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第6研究 現代民主主義の危機とその克服に関する思想史的研究 研究代表者:長谷川 一年(法学部)
本研究会では、欧米諸国および日本における民主主義の危機の現状を多角的に考察するとともに、その克服の方途を探求する。現代民主主義の危機の徴候として、新自由主義による格差の拡大、既成政党の機能不全、移民・難民の排斥を訴える排外主義、ポピュリズムの台頭といった要因が指摘されている。本研究は、西洋政治思想史の知見を踏まえて、①民主主義と自由主義の関係性の再検討、②ナショナリズムの馴致の可能性、③自由民主主義体制における議会(議会制)の役割の再評価、という三つの視角から研究を進める。イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの政治思想の研究者を糾合して定例の研究会を開催するとともに、研究成果については、学会報告や公開シンポジウム、研究書の刊行を通して広く社会に発信する。
2026年度
| 開催日時 | 第3回研究会 2026年7月25日 14時00分~17時00分 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館 共同研究室B |
| テーマ | エドワード・サイードの政治思想――「権威」概念から読み直す |
| 発表者 |
畠中 晴世 氏 (同志社大学大学院 法学研究科博士後期課程) 伊藤 豊 氏 (山形大学 教授) |
| 研究会内容 |
本報告で畠中氏が取り上げるパレスチナ出身の思想家エドワード・サイードは、西洋による東洋支配の知と権力の共犯関係を暴き出し、ポストコロニアル研究という学問領域を切り拓いたことで知られる。しかし畠中氏は、サイードの仕事をこの枠組みに限定することは、近代において絶対的な起源を喪失した人間が、いかにして秩序を構築し、それに正統性を与え、他者を統治する権利を主張しうるのかという、より根源的な問いを見落とすことになると指摘する。ここで畠中氏は、サイードが提示した「権威」(authority)と「妨害」(molestation)の概念に着目する。権威とは何かを始める生産的な力であり、妨害とはその権威が現実世界から受ける抵抗や制約を指すが、サイードはこの権威と妨害の緊張関係を、「著者」(author)によるテクスト構築から『オリエンタリズム』における帝国の権威の分析へと転用したと畠中氏は論じる。そのうえで、『オリエンタリズム』が妨害を組織的に排除し自己完結的な言説を築いた過程を跡づけ、さらに『文化と帝国主義』の対位法的読解が、排除された妨害を回復し単一の権威を多元的な秩序へと開く実践であると位置づける。これにより、先行研究が指摘するサイードの理論的「矛盾」についても、一貫した読解が可能になると結論づけた。 続いて、伊藤氏からコメントが寄せられた。伊藤氏は、本報告が「著者」によるテクスト構築の論理を⽀配者による秩序構築(帝国支配)へと敷衍し、その過程で出現する「妨害」の機能に積極的な意義を見出そうとする野心的な試みであると高く評価した。そのうえで、妨害は帝国に内在する自己修正の契機として捉えてよいのか、もしそうだとすれば、サイードは帝国の破壊ではなく、帝国の論理の修正・補正を企図するリフォーミストとして理解できるのではないか、パレスチナ問題をめぐるサイードの構想はこうした理解を裏づけているとは言えないか、といった論点が提示された。 以上の伊藤氏のコメントを受けて畠中氏から可能な範囲でリプライがなされ、その後、参加者全員で活発な質疑応答が行われた。 |
| 開催日時 | 第2回研究会 2026年6月6日 14時00分~17時00分 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館 共同研究室A |
| テーマ | 遠藤泰弘『主権なき国家論は可能か――フーゴ―・プロイスの思想と行動』(法政大学出版局、2026年) |
| 発表者 |
遠藤 泰弘 氏 (松山大学教授) 佐野 誠 氏 (奈良教育大学名誉教授) 野口 雅弘 氏 (成蹊大学教授) |
| 研究会内容 |
まず遠藤泰弘氏から「自著を語る」と題して、本書の概要が説明された。オットー・フォン・ギールケの有機体的国家論を受け継いだフーゴー・プロイスが、ドイツ史上最も困難な時代の一つである第一次世界大戦からドイツ革命を経て、新生ヴァイマル共和国創設に至る危機の時代にどのように向き合い、時代の要請とどのように格闘したのか、そしてそのなかで彼の「主権なき国家論」がいかなる意義と限界を持っていたのかが確認された。 続いて佐野誠氏からコメントが寄せられた。本書はきわめて専門性の高い学術書であり、プロイスの政治思想を著作の内在的解釈だけに限定せず、彼の置かれた政治的・制度的状況をも射程に入れた実証的な政治思想研史究であると評価された。ヴァイマル憲法第48条の形成過程や審議過程を一次資料に即して丹念に読み解く手法は、政治思想史においても、憲法史・法制史においても、特筆に値する学術的貢献であると言える。そのうえで、ライヒ大統領制構想をめぐるヴェーバーとの差異、ヴァイマル憲法第48条第5項が予定する施行法の内容に関するシュミットとの差異、プロイスにおける女性選挙権の位置づけ等について質問がなされた。 さらに野口雅弘氏からコメントが寄せられた。本書がヴァイマル憲法成立史研究として重要な学術的貢献であると高く評価されたうえで、以下のような質問を提起された。のちにアーレントが『革命について』で注目することになるレーテ(評議会)についてプロイスはどのように理解していたのか、ベンヤミンが「暴力批判論」において「神話的暴力」と呼んだ主権的暴力についてプロイスはどう見ていたのか、現代の主権国家を取り巻く複雑な文脈のなかでプロイスの「主権なき国家論」はどのようなアクチュアリティを持っているか。 以上の両氏のコメントを受けて、遠藤氏から丁寧なリプライがなされ、参加者全で活発な質疑応答が行われた。 |
| 開催日時 | 第1回研究会 2026年4月18日 14時00分~17時00分 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館 共同研究室B |
| テーマ | 牧野雅彦『権力について――ハンナ・アレントと「政治の文法」』(中公選書、2023年) |
| 発表者 |
牧野 雅彦 氏 (広島大学名誉教授) 和田 昌也 氏 (同志社大学嘱託講師) |
| 研究会内容 |
まず、牧野雅彦氏から「ハンナ・アレントと「政治の文法」」と題して、自著の概要と執筆の意図について報告をいただいた。牧野氏はアレントの主著『人間の条件』『革命について』『暴力について』に即して、政治が言葉による「行為」であり、「目的」ではなく「問題」の共有から始まること、「敵」を想定しないこと、事実に依拠すること、対面の関係を重視すること、といった政治の「基礎文法」を抽出したうえで、それがイスラエル・パレスチナ問題やドイツ再統一、ベトナム戦争や五月革命などの政治的現実にどのように応用されているかを説明された。 続いて和田昌也氏からコメントが寄せられた。本書はアレントの政治思想を抽象的な理論体系ではなく、あくまで政治の経験(政治の文法)として理解しようとするところに独自性があり、その記述スタイルや構成には学ぶべき点が多いと評価した。そのうえで、アレントは権力と暴力を対比的に捉え、権力を複数の人間が協働して行為する能力として理解しているが、このような権力概念は社会科学的に見ていかなる含意を有しているか、アレントの「労働」概念と労働運動の関連をどのように解釈するべきか、本書において誰でも習得可能とされている「政治の文法」は、アレントがとりわけ評議会の生成過程において「自己選抜」の性質を強調していることといかに関係しているか、といった質問が出された。 以上の和田氏のコメントを受けて、牧野氏から丁寧なリプライがなされ、参加者全員で活発な質疑応答が行われた。 |
2025年度
| 開催日時 | 第9回研究会 2026年3月21日(土) 14時~17時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館 共同研究室A |
| テーマ | 髙山裕二『ロベスピエール――民主主義を信じた「独裁者」』 (新潮選書、2024年) |
| 発表者 |
髙山 裕二 氏 (明治大学教授) 長谷川一年 氏 (同志社大学教授) 和田 昌也 氏 (同志社大学嘱託講師) |
| 研究会内容 |
まず、髙山裕二氏から「自著『ロベスピエール』をめぐって」と題して、本書の内容と特徴について報告をいただいた。髙山氏は、フランス革命の歴史に即してロベスピエールの短くも激しい一生を振り返り、その思想と行動の重要なポイントを説明された。
次に、長谷川一年氏からコメントが寄せられた。長谷川氏は、本書がフランス革命史としての「物語性」と政治思想研究者ならではの「人物描写」を兼ね備えたリーダブルな評伝であり、「元祖ポピュリスト」としてロベスピエールを活写することを通して、今日の民主主義が直面している諸問題について再考させる高著であると評価した。そのうえで、近年のフランス革命研究の動向は本書の記述にどのような影響を与えているのか、ロベスピエールのルソー解釈にはいかなる特徴があるのか、といった点について質問が出された。
続いて、和田昌也氏からはアーレント研究を踏まえたコメントが寄せられた。和田氏は、本書が恐怖政治の汚名に塗れた「政治思想家」ロベスピエールの思想と行動を救い出すことに成功していると高く評価した。そして、ロベスピエールの民主主義には複数の位相が見出されることを指摘し、アーレントが『革命について』で描き出したロベスピエール像の意義と限界を確認したうえで、現代日本の政治状況を考える際にこの「清廉の士」がどのような意味を持ちうるのかという問いを投げかけた。
以上の両氏のコメントを受けて、髙山氏から丁寧なリプライがなされ、参加者全員で活発な質疑応答が行われた。
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| 開催日時 | 第8回研究会 2026年2月28日(土) 14時~17時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A |
| テーマ | 現代民主主義の危機と熟議民主主義――「選好の変容」を巡って |
| 発表者 |
大石 将照 氏 (同志社大学 大学院博士前期課程) |
| 研究会内容 |
世界的なポピュリズムの席捲、排外主義的な右派政党の躍進、フェイクニュースや陰謀論の流行といった現代民主主義の危機に対して、「熟議民主主義」はどのような処方箋を提示できるだろうか。
大石氏は、1970年代以降、新自由主義(あるいはリバタリアニズム)の台頭と社会関係資本の衰退にともなって、自己利益の追求と自己責任論が社会を覆い、多様な意見表出の前提となるべき共通の価値基盤(「メタ合意」)が脆弱化してしまったと分析する。その結果、経済的格差はもとより、人種、宗教、ジェンダーなど、さまざまな社会的亀裂や分断が顕著になった現代社会では、個人の選好を公正かつ効率的に集約し、集団としての選択を導く「集計型民主主義」は、もはや十全には機能していない。
こうした現状認識にもとづいて、大石氏は民主主義の健全化・活性化のためには「選好の変容」を可能にする「熟議民主主義」が必要不可欠であると主張する。ここで言う「選好の変容」とは、他者の視点を内在化することを含意しており、この「選好の変容」の喚起という観点から、日本と台湾の「デジタル民主主義」の現状を比較検討したうえで、日本は台湾の事例(たとえばオードリー・タンらの実践)から学ぶべき点があると結論づけた。
以上のような大石氏の報告を踏まえて、参加者の間で活発な議論が行われた。
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| 開催日時 | 第7回研究会 2026年1月24日(土) 15時~18時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 至誠館3階会議室 |
| テーマ | 村田陽『ギリシアへの陶酔』(ナカニシヤ出版、2025年) |
| 発表者 |
村田 陽 氏 (京都大学白眉センター特任助教) 松尾 哲也 氏 (大阪大学准教授) 有江 大介 氏 (横浜国立大学名誉教授) |
| 研究会内容 |
まず、松尾哲也氏から本書へのコメントが寄せられた。松尾氏は、本書が古代ギリシア思想の受容という観点から、ジョージ・グロートとJ. S.ミルの知的交流を詳細に分析し、「デマゴーグ」の再解釈や「ソフィスト」の再定義を行っている点を高く評価された。そのうえで、本書が強調する二人の「共鳴関係」の内実について質問が出された。また、本書では不問に付されている、グロートとミルによる古代ギリシア思想の解釈の妥当性について、さらにプラトンの著作に登場する人物の理解についても問いが提起された。
続いて、有江大介氏から本書へのコメントが寄せられた。有江氏は、アメリカやヨーロッパ、そして日本でも、ミルが危惧したような民主政の諸問題が噴出している現状にあって、本書は民主主義とは何かをその始まりに立ち返って考えさせる、時宜を得た研究書であると高く評価された。そのうえで、本書のタイトルにある「陶酔」という言葉の妥当性について、この語の当時の含意を踏まえて疑問が呈され、さらにグロート、ミルの二人とベンサムとの関係について質問が出された。
以上の両氏のコメントを受けて、村田陽氏からリプライがなされ、参加者全員で活発な議論が行われた。
なお、今回の研究会は、日本功利主義研究会、政治思想読書会との共催で開催された。
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| 開催日時 | 第6回研究会 2025年12月6日(土) 14時~17時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A |
| テーマ | 田中将人 『平等とは何か』 (中公新書、2025年) |
| 発表者 |
田中 将人 氏 (岡山商科大学准教授) 木部 尚志 氏 (国際基督教大学教授) 寺島 俊穂 氏 (関西大学名誉教授) |
| 研究会内容 |
まず『平等とは何か』の著者である田中将人氏から「自著について語る」と題して、簡単な自己紹介、本書の特徴とねらい、論点・争点、そして今後の課題が報告された。
続いて木部尚志氏からコメントが寄せられた。木部氏は本書の特徴として、平等と不平等に関わる政治理論上の重要な論点を手際よく取捨選択し、平易かつ説得的に論じている点を高く評価された。そのうえで、ロールズと関係論的平等主義がどこまで整合するのか、ロールズの政治理論はそのままで関係論的平等主義を追求できると考えているのか、あるいは「関係の平等」を「支配の不在」として捉えることが妥当か、といった重要な問いが提起された。
さらに寺島俊穂氏も、本書が現代政治理論における平等論の動向をうまく整理し、読者に平等・不平等を考えるための素材を豊富に提供する高著であるとコメントされた。そのうえで、「社会主義」のアクチュアリティをもっと評価するべきではないか、ロールズの格差原理は不平等の是正にどこまで有効なのか、あるいは「財産所有のデモクラシー」は富の偏在への歯止めとなりうるか、といった論点が提出された。
以上の両氏のコメントを受けて、田中氏からリプライがなされ、参加者全員で活発な議論が行われた。格差の拡大や社会的分断が進み、ポピュリズム現象が生じるなかで、経済的・政治的な不平等を是正し、著者の言う「関係の平等主義=民主的平等」を実現する方策を考えることは、本研究会にとって重要な課題の一つであることが確認された。
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| 開催日時 | 第5回研究会 2025年11月1日(土) |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A |
| テーマ | J. S. ミルとジョージ・グロートの民主主義論 |
| 発表者 |
村田 陽 氏 (京都大学白眉センター特任助教) |
| 研究会内容 |
本報告では、19世紀の英国で活躍したJ. S. ミルとジョージ・グロートの民主主義論について、哲学的急進主義とアテナイの民主政受容の観点から分析を試みた。両者は、ジェレミー・ベンサムの功利主義と改革思想を継承し、独自にそれらを発展させた著述家として知られる。すなわち、民主的な議会改革を擁護し、代議制統治の範囲内において、民主政の望ましい形態を模索したと想定される。その一方、彼らが展開した思想的営為には違いも認められる。
こうした一般的理解にもとづいて、本報告では第一に、両者の相違を明確化し、それぞれを並置させて分析することの妥当性・意義を検討した。第二に、ミルとグロートによる共著論文「テイラーによる『政治家』」(1837)を手がかりに、両者のテイラー批判に内在化した議会改革擁護論を確認した。第三に、1840年代から1860年代にかけてのミルとグロートによるアテナイ受容に着目し、双方が析出したギリシアの自由主義的解釈について、アテナイの民主政解釈と多数者の専制・社会的専制の観点から議論した。
19世紀半ばの英国では、議会改革を背景に民主政は政体上の一つの「選択肢」として議論された。トーリーに代表される保守派は、名誉革命後の混合政体の維持を試み、ウィッグは議会主義のさらなる促進を目指した。このような文脈のもとで、ミルとグロートは古代人の知的・政治的営為に対する洞察を深めた。そして、急進主義に由来する現実政治の「改革」という視点から、アテナイの民主政を擁護し、アテナイに自由主義的な要素を発見したと捉えられる。
以上の報告に対して、コメンテーターの上村剛氏(関西学院大学准教授)から刺激的なコメントが寄せられ、ミルとグロートの民主政論のみならず、19世紀政治思想史研究の可能性や、受容史としての思想史研究の課題・意義などが問われた。その後、参加者を交えて活発な議論が行われた。
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| 開催日時 | 第4回研究会 2025年8月13日、14日 |
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| 開催場所 | 同志社びわこリトリートセンター セミナー室 |
| テーマ | 論文集『民主主義の危機をいかに克服するか』(仮題)の執筆に向けて |
| 発表者 |
千葉 眞 氏、ほか |
| 研究会内容 |
今回の研究会は、同志社びわこリトリートセンターにて合宿形式で開催された。論文集『民主主義の危機をいかに克服するか』(仮題)の執筆に向けて、各執筆者が担当する政治思想家の民主主義観の特徴や問題点について報告し、参加者全体でディスカッションを行った。思想家相互の影響関係やアクチュアリティをめぐって活発な討論が展開され、今後検討すべき論点の確認が行われた。
各執筆者が取り上げた政治思想家は以下のとおりである。
・ 千葉 眞 : チャールズ・テイラー
・ 古賀 敬太 : カール・シュミット
・ 佐野 誠 : マックス・ウェーバー
・ 濱 真一郎 : アイザィア・バーリン
・ 長谷川 一年 : ジョルジュ・ソレル
・ 田中 将人 : ジョン・ロールズ
・ 松尾 哲也 : レオ・シュトラウス
・ 和田 昌也 : ハンナ・アーレント
・ 大村 一真 : ユルゲン・ハーバーマス
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| 開催日時 | 第3回研究会 2025年7月19日 14時~17時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A |
| テーマ | A・Dリンゼイによるキリスト教絶対平和主義批判——聖書解釈と国内類推の是非とに注目して |
| 発表者 |
中村 逸春 氏 (鹿児島大学 法文学部 准教授) |
| 研究会内容 |
A・D・リンゼイは、二度の世界大戦を通じて、平和主義運動に対して批判的な言説を展開した。中村氏は、『原理としての平和主義とドグマとしての平和主義』(1939年)および『イエスの道徳教説』(1937年)という二つの著作を中心に、リンゼイの平和主義批判の論理を読み解いた。
まず、リンゼイは平和主義を「絶対的平和主義」と「相対的平和主義」とに区別する。後者は、法と正義にもとづく秩序を維持するためには、限定的な暴力の使用を認める立場であるのに対し、前者はそのような行為を含む一切の暴力行為を否定する立場である。リンゼイは、絶対的平和主義の根底にあるのは、聖書の「山上の説教」の教えであると指摘したうえで、その教えを現実世界の法的規範にそのまま適用することには無理があると主張する。彼にとって「山上の説教」は「恩寵」の教えであり、既存の法秩序とは本質的に相容れないため、字義通りに現実へ持ち込むことは誤りであるとして、絶対的平和主義を批判したのである。
また、愛と非暴力だけで国内の秩序を保つことができるとする絶対的平和主義者が、その論理を安易に国際社会へと転用しようとする「国内類推」に対しても、リンゼイは批判的であった。リンゼイは、国際秩序が理想のみで維持できるものではなく、場合によっては武力の行使も必要であると論じる一方で、個人の問題においては絶対的平和主義の立場を認める余地を残していた。それが「良心的兵役拒否」の問題であり、リンゼイはこれを「恩寵の行為」として尊重すべきだとしている。しかし同時に、良心的兵役拒否の立場を他者に押し付けることは、国際秩序の崩壊につながるとして、これを厳しく批判している。
このようにリンゼイの絶対的平和主義批判は、国際秩序の維持と個人の信念の両立可能性、あるいは法と恩寵の関係という難問に深く踏み込んだものであり、現代の諸問題を考えるうえで示唆に富むものであることを中村氏は明らかにした。
以上のような中村氏の報告を踏まえて、コメンテーターの古賀敬太氏からコメントが寄せられ、その後、参加者の間で活発な質疑応答が行われた。
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| 開催日時 | 第2回研究会 2025年6月7日 14時~17時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A |
| テーマ | S・レビツキー、D・ジブラット 『民主主義の死に方――二極化する政治が招く独裁への道』(新潮社、2018年) |
| 発表者 |
大石 将照 氏 畠中 晴世 氏 |
| 研究会内容 |
S・レビツキー&D・ジブラット『民主主義の死に方』によれば、「民主主義の死」は必ずしも軍事クーデタや革命のような劇的なかたちで起こるのではない。むしろ民主主義は、合法的な選挙で選ばれた指導者によって、制度の内部からじわじわと破壊されていくのである。著者たちは、ヒトラー、チャベス、フジモリ、トランプなどの事例の検討を通して、この民主主義の侵食の過程をつぶさに描き出している。
本書によれば、民主主義の健全性は制度だけでなく、政治家同士の「相互的寛容」や「自制心」といった不文律としての規範(「柔らかいガードレール」と呼ばれる)によって支えられてきたが、トランプ大統領の登場に象徴されるように、いまやこうした規範は揺らぎ始めている。そして、弱体化した主流派がカリスマ的なアウトサイダーと「致命的な同盟」を結ぶことで、独裁への道が開かれた各種の事例が活写される。
著者たちは、こうした事態を防ぐために、政党が「門番」として過激な候補者を排除する役割を果たす必要があると主張している。しかし、アメリカでは予備選挙の制度化やSNSの普及によって政党の「門番」機能が弱まり、トランプの出現を許してしまった。トランプのようなアウトサイダーが、司法、メディア、経済界などの制度を徐々に破壊し、合法的な手段で対立勢力を排除していく過程は、民主主義の本質的な脆弱さを浮き彫りにしている。
最後に、アメリカの民主主義は決して例外的に強固なものではなく、制度と規範の双方が機能しなければ、内部からの崩壊は不可避であるという著者たちの指摘が紹介された。
以上のような大石氏と畠中氏による報告を踏まえて、参加者の間で活発な議論が行われた。
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| 開催日時 | 第1回研究会 2025年4月26日 14時~17時 |
|---|---|
| 開催場所 | 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A |
| テーマ | 利益集団なき喝采――カール・シュミットの民主主義論 |
| 発表者 |
長野 晃 氏 |
| 研究会内容 |
カール・シュミットの民主主義観は、公正な選挙や理性的討論を重視する現代的な民主主義観とは大きく異なり、「喝采する人民」という直接的な現前性を前提とする。シュミットによれば、民主主義の本質は「治者と被治者の同一性」にあり、それは少数支配をも民主的と見なす自己否定的な側面を抱えているが、この「同一性」の概念はやがて「同質性」の概念によって補強され、異質な者の排除を帰結するだろう。
そもそもシュミットにとって、政治的領域は私的利益と相容れない領域であり、経済的利益にもとづいて結成される利益団体や政党が政治に関与することは許されない。とりわけ利益団体は意見の交換であるべき「討論」を形骸化させ、自己利益の最大化を図る「商議」へと堕落させる。長野氏によれば、こうしてシュミットの民主主義論は、自由主義的精神から民主主義を純化する方向へと展開していったのである。
シュミットは、民主主義の公的性格を「人民の喝采」によって担保したが、そのさい人民に求められる資質は専門的知識や教養ではなく、「友」と「敵」を区別できる政治的能力であるとされた。しかし、実際に責任ある決断を下すことのできる人民が存在するかどうかは疑わしく、大多数の人民は秘密選挙によって定式化された問いに答えるだけの「非政治的」な存在であるという問題もある。
シュミットの民主主義論の限界は、大衆民主主義から自由主義的要素を排除することで「民主主義の危機」を本当に克服できるのかという点にある。長野氏は、利益集団の排除ないし解体によって政治空間を創出しようとするシュミットの試みには強引なところがあり、「利益」の問題をより柔軟に捉える視点が必要であったことを指摘した。
以上のような長野氏の報告を踏まえて、コメンテーターの佐野誠氏および松本彩花氏からコメントが寄せられ、その後、参加者の間で活発な質疑応答が行われた。
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