第14研究 近現代京都、まちの景観/風景に関する学際的研究 研究代表者:本岡 拓哉(人文科学研究所)
本研究会は、歴史学や社会学、経済史、美術史、民俗学、人文地理学などの諸分野の研究者が集まり、近現代京都におけるくらしやまちの景観を多角的にアプローチしていく。景観の歴史的研究や景観表象分析に加えて、景観を構成する社会や政治、文化的営為の検討など、景観を関係的に把握し、かつ動態的に捉えるといった研究が行われうる。そこでは同志社大学人文科学研究所が所蔵する写真や映像、地図や絵画などの図像資料も積極的に利用する。所属するメンバーはこれらの目的や研究手法を共有し、生活や文化、社会運動や経済活動、行政や政治、差別や排除など諸事象を対象に設定し、近現代京都の種別性や奥行きを明示していくことを目指す。
2026年度
| 開催日時 | 第1回研究会 2026年5月26日 15時00分~18時00分 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川校地 啓明館2階共同研究室A |
| テーマ | 戦後京都市における被差別部落の暮らしと婚姻儀礼 |
| 発表者 | 高野 昭雄 (嘱託研究員(社外)) 西村 優汰 (ゲスト講師) |
| 研究会内容 |
2026年度第1回研究会では、まず嘱託研究員である大阪大谷大学の高野昭雄氏が「京都市における都市型部落と農村型部落―田中部落にも着目して」と題し発表を行った。1930~50年代の京都市の被差別部落に関し、同志社大学人文科学研究所、部落問題研究所、京都部落問題研究資料センター等に所蔵の未刊行史料に所収の人口と仕事のデータが整理され、以下のような分析結果が報告された。
まず、旧市域6地区は朝鮮人人口の増加により1930年代後半に人口が増加した後、戦時中から戦後初期には人口が日本人・朝鮮人ともに急減していた。対照的に郊外12地区は食糧難の戦時中でも人口が増加していた。
次に、1935~50年の被差別部落の職業は、旧市域6地区では履物修繕、靴、土工日稼が中心だったのに対し、郊外12地区では農業が中心だった。このことから、戦時中でも郊外12地区の人口が増加した理由として、農村型部落であったことがうかがえる。
最後に、市内北部3地区の職種の変化を比較すると、千本では男性の世帯主・世帯員とも公務・公益(水道など)・軌道(市電)が、田中では世帯員(若年層)の男女とも衣服製造(洛北友禅業)が、鹿ケ谷では男性の世帯主・世帯員ともに建設が代表的な仕事になっていた。これについては、参加者の経験から、公務に教員が多く含まれていた可能性が指摘された。
続いて、ゲスト講師である世界人権問題研究センター登録研究員の西村優汰氏が「戦後・都市型部落の暮らしと婚姻儀礼―京都・田中部落を中心に」と題して発表を行った。先行研究では、文献資料や統計資料をもとに、被差別部落の住環境などの観点から生活実態が検証され、その低位性が注目される傾向にあった。1956年の京都市民生局の統計調査でも劣悪な住環境で低位な生活状況が示されていた。その背景には部落と非部落で習慣が異なるという差別意識があった。それに対し、京都以外の農村型部落で行われてきた民俗誌的研究により、文字や数字では捉えきれない暮らしにも目を向けるべきではないかという問題意識から、2014~24年に田中部落で行われた1932~56年生まれの35名の婚姻に関する聞き取り調査の結果が報告された。戦前から1960年代まで伝承されていた特徴的な儀礼は以下のとおりである。
まず結婚式の数週間前になると嫁方で嫁入道具が披露された。それを親戚や近所がお祝いを兼ねて見に行き、祝儀として履物などを贈っていたが、それらも贈り主の熨斗紙を貼って飾られた。地区内婚の場合、それら全てを婿方に納める際には、1960年代半ばまで「荷入れの行列」が行われた。「鍵持ち」と呼ばれた責任者が滑稽な恰好で所作をつけ、蛇行移動をしながら祝い唄をうたい先導していた。
大皿の婚礼料理は100~200人前が全て地域住民によって作られ、素人ながら専門的に作ることのできる年配男性が差配していた。特に、高足膳に食材を組み立てるようにして盛り付ける「八寸」(※懐石料理とは異なる)は飾りかつ引出物の役割をもつ御膳であり、「八寸を組む」と言われたほど専門的だった。
地区内婚の場合、嫁入行列も行われた。夕方になると、婿方の使者として花婿の友人2名が提灯を持ち、親戚の男性か仲人と花嫁を迎えに行き、花嫁と嫁方の親戚を連れて行列し、嫁入りとなった。この際にも祝い唄がうたわれることがあった。
以上より、統計で示されていた貧困状況とは対照的に、1940~60年代の田中部落は、豊かな民俗を有し、それを継承できる共同体が維持されていたと考えられる。これは差別だけでは捉えきれない被差別部落の暮らしの多面性の1つである。ただ、これについては、参加者の経験から、地域的背景というよりも、時代的背景が大きいのではないかという指摘がなされた。そして、地域性より時間軸に着眼点を置いた方が良いという助言が行われた。
なお、参加者はオンライン合わせて14人であり、各発表後には、1人1問以上、質問が出るなどして、活発な議論が交わされた。
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2025年度
| 開催日時 | 第8回研究会 2026年3月20日 14時00分~16時30分 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川校地 啓明館2階共同研究室A |
| テーマ | 近代京都市のプロテスタント教会の立地と都市空間の変化 |
| 発表者 | 麻生 将 |
| 研究会内容 |
2025年度第8回研究会では、嘱託研究員である二松学舎大学の麻生将氏が、「近代京都市のプロテスタント教会の立地と都市空間の変化」と題して発表を行った。
まず、先行研究の紹介が行われた。キリスト教会の立地・分布についての研究は、これまで主に地理学や建築学の立場から行われてきた。ただし、都道府県というマクロスケールを単位とした分析が多く、都市などのよりミクロな視点での分析が不足しており、教会の分布について経時的に分析した研究も少ないという。これらの問題点を踏まえ、本報告は『基督教年鑑』を基礎史料とし、1916年から1940年までの京都市における教会の立地のあり方を時系列に沿って分析するものである。その内容は以下の通りである。
はじめに、明治初期の東京奠都に伴って発生した空閑地が教会に転用される場合があったことや、仏教との関係性、人口の推移と教会数の推移の類似性、土地区画整理事業による市街地の拡大との関連性など、近代の京都市におけるキリスト教の歴史が紹介された。その後、近代京都の市街地の変化と教会の立地について、具体的な分析が行われた。まず、人口と教会数の推移に注目すると、教会は誕生と消滅を繰り返しており、増加数が減少数を上回っていたため、結果として教会総数が増加しているということが示された。また、京都市の市街地の拡大と教会立地・教会数について、主題図を用いてその時代ごとのあり方が示され、市街地の拡大にともなって教会の立地範囲が拡大していったことが示唆された。また、教会の存続要因は、教派・教団によるものなのか、立地する場所に影響するものなのか、といった分析も行われた。
次に、ここまでに示されたデータに基づき考察が行われ、教会が京都御苑や皇居付近に多く立地していることは、近代日本においてキリスト教が天皇と近い立場にあったことを示す、象徴的な地表景観であるという。また、教会の移動について、信者の獲得や地域との関係性、教会の構成員、土地や建物の取得方法などと関連させての分析も行われた。そして、最後に、北白川、下鴨の宅地開発と教会立地の関係性が示され、当時の教会の立地戦略や布教戦略を考える上で、重要な基礎的事例となることが示唆された。
その後、質疑応答が行われた。まず、教会の立地を考える上で道路や路面電車などインフラ整備とも関連させつつ分析することの重要性が提案された。また、今回の分析で明らかとなった京都における教会立地の特性は、他の都市との比較においてどのように位置付けることができるのか、また、教会史などの史料を分析に取り入れることで、より研究が深まる可能性が示唆された。さらに、同志社など京都におけるキリスト教系の教育施設と教会立地の間には、何らかの関係性が見られるのか、教会の立地には市街地の拡大に加えて信者個人の意志といった要素も関係するのではないか、といった質問も行われるなど、活発な議論が行われた。
参加者はオンライン合わせて18人であった。
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| 開催日時 | 第7回研究会 2026年1月30日 15時00分~17時30分 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川校地 啓明館2階共同研究室A |
| テーマ | 「景観」と「風景」のはざまに——場所の表象をめぐることばと制度 |
| 発表者 | 佐藤 守弘 |
| 研究会内容 |
今回の研究会では、研究メンバーの佐藤守弘氏が「「景観」と「風景」のはざまに―場所の表象をめぐることばと制度―」と題して報告を行った。
はじめに、「景観」、「風景」、「Landscape」という言葉自体の定義が非常に曖昧であり、地理学や美術史、建築学や植物学といった様々な分野において、異なる定義によって利用されていることが提示された。そこでは「景観」、「風景」、「Landscape」という言葉それぞれの歴史や、それが内包する意味などについて丁寧な紹介が行われた。どちらも視覚されるものとしては共通するものの、「景観」が客観性の意を有するとされること、日本における「風景」は表出性や主情性を有するものとされることを含めて、「Landscape」という言葉の原義とその意の変遷を辿った。そして、風景画におけるものの見方や美学者による「風景」の捉えられ方も紹介された。
続いて、遠近法と「風景」の関係を軸にして報告が進められた。佐藤氏によれば「風景」とは、ヨーロッパ初期近代に成立し、その覇権の伸長と共に世界中に広がった「ものの見方」であり、その内実は、単一の視点から見た三次元の世界を二次元に翻訳する視の制度である幾何学的遠近法をベースとしつつ、自己と環境を分離しつつも視覚的に媒介する意味付けのシステムであるという。そして、三次元の世界を二次元に翻訳するものの見方、すなわち様々な視の制度が紹介された。具体的には、パノフスキーによる遠近法を初期近代における人の支配と関連づける考え方や、見る主体と見られる他者の関係を重視するサイードによる「心象地理」の考え方、また、柄谷行人の主観・客観の区別は風景の中で成立したとする考え方や、風景と車窓の関係などである。
以上を踏まえて、正岡子規による万物を俯瞰的に表象する地図的観念と、万物を遠近法的に捉える絵画的観念の二項対立を参照しながら、その表現方法の差異が扱われた。ここで佐藤氏は、俯瞰と鳥瞰の区別を行うことが重要であると述べ、その理由として、俯瞰図は単一の視点を持たない一方で、鳥瞰図は仮想の一視点から見渡されたものであるという、図を描く際の視点の差異が、両者の間には存在していることを挙げる。そして、視点の強弱の差異は、従来、視点が固定化されている写真とそうでない地図との間で二項対立的に表現されることが多かったが、その差異はグラデーション的なものであり、写真と地図以外にも、視点の段階に応じて、様々な表現の方法が存在していることが示された。そのうえで最後に、「景観」と「風景」という二項対立的を超えた、表現の方法について紹介が行われた。
質疑応答では車窓と風景の問題から、技術によって環境が風景として捉えられるようになった可能性が示されると共に、環境を風景とする技術が存在しない時代において、環境はいかに表現されていたのかについても応答が行われた。さらに、近代の視覚優位性という点は、本研究会のテーマである「近代の京都の景観」を研究する上で、どのように活かすことができるのかについても問われた。また、学術的な領域において、従来は視覚優位性や主観―客観といった二項対立が優位であったが、こうした方法論に対する反省が行われ、新たな視点で研究が行われるようになってきているという報告者の言及もあった。加えて、京都における写真資料の現存状況と、その資料性についても議論が行われた。最後に、被差別部落など表象が忌避されるようなものは、景観として扱うことができるのか否か、という点についても議論が行われた。
参加者はオンラインを含めて16名であった。
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| 開催日時 | 第6回研究会 2025年12月12日 13時30分~16時 |
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| 開催場所 | ツラッティ千本、旧柏野小学校ほか |
| テーマ | ツラッティ千本 企画展「被差別部落と在日コリアン ―京都・千本における100年の記録、そして未来へ―」見学+周辺フィールドワーク |
| 発表者 | 高野 昭雄 |
| 研究会内容 |
今回の研究会では、まずツラッティ千本にて開催中の企画展「被差別部落と在日コリアン ―京都・千本地区における100年の記録、そして未来へ―」の見学会を行った。同館スタッフの西村優汰氏の案内のもと、千本地区の歴史を踏まえて、在日コリアンの居住過程や生活状況、共生のあり方について、パネルやジオラマから学ぶ機会となった。戦後の同和対策事業や住環境改善事業を経て、千本地区の景観が大きく変容する一方で、近隣の紙屋川砂防ダム内に集落が形成していく状況も理解することが出来た。また近年の状況として、閉校した楽只小学校や改良住宅の建て替えによって生まれた空き地の活用を含めた今後のまちづくりのあり方について、参加者の間で議論となった。
ツラッティ千本展示見学後、研究メンバーの高野昭雄氏の案内によりフィールドワークを行った。近隣の旧柏野小学校の校庭にある北朝鮮帰還事業記念碑前にて、周辺地域における在日コリアンの生活・労働状況について学んだ後、御土居跡や紙屋川を見て回りながら再び千本地区に戻り、同地区内の町並みとともに全国水平社連盟本部跡石碑を見学した。
参加者はオブザーバーを含めて19名であった。
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| 開催日時 | 第5回研究会 2025年11月7日 13時30分~16時30分 |
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| 開催場所 | 京都市歴史資料館 |
| テーマ | 京都市歴史資料館所蔵資料から近代京都の都市景観を考える |
| 発表者 | 秋元 せき |
| 研究会内容 |
今回の研究会では、京都市歴史資料館にて開催中の企画展「19世紀京都発の地域情報」の見学会を行った。研究会メンバーで、同館主任歴史調査員の秋元せき氏の案内のもと、18世紀から19世紀にかけての京都から発信された、絵図や地図、名所図会など様々な出版資料を観覧した。出版資料に含まれる、名所や旧跡、地名や人物、施設、事件、イベントなどの情報を読み解くことに加えて、本研究会の共通テーマとなっている「景観」の観点から各図像資料が何を、いかに描いているかといったことについて、参加者の間で議論となった。近代における町組改正や第四回内国勧業博覧会、京都駅などのインフラ整備について、図像資料を通じて理解する機会にもなった。加えて、京都の出版業界のあり方や歴史的変遷についても話題となった。
見学後、秋元氏から京都市歴史資料館の所蔵資料の特徴やデジタル化の取り組み、展示における課題などが紹介されるとともに、参加者らはそれぞれの研究利用の可能性を模索することとなった。また、同志社大学人文科学研究所が所蔵する京都関連の図像資料の扱い方についての議論も行われた。
参加者は11名であった。
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| 開催日時 | 第4回研究会 2025年10月17日 17時~19時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川校地 啓明館2階共同研究室A(オンライン併用) |
| テーマ | 合評会・中西仁『神輿舁きはどこからやってくるのか――京都にみる祭礼の歴史民俗学』(昭和堂、2024年) |
| 発表者 | 西村 卓 、 中西 仁 |
| 研究会内容 |
今回の研究会では、研究メンバーの中西仁氏の著書『神輿舁きはどこからやってくるのか――京都にみる祭礼の歴史民俗学』(昭和堂、2024年)の合評会を行った。評者は研究メンバーの西村卓氏が務めた。
はじめに、評者の西村氏から本書の内容および構成が紹介なされた後、民俗学における「近代」や「近代化」に関する定義の問題や京都の都市周縁と神輿舁きの関係性といった論点が提示された。
前者に関しては「中世的な神輿渡御が、若者組による神輿舁き集団(若中)を中心とする「近代」的な神輿渡御へと変化するさまを解明する」(19頁)ことをめぐり、歴史民俗学と社会経済史との間の「近代化」概念の相違が論点として挙げられた。具体的には、神輿の舁き手が「若中」へと変化することを果たして「近代化」と捉えうるかが問われた。またこの議論は、民俗学における時代区分の問題へも展開することも指摘された。
後者の都市周縁と神輿舁きとの関係ついては、明治前期になると、大規模な都市祭礼において、都市下層の人々が神輿渡御に参入する動きが顕著になる点が取り上げられた。中西氏は著書の中で、この動向を、「神輿は権威や富の象徴」である神輿を舁くことで、下層の人々は自らの威信に繋げようとしたことや、神輿を「自らの村に渡御させたい」という熱意の表れであるとする。これに対し西村氏から、被差別民が神輿を舁こうとする原動力を、これまでの差別に対する反発や承認願望の表れとして処理してしまってよいのか、という疑問が提示された。
西村氏の書評を受けて、中西氏による応答を含め参加者間で議論が行われた。まず、時代区分に関しては、民俗学における時代区分は研究対象によって変化するということが中西氏から示された。その一方で、参加者からは近世との関係を考慮する必要性も提示された。その際、神輿の舁き手が地縁から社縁へと変化することが「近代化」と捉えられているが、そもそも地縁的組織である若中の成立を「近代」の始まりと捉えることには疑問が残る、という意見も出された。
後者の都市周縁と神輿舁きの関係については、本書で扱われるある特定の地域をめぐって議論となるなか、既存の神輿巡行ルートとは違いが出る点に関して、近代以降の町名変更や学区編成などが話題となった。また、祭りの担い手からの排除の問題に関しては、たとえば子ども神輿への参加の可否が居住地域の場所だけではなく、居住歴や親の属性で判断される場合もあることが紹介され、「異質」なるものが生み出される状況や過程に着目することで当該研究の可能性が広がることも指摘された。参加者は対面、オンラインを含めて15名であった。
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| 開催日時 | 第3回研究会 2025年9月3日 17時~19時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川校地 啓明館2階共同研究室A(オンライン併用) |
| テーマ | 京都人文学園・京都勤労者学園の知識人と「学生」 |
| 発表者 | 奥村 旅人 (嘱託研究員(社外)) |
| 研究会内容 |
今回の研究会では、研究メンバーの奥村旅人氏が、戦後京都における文化運動のなかで生まれた「京都人文学園」とその後継団体である「京都勤労者学園」についての報告を行った。報告ではまず、先行研究における京都人文学園の位置付けやその問題点が紹介された。そこでは、京都人文学園が社会運動史研究や敎育史研究の中で「市民大学」や「教育文化運動」として位置付けられてきたことや、京都人文学園が主に戦前教育の刷新という点でのみ注目されてきたため、それが持つ労働者教育という側面――特に「夜間部」の存在――が見逃されてきたことが指摘された。また、後継の京都勤労者学園との連続性が見落とされている点も指摘された。
その後、新出史料も用いつつ、①教育者側の変遷、②生徒側の変遷という2点に焦点が当てられ発表が行われた。
①については、京都人文学園と後継の京都勤労者学園の科目構成・講師の変遷や夜間制への改組という契機に着目し、教育の力点が、人文科学的教養を重視した教育から労働問題系の教育へ、そして市民向けの教育、さらには実務・趣味に関する教育へと変遷していったことが明らかにされた。
また、②については、生徒の募集要件や壁新聞などの史料の分析を通して、「教養」的な教育を志向する生徒と、労働問題に関係する「戦術」や「理論」を求める生徒との間で分裂があったことが明らかにされ、こうした分裂が学園の二度の改組に影響を与えた可能性が提示された。
その後質疑応答が行われた。まず、様々な労働学校の系譜や、戦前戦後の移行期における価値観の変化が、京都人文学園に与えた影響が問われた。また、京都人文学園設立の背景となる労働者の学びへの欲求が、京都という地域的背景を持つのか、戦後という時代的背景を持つものなのかについてが議論され、同じ労働者学校である「鎌倉アカデミア」との比較を行うことで、京都人文学園の特徴に迫る必要性が示された。また、夜間学校と大学夜間部との関係性についての質疑が行われた。
参加者は対面、オンライン合わせて13名であった。
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| 開催日時 | 第2回研究会 2025年6月28日 15時~18時 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川校地 寒梅館6階大会議室(オンライン併用) |
| テーマ | なからぎの森の会『こうして京都府立植物園は守られた―市民が開くコモンズの未来―』 (かもがわ出版、2025年) 合評会 |
| 発表者 | 高原 正興 (ゲスト講師:京都府立大学名誉教授) 鯵坂 学 (嘱託研究員(社外)) 三俣 延子 (嘱託研究員(社外)) |
| 研究会内容 |
今回の研究会では、本部門研究メンバーの鯵坂学氏が共同代表を務める「なからぎの森の会」が出版した、『こうして京都府立植物園は守られた―市民が開くコモンズの未来―』(かもがわ出版、2025年)の合評会を行った。「なからぎの森の会」とは、京都府立植物園を含めた京都府による開発計画を阻止すべく運動を行った市民団体である。
まず、鯵坂氏から京都府立植物園や植物園の位置する北山エリアの概要についての説明がなされた後、自身もこの運動に関与する高原正興氏により、当該運動の経緯や成功要因の解説が行なわれた。社会問題を「推定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動」と定義するスペクターらによる構築主義とともに、自身がこれまで研究の中心に据えてきた実証主義それぞれの視角から、詳細な具体例を交えつつ報告が行われた。発表に対する参加者からの応答として、植物園が府の観光政策や民間資本の影響を受けており、「公共施設」そのもののあり方が問われているなどの議論が行われた。
続いて、三俣延子氏による環境経済学の視点からの書評が報告された。三俣氏は、本書を、①当事者性の高さ、②行政政策における市民不在の問題点の提示、③「コモンズ」に関する研究方向の提示、という3点で評価を行った。一方で、書中に登場する「コモンズ」という語の定義が曖昧であるという問題点を指摘し、その定義を明確化する必要性を提起した。さらに、府立植物園を「コモンズ」の中でどのように位置づけるのかということや、景観という視点を踏まえ、植物園の価値をいかに可視化できるのかという点も指摘した。 |
| 開催日時 | 第1回研究会 2025年4月25日 16時30分~18時30分 |
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| 開催場所 | 同志社大学今出川校地 徳照館会議室(オンライン併用) |
| テーマ | 研究メンバーの顔合わせ、研究活動の共有 |
| 研究会内容 |
今期初めての研究会のため、第1回研究会はメンバーの交流をはかるべく、それぞれ研究員の顔合わせ並びに研究活動の共有を図った。
まず、研究代表を務める本岡拓哉から本部門研究会の目的として、近現代の京都の人びとの「くらし」や「まち」をめぐる社会・政治構造を浮き彫りにすることが掲げられ、「景観」を研究対象および分析視角に設定することが示された。後者については、人文地理学による景観概念や先行研究を踏まえて、景観の歴史的アプローチや景観表象分析に加えて、景観を構成する社会や政治、文化的営為の検討など、景観を関係的に把握し、かつ動態的に捉えるといった視座が研究メンバー間で共有された。
その後、各メンバーによる3年間の研究活動内容や研究成果の出し方が提示され、共同研究の可能性についても話し合われた。後者の共同研究に関しては、代表の本岡の方から、同志社人文研資料のうち特に図像資料の活用が促され、地図や写真、名所図会などの観光資料、さらには博覧会資料など、具体的な活用方法についての提案もあった。
参加者はオンラインを含めて20名であった。
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