第14研究 京都の茶文化の学際的、国際的見地からの研究と、
       その地域活性化への還元に関する研究
研究代表者:佐伯 順子(社会学部)


2021年度


開催日時第1回研究会・2021年5月21日 14時45分~16時45分
開催場所ズームによるオンライン開催
テーマお茶と日本の食文化
発表者原田信男
研究会内容 『「共食」の社会史』(2020年、藤原書店)著者、原田信男先生(国士舘大学名誉教授)より、オンラインにて、お茶と共食文化との関わりについてお話をうかがった。世界各地のお茶の起源や種類について、食べる茶(東北ミャンマー付近)、噛む茶(北部タイ、北ラオス)、薬用としての茶、唐宋時代の茶の種類、アジアの茶文化の多様性など、多くの歴史的な背景を説明されたうえで、各地域に残る「山茶」の文化についても幅広くご教示をいただいた。質疑応答では、ジェンダー論の観点から、男性の社交としてのお茶と女性にとっての礼儀作法としての明治以降のお茶の変化は、喫茶を伴う共食のコミュニケーションの内実のありかたとどう関わるのか、また、文化人類学の観点から、文献資料に残らないお茶と人間との関係の始原について、「近代」社会と茶との関係、薬草としてのお茶から嗜好品としてのお茶へという歴史的変化のなかで、ミントティーなどのハーブティー、民間療法などとお茶の関係はいかなるものであるのか、都市と生産地との関係についての質問、議論があった。『茶経』(陸羽、八世紀ごろ)では、お茶は野生が上等とあり、日本でも32の府県に800ケ所以上の現地のお茶があるとの調査結果があるが、そもそも照葉樹林の下生えであった茶が日本に自生していたものか、中国から渡来したのか、議論がわかれている。山間部や焼畑地帯の山茶は茶文化の発達とともに園茶へと変化し、近代の都市化、商業化、産業化の到来とともに、山茶が生えていた土地の所有者が、運搬の問題などから林業に転業するなど、山茶は近代化とともに衰退し、園茶を都市部の消費者が購買するという近代的モデルが形成されていった。近世以前の茶の湯文化は男性の社交手段であったが、亭主の留守に茶を飲み大笑い、という盆踊唄の一節や、お茶のみの妻は離別せよとの言い回しもあったことから、お茶を女性も楽しんでいたことがうかがえる。近代のお稽古文化としてのジェンダーの非対称性としては、お濃茶と薄茶の違いがあるかもしれない。一方、「日常茶飯事」としての茶は、地域社会にあった山茶を喫する習慣が食事と結びついた結果と考えることができる。過去2年間の研究会では、茶の湯文化の歴史が話題の中心であったが、今回は、一般市民に親しい山茶の歴史も含む国際比較の視点を加えた内容で、研究会の視点がさらに広がり、オンライン活用でイギリス在住のメンバーの出席も可能になり、有意義な研究会となった。


2020年度


開催日時第8回研究会・2021年3月15日 16時30分~18時00分
開催場所無鄰菴
テーマ無鄰菴における京都の茶文化継承活動について
発表者山田咲、重岡伸泰
研究会内容 明治27~9年に造営された山縣有朋の別荘・無鄰菴にうかがい、現地調査を兼ねて、学芸員の重岡伸泰さま、山田咲さま(植彌加藤造園株式会社知財企画部部長)にお話しをうかがった。無鄰菴のお庭は、南禅寺界隈別荘群で唯一通年公開の庭園(七代目小川治兵衛による作庭)であり、地元の方、観光客の方を含めて、庭園や伝統文化に親しむことができる唯一無二の空間である。新型コロナウィルスの影響で一時、対面のイベントは困難に直面したが、山縣自身が、道具に凝るというよりも、茶を通じた人的コミュニケーションを大事にしたことから、無鄰菴でも、実際に別荘であった、つまり人が集い、利用していた歴史をいかして、コロナ禍でも工夫して、茶文化を含む伝統文化継承と普及の活動を続けている。
 具体的には、参加人数を制限して茶室空間を味わってもらう「茶室に入る」、京都市内の小・中学生むけの、オンライン日本文化教室(オンライン座学と体験学習の組み合わせ、「茶会を自分でやってみよう!席主に挑戦!」など)がある。
 里山の風景や自然な水の流れを重視した自然主義的なコンセプトで作られている庭は、京都のなかでも近代日本庭園の特徴を味わえる空間であり、近代的なビル建築の文化センターや講演会場ではなく、京都の文化的背景をいかした独自性を有する。一方で、SNSなどの新しいメディア環境を駆使したオンラインの情報発信も従来から活発であり、季節ごとに変化する庭の植物や、野鳥の様子をアップされてきた活動実績が、コロナ禍でもいかされている。京都市の指定管理者制度がこうした活動の実現に寄与しており、指定管理者である京都の造園会社・植彌加藤造園(嘉永元、1848年創業)の、「現場、研究、経営の三位一体に取り組む」姿勢(murin-an.jpによる)が実践されている。
 著名人の旧居や別邸は全国各地で保存維持されてはいるが、建物の見学が主で、必ずしも常時、人が集う場所として利用されてはいないため、無鄰菴さまのご活動は日本の他地域の文化活動にも、また、コロナ後の未来社会にむけても、幅広い応用可能性を秘めていると感じた。


開催日時第7回研究会・2021年3月5日 10:00~15:00
開催場所福寿園京都本店4階茶室無量庵
テーマ海外文物利用茶会研究会について
発表者宮武慶之
研究会内容 海外渡航が難しい世界情勢において、国際交流を取り入れた茶会はいかにして可能かを、海外の文物を茶道具としてとりいれた茶会実践研究会として行った。海外の文物としては、オーストラリアのアボリジニの民芸品容器を平棗にみたて(銘・南宙)、ウズベキスタンの工房窯元の茶碗(銘・おとずれ、振ると音がなる珍しい構造により、宮武先生による命名)、花入れはブータンの織物の筆箱のなかに試験管を入れて利用(銘・龍華)し、掛け軸はカイロ・ギザのピラミッド近くで販売しているパピルスの絵(土産物パピルスはバナナの葉を利用した模造品の可能性もあるが、異国情緒を醸し出す掛物として利用)。お菓子は日本の雪餅(虎屋)。お茶杓(銘・白雲)、水差しは講師ご持参のものを拝借、お釜、炉縁は福寿園さまのものを利用させていただいた。

 当初は、お茶会全体を研究会として動画配信する予定であったが、発表者の宮武先生および当日の動画撮影担当の方と相談し、今回の研究会はお点前自体に注目する性質のお茶会ではなく、国際的要素を取り入れたお茶会の可能性を主題としたものなので、お茶会は動画記録を撮りつつ、お道具等の静止画と動画を含めて編集して共有し、お茶会自体のコンセプトや特徴を発表者の宮武先生と現地で考える部分も研究会の重要な要素とした。お茶会の実現までには、お道具のとりあわせやコンセプトについて、細かな打ち合わせを行い、当日は密を避けるために、開催場所への集合は発表者と研究代表者、動画記録撮影者のみとし、後日、編集した画像を共有する方法とした。

 エジプトの絵画やブータンの織物は、色彩が華やかすぎるかとの懸念もあったが、他のお道具の色、お花(山茱萸と白椿)と調和をとることで独特の世界観が生まれ、高価な名物ではなくとも、異国情緒を醸し出す何気ないお土産品が、国際色を感じさせるお茶会に利用可能であることを確認する実践研究会としての成果をあげることができた。


開催日時第6回研究会・2020年8月31日 13時30分~15時30分
開催場所オンライン(ズーム)開催
テーマ皇室と茶の湯
発表者依田徹
研究会内容 『皇室と茶の湯』(淡校社、2019年)著者・依田徹先生によるご講演。九州から大和へ移動した皇室の古代からの歴史をひもときつつ、留学僧などにより、寺院での喫茶、茶栽培は平安初期からなされていたが、嵯峨天皇の喫茶(弘仁6、815年)が記録に残ることで、皇室が外来文化としての茶文化をとりいれる「文化リーダー」としての役割を果たしたと指摘された。14世紀の宮中では、闘茶も行われたが、その後、茶文化の中心は、将軍・義満、義政ら武家に移った。
 天正年間には、武家から天皇への献茶があり、信長は茶壺を天皇に献上、秀吉は茶会を催した。寛永年間には徳川家出身の東福門院が、仙洞御所で茶会を催し、明暦年間の御西天皇は茶杓を削るなど、皇室と茶の湯との関わりは続き、茶壺の口をきる口切りの茶会は、皇室の年中行事ともなっていたが、明治の動乱の前に、孝明天皇で途絶えてしまう。
 近代の天皇に対しては、博覧会における献茶(上野で明治10年、京都で明治20年)がなされたが、当時の天皇は外出時には洋装、靴も脱がなかったので、テーブルで献茶された。大正天皇の后・貞明皇后は、青山御所に茶室を設け、昭和5年から稽古を始めた。明治から大正にかけての一般市民の文化活動の発達と、女子教育への茶の湯の導入は、大名家のお抱えではなくなった近代の茶文化の消費文化との融合(大規模イベントの開催、刊行物による門弟や組織の拡充)をもたらしたが、皇族のおもてなしは、貞明皇后と妃殿下による溥儀への茶のもてなしが特筆すべきもので、戦後、皇室による茶会が西洋式になったのは、茶文化がそもそも外来文化であったゆえの必然ともいえる。
 長い歴史的視野にもとづく内容は、公家と武家、稲作文化など、政治史や文化史、社会史全般にもわたり、消費文化の発達やインテリによる抹茶茶碗の「美術」的価の提示が、近代における「日本文化の再編成」をもたらしたのではないか、茶道具のデザインの好みとジェンダーとの関係をどう考えるべきか、といった出席者との実り多き質疑応答がおこなわれた。


開催日時第5回研究会・2020年8月8日 14時35分~16時00分
開催場所軽井沢セゾン現代美術館2階、同庭園茶室
テーマ発表「茶文化と女性~正座、喫煙、近代教育」、および、胡坐茶会実践研究会(團紀彦建築設計事務所さんによる)
発表者佐伯順子
研究会内容 前半は佐伯の発表「茶文化と女性~正座、喫煙、近代教育」、後半は軽井沢セゾン美術館の庭園内に設置された茶室で、研究会として2回目の胡坐茶会を行った。
 発表では、近世以前の茶の湯が、主として男性の社交空間であったとともに、遊里で諸芸にたけた太夫(遊女の最高位)が茶の湯で客をもてなしたこと、しかし、明治近代以降、茶の湯が礼儀作法として女子教育に取り入れられ、男性文化ではなく女性の稽古文化へと変容したことを説明した。また、メディアにおける茶の湯の表現の最新状況について、NHK大河ドラマ『麒麟が来る』(2020年1月~)の初回において、斉藤道三が茶に毒を入れて敵対者を毒殺した場面の影響から、『家庭画報』のオンライン記事「戦国・漢(おとこ)の茶」のように、男性の茶へのメディアの関心が高まったことを指摘した。時代劇には、「ちゃかぽん」(茶と和歌と鼓が趣味)と綽名された井伊直弼の茶がしばしば描かれるが、茶の湯の魅力を描いた近年の映画『日々是好日』では、明治以降の茶文化の変化をうけ、茶の師匠も弟子も女性で占められている。
 「正座」が礼儀正しい座り方として認識されるようになったのも明治以降であり、戦国時代には女性は立膝で座っており(上記ドラマでも再現)、男性も立膝で茶の湯を嗜んでいた(矢田部英正『日本人の座り方』)。しかし、女性の着物の身幅が狭くなったことから、膝を崩した座り方が物理的に難しくなり、主として女性の稽古文化となった茶の湯も「正座」が正式となった。あわせて、喫煙文化は江戸時代初期に、客へのおもてなしとして茶と結びつき、茶席には現在でも煙草盆が出されるが、喫煙が健康に有害であるとの観点もあり、形骸化している。江戸時代には女性も喫煙習慣があり、特に、遊廓の遊女が客への好意として渡す「吸い付け煙草」は良く知られていたが、近代以降、喫煙は主として男性の習慣となり、特に昭和期のドラマや煙草の広告には、タバコをくわえる主人公が「男らしく」描かれている。
 茶の湯が「遊芸」から女性の礼儀作法となり、煙草が男性文化となり、胡坐が「正座」にとってかわる変化は、日本社会の近代化とともに連鎖して生じたといえる。
 後半は、昨年度第5回研究会(研究会としての胡坐茶会実践研究会)で胡坐茶会を提案された建築家・團紀彦先生設計の屋外の茶室で、胡坐茶会の再現があった。なお、今回の胡坐茶会実践研究会は、團紀彦建築設計事務所の主催によるものであり、これを前半の佐伯の発表との内容的連続性により、人文研メンバーに共有するものである。


開催日時第4回研究会・2020年7月25日 16時30分~18時
開催場所福寿園京都本店
テーマ福寿園の歴史とお茶の流通
発表者吉永清志
研究会内容 福寿園京都本店において、お茶の流通と同社が展開されている茶文化発信についてのお話をうかがい、社屋内のお茶室をはじめとする茶文化の普及活動に関わる施設についての説明をうけ、実地見学をさせていただいた。
 地域社会では農村部において自家製の茶を栽培、喫する習慣があったが、都市部に流通する茶、特に抹茶は、大名家などの限られた顧客にむけての流通であり、地域社会での自家製の茶とは流通経路としても茶自体としても異質なものであったといえる。茶の流通が国際的に活性化したのは幕末から明治にかけて生糸とならぶ海外むけの輸出品としてであるが、京都の場合、都市中心部への茶の販売を担ったのは白川女であり、頭上にのせた籠の花の下に茶を入れて販売していた。白川に広がっていた花畑も白川女による茶の販売もなくなり、現在では都市部の販売店が茶を販売しているが、福寿園のように茶の生産地で生まれた店と、最初から販売店として出発した店では性格が異なる。
 京都の複数の寺院では、現在でも敷地内で茶を栽培し、茶摘と茶の製造が禅僧の修行の一部として組み込まれている。現代のメディアでも、尼寺の自家製の茶が紹介されており(NHKEテレ『やまと尼寺精進日記「水無月青葉風吹く お茶日和」2020年6月28日』)、かつては多くの地域社会に存在していた自家製のお茶文化は寺院で継承されている。
 福寿園京都本店4階には茶室・無量庵、立礼の茶席があり、抹茶体験やお茶講座など、海外のお客様などにむけて日本の茶文化を発信している。現在は新型コロナウィルス感染症の影響のため、海外からのお客様がとだえ、山鉾巡行が中止になったため、例年のような町の賑わいはないものの、5階のオリジナル茶器のショップ、1階のお茶のショップには、祇園祭りにちなんだ涼しげなガラスの夏茶碗や祇園祭の屏風が飾られており、祭りが縮小されても、茶文化を通じて京都の年中行事の魅力を伝える工夫が随所にみられた。
 地下「京の茶蔵」ではお茶をブレンドできる体験コーナーもあり、抹茶をひく器械もあるが、人力でひく茶臼よりも大きめではあるものの、設置されている器械による生産量は限られており、大規模な消費向けの抹茶は、通常、粉砕機を利用するが、茶臼でひくような繊細な質感は出ないとのことであった。
 研究代表者が、東京世田谷・斎田美術館所蔵のお茶壷道中の絵巻についてコメントしたところ、講師の吉永先生も同美術館を既にご訪問され、学芸員の方とも交流されており、茶文化と交通についての東西に共通する要素について議論が進んだ。また、都市近郊から野菜などの農産物とともに都市中心部へと茶が運ばれ、販売されたのは、京都以外の地域にも共通する点であろう。
 研究会に続く3階「京の茶膳」における懇談会でも、感染に注意しつつ、1964年の東京オリンピックの際に料理を提供された中野シェフによる、日本の茶文化と西洋の食文化との融合の実際を学ぶことができた。


開催日時第3回研究会・2020年7月12日 17時00分~18時00分
開催場所オンライン(ズーム)開催
テーマオンライン茶会の傍視聴
発表者クリステン・スーラック先生、太田達先生、三窪笑り子先生
研究会内容 当初、研究会より、太田達先生に、研究会メンバーのためのオンライン茶会の依頼をし、弘道館でオンライン茶会を公開実施しては、との弘道館側からの提案をうけ、オンライン茶会「祇園会の茶」が実施され、研究会メンバーもオンラインで傍視聴した。正客をオンラインで海外から招いてはどうかと研究代表者が提案した結果、クリステン・スーラック先生(ロンドン大学、『日本らしさと茶道』著者)がお正客としてオンラインでヨーロッパから参加された。(亭主・太田達先生、点前・三窪笑り子先生)。
 研究会が関わった範囲では、こちらからの提案である海外からお正客を迎えての茶会が、オンラインで距離感なく実施できることが確認できた。 
 当日の様子は弘道館facebook祇園会の茶で視聴可能だが、今回は研究会側から事前に提案したアンケート等は採用されず、事後の感想収集、動画撮影スタッフの選定、動画撮影内容等の決定はすべて弘道館が行ったため、記録は本研究会が関わった範囲にとどめる。祇園会の茶(2020年7月12日)

7/12オンラインお茶会のライブ配信のページ
https://www.facebook.com/koudoukan/videos/657799258426270/?fref=mentions&tn=K-R


開催日時第2回研究会・2020年6月20日 15時15分~16時45分
開催場所有斐斎弘道館
テーマオンライン茶会の知恵
発表者三窪笑り子
研究会内容 緊急事態宣言発令の前にいちはやくオンラインお茶会を始められた三窪笑り子先生に、その誕生の経緯とオンライン茶会ならではの知恵と工夫についてお話をうかがった。まず最初に、島根のお寺のご友人さまと、気軽にお抹茶をオンラインで楽しんでいただくためにインスタライブの配信を初めて開催。次に、東京のお茶人の方とも同様の催しを、京都、東京をつないで開催。
 インスタを選んだのは、FBよりも若い人がよく利用しており、24時間のストーリーズ機能があり、遠隔地の方と気軽につながることができ至便であるから。
 さらに、三窪先生の働きかけで、弘道館の太田達先生の豊富な知見とともに、弘道館でのオンラインお茶会が始まる。テーマを相談され、「葵祭の茶」「祓えの茶」2回を開催(各2020年5月15日、2020年5月31日)。コロナの影響下でも、京都の年中行事をいかすこと、禊と祓えの季節であることにこだわり、お道具やしつらいを工夫した。
 あらかじめお道具を写真にとり、パワポで解説を準備し、当日のお客様のためにさらに説明することで「感動し直す」経験ができた。お抹茶茶碗の銘「ひとやすみ」に、コロナ下の「ひとやすみ」という思いをこめ、「コミュニティをケアする」お茶会の意義が深まった。
 オンラインでは、お客様が数百人規模となっても、玄人の方、初心者の方がフラットにつながることができ、「演出」することで、お客様の意識をいい意味で誘導でき、メッセージが一般の方にも通じやすい利点がある。
 後半は次回公開研究会講師のクリステン・スーラック先生(『日本らしさと茶道』著者)ともオンラインでつながり、弘道館・太田達先生もともに、茶文化の国際化についての意見交換を行った。一回目と同様、三密を避けて弘道館でゲスト講師のお話を記録、研究会メンバーに内容を共有する方法で開催した。


開催日時第1回研究会・2020年6月7日 15時00分~17時00分
開催場所有斐斎弘道館
テーマオンラインによる茶文化の継承について
発表者濱崎加奈子
研究会内容 茶文化を含む伝統文化の継承に、オンラインを通じていち早くとりくんでいらっしゃる有斐斎弘道館館長・濱崎加奈子先生にこの間のご苦労と取り組みの実態、将来の可能性についてお話をうかがった。
 有斐斎弘道館は江戸時代の学問所であったものが、マンションになりかけていたところを、建物を守るということを第一義として再興した。コロナ以前から様々な困難をかかえてきたなか、「場を守る」ことの重み、重要性を意識し、2020年はじめに十周年記念行事を行い、伝統文化継承の重みを身にしみて感じていたなか、今回のコロナ危機がおこった。
 こういう時代だからこそ、伝統文化の継承のために「できることはなにか」を考えるなかで、「既存の講座のオンライン化」にふみきった。弘道館自体のキャパシティとしては、ゆったりすれば10人~15人、多くて80人、「場に集う」という意味ではオンラインは本来の姿ではないかもしれない。しかし、やってみないとわからないことがある、やるならはやいほうがよいと考えて決断した
 お茶会は、人と人が集う機会であるため、人に会うこと自体が否定されるコロナ危機のもとでは不可能になってしまうが、オンライン化が単に「点前をみせる」ことに留まるのではなく、多くのお客様が一同に会すことを可能にし(390名ほど)、かつ、ロンドン、ハワイ、パリなど、海外のお客様ともつながることで、オンラインでの「一座建立」が実現できたことは新しい発見であった。対面の大寄せでも、数百人規模で集うことはできないので、大寄せはオンラインのほうがよいのでは、との発想も生まれた。
 オンライン化における課題としては、「ジャンルわけ」の必要性を感じた。つまり、 「普及のための内容なのか/根本を伝える内容なのか」という質の問題である。これは、伝統文化の何を誰にむけて伝えたいのか、弘道館という場が伝えるべき内容、役割は何なのか、ということにつながる。また、リアルタイム配信なのか、録画をとりためて配信するのか、発信のタイミングはいつがよいのか、といった問題もある。これらのことを、今後様々な取り組みを通じて考え、ベストな形をみいだしてゆきたい。オンライン茶会は、リアルなお茶会の代替ではなく、茶道の真髄的なものが逆説的に「抽出」されるのではないかと考えている。
 困難のなか、伝統文化継承の実践をとおしてみいだされた新しい可能性について、極めて示唆に富む感銘の深い内容であった。

2019年度


開催日時第6回研究会・2020年3月6日 9時30分~15時30分
開催場所三輪清雅堂、波多野指月窯、不走庵三輪窯、天寵山窯
テーマ大名茶と京都の茶文化の関係について
発表者太田達
研究会内容 萩の夏みかんを利用して和菓子をつくられている京都の和菓子店老松の元当主・太田達先生に、萩焼の老舗・三輪清雅堂にて、茶人、茶会の歴史と萩焼の歴史的位置づけについてご教示いただいた。
 朝鮮渡来の萩焼の祖である陶工・李敬の抹茶茶碗は、京都の有斐斎弘道館(太田理事)のお茶会でも利用されており、慶長年間の記録にある「しろきはぎ」は、現在の鬼萩のような釉薬によるものではなく、茶碗の土自体の色を意味すること、本阿弥光悦の洛北鷹峯移住は、芸術村創造ではなく、古田織部(豊臣との内通を疑われて切腹)門下の光悦のネットワークを警戒した幕府による処払いであり、同じ織部門下の大名茶人・毛利秀元が、三代将軍・家光の品川大茶会(御殿山大茶会、寛永17、1640年9月16日。家光が品川御殿で重臣を招いて開いた茶会のなかでも最大規模のもの)において茶をたて、徳川家の覇権が確認されたなど、茶会で出会った人々のネットワークが、織田有楽斎らも含む、豊臣政権から江戸幕府への移行期の政治性を含んでいたことを学んだ。
 毛利秀元と光悦の交流時期と光悦の作陶期が重なっていることや、残された書簡から、「萩光悦」といえる七椀が、萩焼初期の連房式登り窯で、焼き方により多様な色調が出る特徴をいかして一度に焼かれたのではないか、萩光悦茶碗にみられる一念の玉は、京都の光悦デザインの庭にもみられる法華経の真髄を表現しているのでは、との三輪清雅堂当主の三輪正知氏の推測も示され、図録で「楽焼」とされる茶碗と萩光悦や膳所光悦等との関係についても、関連する研究誌や茶道雑誌、美術雑誌の先行研究を参照しつつ議論された。
 午後は波多野指月窯、不走庵三輪窯、天寵山窯を訪問し、市内に残された波多野登り窯(烟のため現在は明木に窯を移動)を見学、13代三輪休雪(和彦)先生直々のお話し、天寵山窯兼田昌尚先生のお話から、伝統を継承しながらもモダンなデザインの可能性を追求する萩焼の可能性と魅力を現地で十分に理解することができた。


開催日時第5回研究会・2020年2月14日 16時30分~20時30分
開催場所有斐斎弘道館
テーマ胡坐と茶室建築
発表者團紀彦
研究会内容 建築家・團紀彦先生に、有斐斎弘道館のお茶室にて、日本人の座り方の歴史と茶文化についてのお話をいただき、その後、同じく弘道館のお茶室にて、実際に胡坐をしての茶会の実践研究会を行った。A4版5枚のカラーコピー資料では、膝を崩して座る様子が描かれる菱川師宣の浮世絵、明治以降の女性による正座の茶会の図、利休の肖像画、漢人の座像、胡人の座像、椅子に座る最澄、聖徳太子の像、弥勒菩薩の半跏思惟像、紫式部、源頼朝、細川ガラシャ、千姫、江戸の寺子屋の子供たちの座る姿の図など、時代と地域を超えた様々な座り方の例が紹介され、将軍家光の治世が、それまでの比較的ゆったりした日本の生活文化が、「正座」的なストイックなものに変化した契機になったのではないかと指摘された。明治以降の女子教育への茶の湯の普及が、女性の着物に都合のよい「正座」の主流化に影響したのではないかとの弘道館理事太田先生の事前のご指摘とも符号した。また、吉田松陰の肖像画には胡坐と「正座」の両方の例があり、江戸幕府を批判して処刑された松陰が、明治維新の立役者として賛美される経緯から、肖像画の座り方もより“先生らしい”ものへと変化したのではとのご指摘もあった。
 胡坐の「胡」が胡椒、胡座などシルクロード、中央アジア系の文化とも関連し、国際的、歴史的な視点から、茶の湯の座り方についての考察を深めることができた。反物令によって着物の幅が狭くなり、折敷の幅が明治になってから短くなることも、胡坐から正座への変化と関係するのではとの、團先生と太田先生のご指摘もあり、実際に研究代表者・佐伯が袴で参加したところ、現在の女性の着物では、上に袴をつけていても胡坐は窮屈であり、立膝でも、現在の作法のような両手をついた挨拶が難しく、挨拶の仕方も含めて、茶の湯の作法、ひいては日本人のライフスタイルや価値観が変化してきたことが、民俗学的視点、茶会後の意見交換によっても確認できた。


開催日時第4回研究会・2020年1月31日 16時30分~18時30分
開催場所同志社大学臨光館203教室
テーマ日本の茶文化の国際的魅力
発表者クリスティーナ・チースレロヴァ
研究会内容 チェコご出身で、有斐斎弘道館と洛北の栖賢寺を主な拠点として、日本の茶文化の魅力を国際的に発信されているクリスティーナ・チースレロヴァ先生をゲスト講師としてお迎えし、国際的視点からみた日本の茶文化の魅力について、お着物姿でご講義いただいた。 
 装飾を“ 足してゆく”欧州の建築文化とは異なる日本の茶室空間や禅に惹かれ、カレル大学で日本文化を学び、早稲田大学に留学。ビルが乱立する東京の風景と日本の伝統文化とのギャップに驚かれつつも、プラハと京都市は姉妹都市であり(1996年~)、冬は日が短くほの暗いチェコの風情が、日本文化との共通性も感じさせると指摘。有楽流、宗偏流、裏千家のお茶を嗜まれ、日本茶の魅力を国内外に発信する初代Tea Ambassadorのグランプリにも選出(2018年10月、一般社団法人お茶協会)。茶の湯は流派ごとの垣根が高くなりがちだが、複数の流派を知るご経験は外国人の方ならではともいえ、日本の組織の保守的側面に悩んだ時期も乗り越え、弘道館で「英語で伝える茶の湯のこころ」講座の講師等をご担当。チェコの喫茶室であるチャイオブナがアジアの茶文化の影響をうけており、チェコの歴史としてはハーブティーを飲む習慣があること、経験された複数の流派のお点前の微妙な違いなども教えていただいた。日本の若者はもはや畳の生活や襖の開け閉めに慣れていないため、茶道を嗜むスタートラインは外国人も日本人も同じではないかとのこと。「伝統文化を現代に生かす」要点を、「日本の資源の一つ、人生を豊かにする、リラックス効果、季節を感じる、コミュニケ―ション・ツール、マナー・価値観を覚える、視野が広がる、sustainabilityのヒントが沢山」の8点にまとめられた。
 荒廃しかけた由緒ある栖賢寺をご夫妻で再興され、同寺のお茶室も利用しての座禅と茶道体験の融合活動等は、京都のお寺全体の活性化や将来性をも示唆する。日本の茶文化は「人類の遺産」であるとの、世界的視野からの説得力あるご結論をいただいた。


開催日時第3回研究会・2019年12月6日 16時30分~18時30分
開催場所同志社大学臨光館 203教室
テーマ京都のメディアと伝統文化
発表者山本壮太
研究会内容 NHKのディレクターとして大河ドラマ等の制作をされ、NHK京都放送局局長、古典の日ゼネラルプロデユーサー等のお仕事を歴任されている山本壮太先生をゲスト講師としてお招きし、京都のメディアと伝統文化についてのお話をおうかがいした。
 日本のメディアはキー局が東京にあるため、どうしても東京中心に情報が流されがちであるが、京都放送局制作の番組のなかでは、茶文化に関わる番組が、京都ならではの「お宝」であるということ、また、中国との協力によってつくられたテレビドラマ『大地の子』に携わられたご経験も含めて、テレビ番組を作るには長年の関係者どうしの信頼関係が重要であること、古典の日を制定するにあたっての人間関係の背景について、教えていただいた。
 京都の茶文化が、京都発信のメディアコンテンツにおいても重要な役割を果たしていることが確認でき、また、2009年には「古典の日推進フォーラム2009」が京都で開催され、「古典の日推進よびかけ人」に、京都の文化人、お家元関係の方々が貢献されていることからも、京都の伝統文化が日本の古典文化全体の活性化に大きな役割を果たしていることを、当日ご持参いただいた「古典の日」について報じる新聞記事や、関係資料を通じて理解することができた。
 2012年9月に「古典の日に関する法律」が公布・施行されて以降、文化庁京都移転の影響もあり、京都と東京で開催された2019年秋の「古典の日10周年記念フォーラム2019」は盛況であったこと、「古典の日」も周知されてきたという最新の社会状況についてもうかがうことができた。
 こうした動向をうけて、今後の茶文化や京都文化の活性化をどう考えてゆくべきか、多くの示唆をいただく内容であった。


開催日時第2回研究会・2019年9月26日 18時30分~19時45分
開催場所同志社大学寒梅館6階 大会議室
テーマお茶の本ができるまで
発表者森恭彦
研究会内容 讀賣新聞大阪本社編集委員の森恭彦さん(社会嘱託研究員)に、ご近著『茶道史ゆかりの地を歩く』(淡交社、淡交新書、2019年5月)を中心に、『讀賣新聞』に連載された「茶の湯の来た道」の記事を参照しながら、京阪の茶についての取材のお話、ご著書の内容について、メディアの現場のご経験を交えてお話しいただいた。
 新聞記事は、幅広い年齢層の読者を想定し、全国の読者に読んでもらうという前提から、わかりやすい記事作りが重要であり、連載「茶の湯の来た道」は、2013年1月7日から2014年3月31日まで、イラスト入りの署名記事で連載された。連載は、茶文化について「場所と人」を中心として記したもので、嵯峨天皇に高僧が茶を献じたとされる(茶の正史初出)比叡山山麓の梵釈寺をはじめ、金閣寺、妙覚寺等、京都の寺社と茶の関わり、堺の舳松町など、京都在住の新聞記者としての地の利を活かした取材経験にもとづく記事内容が、一般読者にもわかりやすく、かつ新しい知見や最新の現場の状況を盛り込んだ貴重な茶文化についての記録になっていることが、ご発表から理解できた。なぜ写真ではなくイラストになったかという背景にも言及され、メディアに写真を利用する際の社会的事情についても理解が深まった。
 長年の取材経験においては、茶人のインタビュー、特にお家元への原稿依頼や関連記事が含まれ、京都ならではのお家元との距離の近さ、各流派の初釜と地元メディア関係者、知事、市長等のご出席などの裏話も、京都ならではの貴重な内容であった。
 宗教学者の山折哲雄、ハンチントンの文明の衝突にも言及しつつ、茶とは祈りであると結論づけられ、大学の専門分野であったフランス文学、文化研究の見地も加えて、自由と民主主義を考える上で、茶は重要であり、西洋人も茶に学んで日本化してきたのではないかというユニークな見地を示されたのは、茶文化を国際的視点で考える上で極めて刺激的であった。


開催日時第1回研究会・2019年7月27日 16時00分~18時00分
開催場所同志社大学臨光館 203号室
テーマ宇治茶の文化的景観を世界文化遺産に、の取り組みの現状について
発表者丸直裕
研究会内容 京都府農林水産部の丸さまより、京都府が進めてきた「宇治茶の文化的景観を世界文化遺産に」の取り組みの現状についてのお話をうかがい、今後の展望と、地域連携の可能性について議論した。
 京都府では5年以上にわたり、宇治茶の世界文化遺産登録を視野にいれ、宇治茶の振興に取りくんでおり、2014年3月には世界遺産暫定一覧表記載資産候補に係る提案書を作成している。同志社大学京都と茶文化研究センター設立の2014年6月まもなく、最初に学外の関係者としてセンターの活動に関心を示し、連絡をくださった京都府農林水産部の取り組みについては、既にセンターの研究会(2014年11月)において当時の状況をうかがったが、それから約5年が経過した後の最新の状況の変化を、今回は人文研研究会でうかがい、同志社研究センターと人文研の活動の連携を実現する意義も含む。
 京都府全体の茶の生産量は、量的には全国一位ではないが、抹茶の原料となる質のよい碾茶、玉露、煎茶の生産が京都府産の茶の特徴であり、1200年来、政治、文化の中心地であった京の都を消費地として、日本における茶の生産地として歴史的にも長い蓄積のうえに発展してきた。茶の栽培と製茶は、そもそも中国から伝えられたものだが、日本の山城地域で、あえて光を遮って色彩と味のよさを出す覆下茶園の栽培方法が開発され、中国の茶文化と日本の茶文化は別の発展をたどることになった。日中の歴史的な比較の始点も含む、日本の山城地域の茶文化の特徴を、行政の方の視点からレクチャーいただくことで、京都の茶文化の現代社会における意義を深く理解することができ、今後、宇治茶のブランド力、ひいては京都の茶のブランド力を高めるためにどのような方策が可能かについて、文化人類学、メディア学、ポピュラー・カルチャーの研究者の視点を交えて活発な質疑応答が行われ、地域行政と大学研究者との有意義な連携研究会が実現できた。