以下、本文になります
第2研究 同志社社会事業史の発展的研究―その源流と水脈― 研究代表者:木原 活信(社会学部)
第18期の研究の延長線にあり、それを「発展的」に探求する。人文研キリスト教社会問題研究は、『留岡幸助著作集』、『山室軍平の研究』、『石井十次の研究』等、で成果を生み出してきた。そこでは、著名な人物を詳細に検討していく方法論に基づく研究であった。そこで起こってきた問いとして、なぜこれほどまでの量と質を有する社会事業史上の人材が同志社から生まれ出たのか。これをリサーチクエスチョンとして捉えて研究をすすめる。その意味で、本研究は、特定の著名人だけを取り上げるのではなく、同志社関連の社会事業家を幅広く視野に入れ、これまで等閑視されてきた作業に取り組み、上記の謎に迫ろうとするものである。そして、18期の基礎的成果を生かして、それぞれの人物が同志社全体のなかで、あるいは社会福祉学科の形成にいたるまでにどのような影響を与えていったのかを明らかにしていきたい。
2018年度
開催日時 | 2018年12月18日(火)13時~16時30分 |
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開催場所 | 同志社大学臨光館412 |
テーマ | 1部:「中島重による“新人格主義”の再検証-E・H・エリクソンの発達論と照合させて -」 2部:「今後の研究会のありかた、すすめ方についての打ち合わせ」 |
発表者 | 今堀美樹(大阪体育大学教授) |
研究会内容 | 今堀氏の発表は、中島重による“新人格主義”の再検証-E・H・エリクソンの発達論と照合させて
-と題するものであるが、その背景として、近衛文麿内閣による「東亜新秩序声明(第2次近衛声明)」が出された後、『社会的基督教』誌上においても「東亜協同体」論に関する主張が数多く見出されるようになった。それは、社会的基督教の運動を率いていた中島重が、戦争の大義名分とされたこの言説に強い共感を示しただけでなく、自ら積極的にこれと結びついたゆえであった。まさに、武邦保が「「滅私」「没我」の信仰共同体という中島の「神の国」実践運動は、いみじくも天皇制全体主義国家観とその軌道を同じくしてゆく」と指摘したのは、中島がこの「東亜協同体」論に結びついたことを指摘するものだった。 ではなぜ中島は、こうした戦争を肯定する言説に深く結びついていったのか。報告者はE・H・エリクソンの発達理論を学ぶ過程で、中島が主張した“新人格主義”に対する理解と、その主張の限界を考える、新たな視点を得る事ができた。本報告では、エリクソンの発達理論と照合させることにより中島が戦時期に主張した「東亜協同体」論の意味と限界を考え、彼の“新人格主義”を再検証していく報告者の問題関心点について示した。 発表後には、参加者で質疑討論した。主な意見としては、本報告の最終的な結論の取り扱い、その解釈、などについて参加者から質問がでて討論した。 2部では、今後の研究会の進め方、出版に向けての計画等について具体的に役割等含めて参加者全員で話し合った。 |
開催日時 | 2018年9月25日17時~19時 |
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開催場所 | 啓明館共同研究室A |
テーマ | 「「佐伯理一郎旧蔵文書」の紹介」 |
発表者 | 林潔 |
研究会内容 | 第三研究と共催で、標記の研究報告会を行った。昨年度、第二研究の看病婦学校班関連活動の一環として継続的に行われた資料整理の成果である。(報告内容の詳細については、第三研究活動報告書の後半を参照されたい。) |
開催日時 | 2018年9月12日 15時30分~18時 |
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開催場所 | 同志社大学渓水館社会福祉学科資料室 |
テーマ | 「同志社在職時代の社会福祉学科教員の人物像―黒木保博氏より聞き取り―」 |
発表者 | 語り手 黒木保博(同志社大学教授) 聞き手 木原活信(同志社大学教授) 李善恵(関西学院大学准教授) ほか |
研究会内容 |
同志社の社会福祉学科に40年以上お勤めになった黒木保博先生が今年度で定年退職される予定である。そこで、本研究会のテーマである同志社の社会福祉学科の歴史的証言を求めるべく、聞き取りをした。特に、故嶋田啓一郎先生、故小倉襄二先生、故大塚達雄先生、故井垣章二先生、故住谷磬先生、井岡勉先生、岡本民夫先生のもとで学生時代、そして教員スタッフ(助手から教授)までの半世紀の長きにわたって学生、教員として一緒に働いてきたその経緯や貴重な歴史的証言をインタヴュー形式で語っていただいた。 同志社社会福祉学会編集委員会との共同開催ということで行ったが、木原活信、李善恵、同志社大学教授の空閑浩人教授が、黒木先生より関連する内容に関して、自由に聞き取ったが、予定よりもかなり長い時間にわたって、戦後の同志社の社会福祉学科にかかわる詳細な記録を証言としてとることができた。 主な聞き取り内容は、上記記載の教員とのかかわり、同志社社会福祉学会設立の経緯、同志と韓国とのつながり、社会学部設立の経緯であった。これまであまり語られていなかったエピソード含めて重要な証言を得ることができた。 インタヴュー内容は、すべてデータとして録音保存した。後日、業者に依頼して文字起こしをして、それを編集した後に、公表予定である。 |
開催日時 | 2018年6月5日 13時~15時 |
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開催場所 | 同志社大学臨光館412 |
テーマ | 「明治期・大正期における「イエス団」の活動からみる賀川豊彦の社会福祉実践」 |
発表者 | 李善恵(関西学院大学 准教授) |
研究会内容 |
賀川豊彦の創設したイエス団の活動からみた社会福祉実践を、イエス団に残された原資料(史料)をもとに、歴史的検証を試みる報告であった。これまで、李氏の賀川豊彦研究では、主に賀川豊彦と韓国との関係、同志社との関係、を中心に議論を展開してきたが、肝心の賀川豊彦の実践の具体的な社会事業にかかわる諸活動については、必ずしも詳細に検証と検討がなされてこなかったという。またそれは、かかり進められている賀川豊彦研究の先行研究全般的傾向にも言えるのかもしれない。 そこで、特に、今回報告者は、『救霊団年報』(字は旧字体)『神戸イエス団年報』『大阪毎日新聞』『大阪朝日新聞』『神戸新聞』『労働者新聞』の一次史料、およびその補足史料を中心に賀川に社会事業を整理した。史料提供は、主に賀川豊彦記念館、松沢資料館である。これらの年報などの一次資料を全体の歴史区分を4期に分けて分類して、そのうちの第一区分の特に明治期1909年〜1912年、大正期1912年〜1926年についての資料を分析した。着目した事業の内容は、慰安旅行、家庭感化避暑、無賃宿所、医療施療であったが、それにかかわる具体的な記事を抜粋しつつとりあげ、そこにみられる賀川豊彦の思想と活動、事業について分析して、再検証した。 これらの中かから、人格交流運動、相互扶助、キリスト愛の運動ということに着目して議論を展開し、社会的責任の歴史的意味と今日的意義についてもとりあげた。 発表後には、参加者で質疑討論した。主な意見としては、本報告の最終的な結論の取り扱い、その解釈、また一次資料の意味、扱い方などについて参加者から質問がでた。 |
2017年度
開催日時 | 2018年2月28日 15時~16時 |
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開催場所 | 京都大学医学部資料館 |
テーマ | 京都大学医学部資料館の見学ならびに関連史料の所蔵現況調査 |
研究会内容 | 京都帝国大学の看護婦養成機関は、婦長を務めた不破ユウなど、京都看病婦学校卒業生の代表的な活躍の場であった。その歴史的史料の所在をつきとめることを目的として、京都大学医学部資料館の見学を実施した。 京都帝国大学医科大学は1899年に創設されたが、1902年にその解剖学教室講堂として、木造平屋建の建物が竣工した。この建物は京都大学歴史的建造物に指定されているが、改修の上、現在も階段教室として医学部学生のための授業に使われるとともに、歴史的史料の展示された資料館となっている。第7代総長ともなった荒木寅三郎による扁額や荒木の胸像、創設以来使用された剖検台や大正期製作の心電計、敗戦直後の原爆調査団の遭難碑、学園紛争期の無給医(インターン)問題にかかわる宣伝ビラなど、同学部の歴史にかかわる代表的な展示物を種々見学した。 寄附金によって医学部資料館として整備され2014年にオープンして以来、運営は資料館委員会が行っていることなど、医学部総務掛職員の方より現状にかかわる説明をうけた。 見学を通じ、歴史的史料が資料館内に保存されているわけではないことが判明した。そこで参加者は医学部図書館に移動し、同職員の方より、図書館所蔵の歴史的史料類は、資料館か大学文書館に移管されるのが常であること、史料の所在に関し、目録の整備はなく、個別レファレンスに回答するかたちであることなどの説明をうけた。 説明より、資料館内とは別に、資料館の所蔵にかかる史料群が所在することがうかがわれたため、今後はその行方をつきとめることの必要が認識された。それとともに、大学文書館所蔵関係史料についても調査の必要が確認された。 |
開催日時 | 2017年10月30日 18時30分~20時30分 |
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開催場所 | 社会福祉学科資料室(渓水館1階) |
テーマ | イエス・キリストと「同情」─『上毛教界月報』を中心に─ |
発表者 | 近藤 裕樹 氏 |
研究会内容 | 内 容 発表者は、これまで留岡幸助における思想基盤として「同情」の重要性を考察しており、その由来がキリスト教にある事も確認してきた。 しかし、その由来に関して、つまり「同情」とキリスト教との具体的関係につき、聖書の文言や教義に見る必要性を深く感じた。 今回の発表では留岡だけにとどまらず、同時代のキリスト教徒に視野を広げて上記の問題を考察するため、発表者の今一つの関心事である柏木義円、特に『上毛教界月報』(以下、『月報』)を中心に取り扱った。 まず、『月報』に記された安中教会をはじめ各教会にて行われた説教題目に着目し、「同情」の語が用いられたり、特に「基督の同情」という題目が散見される事を指摘。 残念ながら、「同情」という語が題目に付された説教そのものの内容を『月報』では確認できず、代わりに『月報』に掲載された論説中に「同情」を使用した文章を検索し、説教内容を類推しようと試みた。 また『月報』論説以外に、原忠美など同時代のキリスト教徒による「同情」論もあわせて考察し、キリスト教と「同情」、キリストと「同情」という連関性は柏木等『月報』内における論理に止まらないのではないかと指摘。 そこから見えてきた事は、『新約聖書』マタイ伝の記載(山上の垂訓など)を主に引用し、イエス・キリストが有する「同情」という人格に柏木等が着目していた事である。つまり、柏木等の理解としてキリスト教とは「同情」の宗教であると言えるのではないか、と結論付けた。 質疑応答 人と成りしイエス・キリストにみられる「同情」という柏木義円の理解は神学的には正統派に近い印象を持ち、洗礼および影響を受けた海老名弾正とは遠い関係に思えるとの意見が出た。 また、柏木等キリスト教徒個々において、聖書の文言(愛やあわれみ等)を敢えて「同情」と読み換えて使用するだけの何かしら思想基盤があるではないか。 当時の一般社会で流行し使用されている「同情」と、柏木等が聖書を用いて説いた「真」の「同情」との差違に注目する必要があるのではないか。 流行し馴染み深い「同情」という語を使用する事により、人々の聖書理解を容易にする作用もあったのではないか、など示唆に富む意見が多数出された。 協議事項 同志社社会事業年表の作成について、今後は完成に向けて内容の精査・統一のための編集作業を進めていく。また、「同志社関連新聞記事スクラップ集成」等の比較データと突合させ、年表記載データに漏れが無いかの確認作業もあわせて行っていく事に決定した。 |
開催日時 | 2017年10月21日 14時~16時 |
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開催場所 | 寒梅館会議室1B |
テーマ | 「京都看病婦学校関係の同窓会機関誌について」 |
発表者 | 岡山寧子氏(同志社女子大学看護学部長) |
研究会内容 |
同志社大学・同志社女子大学などの各部局や学外機関にバラバラに所蔵されている京都看病婦学校同窓会機関誌について、各号の所蔵状況、正式タイトル、発行年月日、号数、発行元などを整理して示し、合わせて、1893年に同志社病院によって刊行された『おとづれ』全3号と、1901~1911年の同窓会発行『おとづれ』1~10号までの内容を紹介する報告がなされた。産婆学校の機関誌、あるいは産婆学校との合同機関誌であった時期についても明確にされた。 巡回看護婦制度、日清・日露戦争下の従軍看護婦養成など、本校の看護史上の意義についても指摘された。 討論では、ベリーによる記事をめぐる『七一雑報』との関連、佐伯理一郎の意向や意識、会誌を発行した人物や教員たちなどについても、活発に意見が交わされた。紹介のあった集合写真に写る人物や校舎の考定も行われた。並行して、看病婦学校関連の資料所蔵状況に関わる情報も交換された。 なお、報告内容については、同氏が最近公にした「京都看病婦学校同窓会機関誌の発刊と記述内容――『おとづれ』第1巻1号~第2号10号(1901~1911年)から――」(『同志社女子大学総合文化研究所紀要』第34号、2017年)、「The Doshisha Hospital Messenge 京都同志社病院機関誌『おとづれ』―第1~3号(1893年)の記述内容―」(『同志社看護』第2巻、2017年)にも一部紹介されていることが付言された。 京都看病婦学校を卒業して京都帝国大学医科大学に勤めた不破ユウ関連の資料など、京都大学にも看病婦学校研究に有意義な関連史料が多数所蔵されることが予想されるため、まずは京都大学医学部の医学資料館を訪問してみることの意義も最後に確認された。 |
開催日時 | 2017年8月28日 14時~17時30分 |
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開催場所 | 同志社大学渓水館 社会福祉学科資料室 |
テーマ | 「竹中勝男のキリスト教社会事業―概念構成と思想をめぐって―」 |
発表者 | 梅木 真寿郎 氏 |
研究会内容 | 内 容 A.標記テーマの件
B.協議事項
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開催日時 | 2017年6月30日 10時30分~14時 |
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開催場所 | 群馬県立図書館 |
テーマ | 「住谷(悦治)文庫」概況調査 |
研究会内容 | 内 容 群馬県立図書館所蔵の住谷悦治資料群「住谷文庫」概況調査をおこなった。 <経緯> このたび人文研本体によって、元同志社総長、創設以来長年にわたるCSの代表者でもあり、同志社社会事業史を語る上でも欠かせない住谷悦治氏が生前に書き続けた日記原本をご遺族から借り出し、DVD化する事業が行われた。5月例会では、この「住谷悦治日記」につき今後の扱い等を検討した。そのさい、別個に日記数年分を所蔵する住谷氏の郷里・群馬の県立図書館からもそれらを借用し、合わせて画像化することが望ましいとの意見が出た。また、同図書館所蔵の住谷悦治資料すなわち「住谷文庫」(『住谷文庫目録』参照)の全容を概観しておくことも、今後の研究にあたって必要と考えられることが確認された。その後日記については、幸いにも人文研がご遺族の了解の下に同図書館から借用し、追加のDVD化作業が速やかに実施された(1926、1936、1951、1975、1981年分の計5冊)。同作業が終了したのを機に、図書館に日記を返却し謝意を伝えに赴くとともに、文庫全体の調査をおこなうべく、現地例会を催した。 <文庫の概要> 受入当時(1989年)の職員・森村方子氏はすでに退職されていたが、現図書館員の関口裕子氏から文庫の受入・整理過程と現状(所蔵や活用の実態)について解説を頂戴した。書籍・雑誌・紀要類から書簡・自筆書付類、さらにアルバムにいたるまで、「トラック2台分」という遺族の寄贈資料が、閉架電動書庫ならびに貴重書庫に整理・分類されていることが判った。プライバシーの観点から目録に反映されていないが同志社史に深く関わる資料も多数含まれる。 <今後> 次回例会では「日記」の精査をするか否か、するならばどのようにするかを協議するが、その次第によっては今回概況調査を踏まえた「文庫」内の再調査が必要となる展開もありうる。研究会メンバー個別にとっても、今調査で同文庫が整然と分類され「使える」状態にある、というイメージを共有することが可能となった。その点において、今回の例会には大きな意義があった。 以上 |
開催日時 | 2017年5月22日 18時30分~20時30分 |
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開催場所 | 啓明館2階 共同研究室A |
テーマ | (1) 『同志社社会事業史年表(未定稿)幕末~昭和戦前・戦中編』合評会、並びに今後の作業のすすめかた相談 (2) 「住谷悦治日記」DVD版の経緯・概要紹介(田中智子氏より) |
発表者 | 田中智子 氏 |
研究会内容 | 出席者数:8名 出席内訳(以下敬称略):ゲスト講師;田中智子(京都大学大学院教育学研究科) 第二研究メンバー;木原活信、李善惠、今堀美樹、梅木真寿郎、近藤裕樹、 松倉真理子、遠藤浩 内 容 (1) 合評会、並びに今後の作業のすすめかた相談 以下のような意見が交わされた。
(2) 「住谷悦治日記」DVD版の経緯・概要紹介 田中氏から当該日記入手からDVD化への経緯説明があり、紙資料と画像映写によりその内容(概要)についても紹介があった。その後これをどのように扱ってゆくか意見交換があり、第二研究として以下の作業をおこなうこととした。
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2016年度
開催日時 | 2016年11月25日 16時40分~18時50分 |
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開催場所 | 同志社礼拝堂 |
テーマ | 「山室軍平―良心の実践者―」 |
発表者 | 木原 活信 氏、東條 政利 氏 |
研究会内容 | ※今回は、良心学研究センター主催の公開シンポジウムに、第二研究が共催参加するという形態をとった。 出席者数:6名(一般参加者約60人) 研究発表: 同志社中退者である山室軍平が、同志社をもっとも代表する良心の実践者となっていった経緯が、木原氏より述べられた。同志社退学後の救世軍への挺身とそこでの奮闘の激しさと幅の広さは、同志社入学当初の新島襄の大なる感化と、新島死後の退学にいたる諸事情のなかにその萌芽がみられる。神学的にはホーリネス的に純朴かつ熱心な信仰を有し、そのことと社会の底辺へ注ぐまなざしとの間にはいっさい矛盾がなかったこと、それゆえ新神学が台頭し理知的解釈へ流れる同志社神学にはいたたまれなくなったのであった。 映画監督の東條氏は、山室が社会にもたらした広範な影響を「地の塩」としての働きであったと映画で表現したかったと述べ、同じく山室の純粋さに着目していたとした。また泣き虫であった山室の共感性の高さも、映画のなかで大いに表現した。映画では山室の業績中心でなく、その共感力など人間性を前面に打ち出している点が特徴だと述べられた。 質疑応答:
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開催日時 | 2016年10月31日 18時30分~20時30分 |
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開催場所 | 社会福祉学科資料室(渓水館1F) |
テーマ | 「竹中勝男の基督教社会事業―概念構成と思想―」 |
発表者 | 梅木 真寿郎 氏 |
研究会内容 | 出席者数:9名 研究発表: 同志社の社会福祉学の基礎をすえた竹中勝男の略歴概観から、おもに戦前の論文にみられる竹中の社会事業論、竹中がとらえた社会事業の現況(当時)と課題認識、また竹中におけるキリスト教信仰理解とその思想的背景について報告がなされた。とりわけ、竹中におけるキリスト教と社会事業との接合がどのようなものであったかについて、竹中の「社会的基督教」批判を一つの鍵として考察が述べられた。 討 論: 「社会的基督教」全般を批判しているのか、あるいは何か、あるいは誰かを目して批判しているのか、当該史料だけではやや不明瞭に思われる→他の論文をみても、安易なキリスト教と社会との接合には批判的、懐疑的で慎重だった竹中の姿勢がうかがえる。ただし接合を放棄してはいない。そのさい媒介するものが必要だが現時点でそれがどのようなことだったか不明、今後の研究課題である。 竹中の信仰的背景はどのようなものだったか、所属した教派教会によりある程度類推されるのではないか→組合教会であることは確か。いま史料はないがおそらく同志社教会だったのではないか(要確認)。また回心の時期や契機なども、竹中の信仰と思想を理解するために必要であろう。 竹中の専門は社会(福祉)政策論であったことから、社会事業についてもマクロな視点からみるため、竹内愛二のケースワーク論などと較べてもキリスト教との接合はより難しく、慎重な態度となったのではないか。それとともに、学究の出発点として同志社で神学を学んでおり、正統的神学の基礎知識をもっていたことも、竹中や中島重との相違点であったろう。 |
開催日時 | 2016年8月1日 15時~18時30分 |
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開催場所 | 社会福祉学科資料室(渓水館1F) |
テーマ | 「『社会的基督教』誌にみる「東亜協同体論」-竹内愛二のケースワーク論における「戦時下抵抗の不在」をめぐって-」 「末包敏夫の前半生」 |
発表者 | 今堀美樹氏 遠藤浩氏 |
研究会内容 | 出席者:木原活信、田中智子、李 善惠、今堀美樹、梅木真寿郎、倉知桂子、近藤裕樹、松倉真理子、遠藤浩、以上9名 研究発表: (1)今堀氏 要 旨;近衛文麿内閣が「東亜新秩序声明」(第2次近衛声明)を出した1938年11月の翌月、『社会的基督教』誌の1938年 12月号は「東亜協同体と社会的基督教」という特集号として発行された。 その後『社会的基督教』誌が廃刊に追い込まれた1942年1月号の「新亜細亜建設の為に」という特集号に至るまで、誌上に おいては「東亜協同体論」が会員諸氏により声高に主張された。本報告の目標はこうした主張の概要をふまえ、その背景で ある彼らのキリスト教思想の系譜について、先行研究をもとに描き出していくことであった。 (2)遠藤氏 要 旨;アジア・太平洋戦争のさなか、日本のYMCAは1939年夏頃より次々と職員(主事)を中国大陸開港都市部へ派遣、進出した。「大陸事業」であるが、これを日本YMCA内で強力に推進する役割を果し、みずからも南京、上海で駐在員として働いたのが末包敏夫である。かれは31年9月京都で「社会的基督教徒関西連盟」設立に深くかかわった人物でもあった。 本報告では、幼少期にみる原点から大陸事業展開における論理、戦後の追想までをとおし、YMCAや日本医療伝道会などでキリスト者事業家として戦後長く活躍した末包の、前半生を概瞥した。 討論: (1)「東亜協同体論」と「ケースワーク論」とがどのように関連していくのか、いまひとつ明確でないとの意見が出された。 (2)戦時の末包らYMCAの戦争責任について、免責か有責か、発表者の立場がはっきりしていないのではないか、という疑問が呈された。 |
開催日時 | 2016年7月29日 13時~14時30分 |
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開催場所 | 同志社女子大学史料センター(ジェームズ館1階) |
テーマ | 京都看病婦学校の研究(2) |
発表者 | 真喜屋直美氏(同志社女子大学学術研究支援課課長) |
研究会内容 |
同志社女子大史料センター所蔵の「佐伯小糸関係資料」を閲覧し、合わせて、同センターを所轄する学術研究支援課の課長真喜屋氏より、史料センター書庫(デントン館、栄光館)の案内、センター運営や資料所蔵・整理の現状についての説明を受けた。 「佐伯小糸関係資料」は、京都看病婦学校史のキーパーソンである佐伯理一郎の妻・小糸(旧姓:土倉)の手になる書簡や日記、関連写真などである。1998年に、遺族から理一郎の文書とともに寄贈されたが、理一郎関係は「佐伯理一郎関係文書」として同志社大学の同志社社史資料センターに、小糸関係は同志社女子大の史料センターへと、分割して所蔵されてきた。 「佐伯小糸関係資料」は、以下のようにリストアップされてきた(本井康博氏「佐伯理一郎と内村鑑三――「佐伯理一郎・小糸関係資料」の紹介――」『同志社談叢』19、1999年)。 ・同志社女学校卒業証書(1枚) 1893年土倉小糸のもの ・日記(3冊) 1893~95、1926、1930年のもの ・写真アルバム(1冊) 1932年京都看病婦学校卒業アルバム ・個別写真(38枚) 家族写真・佐伯夫婦・京都看病婦学校・デントンと卒業生 ・書簡(27通) 小糸―家族(佐伯・土倉)宛書簡 ・はがき(9枚) 小糸発・小糸宛 ・ポケット手帳(6冊) 1923、1926、1932、年次不詳 今回の研究会において、理一郎との間でやりとりされた書簡も多く、小糸の個人史のみならず、京都看病婦学校史解明のために貴重な史料群であること、一方「京都看病婦学校卒業アルバム」とみなされてきたアルバムは、小糸の葬儀関係写真が大半を占めることなどが明らかになった。 研究会の最後に、佐伯家からの寄贈史料の全貌に鑑みた上で、同家より新たに寄贈の意志があった史料群について、どの機関が所蔵することが望ましいかが議論された。 |
開催日時 | 2016年6月24日 12時30分~15時 |
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開催場所 | 啓明館共同研究室A |
テーマ | 京都看病婦学校の研究(1) |
発表者 | 岡山寧子氏(同志社女子大学看護学部長) |
研究会内容 |
岡山氏より、「同志社病院・京都看病婦学校に関する研究メモ」と題するレジュメをもとに、現時点での研究の達成点に関し、包括的で詳細な報告がなされた。報告の構成は以下のとおりで、多岐にわたる論点について質疑が行われた。 1.京都看病婦学校・同志社病院での医療・看護教育の開始 2.病院・学校の場所・校舎 3.病院・学校の看護教育 欧米からの直輸入的で先進的な看護教育の実践と指導者達の苦労 キリスト教伝道と看護教育 アメリカ看護歴史にみる京都看病婦学校の位置づけ ナイチンゲールと京都看病婦学校の教育 4.初期の頃の看護教育の指導者:リチャーズ・スミス・フレーザー リンダ・リチャーズのキャリア 5.学生生活・看護活動 濃尾震災への救護活動 6.卒業生の動向 同窓会誌にみる卒業生の動向 個人史 9期生木下八重のキャリア 22期生井上松代(別科)のキャリア 7.今、改めて注目していること 新島襄の医療(看護)教育への志の継承 卒業生の動向と社会貢献 佐伯理一郎 研究会メンバーからは、それぞれが手がけてきた研究にもとづく知見が披露され、同志社社史資料センターならびに同志社女子大学史料センターの資料所蔵状況・資料整理態勢に関しても、情報を共有するにいたった。とりわけ、キーパーソンの一人である佐伯理一郎関係資料の由来と現状について、関心が集まった。 |
開催日時 | 2016年4月18日 18時~21時 |
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開催場所 | 社会福祉学科資料室(渓水館1F) |
テーマ | 1. 「同志社大学厚生館の設立経緯―社史資料センター所蔵資料の紹介も交えて―」 2. 人文研第19期第2研究会方針の決定 |
発表者 | 社史資料調査員・布施智子氏 |
研究会内容 | 人文第二研究例会(2016.4.18開催)記録 1.社史資料調査員・布施智子氏による発表 「同志社大学厚生館の設立経緯―社史資料センター所蔵資料の紹介も交えて―」 (1) 同志社社史資料センター所蔵資料の整理・調査の状況の紹介とその課題の報告がなされ、(2) 社会事業教育を目的に開設されたとされる厚生館について、社史資料をつうじた、その設置・運営・組織等に関する検討調査の経過報告がなされた。 2.人文研第19期第2研究会方針の決定 決定事項 (1) 今後1年を目処に、中西年表をベースにした同志社社会事業年表の精度を上げ、完成させること。 戦前の年表については現在作成中のものの典拠の 確認、語句の統一など行い、各自作業を進めること。月に一度の締切日を設定し、その日に合わせて各自で修正分を田中智子先生に送信すること。 戦後の年表については、今後作成開始にあたって、ベースとして用いる年表の候補を各自で探し始めること。 (2) 三年後を目処に、研究成果として各自で章を担当して論集をつくること |