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第12研究 歴史学と地域社会―京都と南山城地域を中心に― 研究代表者:小林 丈広(文学部)

 本研究は、人文科学の社会貢献のあり方を考える手がかりとして、歴史学と地域社会との関係に焦点を当て、その歴史的展開をさまざまな角度から検討することを目的とする。
 本研究においては、京都をフィールドに2006年から行われてきた京都歴史研究会の成果を受け継ぎ、同志社における歴史研究の蓄積や南山城地域での古文書調査の経験、考古学や町並み保存、美術史の取り組みなど、対象を広げながら議論を深めていく。定例の研究会では、各研究員がそれぞれの現場における実践報告を行う。また、必要に応じて関連史料の調査や史料の翻刻、関係者からの聞き取り、ゲスト講師との意見交換を行い、その成果を紀要の特集や報告書に反映することを目指す。

2024年度

開催日時 第2回研究会・2024年6月16日(日) 14時00分~17時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館409教室
テーマ 島尾敏雄と京都、歴史学
発表者 小田龍哉
研究会内容  今回の研究会では、小田龍哉氏が、上記のテーマで報告をおこなった。同氏は、作家・島尾敏雄(1917-1986)と京都とのかかわりについて考究してきた(論文は『社会科学』第54巻第3号掲載予定)。本発表では、特に京都大学西洋史研究室にまつわる動向を中心に、歴史学への取り組みが島尾の作品や思想におよぼした影響について考察した。 
 発表は、島尾敏雄の復員後から東京移住までの期間(1945-52)を対象とし、島尾が京大西洋史研究室に通っていた頃の日記や京大大学文書館所蔵資料によって、彼の京都における活動および歴史学への姿勢を分析するものだった。島尾は、特攻兵としての経験に基づいた従軍記や、妻・ミホの闘病記を代表とする作品群で知られるが、当該期は、彼が作家としての名声を築く以前である。
 小田氏は、島尾が1947年に神戸市立外事専門学校の助教授に就任し、京大西洋史研究室に通っていた頃の日記から、歴史を教えること、学ぶことに対し煩悶する彼の姿が読み取れると指摘する。島尾は同時期に複数冊の日記を使用していた。刊行された「終戦後日記」には、このうち重複する日の記述を捨象しているケースが散見されるが、活字化されていない記述にこそ、本発表に関連する重要な内容が含まれているという。日記には、歴史学者としての「傍系」意識、学者に対する強いコンプレックス、そこから逃れるようにして文学界に没入する島尾の様子が記されている。小田氏によれば、島尾は京都での記憶を語りたがらなかったが、作家としての道を歩み出した彼にとって、京都は創作活動に欠かせない拠点となっていた。同氏は、島尾の初の長編小説『贋学生』は、彼が京大の在籍資格を失い、内地留学生として聴講を「黙認」されるという、島尾のおかれた微妙な立場そのものを表していると推察した。
 発表の後には質疑応答の時間が設けられた。質問として、日記を含む「島尾敏雄特別資料」(かごしま近代文学館蔵)の詳細や公開範囲、島尾の歴史学認識、奄美における島尾の歴史家・アーキビストとしての活動如何などがあがり、小田氏からそれぞれに対する回答があった。作家であり、歴史家であった島尾が、いかにしてヤポネシア論を展望するようになったのか。歴史学への理解が、彼の文学作品とどのように結びつくのか、同氏によるさらなる研究の発展がまたれる。
開催日時 第1回研究会・2024年5月19日(日) 14時00分~17時30分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館409教室
テーマ 小学校長の教育観と地域の文化
 ―明治後期から大正期にかけての京都市の事例から―
発表者 竹村佳子
研究会内容  今回の研究会では竹村佳子氏が、上記のテーマで発表をおこなった。
 竹村氏は、教育思想が自由教育へと向かう明治後期から大正期にかけての小学校長と地域社会のかかわりを明らかにすることを課題として設定し、その一例として、江戸中期に石門心学を興した石田梅岩を顕彰し、退職後『教育者としての石田梅岩』を上梓した岩内誠一京都市小学校長を取り上げた。具体的には、年譜を作成して岩内の基本的な経歴と著作を明らかにした上で、石田梅岩への敬慕心や、学校図書館の魁となる児童文庫創設の要因、「劣等児童」(就学率の上昇に伴い、新たに通学するようになった障がいのある児童や貧困環境にある児童など、学習にハードルを抱えた児童を指す)への関心、儒教への批判的なまなざし、心学継承のための連合組織一徳会における活動、小学校退職後の『京都府教育史』における明治以前の京都の教育を扱う章の執筆などの事績を丁寧に跡付けた結果、岩内は、商店や会社の経営手段として伝えられた石門心学の教育思想に、体制にあわせながらも自己の思想を貫く教育家として共感していたのではないかと述べた。また、現今の教育を考える上でも、明治後期から大正期にかけての自由教育へと向かう時代に若くして学校経営を任された小学校長の取り組みについて、さらに多くの事例を明らかにする必要があるとして、発表を結んだ。
 その後、質疑応答の時間が設けられ、前半は岩内の人物像、とくに地元・園部との関係性が活発な議論を呼んだ。すなわち、地元ではなく京都の教育に関心があったという点から、中央志向の有無や、園部の武家社会から脱却して京都の町人社会への接近を図った可能性などについて質問が出されたのに対し、竹村氏は岩内に時代に適応してエリートを目指そうとする傾向はあったものの、商家の家訓としての石門心学については、丁稚奉公により教育を受けられない子供もいることも踏まえ、雇い主の視点に対しては否定的であったのではないかと回答した。これらの議論を踏まえ、後半では当時の学校制度や一般的な校長像、京都の障がい者教育や貧困問題のあり方、心学と「自学自修」との直接的な連関の有無など、岩内の事績の背景となる問題についても多くの意見が寄せられた。

2023年度

開催日時 第5回研究会・2024年2月18日(日) 14時00分~17時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館 地下1
テーマ 京都市史編纂事業における地方文書調査の取り組み―私的な体験を普遍化するための作業の一環として―
発表者 小林丈広
研究会内容  今回の研究会では代表の小林丈広が、上記のテーマで発表をおこなった。小林は、自身の経験や伝聞に加え、当時のフィルム台帳や『京都市史編さん通信』などの記事を織り交ぜながら、京都市における古文書調査(とくに地域側の)の歩みについて検討した。当時の調査は現地で古文書を撮影し、作業が済み次第返却することを原則としていたが、調査先が多数あるために、1873年以降の文書が調査対象から外れたり、家の経営史料が割愛されるなど多くの仮題があった。一方、寄贈・寄託の申し出を受ける機会が増えてきたことが京都市歴史資料館の開館につながったが、こちらでも収蔵する文書の量が増える一方で目録化が追いつかないという問題が発生した。そこで近年、京都市内個人所有古文書調査として熊谷家や下村家の再調査・追加調査が試みられたが、熊谷家の調査はまだ終わりが見えない。今後はより一層地域社会が文書を維持できなくなることが想定されるため、収蔵庫と専門職員を有する地域資料館や文書館といった公的機関の役割がますます重要になると警鐘を鳴らして発表を結んだ。
 発表のあとには質疑応答の時間が設けられ、「明治5年(1872)」という時期区分の理由や背景、返却した文書の追跡調査ができているか、京都市歴史資料館が現在地に決まった経緯などについて活発な議論が交わされた。
開催日時 第4回研究会・2023年12月17日(日) 13時30分~17時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館
テーマ 1970年代の京都市史編さん所
発表者 鎌田ユリ
研究会内容  今回の研究会では、かつて京都市史編さん所のスタッフだった鎌田ユリ氏をお招きし、1970年代初頭の編さん事業についてお話しいただいた。
 最初に研究会参加者がひととおり自己紹介し、鎌田氏からも簡単な経歴の紹介があった。夫の元一氏とは考古学研究会の活動で知り合い、長岡京の発掘に熱心に取り組んだ。ノーベル賞を受賞した吉野彰氏とも発掘現場で一緒だったという。
 京都女子大学の大学院で高取正男ゼミに属していた鎌田氏は、村井康彦氏の紹介で市史編さん所で働くようになる。期間は短かったが、宮内庁書陵部の調査の思い出や同僚の人となりなど、経験者ならではのエピソードをいろいろとうかがうことができた。
 1970年代初頭はまだ学生運動の余韻が残り、休憩時間などにそうした話題になることもあった。市史編さん所は、林屋辰三郎氏を慕って集まってきた若手研究者が中心になっており、多くの研究者が育っていったという。
 質疑応答では、4年制大学に女子が通うことが珍しかった時代の史学科の雰囲気、京都女子大学に対する地方からの高い評価や教員の様子、滋賀県で教育に携わる中で不登校の生徒の問題に関わるようになった経緯などをうかがうことができた。
開催日時 第3回研究会・2023年10月15日(日) 13時00分~18時00分
開催場所 歴史・文化・交流の家 長谷川家住宅
テーマ 昭和の長谷川家
発表者 伊東宗裕
研究会内容  今回の研究会では、元京都歴史資料館員の伊東宗裕氏を講師とする連続講座「長谷川家の『昭和』」の第1回「昭和の長谷川家」を受講した。
 まず、講座開始の1時間前、希望者を募って京都駅前に集合し、柳原銀行記念資料館、京都市立芸術大学、「東九条マダン」の事務所周辺など、崇仁から東九条地域のフィールドワークを実施した。
 続いて、長谷川家住宅へ移動し、広い土間を利用した会場で伊東氏による講座を受講した。講座は、長谷川良雄日記の読み解きを通して、昭和初期の長谷川家にラジオ、映写機、百貨店など新しい文化が入ってきた様子を紹介し、東九条での生活がそれまでの「京都とは別の村のくらし」から「京都市郊外のくらし」(=モダン都市)へと変貌していく姿を活写した。また、長谷川家の具体的な事例を通して、ラジオの出現により「日本国民」という一体感が高まったことや、子供連れで繁華街散策や映画観劇を夜遅くまでおこなっていたことなど、興味深い視点で「昭和」の世相を読み取った。
 その後、質疑応答の時間が設けられ、子どもが病気になった際の対応や紹介された日記の性格に関することなど、参加者から多くの発言があった。
 講座終了後はスタッフの方の案内で住宅内部を見学し、建具の来歴や禁門の変時に駐在した会津藩の痕跡について丁寧な説明を受けた。とくに二階厨子の書棚には長谷川家の蔵書が集められており、その迫力に一同感嘆するとともに、それらを1点1点目録につけて整理した伊東氏の苦心譚(ご本人は「こんなに楽しいことはない」と言っておられた)や蔵書内容、蔵書の貸借関係についても補足説明があった。
開催日時 第2回研究会・2023年6月18日(日) 14時00分~17時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館105教室
テーマ 京町家が生き続けるために―保全再生に関わる制度と実践活動について
発表者 丹羽結花
研究会内容  今回の研究会では、丹羽結花氏が、上記のテーマで講演をおこなった。NPO法人・京町家再生研究会の理事を務める同氏は、京町家の保全と継承について長期にわたる活動をしてきた。
 発表は、京都の歴史的な景観を保全するために市が取り決めてきた制度を年代ごとに整理すると同時に、そうしたなかでの京町家再生研究会の動向や実践活動を具体的に紹介し、京町家の直面している課題に焦点を当てる内容であった。
 そもそも、京町家とは何だろうか。京町家と呼ばれる建物を個別にみると、一列三室の基本形のものから、表屋造のものまで外観は様々である。丹羽氏は、京町家を、京都のまちなかにある家であり、歴史と文化を受け継いできた住まいのかたちであると定義する。基本的には1950年以前に伝統構法によって作られた住まいで、建築基準法施行後は基準に適わなくなったものという。そこで、「今ある」この歴史的な建造物を、いかに維持しながら次世代に遺していくかが問題となる。
 同法人の設立のきっかけは、1990年代急増したマンションやビルの建設に伴う景観論争である。専門家や建築関係者だけでなく、京町家の住人も議論に加わることになった。京都市においても、景観保存のための政策が戦前から条例や制度によって具体化されてきたが、実情とのずれや、制度を実際にどう利用するかが不明瞭な状況が続いてきた。同法人は、京町家再生の活動を積み重ねるなかで、行政にはたらきかけ、2017年の「京都市京町家の保全及び継承に関する条例」の制定につなげている。
 丹羽氏は、京町家のある地域が空間として維持される重要性や、京町家が住み続けられる建物であるという認識の普及が大切であると主張する。たとえば、明倫学区まちづくりの事例では、生活環境とホテルや飲食店の地域における共存方法を模索してきた。また、京町家の再生に際しては、構造改修により健全さを取り戻し、安心かつ便利に住まうことのできるよう、居住者の目線で改築を進めている。
 発表の後は、京町家所持者の高齢化や空き家問題、京町家のブランド化による高価格化と海外資本の参入、居住者の郊外への流出など、残された課題について質疑応答があった。議論は絶えないが、京町家は、資源を有効に使い続けるための先人の知恵であるという同氏の主張は、京町家への認識を新たにするものであった。
開催日時 第1回研究会・2023年5月22日(日) 13時00分~18時00分
開催場所 現地見学 及び 向日市文化資料館2F研修室
テーマ 京都府向日市上植野区有文書の調査と研究
発表者 安国陽子 玉城玲子
研究会内容  今回の研究会では、向日市文化資料館の玉城玲子氏・安国陽子氏が、上記のテーマで現地見学の案内及び発表をおこなった。
 まず、現地見学では、阪急西向日駅に集合し、主に玉城氏が地籍図や古写真などを参照しながら、西国街道を南下して河原町の集落から上植野中心部の旧集落を案内し、水利や地形、旧家、愛宕燈篭、向日神社御旅所、事務所・郷蔵・夜学場跡、会所・戸長役場跡などについて詳しい解説をおこなった。とくに夜学場跡では、玉城氏自身が夜学場跡の建物を借りて開かれていたそろばん教室に通っていた体験を話されたことで、その場所にかつて夜学場があったことがぐっと身近に感じられ、興味深かった。
 続いて向日市文化資料館に移動し、安国氏が「上植野区有文書の概要と日誌について」と題して発表をおこなった。発表は、区有文書の調査・活用をめぐる経緯や、相給村の特色として庄屋文書と区有文書の区別があることなどを説明したうえで、目録化にあたって時期区分と内容別区分のみならず機能的区分を設け、文書群の全体像を見えやすくしたことや、地区の人々によって利用されつつ伝来してきた形跡を表現するために袋の上書きを目録化するなどの工夫をおこなったことについてお話があった。加えて、明治から昭和期にかけて全50冊が残る上植野村戸長役場・区事務所の業務日誌の特色についてもお話があり、27年間継続している乙訓地域史研究会での解読作業のゼミ的な活発な雰囲気についても興味深い体験談があった。
 発表のあとには質疑応答の時間が設けられ、業務日誌が欠如している時期があることの要因について、区有文書のみならず個人史料を発掘していくことの重要性について、さらには目録の電子化のメリットと問題点についてなど、多岐にわたる議論がおこなわれた。
 その後、玉城氏が番水のしくみについて現地見学の補足説明をおこなったうえで、実際に上植野区有文書を見学する時間が設けられた。参加者は事務所の壁に貼られていたため裏に土のついた番水割表に感嘆したり、業務日誌の一部を手に取って気になったことを両氏に質問したり、思い思いに文書群についての理解を深めることができた。

2022年度

開催日時 第5回研究会・2022年11月20日(日) 14時00分~17時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館207教室
テーマ 大原古文書研究会について
発表者 上田寿一
研究会内容  今回の研究会では、左京区・大原地域の歴史を研究する上田寿一氏が、上記のテーマで講演をおこなった。同氏は、大原にまつわる歴史を精力的に研究すると同時に、大原古文書研究会を開き、地域の歴史を住民に還元する取り組みを進めてきた。
 発表は、大原古文書研究会の成り立ちや活動を紹介するだけではなく、その主軸となる上田氏自身の古文書への向き合い方を明示するものであった。
 上田氏の活動のきっかけは、地域の公民館から古文書が発見されたことである。同氏は、地域の歴史を表す古文書を、公共の機関に預ける前に、住民に還元する必要があると考え、古文書の読解をはじめたという。
 上田氏は、必ずしも専門的な知識に頼らずに、その地域に暮らしながら見えてくる事象を手がかりにし、自らの経験や住民との関わりのなかで、古文書の真意を読み取ることを大切にしている。大原に長らく在住する上田氏は、地理的環境や古老からの聞き取り、民話や民俗芸能などが、大原の歴史を紐解く糸口になっているという。また、同氏が職業としている染色の経験をもとに、京都における藍染めの歴史について独自の研究を進めているというお話も、説得力があり大変興味深かった。
 こうした考えに基づいて、上田氏は歴史を地域に還元する活動を進めている。現在開かれている古文書研究会には、農業従事者や大原への移住者をはじめ、多彩な方が参加している。同氏が継続的に発行してきた会報誌は1262号に及び、大原地域の歴史を知る際に重要な資料となっている。さらに、古文書研究会で作成した『大原事典』を大原学院の卒業生に贈ったり、学校の生徒に大原の成り立ちを教えたりと、地域の歴史を子どもたちに伝える取り組みに力を注いでいる。
 上田氏の活動と、それを支える思いから、歴史を学ぶ根源的な意味について深く考えさせられた。
 発表のあとには、質疑応答の時間が設けられた。会場からは、地域の古文書の活用と保存方法、古文書研究会の具体的な運営の仕方など、多くの質問があった。地域の古文書については公共機関との連携も求められており、これからの地域の歴史とその還元について示唆に富んだ議論がおこなわれた。
開催日時 第4回研究会・2022年9月18日(日) 14時00分~18時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館207教室
テーマ 社会構造による古文書所在情報の発信
―旧高旧領取調帳と(京都府域)近世領主並びに近世村町別閲覧可能関連文書一覧から―
発表者 山田洋一
研究会内容  今回の研究会では、京都府立大学特任講師の山田洋一氏が、上記のテーマで発表を行なった。同氏は、京都府立総合資料館に勤務中に、京都府域に関係する閲覧可能な古文書の所在情報を包括的に収集し一覧化して発信した経験がある。この労作である「近世領主並びに近世村町別閲覧可能関連文書一覧」(以下、「関連文書一覧」)がいかにして作られたのかについて、報告があった。
 報告は、「関連文書一覧」の着想から編集と刊行に至るまでの経緯、その意義と展望という流れで行われた。まず、山田氏が「関連文書一覧」の着想に至った過程について説明がなされた。古久保家文書にある「番日記」を研究していた同氏は、社会構造、すなわち当時の社会のしくみやありようを把握して、同日記を整理する必要を痛感したという。この背景には、図書館司書としての経験や、アーキビストの依拠する理論への共感があった。こうした問題意識から、同氏の提案により、「関連文書一覧」を総合資料館の業務として作成することが決定された。報告では、「関連文書一覧」の具体的な構成や内容、編集の方法について、資料とともにわかりやすく紹介された。
 地域にある文書の連関について膨大なデータを整理し、重要な成果を残した一方で、紀要としての刊行にとどまり、「関連文書一覧」は一般の閲覧が難しい状況にある。山田氏は、デジタル化時代において、この「関連文書一覧」も一部分ネット上でデータベースとして利用が可能となっているが、全国の情報が社会構造に基づいてデータベース化され活用されることが望まれると述べた。情報集約時に無史料とされた地域についても新たな情報の補填が待たれる。史料の連関情報が随時更新され、共有されるシステムが必要であるとして、報告を締めくくった。
 発表の後には質疑応答の時間があった。山田氏の成果について、改めてその意義が確認されると同時に、文書情報の集約とその方法に関して議論が深まった。文書のなかには、様々な事情から公開できないものもある。また、一般に文書の価値やひいては歴史の意義そのものが認識されないといった課題もある。史料の保存の将来という重大な問題についても考えさせられる研究会となった。
開催日時 第3回研究会・2022年8月21日(日) 14時00分~18時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館106教室
テーマ 向日市域の歴史資料と向日市文化資料館の活動
発表者 玉城玲子
研究会内容  今回の研究会では、向日市文化資料館の玉城玲子氏が、上記のテーマで発表を行なった。向日市域の歴史を語る資料全体について、調査・保存・活用に携わった団体・組織を時系列に追うなかで、資料の置かれた状況を考察する内容であった。
 報告は、向日市域の歴史資料調査活動を、大きく4つの段階に分けておこなわれた。まず、歴史資料を含む地域の文化遺産が、高度成長による地域社会の変貌にともない破壊されることへの危惧から、1966年に「乙訓の文化遺産を守る会」が発足した。玉城氏は、専門研究者と地域住民がともに活動した点に、この会の特色があったとする。次に、長岡京跡の発掘調査を軸とした文化財保護事業が展開された。続いて1979年には向日市史編纂事業が始まった。玉城氏によれば、編纂委員に上記の「乙訓の文化遺産を守る会」メンバーや乙訓在住者が多く、編纂事業開始時点で歴史資料の所在は、委員にはおおむね把握している認識があったこと、また自治体史編纂のための資料調査がバブル期以降の網羅的な資料収集を目指す以前の時期であったことも相まって、悉皆調査は念頭になく、執筆に必要な範囲のみの資料調査であったという。途中でおこなわれた市長部局から教育委員会への事業の移管という動きがありながらも、『向日市史』(上・下巻、史料編)が刊行された。そして、長岡京遷都1200年記念事業の一環として、1984年に向日市文化資料館(以下、資料館)が開館された。実際には向日市の所管となるものの、もともとは、乙訓に郷土資料館を作ろうとする地域住民の要望や、京都府の乙訓郷土資料館構想があったという。そうしたこともあって、向日市文化資料館では、市域だけでなく広く乙訓地域全体以外の歴史を扱う意識が強いと玉城氏は指摘した。常設展示を「長岡京の歴史と文化」とする一方、特別展や企画展では乙訓地域にまつわる、内容の多岐にわたる展示がおこなわれてきた。
最後に、玉城氏は、地域の歴史と資料館の役割について考察した。資料館の活動に従事してきた同氏は、地域住民と取り組んだ市内の街並み模型作りを通して、地域における資料館の意義を実感したという。そして、埋蔵文化財と結びつきながら発展してきた向日市域の歴史事業の課題について言及し、報告を締めくくった。
 発表の後には、市史編纂の主体や内実、資料館の他機関との連携、今後の展示の在りようなど、参加者から多くの発言があり盛会となった。
開催日時 第2回研究会・2022年7月17日(日) 14時00分~17時00分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館301教室
テーマ 姫路と市史
発表者 宇那木隆司
研究会内容  今回の研究会では、兵庫県立大学非常勤講師・姫路市教育委員会文化財課文化財担当の宇那木隆司氏が、上記のテーマで発表を行なった。
 はじめに、姫路市の地理的な概要と、歴史の流れに関して説明がなされた。現在の姫路市の中心部である姫路城周辺について、計画的な街道の敷設とともに城下町が整備され、その名残がいまも確認できるとした。さらに、宇那木氏は姫路城以前の歴史にさかのぼり、播磨国府の推定地や国府・国衙域の村の成立をたどった。そして中世の村は村のなかに形成された城下町の町人と近代に至るまで続く村の百姓に分化、城下町町人は村の権益を継承する町人と新興町人の二重構造が形成された。明治に入り姫路市が成立(M22)すると、陸軍第十師団が置かれるなど軍需面で繁栄していたが、戦時中の空襲では姫路やその周辺地域も罹災し、多くの文書や記録が失われる悲劇に見舞われた。このように、現在に至るまでの姫路市の道のりを丁寧に確認した。
 次に、宇那木氏は上述のような経緯を踏まえて、姫路市史編纂事業について、とくに被差別部落の問題から検討をした。現代の姫路市は、姫路町だけでなく、文化や歴史的な背景の異なる複数の地域を含んでおり、市史としてまとめる際には、多くの困難があったという。また、市史が市民向けの歴史書であると同時に、学術資料であるという点も、とくに被差別部落を取り上げるにあたって難しさがあると指摘した。たとえば、史料に基づいた実証的な記述が、被差別部落に関係する住民にとっては合意できない部分が生じるのである。さらに宇那木氏は、同和地区と言われる範囲であっても被差別部落出身者ではない住民も存在するなど、機械的には判断できない複雑さがあると注意を促した。
 最後に質疑応答の時間があり、市史編纂事業と被差別部落の問題に関して活発に意見が交わされた。宇那木氏は、被差別部落について一般的な知識だけで情報を公開する危険について改めて指摘した。そして、関連団体と十分な協議を行ない、公開媒体や読み手を鑑みたうえで歴史を叙述する必要性を説いた。本研究会においても重要なテーマである問題について議論が深まった。
開催日時 第1回研究会・2022年5月15日(日) 14時00分~17時30分
開催場所 同志社大学今出川キャンパス良心館106教室
テーマ 第21期第12研究の進め方について
発表者 小林丈広
研究会内容  今年度最初となる今回の定例研究会では、小林丈広氏が上記のテーマで報告を行った。
 はじめに、同氏によりこれまでの研究会の振り返りが行われた。具体的には、前論集である『京都における歴史学の誕生』(2014)の刊行以降、2021年度にいたるまで開催されてきた研究報告の要旨をたどった。そのなかで、のちの研究会の指針となった研究報告が回顧されると同時に、議論が深められなかった部分や残された課題も浮き彫りにされた。
 こうした研究報告の積み重ねを踏まえて、小林氏は今後の研究会の方針を提示した。それは、「基礎自治体を対象に公共政策の一環として文化行政全体の変遷をとらえる」「古文書調査の検討には悉皆調査と収蔵庫の確保という視点を入れる」というものである。同氏の提案のあとには、参加者から自身の問題意識に基づいた発言の時間が設けられた。そのなかで、自治体史編纂と古文書調査・保存の課題があらためて提起された。
 つづいて、考古学と埋蔵文化財の関係を参考にしながら、歴史学と古文書調査のあり方について考察がなされた。ここでは文書調査や保存の方法が、発掘調査にみられるように行政と密接に結びついていない点や、文書調査の現場と歴史学が縁遠いものになっている点が指摘された。
 以上の小林氏による報告を踏まえて、今後の研究会の方向性について参加者が意見の交換をおこなった。研究者がいかにして地域にかかわっていくかという、本研究会の中心的なテーマである歴史学の公共性に関する議論もなされた。また、古文書調査と歴史学とのつながりという課題に対しては、その間にあるプロセスを追う必要や、史料自体の歴史を意味づける展示などが提案された。さまざまな視点から今後の研究会の方向性や問題意識を確認する時間となり、初回の研究会として有意義な内容となった。