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第6研究 現代民主主義の危機とその克服に関する思想史的研究  研究代表者:長谷川 一年(法学部)

 本研究会では、欧米諸国および日本における民主主義の危機の現状を多角的に考察するとともに、その克服の方途を探求する。現代民主主義の危機の徴候として、新自由主義による格差の拡大、既成政党の機能不全、移民・難民の排斥を訴える排外主義、ポピュリズムの台頭といった要因が指摘されている。本研究は、西洋政治思想史の知見を踏まえて、①民主主義と自由主義の関係性の再検討、②ナショナリズムの馴致の可能性、③自由民主主義体制における議会(議会制)の役割の再評価、という三つの視角から研究を進める。イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの政治思想の研究者を糾合して定例の研究会を開催するとともに、研究成果については、学会報告や公開シンポジウム、研究書の刊行を通して広く社会に発信する。

2025年度

開催日時 第4回研究会 2025年8月13日、14日
開催場所 同志社びわこリトリートセンター セミナー室
テーマ 論文集『民主主義の危機をいかに克服するか』(仮題)の執筆に向けて
発表者
千葉 眞 氏、ほか
研究会内容
 今回の研究会は、同志社びわこリトリートセンターにて合宿形式で開催された。論文集『民主主義の危機をいかに克服するか』(仮題)の執筆に向けて、各執筆者が担当する政治思想家の民主主義観の特徴や問題点について報告し、参加者全体でディスカッションを行った。思想家相互の影響関係やアクチュアリティをめぐって活発な討論が展開され、今後検討すべき論点の確認が行われた。
 各執筆者が取り上げた政治思想家は以下のとおりである。

・ 千葉  眞  : チャールズ・テイラー
・ 古賀 敬太  : カール・シュミット
・ 佐野  誠  : マックス・ウェーバー
・ 濱  真一郎 : アイザィア・バーリン
・ 長谷川 一年 : ジョルジュ・ソレル
・ 田中 将人  : ジョン・ロールズ
・ 松尾 哲也  : レオ・シュトラウス
・ 和田 昌也  : ハンナ・アーレント
・ 大村 一真  : ユルゲン・ハーバーマス
開催日時 第3回研究会 2025年7月19日 14時~17時
開催場所 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A
テーマ A・Dリンゼイによるキリスト教絶対平和主義批判——聖書解釈と国内類推の是非とに注目して
発表者
中村 逸春 氏 (鹿児島大学 法文学部 准教授)
研究会内容
 A・D・リンゼイは、二度の世界大戦を通じて、平和主義運動に対して批判的な言説を展開した。中村氏は、『原理としての平和主義とドグマとしての平和主義』(1939年)および『イエスの道徳教説』(1937年)という二つの著作を中心に、リンゼイの平和主義批判の論理を読み解いた。
 まず、リンゼイは平和主義を「絶対的平和主義」と「相対的平和主義」とに区別する。後者は、法と正義にもとづく秩序を維持するためには、限定的な暴力の使用を認める立場であるのに対し、前者はそのような行為を含む一切の暴力行為を否定する立場である。リンゼイは、絶対的平和主義の根底にあるのは、聖書の「山上の説教」の教えであると指摘したうえで、その教えを現実世界の法的規範にそのまま適用することには無理があると主張する。彼にとって「山上の説教」は「恩寵」の教えであり、既存の法秩序とは本質的に相容れないため、字義通りに現実へ持ち込むことは誤りであるとして、絶対的平和主義を批判したのである。
 また、愛と非暴力だけで国内の秩序を保つことができるとする絶対的平和主義者が、その論理を安易に国際社会へと転用しようとする「国内類推」に対しても、リンゼイは批判的であった。リンゼイは、国際秩序が理想のみで維持できるものではなく、場合によっては武力の行使も必要であると論じる一方で、個人の問題においては絶対的平和主義の立場を認める余地を残していた。それが「良心的兵役拒否」の問題であり、リンゼイはこれを「恩寵の行為」として尊重すべきだとしている。しかし同時に、良心的兵役拒否の立場を他者に押し付けることは、国際秩序の崩壊につながるとして、これを厳しく批判している。
 このようにリンゼイの絶対的平和主義批判は、国際秩序の維持と個人の信念の両立可能性、あるいは法と恩寵の関係という難問に深く踏み込んだものであり、現代の諸問題を考えるうえで示唆に富むものであることを中村氏は明らかにした。
 以上のような中村氏の報告を踏まえて、コメンテーターの古賀敬太氏からコメントが寄せられ、その後、参加者の間で活発な質疑応答が行われた。
開催日時 第2回研究会 2025年6月7日 14時~17時
開催場所 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A
テーマ S・レビツキー、D・ジブラット
『民主主義の死に方――二極化する政治が招く独裁への道』(新潮社、2018年)
発表者
大石 将照 氏
畠中 晴世 氏
研究会内容
 S・レビツキー&D・ジブラット『民主主義の死に方』によれば、「民主主義の死」は必ずしも軍事クーデタや革命のような劇的なかたちで起こるのではない。むしろ民主主義は、合法的な選挙で選ばれた指導者によって、制度の内部からじわじわと破壊されていくのである。著者たちは、ヒトラー、チャベス、フジモリ、トランプなどの事例の検討を通して、この民主主義の侵食の過程をつぶさに描き出している。
 本書によれば、民主主義の健全性は制度だけでなく、政治家同士の「相互的寛容」や「自制心」といった不文律としての規範(「柔らかいガードレール」と呼ばれる)によって支えられてきたが、トランプ大統領の登場に象徴されるように、いまやこうした規範は揺らぎ始めている。そして、弱体化した主流派がカリスマ的なアウトサイダーと「致命的な同盟」を結ぶことで、独裁への道が開かれた各種の事例が活写される。
 著者たちは、こうした事態を防ぐために、政党が「門番」として過激な候補者を排除する役割を果たす必要があると主張している。しかし、アメリカでは予備選挙の制度化やSNSの普及によって政党の「門番」機能が弱まり、トランプの出現を許してしまった。トランプのようなアウトサイダーが、司法、メディア、経済界などの制度を徐々に破壊し、合法的な手段で対立勢力を排除していく過程は、民主主義の本質的な脆弱さを浮き彫りにしている。
 最後に、アメリカの民主主義は決して例外的に強固なものではなく、制度と規範の双方が機能しなければ、内部からの崩壊は不可避であるという著者たちの指摘が紹介された。
 以上のような大石氏と畠中氏による報告を踏まえて、参加者の間で活発な議論が行われた。
開催日時 第1回研究会 2025年4月26日 14時~17時
開催場所 同志社大学今出川キャンパス 啓明館共同研究室A
テーマ 利益集団なき喝采――カール・シュミットの民主主義論
発表者
長野 晃 氏
研究会内容
 カール・シュミットの民主主義観は、公正な選挙や理性的討論を重視する現代的な民主主義観とは大きく異なり、「喝采する人民」という直接的な現前性を前提とする。シュミットによれば、民主主義の本質は「治者と被治者の同一性」にあり、それは少数支配をも民主的と見なす自己否定的な側面を抱えているが、この「同一性」の概念はやがて「同質性」の概念によって補強され、異質な者の排除を帰結するだろう。
 そもそもシュミットにとって、政治的領域は私的利益と相容れない領域であり、経済的利益にもとづいて結成される利益団体や政党が政治に関与することは許されない。とりわけ利益団体は意見の交換であるべき「討論」を形骸化させ、自己利益の最大化を図る「商議」へと堕落させる。長野氏によれば、こうしてシュミットの民主主義論は、自由主義的精神から民主主義を純化する方向へと展開していったのである。
 シュミットは、民主主義の公的性格を「人民の喝采」によって担保したが、そのさい人民に求められる資質は専門的知識や教養ではなく、「友」と「敵」を区別できる政治的能力であるとされた。しかし、実際に責任ある決断を下すことのできる人民が存在するかどうかは疑わしく、大多数の人民は秘密選挙によって定式化された問いに答えるだけの「非政治的」な存在であるという問題もある。
 シュミットの民主主義論の限界は、大衆民主主義から自由主義的要素を排除することで「民主主義の危機」を本当に克服できるのかという点にある。長野氏は、利益集団の排除ないし解体によって政治空間を創出しようとするシュミットの試みには強引なところがあり、「利益」の問題をより柔軟に捉える視点が必要であったことを指摘した。
  以上のような長野氏の報告を踏まえて、コメンテーターの佐野誠氏および松本彩花氏からコメントが寄せられ、その後、参加者の間で活発な質疑応答が行われた。