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第12研究 植民地主義的暴力と排外主義の現在―歴史研究との対話を通した批判的研究  研究代表者:水谷 智(グローバル地域文化学部)

 

2025年度

開催日時 第2回研究会 2025年6月26日(木) 17時00分~18時30分
開催場所 同志社大学 烏丸キャンパス志高館 SK201 及び オンライン(ハイブリッド)
テーマ 「植民地間の連帯と批判をジェンダー化する:1905~1932年の植民地インドにおける朝鮮の女性化」
(Gendering Cross-Colonial Solidarity and Critique: Feminizing Korea in Colonial India, 1905-1932)
発表者
Aaron Peters  (Ambrose University, Canada)
コメンテーター
Takashi Fujitani  (professor emeritus, University of Toronto)
研究会内容
 今回は、アンブローズ大学のAaron Peters先生を招き、Gendering Cross-Colonial Solidarity and Critiqueについて研究報告をしていただき、議論を行った。研究報告後にはトロント大学名誉教授のTakashi Fujitani氏がコメントし、その後参加者を含めたディスカッションを実施した。全てのプログラムはハイブリッド形式(使用言語:英語)で行われ、同志社大学間帝国史研究センター(Center for Transimperial History: CTH)と本部門研究会の共催で開催に至った。

 発表者は、イギリス統治下のインドにおいて、民族主義者や作家の一部が、朝鮮の反植民地闘争と対峙する際に、ジェンダー化された言語を使用していた事実を取り上げた。とりわけ、ラビンドラナート・タゴールによる朝鮮に関する連帯の詩、特に「敗者の歌」(The Song of the Defeated)、およびオーロビンド・ゴーシュによる安重根の伊藤博文暗殺に対する批判に着目する。これらの例は、インド人が朝鮮独立運動を観察・解釈しつつ、自由と民族自決に関するインド自らのヴィジョンを明確に表現する中で、朝鮮と連帯する場合、あるいは批判する場合の双方において、男性を去勢する言語や女性化が顕著に表れていることを示していた。本報告では、植民地および反植民地主義の言説における性別、ジェンダー、年齢の戦略的使用について著述したアッシュ・ナンディーやシカタ・バナルジーなどの研究を援用しつつ、帝国を越えた植民地間の連帯や批判の表現において、植民地支配者のジェンダーに関する語彙を使用することの限界と落とし穴についても考察した。

 報告後には、ゲストコメンテーターのTakashi Fujitani氏から、汎アジア主義に対するヴィジョンやタゴールの位置付け、新渡戸稲造など日本人知識人の影響についてなどさまざまな質問やコメントが出された。また、フロアからも、インドと日本の反植民地主義フェミニストの連帯に関する質問やゴーシュのエピソードの共有などがあった。ゲストと参加者によって、さまざまな論点から活発な議論が展開された。

開催日時 第1回研究会 2025年6月19日(木) 17時00分~18時30分
開催場所 同志社大学 烏丸キャンパス志高館 SK201 及び オンライン(ハイブリッド)
テーマ Craniometric Entanglements: the Theft and Study of Ainu Remains in Europe and Japan
発表者
Michael Roellinghoff (the university of Hong Kong)
コメンテーター
Takashi Fujitani (professor emeritus, university of Toronto)
研究会内容
 今回は、香港大学のMichael Roellinghoff先生を招き、Craniometric Entanglementsのテーマで研究報告をしていただき、議論を行った。研究報告後にはトロント大学名誉教授のTakashi Fujitani氏がコメントし、その後参加者を含めたディスカッションを実施した。全てのプログラムはハイブリッド形式(使用言語:英語)で行われ、同志社大学間帝国史研究センター(Center for Transimperial History: CTH)と本部門研究会の共催で開催に至った。


 発表者は、1865年から1940年にかけてヨーロッパと日本で実施されたアイヌの遺骨に関する「頭蓋骨測定研究」(craniometric studies)の歴史を概観した。こうした研究は、1865年に函館のイギリス公使館員がアイヌの墓地からアイヌの頭蓋骨を略奪し、ロンドンに輸出する目的で開始された。ヨーロッパでは当時アイヌの頭蓋骨に大きな需要があったのである。当初、日本当局はこれらの盗掘に激しく非難したが、20世紀に入ると、ドイツやスイスにおいて影響を受けた日本人研究者が、ヨーロッパの研究者たちと共にアイヌの遺骨の盗掘と研究に積極的に関与するようになったという。本報告は、アイヌの人骨問題をグローバルなコンテクストから捉え直す試みであった。


 報告後には、ゲストコメンテーターのTakashi Fujitani氏から、遺骨返還がナショナルボーダーの認識を明確化する装置として利用されたのか、盗骨や墓地の盗掘はいつ頃まで実践され、何時ごろに終わったのかなどさまざまな質問やコメントが出された。また、フロアやオンラインからも、De-indigenizationの意味するものや入植に関する帝国間関係について質問やコメントがあがった。ゲストと参加者によって、対面/オンライン双方においてさまざまな論点から活発な議論が展開された。