析が必要であるという指摘である。
 これらコメント、指摘などに対して可及的に対応し、自身の研究に生かしていきたい。
開催日時 2016年7月23日 14時~17時
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 合成洗剤追放の論理と葛藤
発表者 原山浩介
研究会内容  合成洗剤追放運動は、日本の社会運動がひとつの転換点とされることの多い、1960年代から1970年代をまたいで展開した。そしてとりわけ1970年代以降、環境問題や公害といった諸問題に取り組む人びとをはじめとする、様々な市民団体を糾合しながら拡大した。関西では、琵琶湖の汚染問題と関わって、この動きに連動する形での市民団体の結成や生協運動の展開、そして相互の連帯が形成される一方で、同様に市民生活と深く関わる問題、時としてこの合成洗剤の問題にも取り組みながら、そうした一連の動きとは半ば独立した位置どりをする団体も存在し続けた。さらに、合成洗剤がABS からLAS、高級アルコール系へと変わり、さらに無リン洗剤が登場するなかで、大きくいえば、合成洗剤の全面追放と石鹸への転換という方向と、より良い洗剤を求めようとする方向の二つの流れが生じた。そこには少なからず、既成の党派や生協連合会の立場が折り重なり、それぞれの団体にとっては、合成洗剤への対応が団体の性格を規定するほどにまでなった。高度経済成長期後半からおおむね1990年代までの市民運動を見る上で、この合成洗剤の問題は重要な位置を占めるといえる。 
開催日時 2016年6月25日 14時~17時
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 戦後失業対策事業・失対労働者研究の意義と射程
発表者 杉本弘幸
研究会内容  本報告は、戦後失業対策事業・失対労働者研究の意義と射程を論じるものである。戦後失業対策事業/失対労働者研究の現在の歴史像は、失業対策・福祉政策として一時期は役だつが、高齢者、女性などの「滞留層」の「自立」のために打切ったというものである。また、高度経済成長の進行に伴い、失対労働者は、他に就職の見込みのない高齢者・女性の比率が大幅に上昇し、さらに被差別部落民や在日朝鮮人の割合が上昇していき、それらの社会的マイノリティが失対労働者に「滞留」していく。
 東日本大震災の復興事業で再び失業対策事業が注目されている現在、歴史学研究からの問題提起も必要であろう。なぜ、戦後失業対策事業が「失敗」したのか。どうして、「失敗」と認識されてきたのかを問うことは歴史学研究の責任であろう。
 また、歴史学研究としては、現在の歴史認識や政策評価を変える研究を行わなければならない。失対労働者とはどのような人々で、彼/彼女らは何を考え、どう日々を生きていたのかなどの基本的なことすら、十分に明らかにされ、位置づけられていないのである。
 こうした、研究状況の改善には、いまだ乏しい一次史料の発掘や整理が不可欠である。
 このような観点から戦後社会政策史・社会運動史研究と失業対策事業研究、戦後ジェンダー史研究と失対労働者研究、戦後マイノリティ研究と失対労働者研究を検討し、これまでの報告者の研究の到達点と今後の課題について論じた。
開催日時 2016年5月21日 14時~17時
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 高度経済成長と佐藤藤三郎
発表者 庄司俊作
研究会内容  拙稿「戦後改革と高度経済成長のあいだ」(研究報告ディスカッションペーパー第1号、2015年12月)の続編として準備し、合わせて「戦後農民史研究序説―農民佐藤藤三郎の戦後史、1950~70年」として2016年度人文研研究叢書『戦後日本の開発と民主主義』の一篇に収めることを目的として報告したものである。内容としては、農民目線の高度成長史を目指すということで、農民佐藤藤三郎の内面にまで立ち入り、その生の全体を浮き彫りにした。ただし、テーマ的には主に佐藤と農業、農村社会の関わりに焦点をあてた。現在の構造と歴史的な様相双方を視野に複眼的な考察を行った。戦後の日本に少なからず登場した「もの言う農民」を研究対象とする点に特徴・独自性がある。日記や同時代の手記(著作にまとめられる)等の史資料にもとづく戦後農民史の報告であり、その点でオーラル・ヒストリーや自伝の方法的限界を超えることを目指すものである。 
開催日時 2016年4月2日 14時~17時
開催場所 啓明館2階共同研究室A
テーマ 高度経済成長期における牛乳需要の拡大―コープこうべの事例から―
発表者 尾崎智子
研究会内容  本報告は、高度経済成長期の飲用乳需要の増大に即して、生活の質的変化を明らかにする。事例として戦前から一貫して牛乳販売に携わってきたコープこうべを取り上げる。生活協同組合コープこうべは1921年に設立され、日本に現存するもっとも古い生活協同組合の一つで、1962年以来現在の組織形態である。
 日本の近代酪農業は、農村部からではなく都市部から発展した。牛乳消費量は1960年頃から急激に上昇した。
 コープこうべの場合、牛乳の宅配は戦前から取り組んでいたが、当時はあまり受け入れられなかった。しかし戦後の高度経済成長期には、牛乳を「運動商品として、力を入れて供給」した。そこには、①牛乳は利益率が高いこと ②高度経済成長下における食生活の変化 ③団地を中心に“牛乳集団飲用運動”を展開し組合員数の増加を図ったこと、④牛乳宅配に専門勧誘方式を採用したことがあげられる。
 このことから見えるのは、牛乳の消費は世帯の所得水準によって購買量に差があり、人口の多い大都市ほど1人当たりの消費量が多いこと。
 生協と団地住民は1970年代に顕著に表れる食の安全志向のたかまりや冷蔵庫の普及など、生活革新の牽引者的役割をもちその一翼を担ったと考えられる。